Sweet prince

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 子供というのは一概に自分の感情に対し素直なものだが、なかでも大貴は分かりやすい。機嫌の良し悪しも何を考えているのかも、態度や様子を見ればすぐに明らかなのだ。
 崇史は行為のあと汚れた体液を拭いつつ、傍らに転がる裸の大貴をちらりと見た。今宵の大貴は感度も鈍く喘ぎもおろそかでセックスなど上の空。今も表情に元気がなく、ベッドの上でだらりと身体を伸ばしていた。崇史の渡したティッシュはそのまま腹の上に置かれている。
「拭きなさい」
「パパふいて……」
 大貴は動く気がないらしい。仕方なく崇史はティッシュを掴むと、白濁やローション、先走りの蜜に塗れた大貴の内股や尻肉を清めてやる。
「……あのさ、きいてほしいんだけど……」
 性器も全て綺麗にされたところで大貴は寝返りをうち、崇史のほうを向く。崇史はいずれ大貴がそのように話を切り出すだろうと予想していた、暗い大貴を放っておくといつもこうして頼ってくる。それを振り払うことはしないが、自分から大貴に尋ねてやることもしない崇史だった。
「今日ねがっこーで……ひるやすみにナオヤのクラスに行ったんだよ」
「また喧嘩したのか」
 崇史は枕に背をもたせかけて座り、ため息を吐いた。彼らがくだらないことで仲違いするのは毎度のことだ。
「ちがうよー。ナオヤのクラスに、だれともしゃべらない子がいるんだ。いつも一人でいて、ネクラってみんなにいわれてる子で、ぼく、きのうはじめてその子を近くでみたんだけど……」
 どうやら悩みはおなじみのものと違うらしい。大貴は不安そうな、深刻そうな表情を浮かべている。
「首にキスマークがあった。みんなは、そんなのぜんぜん分からないから、きづいてない。……けどぼくはわかるもん。それも何個もあったんだよ」
「それがどうした」
「なんかー、ひっかかる。気になる。明るい子ならいいかもしんないけど、すごい暗くてふんいきもおかしい子だから、その……されてるのかなーって。せいてきぎゃくたいとか……」
 自分自身も十分すぎるほど、性的虐待を受けている大貴なのだ。同じ立場の少年を嗅ぎ取るのには長けているのかもしれない。だが、大貴の予感が正しいとは言い切れない。崇史はやんわりと否定してみた。
「分からんぞ。同意の上の行為かも知れん」
「だったらしあわせそーにしてるよっ。ふしあわせオーラがでててー、それにナオヤにきーたらときどき学校やすむときとか、眠そうにしてるときがあるって。あぁきになる!」
 大貴はばたばたと布団の上で手足を動かしはじめた。まるで泳いでいるかの動作だ。
「……大貴はその少年に対して、どうしたいんだ」
「たすけてあげたい。かわいそぅだよ」
 動きを止めた大貴の頬を、崇史は指先でつつく。
「お節介はやめなさい。不幸と決まったわけじゃないだろう」
「けどー、でもー……」
「お前のことだから、好奇心のままにしつこく嗅ぎ回りそうだな。不用意にキスマークのことや性的なことを尋ねるのは控えたほうがいい」
 そう言ってやると大貴はむっとした表情になる。口をとがらせて起き上がり、ばんっ、と枕を両手で叩いた。
「そんなことしないよ! ぼくにだってでりかしーとかあるもん」
 どうやらへそを曲げたらしい大貴は脱がされたパジャマを掴み、裸のままベッドを飛び降りる。自室に帰る気らしい。
「パパはぼくのことわかってない! べーだ!」
 舌を出して見せてから大貴は叩き付けるようにドアを閉じた。廊下を走る足音を聞きながら崇史は肩をすくめる。
 しかし、大貴の話した少年が本当に性的虐待を受けているとして──加害者はやりかたが下手だ。崇史は見えるところに傷をつけない。服に隠れる部位を狙って痛めつけるのは基本だ。
 それに派手な傷が残るような苦痛を加えるときは、大貴にも原因があったとき。目に余るいたずらなど、悪さをしたときでないと残虐行為はしない。良い子にしていれば褒美さえ与えるときもあるし、飴と鞭を使い分けている。常に怯えさせたら大貴の良さ──素直さも無邪気さも消え失せてしまう。それは崇史にとっては避けたいことである。身体は余すこと無く調教と改造を施しているが、性格や心は今のままの大貴でよい。
