スターゲイザー

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 夕暮れ。総合駅は仕事帰り、学校帰りの人々で賑わっている。その光景を尾関はやや珍しげに眺めていた。通りに面したカフェテラスから。
 普段はあまりこういった場所に来ない。チェーンカフェのコーヒーもなかなか旨いな、と思いながらプラスチックの容器で味わう。
「じゃー俺寄るとこあるから、またなー」
 聞き覚えのある声がして、尾関は目線をそちらに向ける──制服姿の大貴がいた。ワイシャツにブレザーは羽織らず、カーディガンを着ている。だらりと下げたスクールバッグ。髪色とあいまって、あまり素行のよい生徒には見えない。
 おなじようないでたちの少年たちもいっしょに数人いて、大貴とは手を振り別れる瞬間だ。
「オイオイ女かよ真堂ーー」
「ちげぇよ、歯医者いくんだって」
 ケラケラと笑いながら少年たちは別れる。
 踵を返した大貴は、人ごみのなか、スマートフォンを取りだした。しかし、すぐに目の前の尾関に気がつき、驚きを顔いっぱいに表す。
 見開かれた瞳に、思わず尾関は吹きだしてしまった。
「ちょ、な……なんでこんなトコにいんの?!」
 大貴の第一声はそれだ。尾関には、隣席の女性たちの目線が何事かと刺さる。
「ははは……。おかしなことを言うね。今日は大貴くんと、ここで待ちあわせしただろう?」
「そーだけどっ、尾関さんがドトールって、なんか似合わねー」
 意外そうな大貴の前、尾関は席を立った。トレイを店内に戻し、人出の多い街を歩きはじめる。
「初めて入ったからね。実は」
「ほら、初めてなんじゃん。なんでまた──」
「そんなことより、歯医者さんには行かなくていいのかい?」
 悪戯っぽく聞いてやると、大貴はまた驚いた顔をした。それから「やっべぇ」と声をあげる。
「えー、どっから見てんだよっ。こえー! やっぱ尾関さんってすげーなー、敵にしたくない!」
 そして笑ってみせる、どこからどう見てもふつうの高校生。少年男娼には見えない。それも徹底的に調教を施され、身体改造までされているような存在には。
「なんだか、僕は安心したよ」
 足並みをそろえつつ、尾関は心境を零す。
「あんしん?」
「学校生活は、普通に過ごせているみたいだと思ってね」
 尾関の言葉に、大貴は顔を明るくさせて頷いた。
「うんっ。大満足だよ。でもー……学校は普通の場所すぎてー、逆に俺みたいなヤツがいたらだめなんじゃないかって思う。それゆうと、俺のしてること知ってるひとたちは、そんなことないよって言ってくれるけど……」
 さみしそうに言葉を途切れさせる大貴。少年の抱える悩みや心境に触れるたびに慰めたくなる尾関だったが、どんなふうに対処してやればいいのか、難しい。尾関もまた大貴に「そんなことはないんだよ」と伝えるにとどめた。大貴はほっとしたように、けれどやっぱりさみしげに微笑う。

