Lust

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「あっ、あぁッ……、あぁ……──」
 反響する喘ぎ声。
 艶めく吐息とともに。
 自分が発しているなんて思いたくない。しかし、これはまぎれもない現実だ。
「……はッ……、あっ……、ぁああァ……」
 水滴の伝う、鏡張りの壁面に濡れた手をつき、秀乃に犯されている姿は、驚いてしまうほどにいやらしかった。全身で欲情し、すでに幾度か達したのにも関わらず健次の怒張は維持され、ヌルヌルと分泌されっぱなしの透明な先走りが脚を伝って垂れこぼれていく。
 しかもペニスは打ちこみにあわせて滑稽に踊り、健次の肌を叩いている。
 当然のように胸の尖も屹立しきっていたし、なによりも健次が目を背けたくなるのは蹂躙されきった表情だ。気持ちよくてたまらなくて欲情した瞳、ひそめられた眉根、閉じようと意識しなければだらしなく半開きになって雌のように喘いでしまう唇。ほんのりと頬も首筋までも紅潮している。
 幸いなことなのか、快楽に酔わされて頭のなかがぼおっとしているから、こんなありさまを目の当たりにしても絶望に叩きのめされるほどの嫌悪感は溢れない。
(…………アァ……、そうか……) 
 鏡に滴る水滴を見つめ、そういえば此処は遊郭だったと思いだす。
 客室に備えつけられた浴室で犯されている。
(…………ガキの頃…………)
 虐待で水を与えられず、家の浴室で組み敷かれながら水滴を舐めまわして笑われたことも脳裏に浮かんだ。生きるために必死な姿も鬼畜達を悦ばせる餌となる。
「……はぁ……、うぅッ…………」
 いつも秀乃の体液に犯されているときとおなじく、朦朧としている健次は、またすぐに我を忘れてしまう。頼りなくたゆたう意識で、よぎる記憶のままに唇を鏡に寄せ、舌を這わせてみる。
 健次は自分でも気づいていないうちにへらりと笑った。
 微々たる雫にうれしくなり、淫らに舐めあげる。
「……ァ……、あぁ……」
 吐息に曇る鏡をつつく舌先。
 繋がったままの腰を両手で掴む秀乃に、囁かれた。
「どうした? 健次……」
「……、っ……ヤ……」
 耳朶と首筋に吐息がかかる。それだけで健次は裸身をひどくビクつかせる。
「ヤメ……ロ……っ……」
 腰つきを止めた秀乃は健次の両手首を掴もうとしたが、健次はすぐに振り払う。
 動作にあわせて、濡れた黒髪も揺れる。
「ン……」
 ひどく眉間に皺を寄せたまま、秀乃に唇を奪われた。挿入ってくる舌の掻きまわし方は強引なものではなく、甘くとろけるような蠢きだ。心地よさしかない。
 ──そうだいまはコイツに犯されているのだと、健次はふたたび、ぼんやり現実を認識する。
「……ヒデノ……」
「そう、俺だよ……」
 執拗な接吻の後、ついでのように首筋も吸われる。敏感になっている健次はそれにも「あぁ……」と声を漏らしてしまう。
(……お前なら、まぁ、べつに、構わねぇ…………)
 少年期にメチャクチャに後孔を嬲られ、酷く調教されすぎた健次にとって、秀乃との行為は耐えられないほどの苦痛ではないのだ。
 背後から切なげな、心配そうな声がする。
「子どものころを思いだしてたのか……?」
「……ほっと、け…………」
「そんな訳にはいかないよ……」
 健次は眉間に皺を寄せた。
「……気に病むくらいなら……、最初から、ヤ、るな……」
「…………」
 秀乃は黙りこみ、健次は鼻で笑う。
 そもそも、今日は性行為を愉しむために来たわけではない。
 健次はズルリと身を離した。潤滑液に塗れた怒張が、抜ける。抜くときの摩擦にも感じてしまって身震いしたのと、浴室の外に人の気配を感じたのはほぼ同時だった。入り口の磨りガラスを睨む健次だったが、秀乃は気づいていない。また抱きしめて行為に戻ろうとする。
「お取りこみ中のところ、すみません」
 涼やかな声色は克己のものだ。
「そろそろ切り上げたほうがいいと思いますが」
 健次は秀乃を振りきって、扉を開けた。
