新月と体温

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「ハラ減ったっ。めし食いに行こーぜ」
「厭よ。真夜中にお食事したら、太るもの」 

 祥衛が扉を開けると、そんなやりとりがなされていた。事務室の隅に置かれたソファに座る薫子と、その隣の大貴だ。薫子はゴスロリイタ姿ではなく、ふつうのブラウスを着ている。けれど布地を余らせてふわりとした袖は薄く透け、フリルもついていたりして、十分に薫子らしい要素は含まれていた。大貴は今日の仕事をスーツで臨んだようで、ジャケットを脱いでワイシャツをはだけている。その全身は薫子と釣り合っていて、並んでいるだけで二人の関係性は明らかだ。

 祥衛は戸を開けた瞬間“しまった”と思う。彼らの空間を邪魔してしまう気がして、二人でいる所に入ってゆくのはいつも気が引ける。怜などは全く気にすることなく、薫子の眼前で大貴に抱きついてセクハラをしたり、並んでいる間を堂々と割っていき会話に加わるなどしているが、祥衛にその神経は理解出来ない。

 俺が気を遣いすぎているのだろうけれど──と思っていると、薫子と目が合った。続いて大貴とも重なる。

「お! ヤスエじゃん!」

 大貴は祥衛を見るなり、顔をぱっと輝かせる。もはや引き返す訳に行かず、ソファへと近づいた。そんな祥衛に対し、薫子は軽くお辞儀をしてくれる。

「お疲れさま……祥衛くん」
「……お疲れ様、です……」
「なぁ何か食いにいかね? 俺ハラ減ってまじやべーんだけど。祥衛もすいてるだろ?」
「いや、べつに……」
「すいてるよなっ?!」
「ちょっと。無理強いは止めなさい」

 強引に祥衛を引き込もうとしている大貴を、薫子は睨む。大貴の表情は拗ねたものに変わった。

「小食だなっ。胃袋あんのかよ? いぶくろっ!」
「あるに決まってるでしょ、お馬鹿さんね」
「はー? 馬鹿ってゆったほーが馬鹿だし!」 

 祥衛の目の前ではじまる、いつも通りの喧嘩。薫子はヒールの足で大貴の靴を踏みつけた。

「痛ぁっ! うわ、いって……」
「お客様とディナー、食べてるんでしょう? その上また食事なんて、食べ過ぎよ」
「だってーいっぱいシゴトしたんだもん、ハラへった! SMしたんだぜ、しかも俺がMのほうだし!」

 大貴は爪先を押さえ、台詞の後半は祥衛を見て声を上げる。

「あの。……すいている、かもしれない……」

 そんな大貴を想い、祥衛は薫子に対し嘘をついてみた。祥衛自身は別段空腹など感じていないが、大貴に食べさせてあげたくなる。

「いいのよ、こんな子庇わなくても」
「祥衛もすいてんだからー、みんなで食いにいこ。なっ」
「……仕方ないわね……」

 薫子がため息を零したのと同時に、ドアが開いた。現れたのは怜で、薫子姫は今宵もキレイだね、との一言を投げ掛ける。あたりまえだし! と返すのは大貴だった。

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 結局怜の車に乗り、四人で食事に行くことになった。祥衛は仕事の報告を克己にしようと思って事務室に来たのだが、克己がまだ戻ってきていないこともあり、メールで済ませることにする。

 文章を打つことは苦手だけど、喋るよりはましだ。助手席でカチカチと打っていると、後ろの大貴と薫子が楽しげに話し、それに時折怜が加わる和やかな雰囲気。聞いているだけでも祥衛は楽しかったし、居心地が良い。祥衛にとってFAMILYは今や大切な居場所になっていた。

 行き先は近所のファミレスなので、すぐに着いてしまう。自動扉をくぐりながら、祥衛はメールを送信する。

「やったー! くうぞくうぞ! 山のようにくうっっ!」
「大貴くん、今日も元気だねぇ。若いっていいね〜」 

 窓際の奥まった席に座り、大貴は嬉々としてメニューを開く。祥衛はというと怜の隣で、喫煙席でないことを舌打ちした。けれど自分以外のメンバーは煙草を吸わないので、しかたない。

「私、どうしようかしら。アイスクリームだけにするわ」
「え〜、せっかくだからパフェにすればいーじゃん。ポッキーささってるし、生クリームおいしそう」
「だって太るもの……」
「大丈夫だよっ。何キロ増えたって俺は薫子のことー、大スキだもん」
「そうだよ、姫の姿が変わってもさ、俺達は変わらずにキミを愛すから」

