ボタニカル・ガーデン

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 珍しいシチュエーションのなかに祥衛はいた。目の前には腕を組んで歩く克己とその客とがいる。客は白髪交じりの男性で、年齢は60歳くらいだろうか。商社を経営しているらしい。
 克己はというと見事なまでに女狐に化けていて、毛皮のコートを着込んでいる。シニヨンのウイッグは女装をするときに好んでよく着けているけれど、他は祥衛が見た彼の女装の中でも華美な部類だった。毛皮のコートを纏い、イヤリングにもネックレスにも指輪にも大粒の宝石が施されている。惜しげもなく網タイツの美脚を披露し、ピンヒールで闊歩するさまはモデルのようにきまっていた。実際、すれ違う人々の目は克己に注がれ、芸能人だとかモデルだとかを噂する声も祥衛に届く。そんな克己を連れ、初老の社長はいかにも満足げだ。
 祥衛は克己の美貌はもちろんのこと、その器用さに感動する。まるでカメレオンのように客に応じて姿も性別も変えてしまう。好青年であったり、キャリアウーマンであったり、和服の淑女だったり……今宵はさながら高慢なセレブといったところだろうか。普段は嫌っているはずの煙草までくわえて役に浸っている。微笑みも真っ赤な口紅のせいか、いつもより妖艶に見えた。
 なぜ祥衛が彼らの道楽に付き合わされているかというと、たまたまFAMILYのビルのエントランスで出くわしたという偶然。これから夜間植物園に行くのですがおひまなら祥衛くんも如何ですか、そうだきみもぜひ来たまえ、と2人に誘われて断れなかった。今日は祥衛の仕事は休みだったし、夜間植物園と聞いてすこし興味が湧いたのも事実だ。
 市内の動植物園は夏期のあいだのみ遅くまで営業している。昼間は休んでいる夜行性の動物だったり、夜のみ咲く花を観賞出来るというのが宣伝文句で、多くの人が押し掛ける。とはいえ人気は動物園のほうで、植物園は静かなものだ。親子連れでざわめく動物園と違い、カップルが目立つ。園側もそれを見越しているようで、遊歩道には点々と灯籠が置かれ、ロマンティックな色彩を演出していた。恋人達は寄り添って歩いたり、ベンチに腰掛けて語り合ったりしている。
 そんな情景を横切りながら、祥衛は『紫帆だったら動物園のほうがよろこびそうだ』と思った。その次に思ったのは『でも薫子さんのような女の人なら植物園を選ぶだろうな』。
「随分、熱心に見ていますね」
 声をかけられて、祥衛は振り向く。そこには腕を組んで立つ克己がいた。ネイルも口紅と同じような深紅で、おまけに長い。社長の姿を探すと、少し離れたところで携帯電話に応対していた。
「月下美人、この花は年に一度しか咲かないんです」 
「年に一度……」
 克己の言葉に祥衛は驚いた。他の花の周りに比べて立ち止まる人が多く、熱心に鑑賞したり、香りを愉しんでいるのはそのせいなのだろうか。
「正直、誘っておいて何なんですが……ひょっとして植物園は祥衛君にとって退屈かもしれないって、心配になってたんですよ」
「そんなこと。……ない、俺は、夜は好きだし……」
 祥衛は首を横に振った。
「動物を見るよりも、植物のほうが……楽というか。生き物は苦手なんだ……」
 連れてきてもらって有り難いという気持ちを伝えようとするものの、やっぱりうまく喋れない。表現したいことにぴったりと合う言葉が見つけられないのだ。
「だから、その。今日は感謝していて……」
「そうですか。良かった」
 克己は微笑んだ。そんなふうに笑ってもらえたということは、この心が伝わったのだろうか。祥衛はほっとする。
 それにしても克己からは男性の香りがしない。かといって女性的というわけでもなく、性というものが存在しないかのようだ。花びらを見つめる横顔は祥衛より高い位置にあって、背もそれなりにある。声だって青年のものだ。しかし、ちっとも不自然ではない。女性だと云われればそう見えるし、男だと云われればそう見える。克己君は何者なんだろう──祥衛はばくぜんと思った。

