1 / 10【10:00】学校の夏休みも、終わりに近づきつつあるその日。 問題集と筆箱を手に、楓は眞尋( マ ヒ ロ )の部屋に向かった。今日は一緒に宿題を解く約束をしている。 眞尋は楓よりも一つ年上だが、遊廓にやって来た時期は楓とほぼ同じだ。 何故、眞尋が娼妓になったかというと、母親が此処の娼婦だった縁もある。お客に円満に身請けされ、生まれたのが眞尋だった。 しかし、眞尋はとんでもない子供だったらしい。小さな頃から街を荒らし、小学生なのに警察のヘリコプターに追われたり、高校生をかつあげしたりと滅茶苦茶な伝説は数知れず、ついた通り名は『ランドセルを背負った悪魔』『鬼の子』『三丁目の狂犬』etc…… 母親は毎日のように様々な家に謝りに行き、警察に頭を下げに通い、困り果てた末に『矯正施設に入るか、四季彩に入るか選びなさい』と眞尋に言ったらしい。眞尋は四季彩を選んだ。そして今がある。 「おい、眞尋っ。約束したじゃないか!」 そんな眞尋の部屋を訪れると、楓は予想してはいたがやっぱりな状態にむかついてしまう。昨日の衣装のまま、大の字で布団に転がる姿。 「起きろ。もしかして、風呂もはいってないのか?」 「……るっせぇーし……だれだよ……」 「だれだよって、宿題するって約束したのに……!」 畳に踏み込んだ楓は、カーテンを全開してやる。陽光に照らされる室内は彼の性格を表して汚い。脱いだままの服や雑誌、客に貰ったのであろうプレゼントなどが散乱している。おそらく夏休みに入ってから触りもしていないのだろう、筆記用具や宿題の冊子はその中に埋もれていた。 「んー、明日明日。まだ一週間あんだろぅがよ」 「昨日もそう言ってたぞ。一昨日もだ。いいかげんにしろ、このままじゃまた去年みたいに──」 「おめぇは俺のおかんか! うるっせえなー…!」 うだうだ言って先延ばしにする眞尋は去年もこんな風で、結局31日に他の娼妓の宿題を丸写しして済ませていた。楓は、それでは眞尋のためにもよくないと思う、今年こそちゃんとやらせたい。腕を掴んで起こそうとする。 しかし、携帯電話が震えたので──楓は眞尋を離しそっちに出た。 『あぁら、楓ちゃん、起きてたのね?』 掛けてきた相手は越前谷家の婦人・早百合( サ ユ リ )だ。 2 / 10「おはよう、おばさん。どうしたんだ?」『お掃除手伝ってちょうだい。急にお客様が来ることになってねぇぇ……急いで大掃除してるの』 「大掃除……えっと……」 楓はすこし、迷ってしまう。別に行っても良いのだが、今日こそは眞尋と宿題をする気持ちでいたからだ。 迷う気持ちは伝わったらしい。じゃあ、と言って早百合はご褒美の話をする。 『ね、楓ちゃんのだぁあい好きな、クラウン・メロンを用意するわ。しかも桐箱入りの最高級……それなら来てくれるでしょう?』 「! ク、クラウンメロン……!」 楓の頭の中には瞬時にメロンの映像が思い浮かぶ、以前も越前谷家でごちそうになったことがあるが、普通のメロンよりも格段に美味しい。 気がつけば了解の返事をし、通話を切った楓がいた。 「楓? なんだよ、お客の電話?」 いつのまにか眞尋は身体を起こしていて、怪訝な表情を向けてくる。 「ちがう、おばさんの電話だ」 「……どこのばばぁだよ。楓って熟女好きなん?」 「秀乃のお母さん。たしかに早百合さんのことは好きだけど、べつに俺は変な意味で好きなわけじゃ……」 おぃぃぃいい!と叫ぶ声に楓の話は遮られた。眞尋は目玉を丸くして驚いている。 「……て、て、てめえ……!! 早百合さまの番号知ってんか?! なにもんだよ!!」 「何者って……、日生楓」 「違うっ、ボケ! おば、おばさんって……そッそんな呼び方して……恐ろしっ!」 「だって、おねえさんではないんじゃないのか。おばさんって呼ぶのが一番だ」 「楓やっぱすげぇな! いやぁー、すげえわ」 眞尋は感心したような様子だ。 