 ややおかしいフォローを聞きながら、祥衛もメニューを眺める。その目線に気付き、大貴はメニューの本を祥衛のほうに向けてくれた。

「祥衛はなんにする?」
「……俺は……」

 ページをめくり、祥衛はしばし考える。迷っていると隣の怜はこれでいいじゃない、と特大ハンバーグセットを指差した。祥衛が絶対に食べないと分かっていて、わざとやっている。

「あっそれいいな。俺、おかずそれにしよ」
「おかずって、大貴くんコレごはんもついてくるよ?」
「ごはん1個じゃ足りねぇよ〜。オムライス特製きのこソースも食お。あとからあげとー、マヨコーンピザ!」

 次々と決めてゆく大貴を見て、薫子は呆れた表情になった。

「もう、信じられない」
「なにがだよ、べつにふつーの量だろ?」
 
 薫子はため息を零し、大貴の脇腹をスクエアネイルの指先でつつく。

「知らないわよ、太っても……」
「ちゃんと運動してるし、太らねぇもん」
「そうだよねぇ、毎日たくさんエッチしてるもんねぇ」

 怜は何気ない発言を性的にとらえることが多いが、これもわざとだ。祥衛はちらりと怜を見る。

「それもあるけどー、腹筋とかしてるんだよ。気ぃつかってる!」
「当然でしょ。体型がくずれたらお客様なんて、つかないわ」
「いやぁ薫子姫、それはそれでマニアがいるから。うーんおにいさんはパスタにしようかね、カルボナーラ」

 次々と皆が決まっていくので、祥衛は少し焦る。早く決めなければと思うのだが、モノを選ぶときはいつも迷って、困ってしまう。

「さぁ、あとはキミだけだよ」

 怜は祥衛の方を向いてそう言い、急かしてくる。

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 祥衛が選んだのは“豆腐のヘルシーサラダ”で、決して量の多くないそれをちびちびと少しずつ口に運ぶ。テーブルに並ぶのはほとんどが大貴のもので、祥衛の目の前で平らげられていく。小食な祥衛は大貴を見ていると、一体どこに入ってゆくのだろうと疑問に思った。それにこんなに食べても明日の朝にはまた「ハラ減った」と言っているのだ。身体の構造が不思議だ。

「そういえばさ、こんなゆっくりしてていいのかい?」

 大貴のからあげをつまみつつ、怜は大貴に尋ねた。薫子はパフェを食べ終わり、口紅を直すと言って化粧室へ行ってしまっている。

「なにが?」
「明日起きれないよ、大貴くん。学校でしょ明日も」

 それを聞き、大貴は笑う。オムライス最後のひとくちを飲み込んで、返事をした。

「れーさんボケてるぜっ。明日は祝日だよ」
「エッ本当に──ああ本当だね」

 怜は携帯を取り出して確認し、頷いている。日付が変わっているため、既に待ち受け画面には祝日のマークが表示されていた。

「よかったねぇ、じゃあおウチ帰っていちゃいちゃするんだ、ごゆっくり」
「なにそれ。しねーし!」
「キミんとこってさ、週に何回セックスしてるの?」

 そんな質問をする怜を祥衛は冷めた目で見た。祥衛からすれば、よくそんなことを普通に聞けるな、と思う。

「えーっ、一回すればいいほうじゃね?」
「ダメだなぁー。もっとしようよ、もっと。いちゃいちゃしてほしいね」

 怜が、おもしろいから、と小声で言ったのが祥衛には聞こえた。ピザを食べる大貴には届いていない。そのうちに薫子が戻って来る。

「やあ奥さん、身だしなみに気を遣っちゃって」
「……誰が奥さんなのかしら」
「なんかれいさんがー、俺と薫子にいちゃいちゃしてほしいんだって」

 大貴の報告を聞いて、薫子は眉間に皺を寄せた。あからさまに敵意を持った視線を怜に送りつつ、大貴の隣に座る。

「一体どんな話をしていたの?」
「いやぁキミ達カップルの割に、あんまりべたべたしないんだなぁ〜って思ってね」
「私達の勝手でしょ」

 薫子は正論を言い、不機嫌そうに睨みつけた。その横で大貴はピザも一人で完食する。

「だってれーさん、俺は幼稚園のときから薫子知ってるんだよ。いっしょに住んでるし、つきあいはじめってわけじゃないし、そんながつがつしないってゆうかー……つぅか、俺らのことより祥衛の話しよーぜ」