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 ひととおり観賞したあとは園沿いに建つレストランへ入った。通されたのは広い個室で、ガラス窓からは先程まで歩いていた温室や、茂る樹々が望める。シャンデリアの明かりの下、白いクロスが掛けられた円卓に運ばれてくるのは桃のガスパチョだったり、魚介のサラダだったり、鴨のステーキだったりと様々なメニュー。スペイン料理なのだと言う。
 こんなとき、祥衛は少年男娼に成ったばかりのときいつも戸惑っていた。けれど、何度も経験してさすがに慣れている。並ぶナイフとフォークは外側から使えばいいとか、初歩的なことも含め一応は記憶していて、ふつうに食すことができる。
 ただ、自分でこういう店に来たいと思ったことは無い。入りづらいのもあるけれど、食べ物にお金を掛けるのが祥衛にはもったいなく感じた。胃に入ってしまえば何でも同じだ、カップラーメンと特上の寿司も変わらない気がする。だから祥衛は服や指輪にお金を回して、口にするのはいつもカロリーメイトなのだった。
 食べながら、客と談笑している克己を観察してみる。やっぱり食べ方も綺麗で、品がいい。けれど気になったのはコートを着たままだということ。
 その謎が解けたのはデザートが運ばれてきてから──
「そろそろ、脱いで見せてくれないかね?」
 ワインが回ったらしい舌をもつれさせ、初老の男はそう言った。克己はクレマ・カタラーナを食べる手を止めておもむろに立ち上がる。毛皮のコートを脱いでしまうとゆるやかな曲線美の椅子に掛けた。
「………」
 祥衛は息を飲む。現れた姿は常軌を逸していた。網タイツにガーター、女性もののランジェリーは黒絹のサテンで統一されている。そして、上半身に付けているのは“縄”だけ。克己の素肌は麻縄で縛されている。拘束というよりは装飾、ぎちぎちにきつく責めを与えるものではない。まるで衣服の代わりと言わんばかりに胴体に通され、括られ、結び目を作っている。
 ピンヒールで立つ克己のことを初老の男はうれしそうに見つめ、金の時計が嵌まった腕を伸ばしては縄目を摘んだり(まるで愛撫するかのようないじり方に祥衛には見えた)、肌を撫でたり、パンティ越しに尻肉を揉む。
 あまりに和やかな空気に、祥衛は忘れかけていた。今は“FAMILYの仕事”の最中だということを。FAMILYの仕事がおとなしく終わるわけがない、絶対に何らかのイロゴトが交わされるのに。
「毛皮の下がこんなさまだとは、誰も思っとらんだろうよ。それにまさか」
 男の手がパンティの前に運ばれる。まさか、と言いながら掴むのは布越しの男性器だ。
「おまえが男だとはなぁ?」
「痛いですよ、そんなにしたら」
「こんなに勃起して。ずっと興奮していたのか?」
「ええ……勿論」
 克己の身体は客の上に座らされた。スプーンを使う祥衛の目の前に淫らな姿が降臨する。自らの上に座らせた男は後ろから克己の唇に指を挿れて舌や唾液をも愛撫した。もう片方の手は縄の交差する肉体を撫で回している。克己はくすくすと笑っていて、愉快そうだった。
 祥衛はそんな二人を見ながら、少しずつおかしくなっていった。女装姿に男根が主張する姿は倒錯的だったし、自分がお客に縛られたときの想い出が蘇ってきて、頭がぼおっとした。
 口にするカスタードの甘美さは恍惚に追い討ちをかけて、祥衛を酔わせゆく。無表情の下で狂う歯車。全身の血流が中心に集まりはじめたのが分かる。熱を伴って。

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「どうしたんですか、祥衛君」 
 克己の言葉に祥衛はびくついた。薄笑むその表情は、全て見抜いているようだったからだ。テーブルの下股間を屹立させていることも、胸をどきどきとさせていることも、きっとばれている。
「祥衛君も縛られたいんですか」
 客に顔を撫でられながら、克己は問う。祥衛はスプーンを皿に落とし、麻痺しはじめた意識のなかで頷いてしまった。これはこれは……流石はFAMILYの男の子だ、若いのに変態だね……客は感心したように言った。
 それからは導かれるように腕を引かれ、コートを着た克己とともに料理店を出る。多忙な男はこの後も別な予定があるらしい。既に横付けされて待っていた車に乗り込んだのは、祥衛と克己だけだ。
「克己、君……」