一般の娼妓達は、越前谷家の人々を近づきがたく思っている。中には恐怖すら抱いている者もいるくらいで、楓のようになついている少年はいない。 「皆怖がりすぎなんだ。すごくいい人達なのに」 「あんな、楓。……気まぐれに犯ったり、暴力振るったり、痛めつけてくる人達がいい人なもんか?」 「だから、それは俺たちのことを可愛がってくれてるんだって、いつも言ってるだろ?」 「楓は心広いのか、マゾなのかわかんねえなぁ」 眞尋の言葉に楓は真顔で「俺はマゾだぞ」と答える。絶対にこいつ天然入ってんよなぁ……、と思う眞尋だった。 3 / 10「でっ、なんでこの俺様まで……お掃除につきあわされんだよっ!!」遊廓の建物を出て、楓と眞尋はジャリジャリと砂利道と踏んで歩く。お互いにラフなハーフジャージにサンダルをつっかけて、Tシャツの姿だった。眞尋は頭にタオルを巻いている。その髪は夏休みということもあり、金髪にメッシュを入れてかなり派手な色。だが、眞尋にはよく似合っていた。 「人手が多いほうが良いと思うし。それに、眞尋だって宿題やりたくないんだろ」 「ま、そりゃぁそーだけどよ。俺にとっちゃぁ掃除=懲罰って感じでしょっちゅうやらされてるからなー、乗り気にならねぇなぁー」 「眞尋は規則を破りすぎだ、全然懲りずに」 喋りながら歩いていくと、すぐに敷地内にある越前谷家母屋に辿り着く。四季彩とは渡り廊下で繋がってもいるが、こうして広い中庭を横切って行くほうが近道。 縁側に近づけば和服姿の家政婦達が掃除道具を手に行き交っていて、確かに慌ただしい。 「すんませーん。お手伝いさせてもらいに来たんですけどー」 雑巾掛けをしている家政婦に、眞尋が声をかけた。 眞尋の敬語は四季彩に来てから覚えたものらしく、母親ははじめて聞いたときに涙を流して喜んだという。 同様に、四季彩の調教によって正座を覚えたときも、眞尋の家族は感極まり、菓子折りを持って越前谷家を訪れたらしい。 そういった話を聞く度に、いったい眞尋はどんな子供だったのかと楓は不思議になる。まぁ『ランドセルを背負った悪魔』などの呼び名から雰囲気は分かるが。 「奥様、遊郭の男の子達がいらっしゃいましたよ」 すぐに、家政婦は早百合を呼ぶ。現れた早百合はマキシスカートにかぎ編みのカーディガンを羽織って、夏らしい装い。ゆるく巻かれた髪は艶っぽく映えている。 「まぁまぁ……お友だちを連れてきてくれたのね、楓ちゃん。この子も色子なのよねぇ?」 早百合は四季彩のことも、在籍娼妓のことも深くは知らない。縁側に立ち、楓の両肩をネイルの輝く手で触りつつ、眞尋に視線を送っていた。 「うん。眞尋っていうんだ。俺よりも成績がよくって、すごいやつなんだ」 「楓ちゃんよりも!? あらぁ、それは優秀だこと。すばらしいわぁ……」 「いや、いえそんなぁっ! ぜぜぜ全然、はめて腰振るだけでッ、楽っていうか、大したことじゃなくって!」 眞尋は首を横に振って否定する。早百合に対して緊張しているのもあるが、叱られてばかりの人生で褒められ慣れていないため、褒められるとどうしていいのか分からないのだった。 「うふふ、楓ちゃんとおんなじで、面白そうな子。よろしくね、眞尋ちゃん」 「は、はい! よろしくおねがいしますっ!」 眞尋はブンッと頭を下げる。楓はというと、なんだかいつもと様子の違う眞尋の様子に、緊張しているのだろうか?と戸惑う。 「じゃあねぇ……奥の部屋をお掃除してもらおうかしら。靴をぬいで、上がってきてちょうだい」 言われるがまま二人は廊下に上がる。大切な客が来るのか、屋敷内ではそこかしこで家政婦達が働き、忙しそうにしていた。 4 / 10【13:00】客間のホコリをハタキで落としたり、掃除機をかけたり、雑巾も拭いたりして一室を清めると──楓たちの役目は終わった。早百合は大層喜んでくれ、リビングで約束のクラウンメロンをご馳走される。