 そう言って、大貴の瞳が祥衛に向いた。その口許は笑っている。

「沢上から聞いたけど」

 大貴の言葉はそこで遮られた。祥衛は素早く箸を置き、腕を伸ばすと目の前にある唇を手で塞ぐ。大貴はそれを両手で引き剥がした。

「! なにすんだよっ」
「え、ナニ、ナニ、聞かれたくない話? 恥ずかしい話?」 

 興味津々で身を乗り出す怜に、祥衛は舌打ちをする。こういうことがあるので、紫帆と大貴の仲が良いことがたまに煩わしい。

「べつにゆっても良いだろ。ヤスエ、気にしすぎ!」
「やめなさい、黙っていて欲しいことなのよ。ねぇ、祥衛君」

 薫子にたしなめられ、大貴は言おうとしていた言葉を飲み込む。不満げな表情をしてはいるが、薫子には従う大貴だ。怜は聞きたそうにうずうずとして見せる。

「え〜、気になるなぁ。あとで教えてよ、大貴くんっ」

 喋りつつも、怜の目線は携帯に注がれた。マナーモードのそれは淡く光り、小刻みに振動している。

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 怜にかかってきた電話は女性からのもので、キミのためならすぐ行くよぉ、と軽い調子で答えた怜は本当に店を出て行ってしまった。そのせいで残されたメンバーは帰り道、歩いて戻ることになってしまう。薫子のマンションまではここから十五分も歩けば着く距離だ。

 祥衛はやはり気にしてしまい、二人から距離をとって後ろに離れ、付いてゆく。大貴と薫子の間はつかずはなれずの適度で、そのスキ間の絶妙さが彼らに流れる穏やかな関係を物語っていた。大貴の歩くスピードは薫子に合わせていて、普段よりも遅い。聞こえてくる会話は日常のさりげないことで、薫子は楽しげに笑っている。

「おい! ヤスエ!」

 ある地点で大貴は振り向き、立ち止まる。それに合わせて薫子も祥衛のほうを向いた。

「なにボーッとしてんだよっ。ちゃんと、ついてこいよな」
「あ……」

 大貴は薫子を離れ、祥衛の元に早足で来る。薫子は前を向き一人で歩き出してしまう。

「なんでいっつも遠慮すんの? 三人で、話せばいーじゃん」

 祥衛の腕を掴み、苦笑する大貴。祥衛はその顔から目を背けた。

「俺は……邪魔な気がして……」
「いっつも、そうやって言う。学校でも、俺がお客さんとしゃべってるときでも、今みたいに薫子といるときでも」

 視界の先の大通りでは信号待ちで、赤信号で薫子は立ち止まる。夜風になびく艶やかな黒髪をなんとなく祥衛は眺めた。

「祥衛はジャマじゃねえよ。俺は祥衛がいなくなったら、毎日がつまんなくなりそう。だって祥衛のことスキだし、一緒にいていやされるもん!」

 歩きつつ、大貴はさらっと紡ぐ。この、素直に心の内を表現出来る才能に祥衛はいつも憧れてしまう。きっと祥衛には一生言えない。

「祥衛、今日ヒマ? 俺ヤスエんちに泊まろっかな」

 薫子の元に追いついたとき、大貴はそんなことを言う。確かに暇だけれど、いいのだろうか。祥衛は気にして、ちらりと薫子を見た。

「俺は……いいけれど……」
「うぉっし。じゃあ薫子送ってからー、それからヤスエの部屋行こうぜ」

 信号が変わり、三人は歩き出す。薫子は祥衛に微笑みかけてくれた。

「いいのかしら、祥衛君。いつもこの子と遊んでくれて有り難う」
「なんだよーそのいいかた。俺がめいわくかけてるみたいじゃん、なんか」
「掛けてるわよ、きっと。寝相も悪いし、部屋もちらかすし、強引な所もあるでしょ」
「そういうところも含めて俺の魅力じゃん。なっ祥衛?!」
「それが強引なの」

 強引じゃないもん、と声を上げる大貴はいつのまにか祥衛の手を握っていた。ぶんぶんと腕を振りまわされて歩きつつも、また言い合いをはじめる二人の会話を楽しく祥衛は聞く。大貴のてのひらの温もりを感じつつ。

E N D