闇宴絢爛

1 / 12

 夕暮れに、秀乃は車を停めた。レンガ造りの図書館は健次の通う大学に併設された建物。
 健次は相続した土地家屋を管理・有効活用するために勉強したいらしく、法学部に通っている。秀乃は健次の武道の腕も活かした進学をしてほしかったのだが、当の健次にはまったくその気がなく、サークルにも属していない。
 運転席から眺めていると、図書館から健次が出てきた。その姿を認識した瞬間「おおっ!」と声を漏らしてしまう秀乃だ。
 健次はブラックレザーのダウンジャケットにデニムを履いている。派手な装いをしないのに、健次はいつも目立った。180の背丈があるのも原因だが、いちばんは他の人間にはない空気──オーラを纏っているため。色気と毒気が混ざりあい、ときには威圧感も含む。高校時代に秀乃を射貫いたその闇色のオーラはいまも健在どころか、二十歳を迎えますます増していた。
「くっう、目の毒だ、あんなに色気をふりまいて!」
 秀乃は車内で頭を押さえる。健次自身にはおのれが人を惹きつけているという自覚がないというのが、秀乃にとってはハラハラさせられ、気が気でない。
 すれ違う女生徒はみんな健次に目線をやっているし、男子生徒も振り返る。秀乃のぶっとんだ思考では「可愛さのあまり拉致されてしまうかもしれない」「誘拐されないようにボディーガードを配備したい」と憂慮してしまう。
「健次ー! 俺はここだよう! 健次ぃ!!」
 扉を開けて手を振ると、近づいてきた健次は明らかな不快感を表情に示した。
 秀乃は自分の行動でよけいに健次が目立つということには気づいていない。秀乃の愛車はシトロエンのセダンで、車体は象牙色をやや濃くしたようなめずらしい色。
 フランス製の外車に乗る男が大声をあげ手を振っているので、行き交う人々の目線は痛いほどに秀乃と健次に集中してしまう。
「本当に来たんだな……」
「連絡しただろう? 今日の夕方迎えに行くって」
 眉間に皴を寄せている健次をニコニコと見つめる秀乃は、助手席の扉を開けた。健次はため息を吐きながらも乗りこんでくれる。
「家行ったらいないんだもんな、でも親切な家政婦さんが、健次は大学の図書館に行ってるって教えてくれたんだ」
「……」
 健次は肩にさげていたカバンを後部座席に放ろうとして、自分のスーツ一式が車内に積まれていることに気づく。箱に入った革靴まで置かれていた。
「大丈夫大丈夫、準備は完璧だ、全部健次の家から持ってきたから!」
「いつから春江と仲良くなった、おまえらグルになりやがって……」
「健次を愛する気持ちは同じだよ! いわば健次ファンクラブ──」
「だまれ」
 秀乃の台詞は頬に拳がめりこんだことで中断される。秀乃にとっては「不器用な健次の愛情表現」に変換され、さっそくの痛みに嬉しくなりながらシトロエンを今宵の行き先へと発進させた。

