1 / 10夕方の通学路、ランドセルを背負った少年たちははしゃぎながら歩いている。朝から降っていた雨はやんで、ほのかにオレンジ色に染まる空。街路樹から滴る露が夕陽できらめく。「きゃはははは! すっげー!!」 「ばかじゃねーの! あはははー!」 傘を振りまわしたりして歩く彼らのなか、大貴も笑う。私立の初等部にいたころとは違い、ラフなTシャツにジャージのハーフパンツ、スニーカーといういでたちで。 かっちりとしたシャツにネクタイ、ローファーしか履いたことのなかった令息の姿とはずいぶんと離れた。 車で送迎されることもなく、毎日友達と集団で歩いて下校している。 大貴はこの生活を楽しんでいた。普通の子供ごっこというか、コスプレというか、彼らに合わせて演じている。 実家から通っていた名門校でも普通の子供ごっこの気分はずっとあった。 彼らに溶けこんで遊んでいると、癒やされる。憧れている世界の住人になれるから学校は楽しい。 「中央公園だー、かいさーん」 「おまえはやくマンガかえせよ、明日学校もってこいってぇー!」 公園を過ぎた十字路のところで、少年たちは様々な方角にバラけていった。 「じゃーなっ、また明日なぁっ」 庶民の男の子っぽい言葉を使うのにもずいぶん慣れた大貴は手を振る。別れてゆく少年も笑顔で手を振り返してくれた。 「いこーぜ山田ー」 「う、うん!」 此処からの道のりは、家の方角が同じ少年とふたりきりになる。山田君というおとなしくて優しい少年だ。 「この公園ってねこおおいよなー、おおくねー? 俺がー、転校してくるまえからおおかったの?」 傘で公園の柵を叩いたりしながら歩く大貴の少し後ろを、山田はついてくる。 「うん、昔からそうだよ。だけど最近は大人に保健所に連れられて、殺されるねこもいるみたい」 「まじでぇ! かわいそぅ、山田飼えよ〜」 「だめだよ、ボクの家は団地だから……」 「だんち? だんちってなに?」 「えっ……ああいうたてもののこと……だけど……」 下町の光景に建つ市営住宅を山田が指差すと、大貴は「へー」と納得する。 「ダンチってゆう家はねこ飼えないのかよ、けちかよ」 「けちっていうか……。決まりなんだ」 「ふーん、むずかしいんだなー!」 「だ、だぃきくんが飼えばいいじゃん……」 「俺の家もムリだもん。どうぶつ飼いたいってゆったらー、ねこは家具傷つけるからだめだって。いぬもきらいなんだってっ」 「きびしいんだね……!」 てくてくと歩いてゆく二人の視界の先、一台の車が通りかかる。黒塗りの高級車で、山田がわぁなんだろうと思ったとき、大貴は嬉しそうに顔を輝かせる。 「薫子おねえちゃん!」 「えぇっ! ちょ、ちょっとっ」 笑顔で駆け寄っていく大貴の後を、山田は慌てて追いかけた。車も大貴に気づき道路際に停車する。 後部座席の窓が開き、顔を除かせたのは薄手の麗しいローブに、サングラスをかけた薫子。今日も薫子の装いはすべてが漆黒だ。 「すごい、ぐうぜんだね! いまからお仕事なの?」 「ええ……」 「何時に帰ってくるんだよ。ひとりはやだ、俺」 「零時過ぎるわ。先に寝ていて良いのよ」 「起きてる! きょうジャンプの発売日だからー、ついでにコンビニでハーゲンダッツ買ってきてあげるねっ」 最近はスムーズに小銭も使えるようになった大貴だから、自分で買い物がしたい。そんな大貴が微笑ましいのか、薫子はクスッと口許をゆるめた。 「……あら、お友だちもいたのね。ごきげんよう。大貴と仲良くしてくれて嬉しいわ」 薫子はゴルチェのハンドバックからマカロンの小箱を出して、窓から手を伸ばして山田に渡した。薫子の庶民離れした雰囲気に山田はうろたえるばかりで、お礼もろくに言えずにぺこぺこと頭を下げる。 「あー、ラデュレだぁ! 僕のはー?」 「お家にあるわよ。煩いわね。じゃあ、いい子にしているのよ……」 去ってゆく車を見送ってから、大貴は「しまった!」と口を押さえた。つい素が出て僕と言ってしまった。クラスの男子はほとんどが『俺』と自分を呼ぶので大貴も真似しているのだ。 