玩具改造師

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 了(リョウ)を知る者は彼を名医と仰いだ。とはいっても了は病を診断しているわけではなく、医師免許自体持っていない。仕事は身体・性器改造を施すのが主で、その腕が巧みなために『名医』との呼び名がついたのだ。ボディパーツを変形させたい、一部を切除したい、皮膚下に異物を埋め込みたい……了の医院にはそんな願望を持つ者が多く訪れ、一般社会では眉根をひそめられるであろう特殊な望みを叶えてもらおうとする。
 今日執刀された手術は二件。一件目は去勢志願の三十代男性、二件目は腕を切り落としたいという二十代女性。性器除去ならば生きてゆくのにまだ支障はないだろうが、腕を失うとなると何かと困ることも多いだろう。了は女性の施術前に「本当にいいのですね」と尋ねてみたが首輪をつけた彼女は「ご主人サマが望んでいるから」としか云わない。
 盲目愛の結果である切り取られた腕は今、就業後の一服を吸う了の前に転がっている。診察室のデスクの上、ビニールシートを引いた上に生々しく置かれ、血を滴らせたそれ──先程までは女の身体にぶらさがっていたものだが、今となればただの肉片。女性本人は麻酔が効いていて隣室でよく眠っている。
 アルミの灰皿に吸い殻を押し付け、了は白衣を脱ぎ捨てた。現れたのは素肌の上半身。傷が多いのは無茶な人生を過ごしてきたためで、この街で『名医』の職に落ち着くまでは明日命があるかどうか分からないような日々を生きてきたのだ。
 女の腕を少々乱雑にビニールにくるむと脇に抱えて部屋を出る。狭い階段を上りきると様々なステッカーが貼られた木扉があり、開くと席数七つに満たない小さなバーが広がっていた。オレンジ色の照明に照らされたカウンターの中に一人座っているのは咲(ショウ)の通り名を持つ女で、サンダルに黒いスリップをまとっている。煙草を吸う咲は頬杖をついたままで気だるげに目線のみ動かし、了を視界に入れた。
「終わったのね」
 静かに言うと灰皿にマルボロを潰す。了はそんな彼女の目の前の席に腰を下ろし、持って来た腕をカウンターに置いた。
「しまっておいてください。崇史君に差し上げる手はずに成っていますので」
「崇史さんに? こういうの好きねアノ人」
 咲は腕を持つと慣れたようにカウンターの下の冷凍庫に入放り込む。屈む姿勢になるとスリップからは胸の谷間があらわに覗いた。
「閑古鳥ですねぇ、咲」
 自分達以外誰もいない店内で了はぼそりと呟いた。外は朝からの大雨で出歩いている人は殆どいないのだが、ずっと地下医院に籠っている了は天候のことなど知らない。咲は肩をすくめつつ、棚からグラスを取り出した。用意するのはオン・ザ・ロックで、注ぐウイスキーはラフロイグ。了の好む酒だ。
「台風が近づいてきてるの。誰もこんな日に飲みにこないわ」
「そうですか。しかし、患者は来ましたよ」
「あのひとたちには情熱があるもの。雨が降ろうが、何が降ろうが……関係ない。あなたの元に辿り着こうとする」
「成る程、情熱」
 変態性欲の果てに性器を切除した男、飼い主を愛するがゆえに腕を捨てた女。確かに彼らの意志は強靭で純粋で、情熱的ではある。
「……今日はもう閉店にするわ」
 了がひとくち飲む前で、咲は〈closed〉の文字が刻まれたプレートを手に取ってカウンターを出る。すると入り口のドアノブに手を掛けた瞬間、扉が外側から開かれた。カラン、と吊るされたベルの音が鳴り、同時に激しく叩き付ける雨風の音が飛び込んで来る。
「ええっ?」
 咲は驚いたような声を上げた。それもそのはず、入って来た客人は背丈の小さなまだ幼い少女。髪は白金で肌も白く、来ている服も白いワンピース。その容姿はまるで人間ではないような、幽霊のような風貌である。顔貌の綺麗さがさらに不気味を引き立て、雪のような外見の中で傘だけが色を帯びており真っ赤だ。
「ここがモナムール」
 傘をたたみながら少女は言葉を発した。それは咲が営むこの店の名。まっすぐに了の姿を見ると少女は了の名前も言い当ててみせる。
「あなたがニラおじさんでしょ」
「そう、ですが」
 了は名字を韮川(にらかわ)という。本名ではないが周りにはそれで通している。
 しかし、少女が何故知っているのか。バーの場所でさえも一般人には見つけづらいというのに、その地下に隠れ生きる闇医師の名まで知っているとは、ただ者ではない。
「……バスタオルが必要ね」