 大貴の精神を壊さぬように、崇史は細心の注意を払って教育を施してきた。様子を見ながら少しずつ少しずつ淫靡に躾け、ここまでの性玩具に仕上げたのだ。
 使用人を呼ぶこともなく、崇史はベッドを整え、きちんとパジャマに袖を通してグラスの水を飲んでいると寝室のドアが静かに開く。どうせ戻って来ると思っていたので崇史は何も言わない。
「……やっぱりいっしょにねる……」
 崇史の布団のなかに大貴も入ってくる。ついでに連れてきたらしいぬいぐるみの感触が崇史に当たった。
「何年生になったんだ、そろそろ一人で寝れるようになりなさい」
「うー……」
「やれやれ」
 崇史はベッドサイドの灯りを消した。擦り寄って来る大貴のことは素直に愛らしく思える。そう、崇史だって歪んだ愛情だけでなく『まとも』な父性も持っているのだ。

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 繁華街の片隅にあるその老舗は外面上はごくふつうのバーだ。高級感溢れる内装のフロアには黒革のソファとガラスの角卓が並んでいる。けれど異質なのは男性客しかいないということ。座っているのは背広ばかりで、彼らは煙草や酒を嗜みながらしきりに情報交換をしたり“気に入りの子”の近況などを報告し合っている。
 そう、此処は少年愛者達が集う社交場。崇史は長らく足を運んでいなかったが、店のオーナー直々に誘われて久しぶりに足を踏み入れた。薄暗い店内にはどこぞやの経営者や重役達の顔もあり、崇史がこの場に紛れても目立つことはない。
「これは珍しい方が来た」
 長居をするつもりでない崇史はカウンターに座ったのだが、隣の席の男が嬉しそうに話しかけてきた。何度かこの店で会ったことのある人間だ。
 けれど、名前は知らない。というのもこの空間では互いに名を名乗ることは推奨されず、企業主や芸能人、著名人も訪れるこの場所ではそれが礼儀となっている。店のことは一切口外しない、という掟とともに厳守のルールだった。
 男は傍らに少年を連れていて、その顔立ちはどことなく男に似ていた。ということはきっと実子なのだろうが、そういったことも相手が打ち明けるまでは訊いてはいけない。少年はなかなか整った顔立ちをしていて、品の良いブラウスに別珍の半ズボンを履いている。彼をちらりと見た崇史は心の中で大貴には劣るが上玉、との寸評を下した。
 しかし、やけに目についたのは首筋の鬱血痕である。少年の細い首筋には桜の花びらのような痕が幾つも散らされている。色白なせいか目立つそれを見て、崇史の脳裏には昨夜の大貴の言葉が思い出された。キスマークの少年──
「どうしました。うちの子がお気に召しましたかね」
 崇史の目線を読み、男はにやりと笑んでみせる。それはあまり人好きのしない、気味の悪い笑みである。
「いつでもお貸ししますよ、なぁユウ、おじさま達に抱いてもらうの大好きだもんな?」
 男は“ユウ”と呼んで少年の肩を抱いた。ユウの顔は強張っている。ここで大貴ならきちんと愛想笑いをして可愛らしく頷いてみせる(あとで文句を言ってくるだろうが)。崇史のなかで少年への評価が下がった。外面はAクラスだが躾はC。
 それから崇史は男のたわいもない話を聞いた。やはりユウは実子だという。妻を亡くしてからは私の相手はもっぱらユウでね、と笑う男の横でやはりユウの顔は笑っていない。その後オーナーが現れると彼と少しばかり話をし、崇史は店を出た。
 ハイヤーで真堂邸に帰ると崇史は家政婦に命じ、温かいダージリンを淹れさせる。人付き合いで含んだ酒の口直しはいつも香り高いイングリッシュティーと決めており、それを今宵は一階と二階の間にある踊り場で味わうことにした。
 踊り場というよりはちょっとした書斎、と呼んだほうが良いかも知れない。幾つかの本棚とローズウッドのテーブルが置かれ、傍らの大窓からは薔薇庭を望むことができる。昼間ならあたたかな日差しを感じることが出来、歴代の住人が愛してきた居心地のよい場所だ。