やはり格別な味で、眞尋も大喜びで貪っていた。 「あれ、いいところに二人がいるよ」 食べ終わった頃、のれんを捲って那智が現れる。 私服の那智はいつもエスニックな装いで、巻きスカートを履いていることが多い。じゃらじゃらと着けている装飾品は、正装のときと大して変わらないのだが。 「ちっす、お邪魔してます!」 「那智、このメロンすごくおいしいぞ。那智は食べないのか?」 「わたしはいいよ。お中元でたくさん貰って、飽きちゃった。毎日食べられるものじゃないよね」 「! さっすが越前谷家、ゼータクっすね。で、いいところって……?」 那智の背後から現れる少年──真新しい浴衣を纏った姿は、楓達よりも幼い。歳は小学生の高学年といったところか。栗色の髪をしており、顔立ちはなかなかに整っていた。 「おいで、柚子( ユ ズ)……柚子は新しく娼年部に入る子なの。仲良くしてあげてね」 「へー、めずらしいなぁぁ、この時期に?!」 緊張気味に顔をこわばらせている少年──柚子を見て、眞尋は声を上げる。夏に売られてくる子供よりも、年が変わる十二月や、年度の変る四月に売られてくる子のほうが格段に多いのだ。資産・借金の整理がまとまるのが、その時期に集中するためらしい。 「眞尋、それ以上は言うんじゃないぞ」 楓は眞尋を牽制した。遊廓に入れられたばかりの不安一杯な時期に、変な言葉で落ち込ませてはいけない。眞尋は気にせず、軽い口調でとんでもないことを言うことがある。 「わかってるって。でも、めずらしいよなぁー」 「困ったことがあったら、このお兄ちゃんたちに相談するんだよ。こう見えて二人は娼年部の上位なの、頼れる先輩だからね」 「……は、はじめまして、よろしくおねがいします!」 頭を下げる柚子に、楓と眞尋もおじぎをした。 「ああ、はじめまして。俺は楓っていうんだ」 「俺は眞尋ぉ。何、柚子ってやっぱ源氏名?」 「そうだよ。可愛いでしょう、わたしがつけてあげたんだ……今から客間で水下げのお話をするんだけれど……話がまとまってほしいな」 陰間がはじめて客をとることを、古くからの言葉で『水下げ』という。遊女の『水揚げ』と同意だ。 どうやら、越前谷家に訪れる客人とは、柚子の初夜を買おうとしている者らしい。 「ふふん、バッチリだぜ! なんたって、この俺様と楓がお掃除したんだもんなぁ。商談成立まちがいねぇな」 「俺たちの掃除が、関係あるのか?」 「あんだろ、そりゃ。なんたって俺は今ツキまくってんからなぁ、昨日も競馬で──あっ!」 眞尋は慌てて口を押さえたが、既に遅い。那智は眞尋の頭を小突いた。 「またお客様に馬券買いにいかせたの? まったくもう! なんて子だろう!!」 「痛てっ、でも額は大金じゃないんでっ、儲けてねーっす!」 「四季彩の商品っていう前に、まだ子供なんだから賭事はしちゃ駄目。没収だよ!」 「そぉぉおんなぁ……!!」 涙目になっている眞尋は相変わらずで面白く、楓は笑ってしまう。そんな光景を新入りの柚子はぽかん、とした面持ちで眺めていた。 5 / 10【17:30】夕刻、椿( ツ バキ )は送迎の車を降りると、駆け足で四季彩の敷地を横切る。今日は出校日で、友人達と遊んでいたら思いがけずに遅くなってしまった。 (わーっ、やばいよぅ、今日は眞尋君の髪、セットする約束してたのに……!) 悪さばかりする彼は携帯電話を取り上げられていて、連絡することができない。この時間、眞尋はもう控室にいないはずで、営業前の見世で常連客達と麻雀をしていることが多かった──早く会って、謝りたい。 そんなふうに思って必死に走る椿の姿は、何処からどう見ても少女だ。長い髪をツインテールに結び、着ている制服も私立女子校のもの。チェック柄のプリーツスカートから伸びる脚は白く細い。 何故、戸籍上は少年である椿が女子校に通えるのかというと、越前谷家の力。 