2 / 12

「っていうか、本当に引き受けてくれるんだな?」
「暇潰しにもなるだろう」
 ホテルの一室、健次はスーツに着替える。ストライプの入った黒いドレスシャツのボタンを締め、ベルトを通す。秀乃はなにやら念入りな変装をすると言って、越前谷家の使用人たちと衝立のむこうだ。
 この広いコーナースイートルームは越前谷家によって手配されたもの。着替えができればいいだけなのに、わざわざこんな豪奢な部屋を取るなんて、妙なことを考えているのではと健次は勘ぐってしまう。
 ダブルベッドを疑惑の目で眺めつつも──まあ気に入らないことをしでかそうとしたら、殴って帰ればいいかとも考える健次だった。
 健次はときおり秀乃に仕事を頼まれる。やってもいいと思えば引き受け、今回の任務は裏切り者の始末だ。
 長年四季彩に勤めていた従業員の男が、退職するときに顧客名簿の一部を盗んでいった。現在は宝石商を生業にするその男は、名簿を仕事に活かしている。四季彩の客は金持ちが多いので、宝石の売買にも役立つ。
 越前谷家は、現在社長の座に収まっているこの男を断罪すべきと決定した。
 今宵このホテルの大ホールで、彼によるオークションが開催されている。希少価値の高い貴石や、装飾品を出展するという触れこみで多くのVIPを集めたらしい。招待状は名家である相沢家にも届いた。
「健次、準備は出来たか?」
「……ああ、とっくに──」
 ソファに身体を預けていた健次は、やっと出てきた秀乃を見て固まる。すこしだけ身構えてしまった。
「悪いな、客も俺を知る者が多いだろうから変装に時間かかってしまった」
「きさま……なんだその、ふざけた格好は」
 秀乃はオーガンジーのドレスを着ていた。薄紫色のロング丈はふわふわと広がり、男らしい肩の線はショールで隠している。夜会巻きのようなウィッグに光るのはティアラの髪飾り。越前谷家から派遣された使用人によって化粧も施されており、アイラインを引き、つけ睫毛をしたために顔の印象はずいぶん変わっていた。
「ふざけた格好とは聞き捨てならない。この俺の本気の変装になんてことを言うんだ?」
「寄るな、馬鹿だろ……」
「それにしても健次! イケメンだな、よく似合ってるよ、こんど俺からもスーツをプレゼントしよう」
「いらねぇ」
 立ちあがった健次は秀乃を押しのける。こんなやりとりも、秀乃と同じく頭のネジがいくつもはずれた越前谷家の使用人たちには微笑ましく映るのだった。
「秀乃さまと奥さまの心温まる触れあいだ」「夫妻の仲睦まじい様子に感無量」と、うんうん頷きあっている。
「元従業員を、捕まえればいいだけなんだろう。お前はいらん。俺だけでやれる」
 ノータイでジャケットを羽織りつつも健次は言う。秀乃は見とれながらも答えた。
「駄目だ、俺も立ち会いたいんだ。当主として!」
「当主だからこそ表に出るな。お前になにかあったら、あの遊廓はどうなる」
 健次はまともなことを告げた気だったのだが、秀乃は胸の前で手を結び感動の面持ちになり、その場で何回転かくるくるまわる。
「健次ったら俺のこと心配してくれてるんだ、しかも四季彩のことまで心配してくれるなんて……嬉しいよ、俺の妻としての心構えがますます出来てきて、夫として誇らしい! 全世界に健次を見せびらかしたいよお!!」
「くそっ、はなれろ、頭オカシイんだてめえは!」
 抱きつこうとする秀乃に肘鉄を何度も食らわせ「俺は帰るぞ!」と怒鳴ったところで、やっと秀乃のあらぶりは落ちつく。
「すまない、つい取り乱した」
 健次は秀乃を鬱陶しげに見つつも、ジャケットの内ポケットに招待状をしまった。

3 / 12

 会場は広く、様々な人で溢れている。
 テレビでよく見るような顔も多い。四季彩の客である財界人や資産家もちらほらと混じっており、それこそが流用された顧客名簿の効力だ。
 濃緑の絨毯を歩きながら、健次は昔自分を虐めてきた人間の姿もいくつか見つけた。壮一の交友関係と四季彩の名簿が被っているのだろう。
 相手のなかには健次に気づいた者もいて、ハッとした表情を見せてから慌てて目を背ける。それが健次には面白く、鉢合わせたことに不快は感じない。
 彼らが健次を避けるのは、単に気まずいという感情もあるだろうが、健次が高二の秋、秀乃に献上されたせいもあった。越前谷家の威光を恐れ、虐待の報復をされるのではないかと脅えている者もいるらしい。
 当の健次は、彼らが触れてこなければ、もうそれでいい。壮一の死後にも健次や相沢家を訪ねてくるような馬鹿には制裁を与えてきたが、虐待してきた者すべてを復讐して回ろうと思うほど健次の心は狭くないし、全員血祭りにあげるのは面倒くさかった。
「待ってくれ健次、歩くの早いよっ」
 いまはオークションの幕間。舞台には一時暗幕が下がり、人々はそちらこちらで談笑している。
 その間をすり抜けてゆく健次を追いかけ、秀乃は呼びとめる。正体がばれてはまずいため、控えめな声量だったが。
「歩きにくくてしかたがないや、このドレスさ」
「そんなもん、着るほうが悪いだろ」
「家政婦さんとはゆっくり歩くくせに、なんだってんだこの差は。まさか……俺に対してのスパルタも愛の裏返しか?」
「そう思っとけ」
 秀乃は「やったー、愛されてる!」と笑顔になり裾を持ちあげながら、がぜん歩く速度が速まる。
 単純なヤツだ、と健次は思った。
「馬鹿とハサミは使いようだな」
「えっえっ? なんか言ったか?」
 首をかしげる秀乃の傍ら、健次の瞳は目の前の男を射貫く。それはこの宴の開催主であり、今宵のターゲットである和泉(いずみ)という男だ。