 運びます、と言った家政婦の申し出を断り自らお盆にティーセットを持ち階段を上がると先客がいる。学校の制服のままの大貴がノートを広げ鉛筆を走らせていた。
「あっ、パパ。いつかえってきたの?」
「宿題か」
「そうだよー。おかえりなさい」
 黒のタートルネックとスラックスという私服に着替えている崇史のことを大貴はやや驚いた表情で見上げたが、すぐにまた目線を戻しカリカリと文字を書き込んでいる。向かい合わせに座って覗いてやると、どうやら漢字の書き取りをしているようだ。
 大貴の宿題を見るのは崇史にとってなかなか面白いことだ。そういえば昔自分もこういうものを勉強したなと懐かしさを感じたり、今は教科書の内容もこんな風に変わっているのかとか新たな発見がある。
 崇史は大貴を邪魔しないように、静かにお茶を飲んでいた。闇の庭を眺めつつ、今進めているプロジェクトのことなど仕事のことを思案する。どれほど忙しい日でもこうして考えをまとめる時間を作るのが崇史の習性だった。経営者たる者常に足下と一歩先二歩先を見据えていなければならない。
「よーし、おわったっ」
 そのうちに大貴はノート類を閉じ、鉛筆を筆箱にしまっている。その顔は達成感からか嬉しそうな笑顔で、にこにことご満悦だ。
「どうして制服のままなんだ」
 ここにきてやっと崇史は質問をした。大貴の集中を削がないように、気になりつつも話しかけるのを遠慮していたのである。
「今日は水曜日だよ。南条先生の日。先生、ぼくのせいふくすがたスキだから着ててほしいってゆうんだ。で、さっきまで先生いたの」
 南条というのは大貴に付けている英語の家庭教師のこと。性欲を持て余す彼女は大貴の身体を使って満たしているため、逆にこちらが代金を頂かなければいけないくらいですよと執事は苦笑し、家政婦たちは南条のことを色情女と噂して陰口を叩いている。けれどもその淫行が大した問題にならないというのが、この歪んだ真堂家だった。
「ねぇパパ、このままりこんしちゃうのかな。南条先生がかわいそう。やさしいし、きれいなのにな。だんなさんが悪いんだよ、うわきばっかりして。なんとかならないのかなー……」
 ノートや教科書を一塊にまとめて、大貴は表情を翳らせる。
 昨日の少年といい、南条夫人の件といい、他人のことばかり心配し想いを巡らせる大貴。この気質は崇史に似たのではなく、舞花のもの。
「お前が案じた所でどうにもならん」
「でもー……」
「大貴はこれからも、あの婦人に抱かれなさい。それがお前に出来る唯一のことじゃないのか」
 崇史がそう言ってやると、大貴はこくりと頷いた。納得はしていないようだが、そうするしかないと自分でも思っているのだろう。
「わかってる。けど……ぼくはだんなさんゆるせない。ぼくはー、薫子おねえちゃんとしょうらいけっこんしてもっ、ぜったいにうわきなんてしないぞ」
 両の拳を握りしめた大貴の顔はやや怒りの色に変わっていた。ころころと変わる息子の表情を眺めるのも崇史には愉しい。
「ところで大貴。昨日の話の少年……名はなんという」
 ダージリンを啜って尋ねると、大貴もマグカップを手にしてぬるいミルクを飲み、それから父の問いかけに答える。
「えっちのあとで話した子のこと?」
「そうだ」
「なんだったかな。何とかユウスケって名前かなー。みょうじわすれちゃった」
 その返事だけで十分だ。崇史はパズルのピースが嵌まる感覚に口許をゆるめた。

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 待っていなさい。そう言って崇史は部屋を後にし、大貴を独りホテルの一室に置いてきた。崇史の意図を知らぬ大貴は反抗し、扉を閉める瞬間には半ば泣きべそをかいている。大貴はひとりぼっちにされるのを過剰に嫌がる子供だ。けれどあえて理由を告げずに置き去りにしたのは、可愛さ余ってつい大貴をいじめたくなってしまうから。笑顔の大貴が一番に決まっているが、唇を尖らせて拗ね、悲しそうにする大貴もまた崇史には愛くるしいのだった。