学校の理事長が古くからの顧客で、その縁で入学することができた。もちろん、男の名前である本名を使うわけにもいかないので、源氏名の『椿』という名前のままでの登校。生徒はもちろん、学校関係者全てに真実は伏せられている。 故に、椿は四季彩に感謝していた。性自認は女の子という訳ではないのだが、小さなころから乙女っぽい趣味を持ち、リボンやスカートを好んだ。読む本も少女漫画ばかりで、初恋の相手は当然のごとく男の子。 そういった性質を散々周りにからかわれ、いじめられ『おかま』だとか『きもちわるい』などと毎日のように言われ続け……どうして好きなものを好きと言ったり、好きな服を着るだけで馬鹿にされるのかが分からず、泣いてばかりいた幼少時代だ。 けれど此処に売られてからは、そんな思いをせずに済んでいる。四季彩は性別というボーダーラインがあいまいで、女の子らしくしても笑われない。むしろ椿の心を汲み取って積極的に女形として育てて貰え、学校まで女子として通えると決まったときには──椿は、目からお花畑が飛び出そうなほどに嬉しかった。 性行為は気持ち悪いし、痛いから嫌いだ。でも越前谷家に対して感謝の気持ちは計り知れないほどにあって、恩返しをしたいから、頑張って働いている……もしもこの場所に来なかったら、家の借金も返済できないばかりか、今も幼なじみにいじめられ、周りの大人にも『男の子らしくしなさい』と叱られたりして、辛い日々を送っていたはずだから。 椿はまず、寮の自室で着替えた。私服のシャツ、ショートパンツ姿になる。足元はピンク色のクロックス。それから遊廓棟のほうへと向かった。着替えたのは、客に学校を知られないため。私立の制服は一目で学校名がばれてしまうほどに目立つ。 「眞尋君、ごめ……、僕遅くなって……」 呼吸を乱してしまいながらも、ラウンジで遊ぶ姿に近づいた。眞尋は豪勢な絵柄と刺繍を散らした赤襦袢を纏っていて、顔には化粧をして紅も引いている。 この少年の普段と営業時のギャップに、椿は今でも驚かされる。その髪はバレッタで留められていた、眞尋が自分でやる適当なやり方だ。 「おう、気にすんな、ツレと会ってたんだろ?」 「うんっ、でも約束破っちゃって……」 「いぃっつうの。早く支度してこいよ」 牌をかき混ぜつつも振り返る眞尋は、口に禁煙パイポを咥えている(堂々と喫煙すると従業員らに叱られるため、人目のある所ではこういったものを吸うのだ) 他の客も椿を見てきた。ニヤニヤと嬉しそうに話しかけてくる……視線はエロオヤジの目つきで、椿はそういった目で見られるのは正直苦手だ。不快感を超えて、恐怖を感じてしまうときもある。 「椿チャンはかわええなぁ、おなごみたいだ」 「本当に本当に。いやぁ、脚もすべっすべして」 「信じられんよなぁ、チンポが生えとるなんて!」 「んーだよ、俺だって一応は女形なんに、てめぇら忘れてんな……!」 眞尋はムスッとした表情を見せ、客は楽しげにケラケラと笑う。 「お前はおなごには見えんぞ! 確かにかーちゃん似ではあるけどなぁ」 「股開いて麻雀する女子がどこにおる。顔形はええんだから、所作を改めんと。所作を」 牌を並べだした彼ら。椿は眞尋にもう一度謝り、頭を下げてからその場を後にした。 6 / 10個室のシャワーで身を清めると髪を乾かし、浴場の鏡でメイクを済ませた。それから控室に向かう。お気に入りの衣装がクリーニングを終えて返ってきているはずで、今日はそれを着たい。今日の椿は予約を二件持っているため、見世に座って指名を待つことはない。余裕を持って準備することができる。 控室の扉を開けると、椿と同じく既に予約でノルマを満たしている娼年達が時間を潰しており、それはいつも大抵同じ顔ぶれ。ドアを開ければ克己が子供らしい笑い声をあげてじゃれついていて、相手は楓。 楓はよく克己と遊んでやっている……その様子は微笑ましく、見るたびに椿の口許はゆるんだ。 