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 予約していたレストランで洋食を食べた。それから大貴のリクエストで、ボウリングをしに行く。街中にある、ゲームセンターと一体化したレジャー施設で、ダーツやビリヤードなども楽しめる。
 尾関にとって大学生以来のボウリングで、筋肉痛になるかな、とひそかに苦笑した。もちろん、スコアは大貴のほうがいい。学校の友人たちとも時折遊ぶのだという。
「なぁ、ほんとにそんなことできるの?」
 遊んだあと、タクシーに乗って向かうのは百貨店。尾関は専務取締役を務めている。時刻はもう21時を回っていて、閉店後だけれど、専務の特権で立ちいることなどたやすい。
「もちろん。屋上に行こう。夜景がとても綺麗だから」
「ばれても大丈夫……?」
 大貴は妙に不安げにする。尾関は頷いた。
「当たり前だ。なにもやましいことなど、無いだろう」
 尾関の言葉を聞いても、大貴は納得しきれていない様子だ。
 基本的に、大貴は明るく元気な少年だが──ときおり驚くほど自己評価の低い、自虐的でさえある一面も見せた。
 性虐待のせいだろう。
 負の影は、ふだんの明るい表情や話しぶりにまぎれるので、気づかない者も多いはず。けれど尾関は何故だか嗅ぎとれてしまう。
「真堂不動産の跡取りと交流があって、なにが悪い?」
「俺は……、俺がなにしてるか知ってるひとも、業界にはときどきいるし……尾関さんはスゲーいいひとだから、俺の相手だって思われるの、なんか、申し訳ないよ。ヘンな噂になったりしたら、尾関さんの肩書きが傷ついたり、する……」
 この場にいる運転手を気にしてか、ひかえめな言いまわしで訴えてくる。
「大貴くん。君を買わない大人もたくさんいるだろう。僕も、その一人なだけさ」
「……なんか。なんか、尾関さん、俺を落とそうとしてるの?」
 大貴は眉根を寄せて困ったような顔をした。カーディガンの袖を口許に当てながら。
「俺、フリーだったら、尾関さんのことすきになってるかもしれない」
「はははは。ありがとう。光栄だな」
「ありがとうは俺の言葉。そんなこと言ってもらえるなんて、すごくうれしい……」   
 夜の車内、大貴は瞼を閉じた。悲しそうな表情を拭いさってやりたい。大貴は夜景なんて見慣れているだろうから、喜んでくれるだろうか? それだけは尾関にとっても不安だった。

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 閉店後の百貨店、はばかることなく堂々と訪れ、真堂グループの子息だと社員に紹介した。社員たちも不審げな顔はしない。むしろ大歓迎といった様子で、残業していた女性役員などは、イケメン!だと声をあげて喜ぶ。
 大貴はそういった社員たちに笑顔を向け、そつなく感じよく会話をする。年齢のわりに応対がしっかりしていて上手いのも、尾関にはなんだか健気に映るのだった。
「……わー! すげぇええッ!!」
 ふたりきりで昇った屋上、大貴は歓声をあげる。ちいさな屋上遊園地のメリーゴーランドは闇に包まれ、配されたベンチにもだれもいない。そのかわりに都心の夜景が飛びこんでくる。大通りを行きかう車群のライト。ちりばめられたさまざまなネオン。彩りときらめきに溢れたこの情景は、少年時代の尾関お気に入りの場所だった。
 高さこそ周囲の新しいビルに抜かされてしまったが、美しい情景は現在もまだ眺められる。
「気に入ってくれたかい?」
「うんっ。特等席!! めっちゃすげぇー!」
 大貴の様子は素だ。素の大貴を見られると、うれしくなる尾関。自販機でコーラとブラックコーヒーを買う。
 大貴は本当は、大人につきあわされて飲まされる酒類よりも、コーラやサイダーが好きなことを尾関はもう知っている。
「いいの? ありがとう……」
 受けとってから、大貴はこうも言った。
「ここ、昼間も来てみたい。来てもいい?」
「もちろん。次は営業時間中にいっしょに来よう」
「ほんとう? なぁ、やっぱり親子とか、家族とかたくさんいるの?」
「そうだね。子どもさんが遊具で遊ばれて、親御さんは様子をカメラに収めたりしながら、眺めている。下の店でお子様ランチを食べてから屋上にいらっしゃるご家族連れも……ショッピングを楽しんでいただくことだけが、百貨店の意義ではないよ」
「へー、そうなんだ……いいなぁ。うらやましいな」
 ありふれた光景を話しているに過ぎないのに、大貴は憧れに目を眇めた。遠くを見ている。
 そんな体験いくらでもさせてやりたいと尾関は思う。大貴は高校生で、自分は成人男性で、対比は奇妙だろうけれど。お子様ランチも、屋上の遊び場も、与えてあげたい。
「……大貴くん──」
「んー?」
 ベンチに腰かけた大貴に、その旨を伝えようと口を開きかけた。大貴は両手で缶を持ち首を傾げるから、彼の意図していないであろう幼さが滲んで驚く。子どもらしいさまを目にするたび、尾関は可哀想にと一層思う。
 可哀想なんて目で見てはいけないとは分かっているのだ。けれど感じずにはいられない。
 まともな神経の大人ならば、きっと皆そうではないだろうか。物心つくかつかないかのときから、性の技巧を教えこみ、身体を売らせたり買ったり──尾関の理解の範疇を超える世界が目の前にある。
 大貴という姿を持って。
「……どうしたんだよ。尾関さん」
 コーラを飲んで、不思議そうにしてみせる大貴の隣に、尾関も座った。