 動き出す夜の景色に、祥衛は戸惑いを隠せない。客を置いて向かう先は何処なのだろう。傍らに座っている貴婦人のような横顔は、いったい何を考えているのか。祥衛には分からず、ただ、ずっと鼓動だけがざわつく。
 脳裏に焼き付いて離れない──克己の肢体を撫で回す男の手。縄目を弄くるあの変態めいた指先。滑らかな肌に交差していた麻縄は紫に染められたもので、肌と紫色の対比がまた妖艶だった。カットガラスのシャンデリアの下、食卓の前に現れた姿は女性的でありながらも男性器を持っていて、背景には茂る植物園の緑が蠢いていて──渦巻いている先程のシーン。思い出せば、祥衛はうっとりとため息を零してしまう。とても鮮烈なひと時だった……
「熱いですよ」
 祥衛を現実に引き戻したのは、克己の爪だ。額に掌を当てられ、計られた。祥衛は無言で克己を見る。克己はふふ、と小さく笑う。
「男娼としての適性に満ちた少年ですね、すばらしく」
 褒めながら、克己の爪は祥衛の胸に降りる。そのまま股間まで辿り、デニムを押し上げている塊を見つけてしまう。
「興奮しやすくて淫らな……自覚はおありですか」
 ファスナーを下ろされながら、祥衛は素直に頷いた。克己はまた微笑む。
「大貴君なら首を横に振って、むきになって否定しますよ。この手もどけようとするでしょうし」
 思いがけず大貴の名を聞き、祥衛は少し動揺する。しかしどきりとしながらも、俺は淫乱じゃねえもん、などと言って抗う姿が簡単に思い起こせるのだった。
(だいき……)
 克己は勃起したペニスを摘み出してしまう。されるがままに握られながら、祥衛が想うのは大貴にそうされる事だ。今この瞬間のよう、同じように車の後部座席で大貴に組み伏せられていた夜もある。客に命じられ、観賞され、キスをしろと言われてその通りにして、早く交尾するんだと急かされてセックスを始める。いつかの記憶が呼び起こされ、祥衛は発情を増してゆく。
「あっ、あぁ……!」
 露出したペニスを扱かれる。長い爪が時折食い込むのだが、マゾの祥衛にとってはそれもまた愛撫の一つにすぎない。感じやすい身体はすぐに悦びを表し、さらに張りつめて分泌液を零しはじめた。蜜は潤滑油になって克己が手を動かすたびにクチュクチュと鳴る。その音を聞いていると恥ずかしくて、余計に興奮した。
 運転手はFAMILYの息が掛かった者なのか、痴態が披露されていても気にも止めない。一体何処に連れていかれるんだ、祥衛は尋ねてみたかった。けれど巧みな指先に操られるまま吐息が乱れて、言葉にならないのだ。

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 着いたのは街中のプチ・ホテルだった。ビルの群れに紛れて佇む、都心の隠れ家と呼ぶに相応しい宿。高層オフィスの谷間にひっそりと在るその建物はこじんまりとしていて、外観には蔦がうじゃうじゃと絡んでいる。ロビーにも観葉植物が溢れ、中庭には温室の如く花々に満ちていて、祥衛は先程からまるでひとつづきの夢を見ているような気がした。植物園〜瀟洒な料理店〜そして蔦に満ちたホテル。今夜はまるで、緑に溺れているような夜だ。
 麗しい雰囲気を味わいながらも、祥衛の身体はもちろん発情を続けている。車内でさんざん弄り廻されたものがおさまる筈もない。乱れた衣服は整えられても、勃起の形だったり、昂ぶった体温はそのままだ。
 従業員にばれてしまったらどうしよう、と祥衛は思った。着ているシャツの裾を不自然に引っ張ってみる。そんなことをしていると客室に向かう途中歩きがおろそかになり、毛足の長いカーペットの上で祥衛は転んでしまった。
 大丈夫ですか、と居合わせたホテルマンに駆け寄られ、顔から火が出そうになる。祥衛は唇をきゅっと噛んで慌てて立ち、克己の背後を追いかけた。克己は祥衛に振り向いて例の妖しげな微笑をみせる。
「……此処は先程のお客様専用の一室なんですよ」
 たどり着いた扉の向こうには、赤い壁紙の部屋が広がっていた。鉄製の仰々しいベッドが真ん中に置かれ、やはりモンステラなどの観葉植物が飾られている。
「あまりにも気に入ってしまったらしくて、ずっと此処を借りているんです。立派なお家がすぐそばにあるのに。変わったお方ですよね」