常に一位を獲り、絢爛な着物と化粧に身を包んでいても克己はまだ十一歳の男の子。振り袖を乱してしまいながらも鬼ごっこをしたり、やんちゃな遊びをしている時は楽しそうにしている。もちろん、おしとやかな少女として飼育されている故に、あまり派手にやっていると躾係の従業員に叱られてしまうのだが。 「おはよう、かえ君。克己もおはよ」 遅い時刻でも、はじめて顔を合わせたときは『おはよう』。夜の仕事のルールに戸惑ったのは最初だけで、今はもうすっかり慣れた。 「おはようございます!」 「おはよう、椿。今日は楽しかったか?」 「ん、楽しかったっ。プリクラ撮ったからあとであげるね。藍ちゃんもおはよ!」 片隅で読書しているのは、藍杜( ア イ ズ)という名の娼年で、克己と同い年だ。 おとなしいというよりも暗いという言葉が合い、纏う着物も黒、群青、濃灰といったもの。日本人形のような雰囲気をただよわせ、夜中に廊下で出くわした時などは幽霊と間違い、思わず悲鳴を上げてしまう者も一人二人ではない……実は椿もその経験がある。 ぺこり、と頭だけ下げ、藍杜は黙々としたまま。この少年は自分の世界に引きこもりたがるけれど、別に性格に難があるわけではない。むしろ、心根は優しい子だ。 「ね、覗かないでよ。絶対に覗いちゃだめだからね!」 棚に返却されていた衣装を取ると、椿はカーテンレールの中に入った。更衣スペースを使うのは実質椿しかいない、皆その場で着替える。男しかいないので当たり前といえば当たり前なのだが、もちろんとても椿には出来ない芸当だ。 「言われなくても覗かないぞ、大丈夫だ」 「前覗いたもん、セクハラしたもん」 「あれは! 事故なんだ……! まだ怒ってるのか?」 「当たり前、あんなことして……僕はかえ君をゆるさないからねっ!」 勢い良くカーテンをしめて、椿は着替えはじめる。楓は夏休みの始めごろ、同僚の娼年達と遊んでいて転びかけてしまい、つい掴んだのがこのカーテンだったらしい。お陰でめくれ、下着姿を楓に見られてしまった。 「どうしたら許してくれるんだ……、困ったな、克己、俺はいったいどうすれば……」 「えっと、一朝一夕では解決しない問題に思われます。だって女性があんなかっこうを見られたら、怒るのはあたりまえですよ」 「椿はかぶとむしをあげても、機嫌良くならないしな。この時期は蝉もとれるけど……そうだ! ぬけがらなら可愛くて女の子にも良い気がする」 「……かえでさん、全くといっていいほど女心がわかっていませんね……」 克己につっこまれている会話を聞きつつ、椿はこっそり笑ってしまう。セクハラへの仕返しは、楓をこうして困らせることでおさめてやろう。 着替えをすませて出ると、控室に那智が訪れたところだった。花魁の装いの那智は傍らに小さな少年を連れていて、部屋を案内しているような様子である。 「綺麗なお部屋でしょう、此処で着替えたり、お化粧をしたりするの。慣れるまでは係の人が身だしなみを整えてくれるけれど。いずれは自分で支度しなくちゃいけないよ」 「……那智さま、その子は……?」 この時期に新入りというのも珍しい。不思議に思って椿が尋ねると、那智は紹介してくれた。 「柚子。調教を終え次第、水下げして娼年部の仲間入り……みんな、仲良くしてあげてね」 7 / 10その話に、楓は思い当たるふしがあるらしい。那智に問い掛けている。「今日の話、決まったのか?」 「うん、楓と眞尋が綺麗に掃除してくれたおかげも、少しはあるかもね?」 「そうか、よかったな。……あっ、柚子にとっては良くないっていうか、娼妓になるのは嫌かもしれないけど、その……最初だから優しくしてもらえるだろうし……!」 気を遣って話す楓は、初仕事を怖がらせないようにしているのだろう。隣の克己は乱した襟元を正し、柚子に微笑いかけた。 「はじめまして。