 崇史が向かうのは同じホテルの違う階、違う部屋。其処では先日の秘密クラブにて隣席した男が待っていて、崇史を迎えてくれる。薄暗い室内、奥のソファにはあの少年・ユウが座っており、相変わらずその表情は強張っていた。
 崇史は足を踏み入れることはせず、玄関で代金を支払う。スーツから分厚い封筒を取り出した瞬間、男の目の色が変わった。いやいやいや、こんなに頂けませんよ、そう言いながらも受け取って中身を確認している。
 じっくりと札束を数える男の姿は醜悪だった。薄笑みを浮かべつつも、一枚一枚声を出して枚数を数えはじめる。親のそんな声は少年にも聞こえているはずだ。俯いて座る彼は一体どんな思いで勘定の声を耳にしているのだろう。
 崇史も愛好者に大貴を貸す夜はある。けれどそれは金儲けのためではない。美学の披露だ。手間暇かけて磨き育て上げた至高の芸術品を鑑賞してもらう為に渡している。それは大いに歪んではいるが、大貴への愛情から派生した行為であり、崇史の想いは狂気に触れるほどに純粋なのだ。
 その想いは大貴にも伝わっている。父の思想を理解出来ないとわめき涙を流しつつも、慕うあまりに結局は調教・躾・身体改造に従ってしまう。複雑な感情と葛藤を抱きつつも受け入れてくれる姿がまた崇史には愛らしい。そして、大貴が自分と同じくサディストの気に目覚めつつある近頃は可愛らしさが余計に増している。
 そう、私達は愛し合っているのだ。この親子とは違う──崇史は胸中で呟く。
「いいんですかねぇ、こんな大金」
 数え終えた男は改めて遠慮する様子を見せたが、それはただの演技であろう。
「“妻”を一晩借りるということは大変なことだ。それ位の“誠意”は必要かと」
「“誠意”ですか。フフフ分かりました、貴方がそうおっしゃるなら受け取りましょう」
 男は札束を懐にしまうと、我が子を呼びつけた。少年は幽霊のようにのっそりと立ち上がる。歩いて来る顔に生気は感じられなかった。
「くれぐれも失礼のないようになぁ。ユウ、分かってるな、この方が今夜のおまえの旦那様だ」
「……行こうか」
 少年を伴って崇史は廊下に出た。ユウは相変わらず何も喋らず、おとなしく後ろを着いて来る。抗うというものを知らないらしい。崇史も無言のままでエレべータに乗り、十階上にあるエグゼクティブスイートへと帰る。辿り着いたドアに鍵を挿して開くと、中はしぃんと静まっていた。大貴は窓際のチェアに身体を沈ませて寝息を立てている。置き去られたのは僅かな時間だが、ふて腐れて眠ってしまったのだろう。
「祐介君。私の息子はきみと同い年でね」
 玄関の少年に振り返り崇史が話しかけると、ユウ──祐介は驚きを顔に表した。何故教えてもいない本名を知られているのかと思ったに違いない。
「その目で確かめてみなさい」
 おそるおそる、祐介はカーペットの上に足を踏み入れる。大貴にはわざと、通う私立初等部の制服を着せたままでこの部屋に連れて来た。肢体を投げ出し、フットスツールにハイソックスの足を乗せた大貴の姿を見ると祐介の目は大きく見開かれる。息を飲んだのも崇史に伝わった。
「この子はきみを心配している。虐待されているんじゃないか、と私に相談してきたのだ」
 祐介は未だに状況が飲み込めないらしい。その場に立ちすくんでしまっている。
「妻に売春をさせる夫はそうはいないだろう。愛されているのか?」
「あ……」
「いないのか?」
「どうして……わかったんですか……」
 か細い声だった。祐介は口許を手で覆ってしまう。崇史は大貴に歩み寄りつつ答えてやる。
「大貴はキスマークで気付いたらしい。愛情の有無に関わらず、どうやら祐介君のお父上はやり方があまりうまくないようだな」
 腕を伸ばし、崇史は大貴のシャツを捲り上げた。晒される脇腹には鞭痕、そして祐介の首と同じ鬱血痕が散らされている。祐介はそれを見てさらに驚愕してしまったらしく、ひっ、と小さく声を出して後ずさりをした。
「父子相姦は禁忌に触れる。証は目立つ所でなく、秘めて刻まなければならない──」
