Je t’aime

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 事前連絡なしでFAMILYのビルに行くのは秋山の悪いクセだった。突然おしかけて克己を驚かせたい、そんな子どもじみた気持ちから。大の大人なのに困ったもんだと悪癖を客観視してはいる。

 でも、やめられない。

 ビル下の駐車場に社用車を停めて、エレベーターで事務室のある階におもむく。廊下はしぃんとしていた。秋山の革靴の足音だけ反響する。ノックもせずに事務室の扉を開くと、

「ん……、……あっきぃ?」

 デスクの並ぶ空間には、通う高校の制服を着崩した大貴しかいない。大貴は薫子の席に座っていて、MacBookProを触っている。紺色の通学カバンは隣の椅子に置いていた。

「お前ひとりか、事務所には」

 秋山は残念な気持ちをにじませながら言ってしまった。大貴はディスプレイに目線を戻し「うん、そうだよー」と返事をする。

「カッツンに用事?」
「用事っちゃあ用事だが……私用ってヤツか」
「俺がここにきたときからー、だれもいなかったぜ」
「アイツも忙しいからなぁ」

 勝手知ったる城のように秋山はズカズカ歩き、給湯室で紅茶を淹れる。まるで秋山もFAMILYの一員のようだ。

「大貴ー、お前もアールグレイ飲むか?」
「んー……コーラ飲んでるからいーや、ありがと」

 ひとり分をティーカップに注ぎ、すすりながら給湯室を出る。真剣にキーボードを叩いている大貴が興味深く、近寄ってみた。

「何してんだお前、さっきから」
「バイトだよ。データにゅうりょくさぎょう!」
「データ入力作業?」

 背後に立って覗きこもうとすると、大貴はショートカットキーを押して、ディスプレイを真っ暗に消してしまう。秋山にはどういう方法で大貴が画面を暗くしたのかわからない。秋山は機械音痴で、スマートフォンも使いこなせず、通話するのがやっとだった。

「ダメだって、見たら。FAMILYの企業秘密だもん」

 大貴はちょっと唇を尖らせている。

「なんだそりゃあ。お前の言ってることが、さっきから全然わからんぞ」
「お客さんの情報とかをー、編集してんの!」

 大貴が「あっち行けよな」と手首を振るので、おとなしく従った。大貴はすぐに作業を再開してカタカタと運指音を響かせる。
 ティーカップ片手の秋山が腰を落ち着けたのは、事務所の一角にあるローソファとガラス張りの小さなテーブルスペース。そこにカップを置く。

「パソコンのことは俺はいっさいわからんが、なんだ、その、住所録とかそういうもんか」
「んー、もっとイロイロな情報もあるけど……そんな感じかなぁー……」

 大貴は作業を続けながらうなずく。

「俺、今月のおこづかい全部使っちゃったんだけど」
「お前なぁ。まだ上旬だろうが」

 秋山は呆れつつも、タバコに火をつける。ガラスのテーブルには灰皿もあったからだ。

「けっこうもらってんだろ? 小遣い」
「そんなことねーよ。薫子、きびしぃもん」

 ひときわ強くキーボードを押したあとで、大貴は作業の手を止める。大きく伸びをして、あくびをする。

「月にいくらなんだ」
「えー? 20万」
「大卒の初任給だな」

 秋山は心底呆れた。しかし、金持ちのおぼっちゃまにしては少ないほうなのだろうか、とも考えなおす。少年時代は結構な苦学生で新聞配達をしながら家計も支えた秋山に大貴の環境は計れない。

「俺の1日の売上にもならねーよ、はー、たりるわけねーじゃんっ……」
「高校生がどうしたら1週間たらずで20万使えるんだ、わからんぞ俺には」
「服とか買ったらすぐなくなるしー、だからぁ、今月も薫子にしかられたけどー、データ編集のおてつだいしたらー、追加のおこづかいくれるって」

 大貴は席を立った。コーラの500mlペットボトルを掴んで歩き、秋山と向かいあわせに腰を下ろしてくれる。

「エッチの後、おじさんたちにチップもらうことくらいあるんじゃないのか?」
「あるけどー、でもそういうのも、薫子にわたしてる」
「ほぉ、えらいな」
「俺はお金瞬殺するからー、なんでもまず薫子にあずけるもん」
「自分を分かってるじゃねぇか、感心だな」

 秋山の目に止まったのは壁にかけられたカレンダー。もうすぐホワイトデーだ。

「……なぁ、大貴──」 
「んっ?」

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 行儀の悪い座り方で、スマートフォンを取りだして触りだす大貴に、秋山は尋ねてみた。