4 / 12

 健次が足を止めたので、秀乃も気づく。健次の背に隠れるようにして秀乃も彼を眺めた。
 和泉は四季彩で経理をしていたころよりも肥え、身なりもいい。ダブルのスーツを着て、下着のように透けたドレスの美女を連れている。複数人の部下にも取り巻かれ、そのなかには護衛とおぼしき恰幅の良い男もいた。
 ぞろぞろと歩く彼らを招待客たちの視線が追う。その視線がさらに集まったのは、健次が近づいていったため。
「なんだ、きみは……!」
 スーツのポケットに手を突っこんだままの“不審者”を護衛たちは制止しようとした。健次は狼狽えることなく、肩を掴んできた腕を、掴んで外す。
「……おお……相沢さんのところの、健次君か」
 和泉は健次に気づいた。
 実は、彼は壮一の知人として相沢家に出入りし、たびたび凌辱の宴に加わっていたのだ。
 それなのに──健次に堂々と招待状を送ってきた。越前谷家の顧客名簿を盗用するくらいなのだから、度胸もあり図太い神経の持ち主なのだろう。
 健次は和泉を処理するという任務を引き受けた。接触してこなければ放っておいたものを、自分から近づいてきたのだから罰を与えたい。
「やめなさい、この青年は私の客人だ」
 和泉の一声で、健次から屈強な男たちが離れる。
「これはこれは……男らしくなって見違えた。来てくれて嬉しいなあ、健次君よ」
 歩み寄ってきた和泉の背後、連れている女は明らかな嫉妬の目を健次に向けてきた。健次はそれに気づきつつも女を見ない。
「本当によく来てくれた。健次君とはじっくり話したい。今日はひとりで?」
「ああ」
 和泉の手が健次の背中に回される。健次は抗わず、口の端を歪めて笑った。
「お前に会う為に来たと言ったらどうする」
「それは嬉しいが、どんな風の吹き回しだろう?」
 和泉はその場で名刺を取りだし、裏に文字を書きこんだ。洒落たデザインのボールペンは万年筆にも見える。
「では、健次くんさえよければ……この後で」
 健次に渡して和泉は消える。取り巻きを連れて引き上げていった。名刺には深夜にホテル内のバーで待つ旨が記されている。

5 / 12

 オークション会場からはすぐに引きあげてきた。
 健次は何部屋かに分かれたスイート内の一室でソファに身を沈めている。布張りのシェードランプはオレンジ色の灯を零していた。
 標的は、たやすく罠にかかった。
 和泉をこの部屋に誘いこみ、捕らえる。
 煙草を吸いつつも計画の算段をしていると、ノックされる扉。
 秀乃かと思いきや、スーツ姿の男だった。秀乃の着替えを手伝っていた、越前谷家の使用人だ。
「お茶でもいかがですか……」
 彼の様子がおかしいのは、健次にはすぐ見抜けてしまう。ちらりと横目で見やれば、ティーカップをお盆に載せた姿は妙に緊張していた。健次はなにも気づかないフリで黒いドレスシャツの腕を伸ばし、ガラスの灰皿に吸い殻を潰す。
「秀乃はどうした?」
 そういえば先程から静かだ。
 尋ねると、使用人は笑顔を作ってみせる。
「お疲れになったそうで、少々休まれるそうです。横になっておられますよ」
「そうか……」
 受けとった紅茶を男に浴びせた。驚いた顔をした彼が声を発する前に立ちあがり、拳をめりこませる。そして首の後ろを叩けば、気を失った男は床に沈んだ。
 健次は寝室に繋がっている戸を開けた。そこに秀乃はおらず、代わりにいたのは──先程のパーティーで和泉に伴っていた護衛の男二人。
 健次を見て身構える彼らに、正攻法では挑まない。素人ならまだしも、鍛えている複数人を相手にするのだからなるべく楽に済ませたい。
 わざとその場を逃げると、彼らは当然追いかけてくる。狭い廊下では単体ずつ相手をすることができるので、玄関に向かう通路で振り返って蹴りを喰らわせた。
 ドサリ、と絨毯に巨体が落ちる。
 簡単に崩れて気を失ったその姿に、もう一人残った男はひどく驚愕していた。
「……な、なっ!」
 倒れた彼は無防備に負けたわけではない。健次の蹴りに合わせてカウンターを仕掛けた。
 しかし、健次は天性の動体視力と反射神経を持つ。
 相手の攻撃を完全に見切り、蹴撃を当てたのだ。 
 もう一人の護衛の男はプロだからこそ、そんなことがあっていいのかと信じられない。まさか一撃で同僚が倒れるとは夢にも思っていなかった。
 うろたえながら、慌てて身構えたものの遅い。実戦での動揺は命取り。健次から何発かの突きを喰らって倒れた。
 廊下で折り重なるように崩れた二人を踏み潰し、健次は寝室に戻る。部屋の片隅には、後ろ手に縛られて猿轡も噛まされた使用人たちが転がっていた。
「きさまらの主はどうした」
 乱雑な手つきだが、健次は拘束をほどいてやる。
 自由を取り戻した使用人たちは震えつつも漏らした。
「まさか、我々の中に内通者がいたとは……」
 紅茶を運んできたあの男が、健次と秀乃の離れたすきに和泉の部下を呼んだらしい。鮮やかな手管で音もたてず秀乃は連れ去られ、使用人らも縛された。
 健次だけは敵に警戒されていて、薬を仕込んだお茶と屈強なボディーガードを配備されたようだ。
「ふん……面白いじゃねえか」
 越前谷家に反旗を翻すとあって、和泉はなかなかに手ごわい。
「ヤツらに居場所を吐かせる。お前らは越前谷本家に連絡しろ」
 吐かないのなら、少しずつ骨を折ってやるなり肉を削ぐなりして脅せばいい。拷問を思い描いた健次は唇をニヤリと歪めた。

