怜が旅行に行った理由

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さやかはあまりキャバ嬢にむいていなかった。
気のきいた一言も、お世辞も言えない。
水商売の王道である色恋も使えない。。
なんとかやっていけているのは「不思議ちゃん」だからだ。
さやかと話すと変わってて面白いとか言って、指名してくれるお客さんも決して多くはないが居てくれた。

「あのお客さんかっこいーよねー」

そんな、ある日のことだった。
奥のVIP席にいるグループの一人がイケメンだと、キッチンで嬢達が騒いでいる。

「さっきナミちゃんがついたらしいけど、喋りも面白かったらしーよ」

「ホストっぽくない?」

「てかあのグループなに? 謎じゃない?」

蘭と姫花が、煙草を吸いながら話している。
チャームの用意をしていたボーイも会話に入って来た。

「何か、AV撮ってる人達らしいっすよ。会話が聞こえて来たんで」

「え〜、まじでぇ?!」

「AVぃ?!」

「じゃぁ男優なんじゃな〜い? キャー、めっちゃテク持ってんじゃない」

楽しそうに話す彼女達の横で、さやかは壁を机代わりにして名刺に絵を描いていた。
うさぎとくまの絵。
マイペースなさやかは、あまり周りに興味がない。

「さやかちゃん、VIP席のフリー着こっか。若い男の人」

そのとき、廻しを担当しているボーイが裏に入って来た。
蘭たちはきゃぁ〜、と盛り上がる。

「わぁさやかちゃん、イケメンだよー!」

「ねぇねぇ、男優かどうか聞いて来てよぉ!」

「聞けたら聞いてきます」

名刺をポーチをしまって、さやかはフロアに出た。
ふわふわした純白のドレスが照明に照らされる。
ノリの良い洋楽が流れる店内を歩いて、向かうVIP席。

「さやかさん、さやかさん入りまーす」

「失礼します」

ダウンサービスをおこない、席につく。
姫花の言った通り、本当に謎の集団だった。
男優?以外は結構年のいった男達だ。

「あ、可愛いコが来ちゃった。今まで出会った女の子で一番可愛いよ」

隣に座ると、男は歯の浮くような台詞を平然といってのける。
すかさず嬢達の声が飛んだ。

「お兄さんったら、またそういうコト言って〜」

「さっきナミちゃんにも言ってたじゃぁーん」

「まぁまぁ、斎藤君はいつもあんな調子だから」

VIP席の他の男が、そう言って笑う。
さやかは“サイトウ”という名前を脳にインプットしながら、ポーチから名刺を取り出した。

「はじめまして。星月さやかです」

「さやかちゃんね。絵が上手いね」

「上手くないです。さっき暇だったので描いただけです」

「ウウン上手いよ。今度俺も描いてくれる?」

名刺を眺める男にそう言われ、さやかは男の顔をじぃっと見た。
少したれ目だけれど、なるほど、なかなか整った顔をしている。

「じゃあ、機会があったらサイトウさん描きます」

「斎藤さんだと他人行儀だな。怜くんって呼んで」

「レイくん」

「そ。そんなかんじ」

「どういう漢字なんですか」

「うーんとねぇ、こういう字」

男はケータイを取り出した。
Docomoの黒いケータイに、ブルガリのストラップが下がっている。
“斎藤怜”という名前とともに番号やメールアドレスも表示された画面を、さやかに見せた。

「ねぇせっかくだから受信して」

「アドレスをですか」

「うん。画面出しちゃったし」

「いいですよ」

キャバ嬢は客から番号を教えられるなんて日常だ。
さやかもケータイを取り出し、慣れた手つきで赤外線受信の操作をした。
怜もまたすばやい操作で、アドレスを送信する。

「気が向いたらメールして。電話でもいいけど?」

「わかりました」

「いつでも出るから。だってキミ可愛いもん。お姫様みたいだ」

「ナミちゃんにも言ってたんですよね」

「でもアドレスは教えてないよ。このお店でキミだけに教えたんだ」

それもあやしいものだ、とさやかは思った。
怜のグラスに水滴がついているのに気付いて、レースのハンカチでそれを拭いてやる。
怜が飲んでいるのはシャンディ・ガフ。
同じテーブルの他の男達は森伊蔵を飲んでいるのに、一人だけ違う。