「うー……。おなかさむいー…」
 大貴は目覚めて瞼を開ける。見下ろす崇史の顔を認識すると不機嫌に眉根を寄せ、手を払いのけてシャツを元に戻した。
「なんだよー、どうしてぼくをひとりにしたの、いみわかんない!」
「おまえの友達を連れて来たのだ」
「ともだち?」
 身体を起こし、大貴は祐介の存在に気がついた。その瞬間にうわぁあああ、と思わず崇史が耳をふさぐほどの大声を上げてみせる。
「ぎゃーっ! ナオヤのクラスの子だっ!!!」
「落ち着け。大貴」
「なんでなんで、なんでここにいるの?!」
 大貴は払いのけた崇史の腕を掴んでばたばたと足を動かす。スツールは蹴られて倒れ、傍らのテーブルにも肘が当たった。テーブルに置かれたグラスのオレンジジュースは液体を揺らして零れそうに波打つ。
「……騒々しい子だ」
「ねぇねぇここにすわりなよ。おはなししよっ!」
 大貴は興奮ぎみに表情を輝かせ、目の前の席を祐介にすすめる。祐介は戸惑いながらも言われた通りに従い、席に腰を下ろした。
 子供同士は打ち解けるのが早い。祐介も本来は明るい性格の少年だったようだ、崇史が読書をはじめる傍ら、二人は笑い合っていた。時間は明日の朝までたっぷりとある。

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 その日をきっかけに、祐介と大貴は親しくなった。祐介は学校でも少しずつ周りの輪に打ち解けはじめ、明るさを取り戻してゆく。少年は今まで父親から受ける行為であったり、させられる売春のことを誰にも話せずにいた。それを打ち明ける相手が出来たのは大きく、大貴という相談相手を持ちずいぶんと心の均衡を得たらしい。
 だが、笑顔を手に入れた祐介と相反するように大貴はしおれていった。近頃ではいつも浮かない表情をしていて、元気がない。
 そんな息子を気にはしていた崇史だったが、しばらく忙しい日々が続く。大貴にかまう時間が作れず、何もしてやれずにいた。話を聞くこともろくに出来なかったが──沈んでいる理由はおよそ見当がついてはいる。
 久しぶりに早く帰宅した夜、崇史は二階の或る部屋の扉を開けた。ランプを点けた薄暗い空間、置かれているのは漆黒のグランドピアノ。大貴は閉じた鍵盤の上に突っ伏して座っている。弱った大貴が頼るのは、母が遺したピアノのそば。お決まりのことだ。
「パパ…………」
 大貴は頬を鍵盤蓋に押し付けたままで、歩いてくる崇史へと視線を動かす。その目は赤くなっており潤みを帯びていた。
「また泣いていたんだな」
「パパは、ぼくのことどう思ってるの?」
 台詞を被せるようにして、大貴は質問を投げかける。
「……おねがい。ちゃんとゆって、ねぇぼくのこと」
「教えてやろうか?」
 崇史は身をかがめ、顔を近づけた。大貴の身体は影に覆われて、崇史をじっと見つめている。唇が触れ合いそうになったその瞬間──大貴は崇史を押しのけた。
「ここじゃやだ。ママの前でそうゆうこと、しないで」
「……もう舞花はいない」
「いるよ!!」
 大貴は椅子を降り、逃げるように部屋から出て行く。早足で扉に向かい、俯いて目許を押さえていた。
「大貴」
 崇史は呼び止めてみる。けれど大貴は去ってしまう。
 残された部屋でランプを消すと、闇に包まれた。大貴を追って部屋を出ると、既に彼の姿はない。走り去ってしまったのだろう。
 逃げた先の予想はつく。大貴も、崇史に捕まることを本音では望んでいるはずだ。そんなこと、簡単に見透かせる。
 階段を下りると、玄関から外に出た。広い真堂家の庭のどこかに大貴はいる。父親に見つかることを願いながら息をひそめ、身を隠している。
 月に咲く薔薇の茂みを超えて、崇史は大貴を探す。必ずとらえられる確信があるので、焦りもしない。
 平静のままでしばらく庭を散策すると、靴が片方落ちていた。わざと落としたのか、本当に脱げたのか。崇史は微笑ってしまいながら、小さなローファーを拾う。辺りを見回すと垣根の向こうに亜麻色の頭が覗いている。
「愛しているとでも、云って欲しいのか」