 今日の克己は女装せず、ノータイのワイシャツにスラックス。ハミルトンの腕時計に目線を落としていたが、健次はその腕を掴んで風呂場に引きずりこむ。
「待ってください。着衣なんですけれど……あっ……」
 濡れたタイルに克己を押しつけ、強引に唇を奪った。克己は抗うそぶりをみせるが、健次は力で押さえつける。唇の擦りつけに留めるはずなく、舌を挿れ、ぬらぬらと蠢かす。
 唾液の糸を引かせ、口を離しながら、健次はちらと秀乃を見た。
 まばたきを忘れている。頭に血が昇っている。目の前で口づけを見せつけられて募った嫉妬に震える手で、克己の頬を思いきり打った。健次は笑ってしまうのを抑えられない。
「ハハハハハハ、傑作だな、ハハハッ……くだらねぇ……」
 秀乃にシャツの襟を引っ張られる克己の姿に笑う。
 響くのは、狂気を孕んだ罵声。
「健次は俺の女だ、俺に献上されたんだッ、お前が口づけを受けていい相手じゃないッ!」
 克己が責められている隙に風呂場を出た。滑稽さと痛めつけられる克己に対してニヤつきながら、まだ昂ぶっている身体をタオルで拭きはじめる健次だった。

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 夕闇に沈んでいく日本庭園。
 健次は縁側に座って、そのさまを眺めていた。くゆらせる煙草の煙。すこし肌寒い。遊郭は山間にあるせいか、健次の暮らす都市部よりも冷える。Vネックのカットソーだけでなく、なにか羽織ってこればよかったと今更思う。
 軋む足音に振りむくと、頬にシップをした克己が歩いてきた。
「本当に酷い人ですね」
 呪いをこめた声に、健次はまた唇をゆるめてしまう。
「あぁでもしねぇと、あのクソはやめねぇだろ」
「他の方法で引き剥がして下さい。顔は商売道具だ」
 健次の背後、克己は頬に手を当てて立ち止まった。
「秀乃さまも悠長なことです。今日はひとつ作業があるのに」
「聞いてたら、また殴られるぞ」
「ご心配なく。さきほど男娼部の応接間に、お客様の応対に行かれましたよ」
 いつものごとく、克己の敬語には心がこもっていない。
「貴方を見ると襲わずにはいられないんですね」
「あいつは病気だ」
 健次は吐き捨てた。克己は頷く。
「確かに。以前から思っていますが、重くはないんですか?」
「女で慣れた。家にいる」
「あぁ……、そうですか」
「すぐ泣く。俺が死ねと行ったらその場で死にそうな女だ」
「惚気ですか」
 呆れたように言いつつも、克己も胸中を明かした。
「俺のマダムは、マルタ島にバカンスに行ってるんですよ。もう半月も会っていない」
「愚痴を俺に聞かすな」
「この後、俺も発ちます。さっさと終わらせましょう」
「そうだな」
 床に置いていた灰皿に、吸殻を潰した。灰皿を残して克己とともに歩きだす。

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 健次は四季彩の間取りには詳しくないので、克己の後を追いつつ、ぼやく。
「いい加減、こういう仕事は業者に頼め」
 克己は飄々と進んでいく。
「遊郭のことは出来るだけ遊郭の人間で済ませたいそうですよ」
「俺は此処の人間か」
「関係者ですね、所謂」
 渡り廊下を行き、階段を上り、辿りついたのは金箔の襖の前だ。
 悪趣味さに健次は眉間に皺を寄せる。克己はというとためらいなく、その襖に手をかける。
 豪勢な和の客間に、ガタイのいい男がふたりくつろいでいた。
「な、んだお前らは──……?」
 彼らは身構える隙も与えられなかった。
 健次はひとりを蹴りつけ、拳もめり込ませる。的確に打ちこんで意識さえ奪う。もうひとりも簡単に潰す。
 克己は奥へと進み、さらに一枚襖を開け放つ。褥の闇を薄めるのは妖しげな灯りを零す、紅色の行燈。
 鮮やかな襦袢ごと麻縄で吊るされている少年を、中肉中背の男が、弄んでいる──
 いまはディルドを突っこんで遊んでいる最中だ。
 ボディーガードをつけるほどの権力者だが、未払金を溜めこみ、再三の催促にも応じないので、始末の対象となった。そんな男は当然ながら闖入者に気づき、驚愕して狼狽えながら振り返る。