「お前、毎年どうしてる。その、なんだ……、バレンタインの返しっちゅうもんは」

 秋山の質問に、大貴は顔を上げる。

「えー? ホワイトデー? ……フツーのおっさんにはハンカチとか、タイピンとか……嫉妬するようなー、怖えー奥さんがいるひとにはクッキーとかぁ食ったらなくなるものあげてるけど。学校の女にもクッキーかなー。つーかぁ、俺がバレンタインにあげてー、ホワイトデー返される場合もあるしー、変態にはもっと変態っぽいプレゼントあげるしー、相手によるぜ」
「いままでもらったなかで、うれしかった物っていうのは、なんだ」

 質問を変えた秋山は、短くなったタバコを潰した。

「俺とおっさんのせーし混ざって入ってる試験管は愛を感じられて感動したしー、貞操帯の鍵もちょうかわいかったし、ジュラルミンケースに入った尿道拡張キット一式も感動したー。オリジナルのホワイトデー超大作SF風調教ストーリープレイの台本もうれしかったからセリフ暗記してプレイしたんだー。あぁ、あと去年はあれもうれしかったし楽しかったなー、あっきぃ知ってる? 拘束吸盤器ってゆうんだけど、手枷とか足枷とかのフックを固定できて裏側に吸盤ついててガラスとか風呂の鏡とかタイルに貼れてちょっと変わったとこにドレイを固定できる便利アイテムもらったから、それプレゼントしてくれたドレイをホテルの窓に磔にしてあげて、クッキー投げたりパイ投げしてあげた!」

 秋山は2本めのタバコに火をつけた。大貴に聞いたのが間違いだったなぁ……と、しみじみ思う。しかし、オリジナルのホワイトデー超大作SF風調教ストーリープレイの台本はちょっと気になる。

「わかった。あっきぃー、カッツンになにあげるか考えてるんだろ?」

 言い当てられてしまう。秋山は照れかくしに、そっぽを向いて煙を吐いた。

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 後日、秋山は駅近くのタワーマンションにおもむく。
 1階エントランスに入るとすでに大貴と祥衛が待っていてくれていた。祥衛は細身のジーンズにカットソー、パーカーを羽織って私服姿。大貴は高校の制服にカーディガンをあわせている。もうすぐ春休みなので大貴の学校は午前だけらしい。

「つーか、俺とちがってー、ヤスエはぁ……」

 ロビーのソファに並んで座り話している2人。遠目に見てもやっぱり大貴と祥衛の組みあわせはイイなぁと秋山は目を細める。本当はもっと彼らのカラミを撮りたい。

「あっ、あっきぃだ。お疲れさまでーすっ」

 仕事場での挨拶のように言って、大貴が立ちあがる。ワンテンポ遅れて祥衛も立ったが、秋山の顔をじっと見ているだけでやはり無言だ。秋山は片手をあげて声をかけ、連れ立って歩く。

「おう、今日もお前らは元気そうだな」

 奥に入るオートロックの扉を大貴が解錠してくれた。エレベーターに乗り、上昇する。

「あっきー、ちゃんとエプロン持ってきた?」

 大貴に聞かれたので、手荷物のトートバッグを動かしてみせた。

「この機会に買ってみた。近所のスーパーでな」
「まじでー。すげーじゃん、やる気に満ちあふれてるしっ。ヤスエなんて用意してねーんだぜ、エプロン」
「必要ないだろ……」

 ボソリと言う祥衛に、大貴は反論する。

「ばかやろー! 外見から入るってゆうのはガチで大事なんだぜ! 気分がちがうだろ。たとえばー、すげぇたのしみにしてたSMプレイの待ちあわせ場所に女王サマがキャリーバッグじゃなくて登山のリュックで来たらー、えーっ登山のリュックかよーってテンションちょっと下がる!」
「……よく、わからない」

 エレベーターが停止して「わかれよー!」と声をあげながら大貴が降りてゆく。その後に秋山、パーカーに手をつっこんだままの祥衛が続いた。秋山はマンションの下に大貴を送迎したことは何度もあるが、住居フロアまで来たのははじめてだ。薫子の操作なのか自動的に開いた鉄柵の門の先には玄関ドアまでポーチが続いていて、まるで戸建てのような独立感を誇る。

「俗に言う億ションか。いいマンションだな、こりゃあ」
「ただいまー、あっきぃ来たー」

 ドアを開けると、大貴は雑にローファーを脱ぎさっさと行ってしまう。玄関フロアの広さにも驚きながら、秋山も靴を脱いだ。祥衛は来慣れている様子だった。
 キッチンに面するダイニングルームのテーブルには、すでに材料や調理器具が並べられている。パックに入った卵、薄力粉、バター、ボウル、麺棒……今日は材料までも薫子が用意してくれたので、申し訳なく秋山は菓子折りを薫子に手渡す。クッキーを作る日におなじような焼き菓子をあげても芸がないと思い、果物がたっぷり詰まった千疋屋のゼリーを用意した。