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「そんなに心配しなくても、だいじょうぶだよ。俺、夕方もちょっと話したけど、一般人の生活も知ってるし」
「…………」
 思惑が、大貴に伝わってしまった。本人に伝わってはならないことなのに。可哀想、だなんて──
「親父にわがままゆってー、小学校の途中から、公立にいってるんだ。高校は私立だけど、一般人ってゆうか、ふつうのヤツばっかりの学校だよ。ホントはおばあちゃんとか、執事のひととかは、俺のことイギリスの寄宿舎?に入れたかったらしいけど……。薫子はぁ……俺にふつうの生活させようって、してくれてて……本当は俺みたいなヤツ、あんなふつうの学校にいちゃいけないのに。昼間、出歩けないようなヤツなのに……」
「そんなこと、」
「学校は楽しいけど苦しい。眩しくて……それは小学生のころから思ってるし、ずっと消えねー感情なんだ。けど、こんなことグチグチゆってたって仕方ねーし……」
「大貴くんがそんな悲しいことを、思わなくていいんだよ」
 尾関は大貴の肩に手を置いた。まっすぐに見つめて。
「……尾関さん……」
 間近にある大貴の顔は、かすかな驚きを滲ませた。
 それから、フ、と悲しげな微笑に変わる。
「ごめん。尾関さんといると、素が出ちまう。あんましらない大人とか、灰原のオッサンとかといるときは、演じれるのに……」
 尾関は余韻とともに、ゆっくりと腕を離した。
「素の俺って、弱いし、キモい……、ぐるぐるなやんで、ときどき、なやみすぎて吐くんだぜ。笑えるだろ」
「素顔を見せるのは嫌かい、僕みたいな大人に」
 静かに首を横に振る、大貴。
「ううん。そんなことない。むしろ、うれしい……でも、とまどう。俺のエロい姿見たのに、キスもしてこないひとってはじめてだから、どういうふうに接したらいいのか、俺のなかのデータにねーもん……」
「それじゃ、僕は君にとって、はじめての清純交際だ。それでいいじゃないか」
 尾関は笑う。この想いは偽りでなく、性的に手をだすつもりは毛頭ない。たしかに同性との恋愛経験もある尾関だったが、大貴に関しては。ただ、健気で、切なげで、癒してやりたくなる。庇護欲をそそられるとは、こういうことを言うのかも知れない。
「いいひとすぎる、こえーよ。俺を、どうするつもり?」
 コーラをちびちびと飲み、大貴は夜空を眺めている。尾関も空を眺めた。ふたりでそれぞれ、星を探す。ネオンに照らされて星のかすかな瞬きなど、消されてしまうにぎやかな都心の闇に。
「どうもしないよ。そう……どうもしないんだよ、僕は。ずっと」
「こえぇよ……怖い。すげーこえぇ……」
 大貴は天頂を仰ぐ。風の音が駆けぬける。尾関はちらと大貴を見て、あぁ、大貴くんは奥二重だな、としみじみ思ったりした。
 願わくばこの少年にささやかな幸せをと、星に祈ってみる尾関だった。

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