「つまり、こいつも関係者か」
 健次は男に遊ばれている、M字開脚で縛された少年を見る。
 見知った顔だった。
 大貴は──普段はこんなところにいる商品ではない。遊郭に封じられてはおらず、ある程度の自由を許されて回遊魚のようにさまざまなホテルやパーティーで売春している。
 激しく犯されたのか、目を閉じた表情はうつろで、汗ばんでいた。両手を広げたまま固定された姿は、磔に処された聖人の姿にも似ていたが、アナルには玩具がハマったまま持ち手が頭を出す。
 半勃ちの肉茎はいたぶられつくしてローションにぬめっている。
 こんなにも淫猥なさまを晒し、とても『聖人』と喩えられないかもしれない。
「滞納者にはこれ以上遊郭の商品には触れさせたくないとのことで、FAMILYの商品を使ったんですよ」
「成程な」
 健次はあれこれと意味不明な言葉を呻く男の首を絞めた。言葉の中には命乞いも含まれていたような気もしたが、どうでもいい。
「汚ねぇブタだ、触りたくもねぇ」
 ばたつく肉の塊の呼吸を奪いつつ、さらに顔をしかめてしまう。男に染みついた、精液と汗とローションの混ざった匂いも不快だった。
「どうして、こう、身も心も腐ったじじいの匂いは、より汚く感じられるんだろうな」
 男がもがくたびにこめる力を弱めたり、強めたりしてやった。すぐに意識を落とすこともできたが、加虐心からわざと焦らす。醜い塊がぶよぶよともがくのは多少面白くもある。
 天井から伸びる麻縄に触れつつも、克己は男を見下している。
「えぇ、腐敗しているからですよ。相応の金を積まれなければ、絶対に股を開きたくないですね」
 疲労しきっている様子の大貴が、うつろに瞼を開いた。
 大貴の瞳には、いまのいままで交わっていた男が、羽交い締めにされる姿がぼんやりと映りだす。
 男は大貴に対し、助けを求めるように、痙攣する指先を伸ばす。しかし、彼自身によって緊縛された大貴は身動きひとつとれない。滑稽なショウだ。
「その金も払えないから、肥溜めの汚物同然なんですよ」
 克己は男の額を指先でつつき、クスクス笑う。健次は唇をゆるめた。
「優しいな、克己」
 そろそろ終わりにしてやろうかと腕に力をこめる。男の口から涎と胃液が溢れる。
 特等席の正面で眺めている大貴の頬に、鎖骨に、雫がかかった。
 健次は汚くて苛ついたので、膝で蹴ったりもした。
「俺に言わせれば汚物以下だ。分かるか? ……無価値だ」
 ついに男は事切れ、全身の力が抜ける。健次はゴミとして放り捨てる。巨体は壁にぶつかり、ぐったりと動かない。

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 大貴の目線が、男へと動く。そのまま眺めている。大貴の瞳には何の感情も浮かんでいない。普段は威勢のいいガキだが、いままで性交していた相手が苦しむ一部始終を鑑賞させられてさすがに消沈したのかと、健次は思いかけた。
 しかし、大貴は克己を向くと「おそい!」と、声を上げた。
「おっせぇよ! もっとはやく来いよっ。ズコズコにやられたじゃねーかよー!」
 つり目がちな瞳は健次も見据えた。キッと睨んでくる。男の汚物に濡れた顔で。
(そうだな……コイツも、普通のガキじゃねぇんだったな──)
 健次は見解を改めた。平凡に暮らしている同世代の少年よりも、修羅場をくぐってきているだろうし、頭のネジも外れているのだ。
 克己は客室のタオルを持ってきて、大貴に飛沫いた男の吐瀉物を拭いてやりつつ、含み笑いを零す。
「はやくほどけよな。ケツのも、抜いてほしいっ!」
 タオルを置いた克己の指先が伸びるのは、縄目でも玩具でもなく、大貴の顎だ。
「ん……、カッツンっ」
 長く美しい指先は輪郭を撫で、喉元をなぞる。そのまま降りていき、縄に彩られたなめらかな下腹部を辿っていった。克己に対して戸惑いの目を向ける大貴だ。
「ちょっ……、なぁ、おっさん、運びだすんじゃねーの……?」
「俺と続きを愉しみますか、大貴君。和風情緒溢れる貴方は、はじめて見ましたが、悪くないですね」