6 / 12

 ホテルの大広間、宝石を売り物とするオークションのはずだったのに、夜更けになるにつれ様相は変わってきた。
 照明は薄暗くなり、色も変えられた。妖しいマゼンタのライトが降り注いでいる。
 西洋をイメージしているのか、前方のステージには薔薇と銀色の甲冑が飾られ、全裸の女たちが競売に掛けられていた。オークショニアによって、鎖を引かれて舞台にあげられた女性はすすり泣いていたり、精神崩壊しているのか、表情が亡かったりする。
 明らかに薬物中毒の様相の女もいた。視点の焦点はあわず、恍惚としている。
 そう──オークションは二部制になっていて、実のところ宝石よりも、こちらの人身売買のほうが本番といっていいかもしれない。
 和泉は四季彩の情報網や顧客名簿を有効活用し、こういった闇商売にも手を出したようだ。
 前半の競売で手にした豪奢なネックレスやティアラを、この競売で買った全裸の女に早速身につけさせている酔狂な客もフロアには居た。
 淫らで禍々しい宴だ。
 金を持っている客が多いぶん、タチの悪さは底なし。
 秀乃は、その様子を舞台裏の一室で眺めている。
 ステージ全景がカメラで撮られ、この部屋の巨大モニターに映るのだ。
 ただ、椅子には座らせてもらえず冷たい床にオーガンジーのドレスの裾を広げている。後ろ手に拘束されてもいた。
「ご当主様に女装癖があるとは……長く勤めた私も知りませんでしたよ」
 そんな秀乃の目の前には、革張りのソファに座った和泉がいる。両隣に女をはべらせ、ワインの注がれたグラスを傾けて。女の一人は先程健次に嫉妬の焔を飛ばしていた者だった。
「俺も、お前に西洋趣味があるとは知らなかったな」
 空間は和泉のため、VIPを接待するバーのようにしつらえられている。燭台の飾られたテーブルに並べられているのはワインとオードブル、壁には金の額縁にはめられた油絵まで掲げられている。
「はは、反動でしょうな。なにしろ貴方の家にお仕えしていたときは和装、日本邸宅、日本庭園、そんなものばかりに囲まれていましたから」
「女好きになったのも、反動か?」
 秀乃の問いかけに和泉は笑う。
「そうですなあ、男色ばかり見せられて飽きたんです」
「その割に健次には気があるみたいだが」
「あれは男じゃない、雌だ。それもとびきりのいい女」
 グラスを置く和泉。健次を気に入っているその口ぶりに秀乃はイラっときた。
 あからさまに不機嫌な表情をしてしまう。
「凄まじい凌辱と調教だった。あれほど凄惨な強姦の連夜は、さすがの私も見たことがない。延々と犯されて育ったせいか受けの色気が染みついてしまった。どれほど男まさりに育とうとも消えない、雌の色香がな。少々跳ねっ返りのじゃじゃ馬だが、あれは黒髪の日本美女だよ……」
 うっとりとしたように話す和泉。すり寄る愛人の女達は「まったく理解出来ない」という意味合いで怪訝な顔をしたり、肩をすくめたりしていた。
「俺の正妻なんだ。この世で一番いい女に決まってる」
「その妻ですが、貰い受けますよ。私の愛人に据える」
 和泉はフランクミュラーの腕時計を目にする。
「さて、もうすぐ零時だ。オークションのトリは当主様、貴方に飾っていただきます」 
「なんだと?」
 控えていた和泉の配下たちが、秀乃に向かってにじり寄ってくる。秀乃は和泉を睨んだ。
「静間さまを思わせる、鋭い眼光でございますな。しかし貴方の時代は終り、四季彩も今宵から失墜をはじめるのだ」
 立ちあがった和泉は再びグラスを手にし、高く掲げていた。シャンデリアの光を浴び、ワインは深紅に輝く。
「会場に集めた四季彩の顧客に見守られながら、ステージで凌辱され、そして落札されるがいい」 
「俺を堕しても那智姐さんがいる。成之もな。遠縁の親戚筋だって黙ってはいないさ」
「それでも、越前谷家の力をかなり削ぐことになるでしょう。現当主が貶められれば、メンツも丸潰れ……」
 和泉の語りは途切れた。舞台裏にあるこの広い一室の扉が開いたからだ。
「……!! ばかな……!」 
 現れた人物の姿に目を点にしてしまう。和泉だけでなく、ボディーガードたちも驚愕していた。