 近づいて覗き込むと、大貴は地べたに体育座りしていた。涙を滲ませつつ、唇を尖らせて芝生を眺めている。
「陳腐な台詞を望むんだな。女々しい」
「ぼくは女じゃないよっ……」
「ああ。お前は玩具だ」
 崇史は見下ろしながら、そう言ってやった。すると大貴は問いかけてくる。
「パパはどうしてぼくを……おもちゃにしたの?」
 大貴は答えを欲しがっていた。その顔は崇史の方を向こうとはしない。崇史は肩をすくめ、少年が望んでいるであろう崇史の想いを紡いでやった。
「愛しいからだ。世界でいちばん可愛らしい……宝物。だから躾を施し、極上の身体に仕立て上げ、俺の美学を総て注ぎ込んだ」
 そう云ってやると、やっと大貴は崇史を見上げる。
「ほんと? ほんとにほんと?」
「勿論」
「ぼくのことがすきだから、ぼくにいろいろするんだ……?」
 崇史は頷く。すると、大貴はやっと口許をほころばせた。安堵したようにほっと息をつき、はにかみながら立ち上がってみせる。
「よかった……。そうだよね、そうにきまってるよね」
「不安になったのか?」
「うん、ユウスケのはなし色々きいて……けどぼくのパパは、ユウスケのパパみたいにー、お金がほしいとか、えっちしたいだけじゃない」
「当たり前だろう」
 嬉しそうにしている大貴の頭を、軽く崇史は小突く。あのような者と一緒にされたくはないし、彼と崇史とは全く違う。それは大貴にも分かっている筈だ。
 とはいえ大貴は戸惑い、怯えてしまったのだろう。祐介の相談を聞いているうちに、少年の父親がしていることと崇史のしていることは殆ど同じなのだと気付いてしまったのだから。祐介が苦痛でしかたないと嘆く内容と、崇史の愛情表現の内容が同一で、少年の心は乱れていた。
「ぼくもパパのこと、だいすき」
 平静を取り戻した大貴は、薔薇垣越しにそう言って微笑む。
「しつけも、えっちも。ぼくはつらいし、イヤでたまらないんだよ。けどー……がまんしてもいいって思えるくらい……パパはかっこいいし、ぼくのあこがれ。じまんのパパなの」
 そんなふうに告げられれば、崇史も悪い気はしない。つられて、崇史も口許をゆるめてしまった。大貴は満面の笑顔を浮かべている。やはり、大貴にはその表情が一番似合うな、と崇史は思った。
「機嫌は直ったな」
「うんっ。でもぼく、くつがないんだ。どこかで片足おとしちゃった」
 辺りを見回す大貴に、崇史は拾ったローファーを差し出す。すると大貴はますます顔を輝かせ、嬉しそうに受け取った。早速履いてみせると、薔薇の垣根を回り込み、崇史の元へと走って来る。辿り着いた大貴は飛び込むように崇史に抱きついてきて、腕を廻した。崇史のワイシャツをぎゅっと掴んで身体を触れ合わせる。
「えへへ。パパー……」
 甘えてくる大貴の髪を撫で、崇史は腰を落とす。今度こそ与える口づけ。ピアノの前では拒んだ大貴も、薔薇園ならば素直に唇を触れ合わせてくれる。舌先を挿れても逆らわず、絡め返してくれた。

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 ボクには勇気がなかったんだよと祐介は言った。逆らおうと思えば、できたはずなのに怖かったんだ、だから何も感じないフリをしていた。イヤなものをイヤだと感じる当たり前のことを思い出させてくれたのはだいきくんで、だいきくんのおかげでボクは決心したよ──祐介は親類に全てを打ち明け、父親と訣別した。
 祐介の父親は警察に突き出され、取り調べの結果、亡くなったと語っていた妻を自らで殺害していたことも明らかになる。彼は女好きでもあったようで、愛人と遊ぶのに邪魔になったため妻を殺めたらしい。もちろん、祐介が稼いだ金は女達に貢がれていた。この事件は大きく報道され、祐介は親戚の住むイギリスへと引っ越して行く。
 痛みを伴いつつも、解決した祐介の問題。せっかく仲良くなったのに、大貴はさみしさも感じる。けれど一生会えないわけではない。イギリスには祖母が住んでいるので、彼女の処に行ったときにでも祐介を尋ねる機会はある。学校を終えて帰りの車の後部座席、これから祐介が幸せに暮らしていけるように…… 大貴はぼんやりと祈った。