「何の仕事をしているんですか」

「知りたい?」

「あたしはべつに知りたくないです。でも、他の女の子が知りたいみたいだから」

さやかの言い方に怜は微笑む。

「そうなんだ。さやかちゃんは俺が何してる人に見える?」

「えぇっと……」

ふたたび、怜を観察する。
着ている服は、ホストのようだ。
美容師の可能性もあると思い指を観察したが荒れておらず綺麗。
では、やはりAV男優なのか。

「AV男優」

「ぶー。はずれ」

「じゃあ、一体……」

「今度教えてあげる」

「とりあえず今日の所は皆になんて説明すればいいんですか」

「んー……何がいいかな。社長とか言っとけば喜ぶんじゃない?」

「なるほど」

頷くさやかの頭を、怜は撫でた。
盛っている巻き髪を崩さないように。

「なんだかキミはちょっとだけ、祥衛に似てるね」

「ヤスエ?」

「手首見せて」

何が何だかわからないまま、さやかは左手首を怜に掴まれる。

「あぁ、良かったよ。キレイなものだ」

「いきなりなんですか?」

「ウウン、こっちの話」

怜はポイッとさやかの腕を離し、グラスに口をつける。
女の子との会話に盛り上がっている他の同席者を冷めた目でみていた。

「本当は帰りたそうですね」

さやかは、小声でそっと言ってみる。
怜はまた口許に微笑みを浮かべた。

「うん。もう帰りたい」

「帰れないんですか?」

「帰れないんだ。大人の付き合いっていうやつでね」

「大変ですね」

「まぁね。ところでさ、さやかちゃんはどうしてキャバ嬢やってるの?」

「家から近いからです」

「そうなんだ。家から近い所じゃなきゃ働きたくないんだ?」

家から近いという理由を話すと、必ず客に笑われたのに。
怜は笑わない。さやかは少し驚いた。

「俺も、家から近いか近くないかって、職場を決めるときに重視するなぁ」

「やっぱりそうですよね。ぎりぎりまで家に居たいじゃないですか」

「そうそう。俺なんて殆ど住んじゃってるよ、職場に」

「それはあたしよりうわてです」

「近いって、どれくらい近いのかな?」

「カップラーメンにお湯を入れて、それが出来る前に着きます」

「いいねぇ、最高じゃない。さやかって名前も本名っぽいね」

「どうしてわかるんですか」

「俺も昔ホストやってたとき斎藤怜でやってたから」

「やっぱりあたしよりうわてです。あたし、本当の名字は飯田なんです」

「星月って名字可愛いね。俺も、名字だけでも源氏使えばよかったな」

「もう遅いじゃないですか」

「ね。とりもどせないよね」

お互い抑揚のない声で淡々と話すので、なんだか変わった空気が流れる。
二人は同時に言った。

「波長が合いますね」

「なんか波長が合うよね」

これが怜とさやかの出会いだった。

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「もうすぐ七時だよ」

ぼーっとTVを見ていると、そう声をかけられた。
振り向くと怜が壁にもたれて座り、さやかのケータイをいじっていた。
客からのメールは最近、ほとんど怜に返してもらっている。
怜がうつほうが可愛く気の効いたメールを打てるからだ。

「そろそろ行った方がいいと思うなぁ」

「そうですね」

さやかは既にドレスを着た姿で立ち上がると、コートを上に羽織った。
怜もよっこらしょ、と声を出して立ち上がる。
さやかにケータイを渡して、のびをした。

「同伴したほうがいいかな?」

「今日はお客さんの予約あるし、いいです」

「じゃ、店の前まで送ってくよ」

二人は一緒にマンションの部屋を出る。
すると、丁度おなじ階にすむおばさんに鉢合わせた。

「あら、今から出勤、さやかちゃん」

「はい」

「光子さん今日もキレイだなぁ。パートの帰りかい?」

「そうよぉ、残業しちゃってね〜斎藤さん彼氏なんだから、ちゃんと同伴したげなさいよ」

「ふつうやめさせなきゃ、とか言わないかい、光子さん」

「だってさやかちゃんキャバクラ楽しいんだもんね?」

「たのしいです」

「ほら、だから応援してあげなさい」

光子に背中を叩かれて、痛っ、と良いながら怜は階段を下りた。
すっかりさやかの近所の住民とも仲良くなっている、怜。

さやかも高いヒールでゆっくりと降りてゆく。

「だいじょぶ? こけない?」

「へいきです」

「いやぁ、キャバの世の中への浸透率は著しいなぁ。昔は水商ってすっごくいやらしく思われてたのに」

「小悪魔アゲハとか、雑誌のせいだと思います」

「そういうののせいで、一般的になっちゃったんだ」

「中学生とか、小学生もキャバ嬢になりたいとか言ってるらしいですから」

手をつないで歩きながら、店へ向かう暗い路地。

「ところでさ」

「なんですか」

「俺ってさやかの彼氏なの?」

「そうみたいです。まわりから見ると」

「一回もエッチしてないのにね」

「そうですよね」

「だって、いやなんでしょ、俺とするの」

「いろんな人としてる人と、あたし、したくないです」

「ね、だから俺しないんだよ。優しいでしょ」

「はい」

大通りに出ると、すぐに、さやかの勤める店が入っているビルが見えて来た。
しかしさやかは立ち止まる。

「どうしたの、さやか」

旅行代理店の前でに並ぶ、パンフレットのラック。
何かを見つけて、さやかは釘付けになっている。

「怜くん」

「ナニ?」

「ガラパゴス諸島」

「へ?」

ラックに近付くと、さやかは怜の手を振りほどき、あるパンフレットを抜き取る。

「ガラパゴス諸島のツアーがあります! あたし、小学生のときから行きたかったんです!」

そのツアーパンフレットを、瞳を輝かせて見ているさやか。
怜はさやかの肩に手を置いた。

「そうなんだ。じゃあ、ガラパゴス諸島につれていってあげるよ」

E N D