7 / 12

「どうやって此処に!」
 ワイングラスを倒し、和泉は叫んだ。場は騒然となり、和泉を守るように部下が広がる。
「さあな」
 健次はストライプの入った黒いシャツを腕まくりした姿だ。拳は血に汚れ、頬にも飛沫を飛ばしている。だが、健次自身は無傷だった。
 和泉はこのホテル内部にたくさんの護衛を配備していて、とても単身で倒せる数ではない。
 普通の人間ならば。
「さ、さすがは、秀乃様の女だ……」
 和泉は滲んだ冷や汗を拭った。部下の男たちは健次を排除しようと、早速幾人も向かってゆく。
「生け捕りにしろ。それは私のものにする、だから傷をつけるなッ!」
「健次っ!!」
 和泉の声と、秀乃の叫びが重なり合う。
「俺を倒してぇんなら本気で来い」
 拳を構えた健次は、鮮やかに応戦した。それはまるであらかじめ決められた演舞のように極まっていく。手足の動きは鋭く凛としていて、確実に急所を突いて次々と仕留める。敵の攻撃はというとまったく当たらない。
 なにが起こっているのか、素人には素早すぎて見えない、わからない。ただ健次が爽快なほどに敵を倒していくことだけがわかる。
 健次よりも屈強な肉体をしているのに、護衛の男たちは次々と倒れていった。
 秀乃はただその様を眺めている。
 和泉も、和泉の愛人の女達も。
 みとれている、といったほうがいいかもしれない。
 この状況に警棒を取りだした男もいたが、和泉は気づいて叱責を与えた。
「駄目だ、素手でやれ!」
「し、しかし! 手加減していては……!」
 倒せるはずないとわかっているのだろう。実際、こうしている間にも健次は護衛を倒していく。武器を出そうとした男も鮮烈な殴打を喰らい、その後に蹴られて崩れる。
 立っている男はついに最後の一人になってしまった。
 健次は改めて拳を構え直し、向き合う。松濤館流空手の構えだ。男も健次とは異なるものの、格闘術の構えを見せた。
「社長が、あなた様を日本美人と言っていた理由がわかりました」
 男の言葉に健次はなにも返さず、一瞬で間合いを詰めて突いたが、避けられる。軸足を右に置いたままもういちど突き、逆の手で刻みを撃ったが大したダメージを与えられない。最も和泉のそばを警護しているだけあって、さすがに強いらしい。
 男は逆に、詰めてくる健次の勢いを利用してカウンターを仕掛ける。健次はそれを左手で受け、後ろに跳ぶことで衝撃を逃がした。これも一瞬の出来事。
 秀乃や和泉がわからないところで、凄まじい応酬が繰り広げられている。