 克己は語りつつもピンヒールを脱ぎ、フェラガモのバッグも放る。コートも脱ぎ捨ててしまって、ランジェリーと麻縄の交差する肢体を見せた。
 あらわな男根を隠そうともしない克己に祥衛は戸惑い、入り口で立ち止まる。目の遣り場に困ってしまう……網タイツ、整った顔立ち、細い首、しなやかな腕、間接照明にきらめく装飾品……克己のパーツはどの部分も官能的過ぎる。
「祥衛君?」
 ぼんやりと見つめていた祥衛は名前を呼ばれ、ハッとした。
「どうしたんです、瞳を虚ろにして」
「あ……」
「恍惚の中にいるんでしょうか?」
 また、妖しい微笑み。手招きをされると、祥衛の頭は麻痺したようになる。どうしたらいいのかわからない……。こんな部屋に連れ込まれて、服を脱いだのだから、このままいやらしいことをするに違いないんだろうけれど。俺は、どうしたらいいんだろう? 熱に浮かされたような意識の中、速くなる脈動を感じながら祥衛は克己のそばへと赴いた。
「本当はね、今宵は俺一人、此処で自慰を撮るようにと言われていたんですよ」
 長い爪の指すほうを見るとチェストの上に据え置かれた、小型のビデオカメラがある。
「ですが、今夜は貴方というキャストもいる。せっかくだから絡みを録画しておいてくれないかと、彼に頼まれたんです」
 爪はレンズを示したあとで、祥衛の唇に動いた。引き寄せられるように顎を掴まれ、そのままキスをされる。勝手に事をすすめて、其処に俺の意思はないのだろうか……不満を覚えたが、グロスに濡れてねっとりとした口付けに丸め込まれ、流されてゆく。饒舌なキスはあまりに巧く、搦めているうちにむしろもっとして欲しくなってくる。どうぞ好きに撮ってかまわないから、もっともっと快感を与えてほしい、と。

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 祥衛の衣服は奪われ、代わりに縄を掛けられる。克己のように身動きがとれる縛りでなく、すべての自由を奪う縛り方だ。手首は背中に廻され、足はM字に開脚された形でベッドの上に固定された。
 こんなふうにされて、祥衛は少しも不快ではない。性器は期待感に張りつめていた。縛られている事実に興奮しているのだ。身をかがめた克己から与えられる濃密な口付けはその興奮をさらに高めてゆく。蠢く舌先にかき混ぜられ、意識までもとろけさせられた。祥衛は近づいてくる絶頂を感じる。
「ダメですよ、まだ達しては」
「……!」
 ペニスを握り潰され、痛みに祥衛の表情は歪んだ。 
「撮り始めたばかりなんですから」
 克己は祥衛から指を放し、ベッドからも離れた。椅子に腰掛けると脱ぎ捨ててあった祥衛のジーンズを拾い、ポケットから煙草を取り出す。赤い爪がそれを抜き取って火をつけるのを、動けないままで祥衛は眺めた。
「素敵なデザインですね」
 紫帆に貰ったジッポを克己は褒め、テーブルに置く。どうやら少し時間を置いて、発情を冷まそうということらしい。克己は長い足を組んで、祥衛の煙草を味わっている。この人は煙草が嫌いなんじゃなかったのか、祥衛は疑問に思う。
 考えれば考えるほど克己という人は分からない、実態を掴むことができない。ひょっとすると、今夜のことも全て仕組まれていたのかもしれない。FAMILYでは事務も司っている克己が、所属男娼のスケジュールを把握しているのは当然だ。たまたま仕事休みの日に、ビルの下で待っていたように出会うなんて、怪しい。
「ゆっくり愉しみましょう。貴方も俺も明日までフリーですし。ねぇ、祥衛君……貴方も吸いますか?」
「……いらない……」
 煙草をすすめられ、祥衛は首を横に振った。そうですか、と答えると克己はチェストに赴きハンディカムを手に取る。
「ハメ撮りしましょう。祥衛君はスケベだから、こういうの好きですよね」
 言い方はまるでからかっているようだ。けれど悔しくも、カメラを手にベッドに乗られると祥衛の鼓動は乱された。僅かに萎えたペニスも再び、熱くなってくる。
「いい絵だな。いやらしい」
 祥衛の股の間に座り、ほくそ笑む克己。不意に崩された敬語と、落ちる冷たい視線。これが克己の本性なのか。照明の陰影は美しい女顔をさらに引き立てる。
「……絵に、なるのは」
「何です?」