分からないこととかあれば、えんりょせずに聞いてくださいね」 「克己は四季彩の中で生まれた子だから、四季彩のことは何でも知っているの」 「何でも、ってほどでは……! でも、出来るかぎりお力になりたいとは思います!」 「あっ、よろしく……おねがいします……」 柚子は顔をこわばらせていて、緊張気味に頭を下げた。それでも新入りにしてはしっかりとしている方だ。従業員や那智に案内されていても、うつむいて歩いていたり、場合によっては涙を滲ませている場合がある。 「柚子ちゃんっていうんだ、歳はいくつ?」 緊張をすこしでもほぐしたくて、椿は身をかがめて目線を彼に合わせ、話しかけた。 「えと……十、です」 「そうなんだ、克己の一つ下だね……僕は椿だよ、中学二年生。みんなの髪の毛をセットしてあげるのが好きだし、得意なんだ。柚子ちゃんの髪もしてあげるね」 髪を撫でてやれば、あどけない視線が椿を見る。調教を施され、既に男を淫らに受け入れつつあるのだろうけれど……まだ風貌には純粋さを持っていた。 それは同じ年頃でも、淫娼をしている子供には感じられないもの。毎日性を売っていると、纏う雰囲気や表情には、どうしても色気を含み大人びてしまう。 (僕にもこんな頃があったはずなのにね。忘れちゃった、あまりにも遠い過去のような気がする……) そんなことを想うと切なくなって、胸が痛んだ。 確かに、四季彩に来てからは幾らでも女の子の服を着ることが出来るし、ぬいぐるみを可愛がっても気持ち悪がられない、少女漫画を読んでも馬鹿にされない。髪も長く伸ばすことも出来る、他にも数えきれないほどの嬉しさがいっぱいだ。 けれども、同時に失ったものもたくさんある。 初対面の人に裸を知られるだけでも恥ずかしくてたまらないのに、舐め回されて、いやらしいキスをさせられて、犯されてしまう……痛いと言っても突かれ続けたり、正直逃げ出したくなったことも一度や二度ではない……けれど椿には此処以外に行く場所も無い。 「ごめん、僕……、ちょっとトイレっ……!」 急激に泣きそうになってしまい、椿は部屋を抜け出した。ドアを開けて駆ける。 「……椿!?」 皆の驚いた声を耳にしつつも、走り去る。 (情けないよう……! 新入りの子が泣かずにいるのに、僕がこんなんじゃ……) せっかく化粧をしたのに、マスカラもアイシャドウも落ちてしまう。渡り廊下で立ち止まり、滲んだ瞼を衣装の袖で押さえていると、其処には既に人影があった。 同僚の一人、由寧だ。 8 / 10「ふうん……どうしたの、椿」由寧は椿の泣き顔を興味深そうに覗き込む。もたれていた手摺りから背を離し──手には携帯電話を握っている。お客に営業電話をしていたのだろう。 「由寧、君……」 見られたことに戸惑い、椿は袖口で顔を覆った。 「君ってさ。外面だけじゃなく、中身まで女々しいんだね。男娼じゃなくって、娼婦部で働いたら?」 由寧の言葉には棘がある。それは今に限ったことではない。この少年はいつもそうだ、誰に対しても。クスクスと薄笑みを零し、椿を追い越して歩き去っていった。わざとらしく肩をぶつけつつ。 「……椿!」 その後もしばらく立ち尽くしていると、駆ける足音が響いてきた。名を呼ばれ、椿は振り返る。 「一体、どうしたんだ?」 「……うん。もう大丈夫。ちょっと悲しくなっちゃっただけで……」 楓は心配そうに表情を歪めていた。椿よりも背が低いため、少しばかり見上げられる形になる……じっと見られると、おさまりかけていた涙腺がまた暴れだして、潤んでしまう椿だ。 「……大丈夫そうには見えないぞ」 「ごめん、かえ君。昔のことを思いだしただけ」 「そうか……」 「僕もいちおう、男の子なのに……由寧君の言う通り。女々しくってしかたがないや……あはは!」 涙を拭うと、楓は傍らで手摺りにもたれる。楓の瞳には今宵の夜空が映っていた。 「そんなときは、星を見ればいい。