8 / 12

 何発かの撃ち合いの後に倒れたのは護衛の男のほうだった。なにが起こっているのか、秀乃たちには素早すぎてわからないまま決着がつく。
 ノーモーションで攻撃を繰り出せる健次の動きは、プロである敵にも読めなかったようだ。
「健次、どうして真面目に空手やらないんだ。学校にはサークルだってあるんじゃないのか?」
 心から言う秀乃に、健次は顔を歪めた。
「体育会系の連中は嫌いだ」
「どうして。もったいない」
「上下関係もあの空気も、すべて好かん」
 健次は倒れている男たちを踏みつぶしながら、秀乃の元に近づいてくる。その度に骨が割れるような鈍い音や呻きも洩れるのは、いつものごとく靴に鉄が仕込まれているからだった。
 そして、健次は秀乃の拘束を解いてやる。目の前の女たちは恐怖からか息をひそめており、和泉はというと媚びへつらうような笑みを貼り付けていた。手のひらを返した態度は見苦しい。
「ご、ご当主様、申し訳ありませんでした。健次君にもわ、悪いことをしたね」
 部屋には神父のような衣装を着たオークショニアが入ってきたが、それは着替えただけの越前谷家の使用人だ。
「用意整いました、秀乃様」
「オークションの最後は裏切り者に飾ってもらう。ちょうど良いことに、会場には古くからの四季彩の顧客も揃っている」
 秀乃の言葉で和泉は青ざめる。
「お前のような年のいった男を落札する物好きがいるとしたら、大した変態だろうな。和泉」
「も、も、申し訳ございません、許して下さい! た、た、助けて下さいッ!!!」
 ブルブルと震えだした和泉の腕を健次が掴み、引き寄せる。女の悲鳴とともにワインやキャンドルが倒れた。
「『許さん。』きさまは俺にそう言ったはずだ」
「……!!」
 見下ろす健次の瞳を見て和泉が思いだすのは、助けて、許して、と泣きながら訴える幼いころの健次だ。はだけた襦袢の素肌に麻縄を食い込ませ、男たちの手から逃げようと布団の上で必死にもがいていた姿……。
「だから俺も許さん……」
 健次は微笑する。ねじ上げるようにした両腕には使用人がすばやく手錠をはめる。
「うあああああッ! いやだ、いやだぁああ! 秀乃様、悔い改めます、どうかご容赦をおぉ……!」
 その声も口枷に塞がれた。
 越前谷本家からの応援もやっと着き、この部屋にぞろぞろとスーツ姿の彼らが入ってくる。健次の倒したボディーガードは手早く拘束されていった。
「──お集まりの皆様、最後の品物でございます」
 ステージの上、オークショニアの声が響く。
 和泉が運び込まれた会場は、今宵一番の歓声と熱狂に包まれる。

9 / 12

 ちらほらと雪が舞う。
 立春を迎えても、深い山あいは白い化粧に包まれていた。降り積もる情景は夜の闇に映える。
 宴から数日。秀乃は健次を連れて郊外の旅館に来た。健次をねぎらうために。
「おめでとう、健次」
 切り子細工のグラスに日本酒を注ぎ、健次と乾杯をした。温泉に浸かったあとで、浴衣に羽織だ。
 和泉の身柄はというと、古くから四季彩に通う常連客が落札した。その客は、秀乃が和泉への仕打ちとして妥当だと満足できる変態性癖者。
 和泉は優秀な従業員だったが、どこかで道を誤ったのだろう。オークションの舞台で狼犬に犯されながら「全てを手に入れられると思ったのに……」などと泣き叫んでいた。
「何がめでたい」
 秀乃の見惚れる姿で飲み干すと、健次はそう言う。すぐさま酒を注いでやる秀乃だった。
「健次を傷つけた奴が、地獄に落ちたから……」
 健次はなにも言わない。いつも通りだ。秀乃はもう何度も虐待者の始末に関わったが、恨みを晴らすたび健次よりも秀乃のほうがはしゃいでいる。
「来週にでも、性奴隷に落ちたアイツを見に行に行くか? 思うまま嬲ってやれるよ」
「もう十分だ。二度と俺の前には現れないんだろう」
 健次はグラスに口をつけてから、箸を取る。向かい合う秀乃との間に並べられた酒の肴のなかから、茄子のひすい煮に伸ばした。
「俺の前にツラさえ出さねえんなら、それでいい」
「優しいや、健次は」
 しみじみと呟きながら、秀乃も料理を味わう。
 健次はそれほど酒に強くない。きつい日本酒を飲んでいるとしだいに浴衣から覗く胸元も、目元もやや桜色に染まりゆく。色気を増す様子に笑みが止まらない秀乃は、幸せすぎて気が狂いそうだ。