 傘を差していても、叩き付ける台風の雨で濡れてしまったのだろう。雫滴る少女の髪やワンピースの裾を見かね、咲は奥へと取りに行こうとする。けれど少女は咲の申し出を断った。
「いらないです」
「どうして? 風邪引いちゃうわ」
「わたしニラおじさんにおれいを言いにきただけだから、すぐ帰ります」
 そう言うと少女はポケットに手を突っ込んだ。握りしめて出したのはなにやら白い固まりで毛並みもある。それはハムスターの剥製で、咲は訝しげに凝視している。だが、了には思い当たるものがあった。
「おじさんが剥製にしてくれたスーボー、大事にしています。わたししんじゃうまでスーボーといっしょにいるよ、ほんとうにありがとう」
「どういたしまして。崇史君の牢獄からは出れたんですね」
「新しいパパとママがわたしを買ってくれたの。ほんとうのパパとママよりやさしいんです」
「それは喜ばしいことですねぇ」
 了は席を立つと、しゃがんで少女と同じ目線になった。湿った髪を撫でてやると少女はまた嬉しそうにはにかんで、にこにことしている。
「やっぱり拭いたほうがいいわ」
 気になった咲は再び提案したが、少女は首を横に振り了の手を離れた。
「いいです。近くでママが待っているから。さよなら」
 振り向いてドアを開けた姿、濡れたワンピースは背中に彫られた刺青を透かす。呪文のように刻まれた英文と悪魔の羽根。壮絶な絵柄は幼い少女には余りに不釣り合いで、目にした咲は思わず息を呑んだ。了は飄々と席に戻り、何事もなかったかのように店内はふたりきりの空間に戻る。
「何? あの子……」
 咲はタオルをカウンターに置き、今度こそ〈closed〉の札をかけた。
「崇史君の地下にいた子ですよ。実際に彼女本人に会ったのは……今宵が初めて、ですがね」
 了が先程の腕を贈ろうとしている知人・崇史という男はおぞましい趣味をもつ人間。自宅の地下にダンジョンを作り、闇取引で入手した人体を改造したりSM調教を施すことを悦びとして耽る趣味を持つ男だ。
「崇史さんって、あんな小さな女の子もシュミなの」
 了のとなりの椅子に腰掛けた咲は呆れたように言った。その表情には非難の色も表れている。
「少女もですが、少年にもご執心ですよ。実の息子でさえ彼の芸術の餌食なので──」
「あの子と了の関係は」
 崇史の『趣味』が実子にまで及んでいることは咲も知っている。おぞましい話を聞きたくない咲は被せるように了の言葉を遮り、回答を求めた。
「彼女は実の親に売られるときも崇史君の地下に入るときも、ペットのハムスターを連れていたんです。それが先程のスー坊ちゃんです。しかし生あるものはいずれ死すのが運命、ある日彼女のスー坊ちゃんは息絶えました。ショックを受けた少女……ひどく落ち込んでしまった彼女を見るに見かねたのでしょう、崇史君のご子息がワタシに頼んで来たのです。せめてスー坊ちゃんの身体を此の世に遺せないかと。いけませんねぇ、あの坊やはワタシのことを何でも屋だと思っているふしがありますから」
 了は咲が吸っていたマルボロを手に取ると、火をつけて味わいはじめた。傍らの咲は複雑な表情でため息を零す。
「それで剥製にして差し上げたのですが、ご子息の台詞が印象的でしたね。何と言ったと思います? ボクの死んだママも剥製にすればよかったと嘆いたんです。心底、のご様子で」
 くすくすと笑う了と相反し、咲の顔は変わらない。咲には何も面白いとは思えない話だ。
「私ね、あなたと出逢ってから……おかしくなりそう」
 髪を掻き上げて、咲はそう言葉を漏らした。
「なにがマトモでなにがマトモじゃないのか、分からなくなるのよ」
「咲、境界なんて十人十色ですよ。先程の彼女をダンジョンから買い取って悪魔の刺青を入れたのも“パパとママ”の愛情なのでしょうし、ご子息を性玩具に仕立て上げたのも崇史君にとっては愛情です。親が子供に愛情を抱くことは正常ですよねぇ?」
「……頭が……痛いわ」
 咲が額を押さえたとき、壁に設置されたチャイムが鳴った。それは了の医院のナースコールだ。
「おっと、患者が目覚めましたか」
 灰皿に吸い殻を潰し、了は立ち上がる。木戸を開けて秘密病棟に戻ってゆく姿を見送った咲は頬杖をついた。了を囲む世界に疑問を抱きながらも、そんな了を愛してしまう自分自身は何なのだろう? もしかして彼に惹かれてる私の精神も歪んでいるのかもしれない? そんなふうに考えると脳は余計に混乱し、少しだけ憂鬱を覚える。
 階段を降りてゆく足音を聞きつつ、咲は了の残したラフロイグを飲み干した。その味はキツくまるで消毒液のようで、咲には美味しさが分からない。

E N D