ほら、夏の大三角形もあるし、白鳥座が翼を広げてる。きれいだ……」 楓は天を指差し、頬をほころばせる。従って、椿も見上げてみた。確かに星々は美しい。 この少年が一人きり、ずっと蔵に閉じこめられていたことは知っている。その間、夜空を眺めて気を紛らわせていたことも。 「あれが、アルタイルだよね。かえ君のおかげで、少しだけお星さまのことが分かるようになったんだ」 「! そうなのか、それは光栄だな」 「確かに、見上げていると涙がこぼれないね。……かえ君、ありがとう。僕もう許してあげてもいいよ」 椿が笑うと、楓は再び「だから、あれは事故で……」と弁解をはじめた。その様子も面白くて、さらに笑ってしまう椿だ。 9 / 10【01:20】今宵最後の客を見送り、紫雲( シ ウ ン )はロビーを後にした。営業の合間、克己に言われた言葉が気になる……宴席でそっと耳打ちされて教えられた、控室にて椿の様子がおかしかった、と。 紫雲と椿は幼なじみの間柄である。紫雲のほうが一つ年上で、兄弟のように育ってきた。親同士も仲が良く、お互いの家は同じ街で工場を営んでおり、同じ頃に共倒れの倒産をした。そして二人が売払われたのもほぼ同時期だ。 その親しい間柄を知っていて、克己は教えてくれたのだ。彼には幼さが全くなく、気ばかり遣う。もう少し子供らしくしても良いのに、と案じているのは紫雲だけではないはず。 「椿ちゃぁん、おじさんよっぱらっちゃった、歩けないよぉ〜!」 「もー、しっかりしてよ、全然進まないよ!!」 廊下の途中で、偶然に椿と出会う。椿をよく指名する常連客は完全に酔いつぶれていて、まさしく千鳥足。椿に絡みついて立ち、何とか歩幅を進めている。 「あっ、宗ちゃん。助かったぁ、いいところに現れるんだから!」 椿は紫雲に気付き、顔をぱぁっと輝かせる。仕事中は源氏名で呼び合わなければならないのに、椿はしょっちゅう本名を零す。お陰で紫雲は宗太( ソ ウ タ )であることが知れてしまっていて、源氏名の意味がない。 「飲み過ぎだな」 苦笑して、紫雲は客の肩に腕を回した。一人で連れていくよりは、二人がかりのほうが良い。ロビーに着くと従業員達も手伝ってくれ、何とか送迎車に押し込んだ。 「大丈夫かなあ、あんな風でちゃんと帰れるかな……」 絨毯の敷き詰められた玄関で、椿は心配そうな面持ちで、去りゆく車のテールランプを見ている。ちゃんと届けるから大丈夫だよ、と従業員に言われても不安げな様子だ。 「シンジこそ大丈夫か? 克己に聞いた」 「えっ。……もうっ、克己ったら、何で言うのさ、恥ずかしい……」 「今日は髪もしてないな……」 大体毎日、器用に盛ったり巻いたりしている長い髪はストレートのままで、二つに結ばれている。学校に行くときと同じようなヘアスタイル。 寮棟に向かって歩きつつ、紫雲は椿の髪束に指を通した。すぐに指の間から抜けてしまう、さらさらだ。 「ちょっと、時間がなかったんだ。ばたばたしちゃった、学校に行ってたし」 「理由は他にあるんだろ?」 「……話したら、くだらないって言われそう。だから話したくない……」 克己に、椿は新入りの子を見ていきなりに部屋を飛びだしたと聞かされたから──昔を思いだして悲しくなったのだろう、ということは紫雲にも予想がついていた。 激しい性調教に耐えきれず絶叫した日々か、生まれ育った街でいじめられていた幼い頃か。それとも、此処の商品として働かされはじめの頃なのか…… 「なんか……皆になぐさめられてる。僕は助けられてばっかり、どうして四季彩の人達は優しんだろ、皆……」 「……傷を負ってるから、じゃないのか? だから他人の痛みがわかる。天涯孤独の奴もいるしな」 紫雲の考えを紡ぐと、椿は「そうだよね……」と呟き、うつむいてしまった。 