10 / 12

 酔った健次はトイレから帰ってきたかと思うと、隣室に敷かれた布団に倒れる。秀乃はそれを追って、羽織を引き剥がそうとした。
「駄目だ、健次、寝るならこれ脱げよ」
「……うるせえ、だまれ……」
「け、健次ー!」
 無理やりに脱がしながらも、秀乃の心音数は上昇してゆく。健次の赤く染まった素肌、目を閉じた表情、酒気を孕んだ吐息はたまらなく色っぽい。
 布団を掴む手を見た瞬間、越前谷家に閉じこめて凌辱していた頃と姿が重なった。健次の姿はどこもかしこも罪深い!と変な感激もしてしまう。
「相変わらず手のかかる子だ……!」
 蹴られつつも羽織を奪った。このまま襲ってしまおうか、と秀乃の脳裏には浮かんだが、此処で強姦すると健次の信用を失いそうだ。もういっしょにお酒を飲んでくれなくなるかも知れない。
「みず……」
 うつぶせの健次が言ったので、秀乃は隣室に戻る。即座にグラスの水を渡した。
「はいっ、健次お水だよ!」
「早く……しろ、春江……」
「え?」
 寝返りをうつはだけた生足の太腿を見ながら、秀乃の自制心にヒビが入る。言ってはいけないことを健次は言ってしまったのだ。
「え、またハルエか、健次、あっははは」
 カチンと来た秀乃は自らの口に水を含む。覆うように健次の上に倒れると、キスをして口移しで与えた。
 飲みこんだ健次は秀乃の下唇を軽く吸ってきた。その反応に嬉しくなった秀乃は、苛立ちを消してやろうと思ったが──
「春江……」
 絡みつくように、背中に手を回されながらさらに言われた。
「ひ、ひどいや、ひどいや……俺だよぅ、家政婦さんじゃないよッ、健次もう知らないから!!」
「ッ……」
 秀乃は健次の唇に激しく食らいつく。嫉妬と怒りで混乱しながらも、大好きだから憎めない。浴衣を乱してやりながら、首筋にもかぶりついた。

11 / 12

 並んで寝そべり、横顔を枕に埋めている健次の背後から、秀乃は手を伸ばし扱いている。
 分泌された先走りで響く、グチュグチュと淫靡な音。健次の浴衣は腰の帯でかろうじて留められている程度で、ほとんど脱げてしまっていた。
「俺のほうが巧いだろ? 女の手よりもいいはずだ」
 弄り回したペニスははちきれそうに実っている。
 秀乃自身も昂ぶっていて、股間を健次の臀部に押し当てた。そう擦りつけながら、性器のいたぶりもやめない。
「……な、んだ、おまえか……」
 屹立した膨らみを押しつけられていることで、健次は気づいたらしい。
「そうだよ、家政婦さんじゃなくて、俺だよ」
「ヒデノ……」
 健次は寝返りをうち、秀乃のほうを向く。
「……やる、気か……」
「ああ。そのつもりだ」
 秀乃は優しいキスをしてから、次は激しく貪った。呼吸も出来ない、唾液を垂れ流しにする濃厚なディープキスを堪能する。
「……ココ、開いてくれるよな? 健次は俺に犯されるのだけは耐えられるから」
 糸を引いて唇を離すと、腹部から腿を撫でる。健次の肉茎はいまも勃起しているから、問いかけに肯定を表しているのだと秀乃は受け取る。
 健次も微かだが、頷いてくれた。酒のせいで充血した薄目で、熱い呼吸を繰り返しながら。
「ただ……約束、しろ」
「なにを、健次」
 張りのある筋肉の感触を、両の指先で味わいながら秀乃は首を傾げた。
「今回みてえに……表に出るな。危ねえだろうが……」
「……!」
 思いがけない言葉に、秀乃は動作を止めてしまう。
「俺が……守りきれなかったら、どうする……」
 半分寝言のようにもごもごと告げる健次に、秀乃の涙腺はゆるんでゆく。
 感動して、何度も何度も頷いた。
「わかったよ。ありがとう、健次、もう危険なところにはいかない。だから」
 心置きなく健次をいただくね!と元気に叫び、秀乃は健次に襲いかかった。