「まぁ……お気を遣わなくても良いのに、秋山さま……」

 受けとってくれる薫子はなぜか女医を思わせる白衣を着ていた。いつもの闇色のゴシックなワンピースと柄タイツの上に羽織っているので、なんだか妖しい実験をするかのような姿となっている。

「クッキーの作り方を教えてもらう上に、材料まで用意してもらって申し訳ねぇよ。今日は薫子嬢が俺の先生だ、頑張るよ」
「そんな、私は先生なんて身分ではありませんわ。クッキーは簡単ですから、誰でも、すぐに作れましてよ」
「手洗おうぜー、ヤスエー!」

 制服にエプロンをつけた大貴が、キッチンの蛇口をひねる。祥衛は相変わらずの無表情で静かに従っていた。

「……ほぉう、大貴のエプロンもまたアナーキーだな」

 濡れたままの手で材料をさわりだす大貴に、秋山は苦笑する。胸部分におどろおどろしいドクロの絵と『死』という文字が刺繍されたエプロンだ。

「中学生んときに俺んちの家政婦さんが、夜なべしてつくってくれたんだー。すげーいいだろ」
「もう、お話しはいいから、手を拭きなさい」

 白衣の薫子に叱られて、タオルを渡されている。薫子は髪をひとつにまとめ、それから柄の部分に黒いビーズチェーンのついた黒縁メガネをかけた。妖しく暗黒的ないでたちに磨きがかかった。

「私は本日、言葉では教えるけれど、お手伝いはしなくってよ。貴方たちそれぞれが、自分の手でクッキーを作りあげるの……それが、気高きホワイトデーの掟……」

 薫子は乗馬鞭を手にしている。持ち手は繊細な銀の飾りで彩られており美しいフォルムだ。

「はーいっ!」

 無邪気に手を挙げる大貴の横、秋山は決意を発する。

「おう、薫子嬢よ。自慢じゃねぇが……俺は親父譲りの『男子厨房に入らず』を地でゆく男でなぁ……。しかし、今日はクッキー作りをやり遂げる所存だ……!」
「秋山さま……さすがはノクターンレーベルのお方。熱い決意で臨まれれば、必ずや、創造は成し遂げられることと思いますわ」

 薫子は微笑む。大貴も感動したように「あっきーまじかっこいい、俺は今日、漢を見たぜ」と頷く。祥衛はさっさとボウルを取ったり自分の前を片付けたり淡々と準備していた。

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 常温で戻したバターに、グラニュー糖や卵を加える。1台しかない電動の泡立て器を祥衛が使っているあいだに、秋山と大貴は手動でかき混ぜる。

「くっ……、なかなか、大変な作業だなぁ!」

 薫子の指示で何度かに分けて卵を入れる。紺色のエプロンを着けた秋山はすでにちょっと腕の筋肉が痛くなってきていた。

「うおぉおお! 俺は電動なんてつかわねーぞ!」
「力を入れれば良いというものではなくってよ」

 ワシャワシャと高速でかき混ぜる大貴の脇腹を、薫子の乗馬鞭が突く。

「綺麗に混ざったところで、薄力粉の投入よ」

 タクトのように華麗に鞭を操って説明する薫子に従い、3人は薄力粉を入れ、ヘラでこねる。この作業も秋山にはしんどかった。意外に祥衛は上手くできている。お菓子作りとは闇雲に力を入れれば良いというものではないという証拠だろう。
 こうして生地が出来ると、冷凍庫でしばらく寝かせる。
 冷やしているあいだ、秋山は休憩に入ったが、祥衛と大貴は卵白や着色料を混ぜてアイシングを作っていた。彼らが薫子に教わりながら作っているさまは微笑ましく、眺める秋山は頬をゆるめる。なんだか、幸せな気分になれた。
 生地を冷凍庫から出すと、いよいよ型抜きする。このあたりから3者3様のクッキーになってきた。秋山は花の形の型を使い、祥衛はシンプルに丸と菱型。大貴はコウモリ型。3人分は大量すぎて家庭用のオーブンでは一気に焼けないので、雑談しつつ、すこしずつ焼く。 
 秋山はアイシングを使ったデコレートをしないので、これで完成だ。アイシング作業において、祥衛は黙々と絞り袋でクッキー全体を塗っており、大貴はつまようじを使って緻密な作業をしている。祥衛のクッキーは白や黄色に塗られて美味しそうだが、大貴のクッキーは真っ黒な上に赤字で『カ』『オ』『ル』『コ』『ダ』『イ』『ス』『キ』『L』『O』『V』『E』などと書いてあって食欲をそそられない。