「克己君のほうだ……」
 本音を伝えると、克己は形のよい唇を歪めた。そして返ってきたのは、ありがとうございます、との返事。
「っふ、ぅ……」
 肌をなぞり始める指先。光るレンズに視姦されながらいたぶられてゆくさまに、祥衛の興奮は加速した。縛られているせいで逃れることは出来なく、敏感な部分を触れられてもされるがままに快楽に浸されてゆく。
 何故なのか、祥衛の感じやすいところは全て把握されている。裏売買の為に撮られたビデオ等を克己はチェックしているのかもしれない。乳首は愛撫でなく、抓るように引っ張られるのは祥衛の好みで、知られていることに驚きつつも恥ずかしくなる。
 焦らされ、極みには連れていってもらえない。ヒクヒクと性器を震わせて、先走りの汁をだらしなく零していることしかできない。
 今の祥衛は、まるで蜘蛛の巣に掛かった虫のようだった。もしくは楽器──祥衛のアエギ声は、克己の舌と指先によって奏でられる淫靡な旋律と化す。

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「ひっ、ぅ、イク……!」
 嬲られつづけ、ある瞬間に祥衛は身を震わせた。白濁を噴き上げて飲み込まれる恍惚の渦へ……絶頂の瞬間に見たのは、撮影しながら前髪を掻き上げる克己の姿。何処までも彼は涼やかだ。
 飛沫はレンズや、克己の纏うランジェリーにまで跳ねた。祥衛は快感の中で恥じらう。拭きとりたくても縛されていて、手を伸ばすことができない。克己は液汁に塗れたままの祥衛を撮っている。
「ふふ」
 克己は精液のついたハンディカムを抱え、笑った。
「元気が良いですね? 思いきり漏らして」
「拭い、て……」
 祥衛は訴える。見られていることだけでも恥ずかしいのに、記録されているなんて。祥衛は快感の余韻と共に死にたくなるほどの羞恥も感じてしまう。考えていると、頭がおかしくなりそうだった。
「いやですよ」
 けれど返ってきたのは、そんな拒絶の言葉。
「鎖骨にまで精子が飛んで可愛らしい。精液まみれで縛られている姿、よくお似合いですね」
「も……っ、……撮られたく……ない…!」
 逃げたくて身を捩っても、ただゆさゆさと性器が揺れるだけ。かえって淫猥な動作になってしまい、祥衛の頬は赤くなる。
「どうしたんです。アピールですか?」
「く、ふ……ッ…」
「挿れて欲しいってことでしょうか」
 克己はそそり立つおのれのペニスを掴んだ。拘束された祥衛からはその様子はわからないが、挿入されてしまうのだと予感する。
「ねぇ、祥衛君」
 予想通り、祥衛のアナルに硬いものが当たる。散々いたぶられて焦らされていたアナルに男根が触れる──祥衛はどきどきした。恥ずかしくて仕方ないのに、こんな惨めに辱められているのに、犯されたいと願っている自分もいる……
「欲しいでしょう」
「欲し、ぃ……、克己く、んの、……!」
 ──どうして俺は流されてしまうんだろう、快楽に。
「克己くんに、いれられ、たい……入れてッ……!」
 ──どうして簡単にいやらしいことを言えてしまうんだろう。
「おねが……ッ、おちんちん……克己くんの、ほしい……!!」
 ──どうして負けてしまうんだろう。

「本当に“優秀”な娼年ですね。称賛に値する」

 克己は祥衛を褒め、身を沈めた。唾液や先走り、ローションやらでドロドロにほぐれた孔は淫猥に開き、容易くソレを受け入れる。
「あッあぁあぁあぁああ……!!」
 痛みもある。連日の仕事でアナルは傷ついており、粘膜を裂かれる刺激が走った。けれど祥衛の性癖は、それをも快楽にしてしまう。苦痛も興奮に変わる。味わうレンズの視線、肌を蝕む縄の感触、全てが祥衛にとっては至極の悦びと化す。
「ぁあ、あッ、はっ、あぁ、あっ、あぁあッ!!」
 響く吐息とアエギは、歓喜の嬌声のようにも聴こえた。

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 いつの間にか夢に堕ち、眠ってしまったらしい。目覚めれば世界は朝を迎えていた。
 全身の縄はほどかれており、ひどく塗れた体液も綺麗にされている。肌は一糸纏わぬままで、柔らかなシーツの感触が優しい。
(……克己君は……?)