「大貴さま、もうすぐでございますよ」
 運転手がそう教えると、大貴は頬杖をついていた姿勢を正す。これからこの車には〈客〉が乗って来る。崇史のいいつけで、今日は放課後すぐに〈仕事〉をしなければならない。会社のために必要な人脈を作ったり、維持したりするのも社長の仕事だと崇史は語り、その為に大貴の身体が使われるのもよくあることだ。街角で停まった車内、乗り込んで来るのはとある企業の重役である。
「ひさしぶり、青山のおじさま」
「あぁ久しぶり、ふた月ぶりくらいかな」
「そうかも。きょうはいっぱいたのしもうね」
 大貴はカバンを抱いてにこにこと微笑んでみせる。客の男はそれを見て、大貴が今日一日を楽しく過ごせたということを理解した。こうして放課後に会ったとき、その日何か嫌なことがあった場合表情は憂鬱に沈んでいて『ねぇきいてよ』と愚痴から会話が始まる。きちんと少年玩具らしい挨拶ができるということは、心が安定している印だ。
「相変わらず大貴くんは、かわいいねぇ。おじさんのお膝に座ってご覧」
 再び走り出す車の中、男はおのれの膝を叩いて催促する。大貴は言われた通りにすべり込み、腰を下ろした。早速、男の指先は制服のシャツに忍び込んで素肌をもてあそぶ。摘むのは乳首だ。
「やだよぉっ、もういたずらするのー?」
 大貴は足をばたつかせながら笑った。きゃっきゃっと子供特有の嬌声を上げてもがく様は一見くすぐられて、じゃれているように見える。けれど男はスキンシップをしているわけではなく、大貴の性感帯を刺激しているのだ。
「こういうことするために会ったんだろう、ほらほら反応してきちゃったぞ」
「えっちなことはー、ごはんたべてからにしよっ」
 男の両手を掴み、大貴はいたぶりを制止させた。そんな大貴の身体、既に両胸の突起はぷっくりと浮き立ってシャツを尖らせ、半ズボンの股間も形を主張している。
「レストランのおこさまハンバーグ、たべさせてくれるってゆってた」
「あぁ食べさせてやる、大貴くんの好きなもの何でも」
「ちゃんとごほうびくれてからじゃないとー、ぼくの身体であそんじゃやだっ。ぼくはタダじゃないんだよ」
「分かった、分かった」
 口を尖らせる大貴も愛らしく、男は笑みながら亜麻色の髪を撫でる。大貴の身体は手入れが行き届いていて、その髪からもうなじからもほのかに石鹸の香りがする。頬を撫でると柔らかく、それでいて滑らかだ。
「──あ、パパの会社だ!」
 車はオフィス街に差し掛かり、ちょうど真堂グループの本社前を過ぎ去る。威風堂々と聳え立つガラス張りの高層ビルを見上げ、きらきらと輝く幼い瞳。
「大貴くんはパパのこと、大好きなんだねぇ」
 少年の表情を見て、客の男は微笑む。身体に傷がつくほどの厳しい調教、この歳で手練の男娼のようなたしなみが身に付くほどの徹底的な躾を受けているのに、大貴は父親を嫌悪したり、恐がって怯えることもない。むしろ慕って好いているというのが、事情を知る大人達には不思議なのだ。
「ぼく、パパのことそんけいしてるもん。時々むかつくときもあるけど、でもやっぱりすき……」
「ははは、じゃあ将来はパパのような社長さんになるのかな?」
 抱きしめて問いかけると、大貴は視線の端に消えるビルを眺めつつ答えてくれる。
「ううん。ぼくはパパをこえてみせる、パパよりすごい社長になるもん。かおるこおねえちゃんとけっこんして、それでいっぱいよのなかのやくにたつことする!」
 客の男は驚いた。超えると言った少年に、大器の片鱗を垣間見る。
「……すごいな。きみという子は」
「なにが〜? ね、キスだけならさせてあげるよ」
 大貴は男の身体に頬を寄せると、自分から唇に吸い付いてきた。真面目なことを喋ったと思ったら、こうして淫靡さを見せつけてくる。こんな風に育て上げた崇史の手腕にも、畏敬の念を抱かずにはいられない。幼さに似合わぬ卓越した舌技に絡めとられながら、男は真堂家の王子様にますます惹かれてゆくのだった。

E N D