 克己に対し、健次は呆れる。
「てめぇも物好きだな……」
「大貴君の良さがお分かりにならないんですか?」
「知りたくもねぇ」
 健次は鼻で笑い、赤ラークを取りだした。咥えてライターで火をつける。先程からデニムの後ろでスマートフォンが震えているが、どうせ秀乃からの連絡なので出ない。
 克己はというと身を傾け、大貴の唇を奪う。先輩男娼からの口づけを受けとめて、大貴がぎゅっと拳を握ったのを健次は観察する。キスとともに弄られる大貴のペニスが、年齢のわりに発達しすぎている気がするのは、どうせ、薬物か、施術か、人工的な処置のせいだろう。
 幼児のように無毛なのも同様だ。全剃りされてしまうのは、健次も大貴の年頃によくやられていたが、すべすべの肉茎が猛々しく滾っていくさまを客観的に見ていると妙な哀れさを感じた。
 キスが外れると、大貴は縛された身をよじり、克己から逃れようとする。
「やぁ……だぁッ、やめろってば……」
 ぎりぎりと軋んで揺れる縄。勃起しきったペニスを握られると、甘い声も漏れた。
「あぁッ……、んぅ、う」
「中途半端にプレイを中断されてつらいでしょう、達しておきますか」
 克己は選り分けるように睾丸をいたぶり、ディルドの挿さったままの後孔にも触れる。その瞬間の大貴のビクツキかたは劇的で、性器に対する刺激より、鮮やかな反応だった。縄は軋み、健次を笑ませる。
「はッ……、敏感だな」
 煙草を片手に傍観する健次にも笑われたことは、大貴を辱めたらしい。大貴の頬にカァッと朱が差す。
「ヤだ、イヤだぁ……、あー……、抜けよぉ、はなせよう……!」
 首を振って拒む大貴を気にすることなく、克己はディルドをいじりつつも、勃起を扱く。
「大貴君は、今夜、何度射精したんですか? 俺達が来るまで、ずいぶん嬲られていたんですよね」
「そ、そんなの、いいたくない」
「あぁ、また、恥ずかしいんですか」
 克己は扱きながらも、大貴を冷ややかな目で見据えた。
「性玩具のクセに、普通の男の子みたいに恥ずかしがる、悪い癖がいつまでも抜けませんから……」
「……さ、3回。3回イッた……」
 頬を染めたままぼそぼそ申告する大貴に、克己はさらに質問する。
「全部お尻で、ですか?」
「あ、ッ」
 克己は性具を離し、それを飲みこむ大貴の蕾の外周を撫でだした。道具で内襞を突かれるのも気持ちいいが、入り口をマッサージされるのも快楽となるらしい。
「……ケツでは、2、回……」
「流石ですね。貴方の肛門みたいに、男性と交尾して達する穴をケツマンコって言うんですよ」
 大貴はうなだれる。恥ずかしげな表情のまま、唇を震わせている。
 屈辱も覚えているのだと、健次には分かった。大貴が日々抱えている複雑な感情のいくつかは健次も感じたことがありそうだ。

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 健次はガラスの灰皿に吸殻を潰した。そして健次も、卑猥な孔にいまも嵌まったままのディルドの持ち手を引いてみる。反応は予想通りに鮮やかで、大貴は再び顔をあげた。
「……や、ッ、あぁあ、あ──……!」
 妙な力が込められた爪先を見て、健次は笑う。
「ハハハハ」
 押し戻すとまた大貴は鳴く。
「や──……っ!!」
 ペニスからは透明な蜜液がじんわりと生まれた。
「確かに面白いな」
「でしょう。調教が行き届いているんですよ、この穴は」
 性具を克己に返す。克己は先程よりも本気の嬲りかたで、プロとして弄り、大貴を追いこんでいく。
「きもちいい、ヤだ、だめ……あぁあぁッ……」
 大貴の鳴き声には、すがりつくような甘さが滲みだす。
 この少年はもうすぐ射精する。それは誰の目にも明らかだ。
 肉茎への扱きを止め、後孔への抜き差しに専念しつつ、克己は健次にほくそ笑んだ。
「お尻で達しますよ、この子は」
 大貴はいちだんと首を振る。性器のみならず、乳首まで屹立させた身体をイヤイヤとよじる。
「見んなよぉ……!!!」
 縛されて閉じられない股を閉じたいのか、膝頭まで震わせる姿に健次はただ嘲笑する。