「気味がわるい」

 バッサリ指摘する祥衛に怒る大貴も完成して、みんなで試食しあってなかなか美味しいと言いあい、クッキー作りは無事に終わった。
 予想外に上手く出来た気がする秋山だった。あとは、渡すだけ。克己がほんのすこしでも、喜んでくれればいいのだけれど──

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 事前連絡なしでFAMILYのビルに行くのは秋山の悪いクセだった。突然おしかけて克己を驚かせたい、そんな子どもじみた気持ちから。大の大人なのに困ったもんだと悪癖を客観視してはいる。

 でも、やめられない──

 深夜近く、秋山はエントランスの郵便受けの前にしゃがみこんでいた。煙草に火をつける。もう何本も吸ってしまって携帯灰皿は満タンだ。
 はやく克己が来てくれないと溢れてしまう。
 吸い終わったとき、ビル前にタクシーが停まった。 
 降りてきたのはスーツ姿の美青年。いつも通りスキがない。秋山は克己の私服も知らない。

「……? また、待ち伏せですか」

 エントランスに入ってきた克己は秋山の姿を認め、整った眉をしかめてみせた。

「いま、仕事の帰りか」
「そうじゃなければ、何に見えます」
「本命の女と逢引きとかな。今日はホワイトデーだ、おかしくねぇだろう?」
「面白くない冗談ですね」

 克己は秋山の前を通り過ぎ、エレベーターの前に立つ。重厚な革製のビジネスバッグを持っているから、サラリーマンにも見える。そのカバンは、よく克己が持っているのを知っていた。……秋山が知っている、数少ない克己にまつわる事柄のひとつ。

「俺の本命は和さん、貴方ですよ」

 たやすく嘘をついてボタンを押す。開く扉。秋山は苦笑しつつ、克己とともに乗りこんだ。

「なぁ、克己。お前は驚くだろうが、今年の俺はな……手作りのクッキーを作ったんだ」

 上昇する空間のなかで、克己はすこしだけ目を見開く。

「貴方が? 男子は厨房に入らないと、あれほど語っていた和さんが、ですか……」
「俺も考えを改めたのさ。イマドキそんなこと言ってたら、なかなか嫁も来ねえわけだ」
「なるほど、一理あるかもしれませんね」

 事務所階でドアが開く。降りる克己に秋山もついていく。克己からはディオリッシモが香った。男のつける香りではない。

「では、お茶を淹れますから、一緒に食べてください」

 嫉妬するようなー、怖えー奥さんがいるひとにはクッキーとかぁ食ったらなくなるものあげてるけど──なぜかいま、大貴の言葉が秋山の脳裏によぎった。
 婦人は嫉妬するのだろうか。
 男娼業を許しているくらいだから、しないのだろうか。
 俺のほうが嫉妬深いのだろうか。
 他の客はどうなのだろうか。
 克己はたくさんの客がいるのだから、もらったものはすぐに『処分』してしまうのが楽なだけなのだろう……

「和さん、考えすぎるのは貴方の悪い癖だ」

 廊下の途中で立ち止まり、克己は振り返る。
 秋山も足を止めた。
 克己の容姿は、美しすぎた。こんな美男に構ってもらっているのは奇跡だと秋山には感じられる。

「いいですか。俺は、貴方と愛人契約を結んでいます。そして貴方をどの客よりも愛しています」

 まるで、暗示にかけられるような気分だ。秋山は……素直にうなずく。

「そうだったな。あぁ、そうだった……」
「応接室に入っていて下さい。荷物を置いて、お茶を持ってきますから」
「おう、了解だ」
 
 歩きだした背中を眺める。克己の姿勢はピンとしていて後ろ姿でさえも流麗で完璧すぎる。
 こんな完璧な人間がいるはずもないから、やっぱり克己は作りものなのだろう。

(本当のお前はどんな顔をしてる。どんな名前なのかも……なにひとつわからない。俺は一体何に恋をしているんだろうなぁ……ははっ)

 苦笑する秋山だった。秋山の理想を演じてくれているのだから、秋山が惚れるのも当たり前。克己のことを恐ろしい男娼だといつものように思った。そして秋山は、そんな恐ろしい男娼を愛してやまないのだから、手に負えない。

 これは、手に負えない恋だ。

E N D