「……僕や宗ちゃんなんて、本当に、ぜんぜんマシだよね……かえ君なんて四年間も閉じこめられていたっていうし……きっと僕なら頭がおかしくなっちゃう、誰ともおしゃべりも出来ずに……ずうっとじめじめした所に入れられてたら……」 悲しげにする椿を抱き寄せる。周りに誰も居ないから唇を奪った、一瞬だけ。もちろん、知れ渡れば大変なことになる。これは秘めやかな両想いだ。 すぐに身体を引き離すと、椿は驚いたような顔をしていた。けれどそれはすぐに満面の笑みに変わり、頬も赤く染められた。 「宗ちゃん……。僕、宗ちゃんがいてくれてよかった……いつもそう想っているよっ……おやすみ!!」 そして、椿は紫雲を突き放すように押しのけて、駆け出した。渾身の照れ隠しなのだろう。 いつもながら、カワイイやつ。後ろ姿を見つつ、紫雲も頬をゆるめてしまうのだった。 おまけ まひろのお受験 / 10【三者面談の帰り道】母「どおすんのよあんた、このままじゃ行ける高校無いって先生おっしゃられたじゃない……!」 眞「中卒上等ー。この俺様の美貌&肉体がありゃ食いっぱぐれねぇだろ」 母「阿呆!!ずっと売春なんてできるわけないでしょ!いつかは四季彩だって出なきゃいけないのよ!」 眞「おかんデケェ声で売春とかいうなし、みんなこっち見てんじゃねぇかよ!」 母「将来のこと考えなさい、将来のこと!そりゃ、鬼畜と呼ばれたあんたが多少マシになっただけでも母さんうれしいけどね、親としては高校くらい出てほしいのよ」 眞「お、おかん……!」 【四季彩】 眞「……そーちゃーん」 紫「どうした?」 眞「宗ちゃんって高校行くんか?」 紫「当然だ、行きたい大学もあるし。ただでさえ就職難のご時世だ。中卒じゃな」 眞「しゅ……しゅうしょくなん……だい……がく?」 紫「まさか、おまえ高校行かない気か」 眞「いっ、行かないんじゃねぇよ、行けねぇんだ!」 紫「そんなに馬鹿だったのか……いや知ってたけどな……今からでも遅くない、勉強しろ」 眞「……」 【越前谷家】 眞「お、俺っ、どうしたらいいんすかね……」 那「今更どうやって高校入る気なの? だから散々叱ってきたのに、勉強しろって! もう手遅れだよ!」 秀「まあまあ、俺が家庭教師するよ。眞尋、俺の部屋においで」 30分後 秀「……」 那「あれ、もう勉強終わったの?」 秀「姐さんの言った通り、手遅れかもしれないや……」 【仕事後】 眞「ににんがし、にさんがろく、にしがはち……にご……にごが分からん!」 椿「眞尋君お疲れさま。どうしたのぶつぶつ言っちゃって」 眞「うぅぅー、勉強すっとあたまがおかしくなっちまう! あ……そうだシンちゃぁん!」ガシッ 椿「わぁっ、何??」 眞「椿の中学って上に高校あんだろ、んで、理事長は四季彩の客だろ?」 椿「うん、そうだよ。それが?」 眞「俺も入れてくれるように頼めねぇかなぁ!」 椿「中高一貫の女子校だよ、眞尋君の声じゃばれちゃうと思うし、そもそもそんな喋り方してる子いないし……ヤンキー歩きしてる子もいないから、無理だよー。 どちらかというとお嬢様学校なんだもん」 眞「おじょうさまだぁ? ふざけんな、しゃらくせぇ!」 椿「ほらぁー、絶対無理ぃっ!」 【休日】 楓「あきらめちゃだめだ、俺は一緒に勉強するぞ!」 眞「うっ……楓……! なんていい野郎なんだ! 俺様っ楓のためなら地元の兵隊全部動かしてやるかんな!」 楓「(兵隊ってなんだ? よくわからないけど)よし、じゃあ克己が昔使ってた問題集借りてきたから、小学生の算数から頑張ろう」 【そして…】 眞「ドーン! 見るがいいてめえらぁ!」 椿「わあぁ! すごーい、眞尋君の通知表に2がある!」 楓「良かったな、眞尋! これで高校行けるぞ!」 克「感動しました…! 俺の問題集がお役に立ってうれしいです…!」 眞「後は受験に特攻すんだけだぜえ、ふはははは! このまひろ様に勝てねぇケンカなんてねぇんだよっ! ふはっはは!」 E N D |