「全然なってねぇな、このガキは。男娼なんだろう」
「お客様に対しては接客出来ているんですよ。俺達の前では恥ずかしいんでしょう。……大貴君、貴方のような立場の男の子は『見るな』ではなく、こんなとき何と言うんですか?」
 大貴は絶望的な表情を浮かべた。そして、未だに拒む。
「ヤ、やだ、イヤッ……、いま、仕事中じゃ、ね、えし」
「これは抜き打ちの実習ですよ」
「あぁッ……」
 強く捩じこまれるディルド。
 やっと大貴は覚悟を決めたらしい。縛られた胸を可能な限り反らし、性器を突きだす。
 そればかりでなく、大貴は口角を上げた。泣きそうな瞳と、真っ赤に染まった頬をしているくせに、懸命に笑顔を作った。
「み、見てッ──……! 見て!!」
 滑稽な姿だが、覚悟は滲む。
「見て……淫乱、で、男ズキ、な、ケツマンコで、イ、クところ──……!!」
 怒張した性器から、少量ながら何度かに分けて漏らした。すでに3度達しているため、白濁の飛沫は少なめだった。床と、大貴自身の肌をほのかに汚す。
「イッ……て、る……、あぁあぁ……!!」
 出しきると身体の力はぐったりと抜ける。
 閉ざされる瞼。茹で上がったような頬をして、恥ずかしげに呼吸を乱す大貴の髪を、克己は撫でた。
「少々引き攣っていましたが、淫乱な性玩具に相応しいアクメでした、偉いですよ」
 克己によってディルドを抜かれても尻穴は閉じきらない。潤滑剤と体液にまみれ、ヒクつく蕾を健次はブザマだなと思った。

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 遊郭の駐車場に潜む、黒のインプレッサ。
 健次はエンジンをかけた車内から、煌々と灯りを漏らす建物の方を眺めていた。帰っていく客に対し、スーツ姿の従業員とともに着飾った少年達が表までついてきて、頭を下げたり、抱擁したり、別れを惜しむ演技をしてキスを交わしたりもしている。
(茶番だな)
 どうでも良すぎた。カーナビに映るテレビのナイター中継に目線を流す。
 そのうちに日本人離れしたスタイルの少年が、目の前を通り過ぎていく。スタッズと缶バッヂのついたリュックを片方の肩にぶらさげた後姿にクラクションを鳴らせば、振り向いた。
 大貴は健次に気づくと、ふっと笑む。薄闇でも屈託のなさが分かる。足早に戻ってきて後部座席の扉を開けた。ニコニコしながら荷物を下ろす。
「お疲れさまでーす。ありがとうございます、うれしーなー、健次サンに送ってもらえるの」
 健次は行燈に照らされた竹林を抜けていく。公道に出る前に、大貴は表情を不安げにして振り向いた。
「けど、ホントにいーの? カッツン、置いてったりして……」
 克己と大貴は一緒に新幹線に乗るはずだったが、克己は偶然、遊郭を訪れていた馴染みの客に捕まってしまった。マダムとの逢瀬はまた先延ばしになった訳だ。しかし、他人のことより、自分のことを心配するべきだろうと、健次はほんの少し呆れた。
「あれを待つ気か」
「だってー、かわいそーじゃん」
「お前が終電を逃すんだろ」
「そうなんだけどー……」
 大貴は不満げな顔をしつつも諦め、しばらくのあいだ、車内は静寂に満ちている。
「……いい加減……」
 市街地に差しかかるころ、健次はバックミラー越しに大貴を見る。
「下らねぇプライドは捨てるんだな。その方が楽だろう」
「えっ……俺?」
 大貴は瞳に戸惑いを滲ませ、それから苦笑した。
「ムリだよ。俺にはそんなの。心を捨てるくらいなら、恥ずかしくても、苦しくてもいい」
 楽な道ではない。健次は「そうか」とだけ返した。
(俺と同じか)
 そういえば喉が渇いた。コンビニに寄り、健次はアイスコーヒー、大貴はアイスティーを選ぶ。大貴がカゴに入れたいくつもの菓子パンも奢ってやると、少年は本当に嬉しそうに顔をほころばせた。
 ──またスマホが震える。秀乃からの粘着質な愛。
 じつは、身体の奥にはまだ行為の熱が残っていて、気怠い。夜の街を走っていくと、そんな熱も宥められる。
 慣れきった道に、健次は欠伸を零しつつハンドルをまわした。

E N D