12 / 12

 健次の雄膣は相変わらず狭く、きつい。
 丹念に指と唾液でかき混ぜることによって、すこしずつ開きほぐれていく。
「……ッッ、う……」
「やっと、ほど良い頃合いだ。健次のお尻の中、トロトロに熟れて来た」
 中指を奥まで挿入してやれば、首を振る健次の黒髪が揺れる。抗う動作に、Sな秀乃は薄笑んでしまう。
「大丈夫だから、健次。健次の身体はこれ以上ないほど嬉しそうにしてるんだよ」
 秀乃に愛されて、肛門の粘膜は爛れそうに歓喜している。はちきれんばかりに勃起している健次のペニスも、悦びを表してのもの。
 そんなふうに、身体はじゅうぶんに感じているのに、健次は嫌がる。精神的な問題だ。深すぎる心の傷はきっと一生癒えない。
「三本も飲みこんだ。それでも痛くないだろう」
「……」
「俺が巧いのもあるけど、健次の身体はもう大人だからさ、ちゃんと受けいれられる」
 掻き回して囁き、教えてやる。だが、秀乃の見下ろす健次の横顔は辛そうで、凌辱されている時いつもするようにシーツをきつく噛んでいた。
 可哀相にとも思う秀乃だが、健次が男としてセックスするときには見せない姿だと思うと、独占欲が満たされる。
「上に乗って。健次」
 満足感を覚えた秀乃は弄るのをやめ、ゆっくりと指を抜いた。
 そのまま布団に倒れ込み、健次を誘う。
 従ってくれるかどうかわからなかったが、健次はゆっくりと身を起こしてくれた。
「ン……、」
 表情を歪めながら健次は、秀乃を跨いだ。肉棒を後孔にあてがい、体内に挿れ、少しずつ飲みこんでゆく。
 だが、もうすこしで貫通というところで、健次の腿は震えだす。
「健次のペースで良いんだ」
「……ッ、ぐ……」
 健次は秀乃の胸板に両の手を置き、呼吸を整えている。根本まで完全に結合したが、心の準備が出来ていない。震えが穏やかになっても、不整脈のように尻穴を時折ヒクつかせ、秀乃のペニスを締めつけを与えてきた。
 苦しそうな様子の健次だが、秀乃にしてみればこれ以上ない絶景である。なめらかに筋肉の乗った体を見上げて悦に浸る。酒気もあいまって、頬を染めているのもいい。
「……俺以外の男には、股開いちゃ駄目だ……」
 同性愛者でもなければ、犯されることに酷いトラウマさえ抱く健次だから、そんなことは有り得ないとは分かっていつつも。秀乃は健次の両腿を掴んで問いかける。
「健次ッ。俺にしか、こんなこと許さないで。健次、ヤられるの、すっごく嫌なんだろ? ……だったらさ……ずっと嫌に思ってろよ。そうしたら誰にもさせないよな……?!」
 めちゃくちゃなことを言っていると秀乃は自分自身で思う。よく分からない。ただ、もう、健次を他の男に取られるくらいなら男嫌いのままでいい。どうせ自分には振り向いてはくれないのなら。
 歪んだ独占欲がさらに歪んだ末の、歪んだ感情。
「嫌に思ったまま、俺だけに犯されてろよ」
 ゆっくりと秀乃は腰を揺らしはじめる。顔をさらに歪める健次。布団に腕をついて、身を反らし、秀乃からの撹拌を受けとめている。
「あぁ……、イ、ヤ、だ…………」
 悩ましげに言葉を紡ぎながら、健次は崩れ落ちた。犯す姿勢は、寝そべる形に移行する。秀乃は健次の腰に触れ、最奥まで密着し、結合した。
「……野郎に、ヤられる、なんて……最悪でしかねぇ……」
「構わない。俺は一生、この片思いを引きずる覚悟出来たから──」
 秀乃は健次にのしかかる。汗ばむ肌を密着させ、吐息も吹きかけた。
「重い、馬鹿、だろ……………」
 秀乃の身体を指して言ったのか、気持ちに対して言ったのか。それとも両方なのか。
 秀乃は背中にキスをする。古傷だらけの、凄惨な少年時代を語る背中も愛おしい。
「好きだよ。健次。大好きだ。健次が家政婦さんを愛してる気持ちごと、愛しているよ」
 想いとともに快楽を生みだしてやり、健次を沈めてゆく。溺れればいい。惚れさせることは出来なくとも、悦楽を与えることは出来る。
「……ありがとう、健次。いつも。今夜も。ずっと……」
 助けてもらっているのは俺だ。涎のように先走りを迸らせ、きつく目を閉じている健次を抱きしめ、秀乃も恍惚へと落ちてゆくのだった。

 闇夜。賑やかだった場から離れた、二人だけの宴は夜明けまで続いた。

E N D