 しばらく天井を眺めていた祥衛だったが、はっとして身体を起こした。すると、デスクに向かう彼の姿がある。いつも事務所に居る時の格好──白いワイシャツを適当に腕まくりし、下はスラックスの格好だ。ノートパソコンを広げて何やら作業をしていたが、祥衛の視線に気付くとさわやかな顔を向けてくれた。
「お目覚めですか、おはようございます、祥衛君」
「………」
 昨夜の女装姿などまるで嘘のよう。祥衛は拍子抜けする。驚いて沈黙していると、克己は風呂をすすめてくれた。祥衛は朝シャワーを浴びる習性があるので、言われた通りに浴室に向かう。何だかまだ寝ぼけていて意識がぼおっとする。
 彼の昨夜の姿も含め、祥衛には全ての出来事が夢のようにも思えた。植物園で見た月下美人の花も、瀟洒な館で食べた美味しいディナーも、この部屋で乱れ、撮影された時間も。現実離れして、ふわふわした一夜。
 けれどそれらがウソではない、何よりの証拠がある。肌に刻まれた縄目の痕。白いタイルの浴室で、シャワーを浴びながら祥衛は鏡を見た。水滴走る腕を撫でて確認する、くっきりと残っているそれを。痕をなぞりながらため息を漏らした、とても気持ちよかったから思い出すとうっとりしてしまう。恥ずかしかったけれど、その恥ずかしさもまた悦かった。考えていると勃起してしまいそうになって、祥衛は慌てて考えを止める。
(俺はなんてすけべなんだろう……変態、だ)
 乱れた脈拍を感じながら、浴槽の縁に腰を下ろす。鼓動が落ち着くまで、お湯が流れてゆく様や、はじく飛沫を観察してしばらく過ごした。
 そうしているうちに、結構な時間が流れたらしい。髪の毛も綺麗に洗ってから風呂を出ると、克己の姿は部屋に無かった。タオルで拭きつつ、デスクに歩み寄ってみると一枚のメモ紙が残されている。紙を押さえてあるのは紫水晶(アメジスト)をあしらった蝶の文鎮。仕事のために先に帰る旨が、万年筆の流麗な文字で記されている。メモの横には封筒が置かれており、そこにも同じ克己の字で祥衛君へ、と書かれていた。
 祥衛はタオルだけ巻いた裸のまま、封筒に手を伸ばす。分厚くて、覗いてみると紙幣の束があった。祥衛は息を飲み、思わず机に戻してしまう。
(もらえない……こんなの)
 どうしたらいいと悩んで、とりあえず服を着ることにした。この部屋に入って来たときのように元通り下着やシャツを着ると、差し込む陽光が目に留まる。
 夜は発情していてそれどころでは無かったし、余裕がなくて気付けなかったけれど──確かに此処は素晴らしい部屋だ。植物好きの老紳士が気に入るのも分かる、観葉植物とモダンなインテリアが見事に調和した芸術的な一室。朝を迎えた今は、きらきらと彩る光に飾られて部屋はより一層美しい。祥衛は半乾きの髪を指で梳きながら、納得して頷いてみる。祥衛はもちろん夜の方が好きだけれど、この部屋の朝は悪くない。
 そうだ、大貴に電話してみよう。もしあいつが起きていて、暇だったなら、朝マックでも食べにいきたい……祥衛は思いついて、少しだけ微笑む。
 封筒のお金は半分だけもらうことにする。きちんと数えて律義に角をそろえ、机の上に取り分けた分を置いておいた。ドライヤーも使って髪を乾かしてから、携帯で繋ぐのは親友の番号だ。腰掛けたソファの柄は蔦の踊る模様で、あの麻縄も置いてあって、昨夜の夢の余韻を香らせていた。

E N D