「僕ってゆっちゃった! 山田ー、みんなにはひみつにしとけよ! 俺がじぶんのこと僕ってゆってるの!」 「だ、だいき、これなにぃ? たべものなの?」 「えー! おまえ、ラデュレのマカロンしらないの? うっそだ!」 「知らないよー! 駄菓子屋さんで見たことないもの」 「高島屋とかで売ってんだよー、だがしやで売ってるわけねーじゃんっ」 「たかしまやって、駅前のきれいなデパートみたいなのだよね? そうなんだぁーっ!」 いまいち噛みあわない会話を続けながら、大貴と山田は歩きだす。山田は帰宅後、丁寧にお礼の電話もくれて、初めて食べたマカロンにいたく感激したようだった。 2 / 10薫子はFAMILYに属しながらも、個人的に女王としての仕事も続けている。特定の店舗には属さず、FAMILYの活動を通じて知りあった相手や、知人の紹介を受けて調教を行う──人づての紹介と口コミで顧客を得ている、フリーの女王様だ。若くして、単独のS女王として独り立ち出来ているのは、薫子の美しさと麗しさ、女王としての素質ゆえだった。 薫子自身が大貴にしてくれた話によると、中学生のころにはすでにこの世界に惹かれ、高校を出ると同時にSMクラブの扉を叩いたと言う。 生まれながらにもつ気品、闇と退廃を愛する心、探究心、猟奇的な事柄にも惹かれる加虐性。すぐに才気を発揮して人気嬢になったところで、FAMILYを運営する越前谷家の関係者の目にとまり、FAMILYへスカウトされた。 薫子にとって、短大でフランス文学を学びつつ、合法的にも非合法的にもミストレスとしての経験を深めゆく毎日は充実したものらしい。 ゴシック・ロリータを嫌う両親から『勘当』を言い渡され、一人暮らしをはじめたことも転機となり、好きなものを好きなだけ追い求めてゆける環境。高校生の頃とはうってかわって、大貴に晴れやかな表情を見せてくれるのも当たり前だ。 理由を知ってしまえば、なあんだ……という気持ちになる大貴だ。どうしてそんなに楽しそうにしているのか不安で仕方なくてめそめそと泣いたりもしていた日々が、馬鹿みたいだと思う。 (カレシができたのかなって、めちゃくちゃ不安だったのに……) 大貴は男娼の仕事をこなした日の帰り道、長田の運転するベンツの後部座席でうつむく。 今宵の逢瀬の衣装も薫子に見立ててもらった。黒いブラウスにサスペンダー、黒いハイソックスにローファー。漆黒でまとめられたさまは、まるでゴシックな王子様のようだ。 そんな姿で大貴は、実家にいたときと同じよう美しく手入れしている自分の爪を弄る。 恋人なんていないわと笑う薫子。薫子を見ていると、それは本当なのだと信じられる。けれど大貴の知らないところで当然初体験も済ませていて、初恋などもあったのかと思うと、いてもたってもいられなくなる……こういうことを考えだすといつでも、何度でも、大貴は複雑な感情を抱き嫉妬を膨らませた。 爪を眺める俯きがちな表情を拗ね顔にして。 くやしい。同い歳に生まれたかった。はやく大人になりたい。大人の男になったら、薫子を抱きしめて押し倒してみたい……実のところ、それだけに留まらず、傷つけてもみたい……あの白い肌に鞭の痕や、切り裂いた赤い傷を刻みたくてたまらない。 永遠に閉じこめて眺めたい、ひっそりと鍵穴から。ありとあらゆる方法で彼女を穢したい。いっそ、壊してしまいたい。悲鳴を果てしなくきかせてくれるまで。 想像を脱線させる大貴が歪んだ薄笑みを零してしまったとき、目的地に着いた。 特定の店には属していない薫子だが、ゲスト女王として短期間、ひとつの店舗に所属することもある。今月は『testament(テスタメント)』というSMクラブに集中出勤していた。知りあいの女王が在籍していて、頼まれたのだと言う。 店から少し離れたところにある駐車場に停まると、大貴は外に飛び出した。長田の静止する声も聞かずに。 街灯の明かりの下、大貴は夜道を駆けてゆく。駐車場から店への道はもう覚えてしまった。すぐにキャリーバッグを引いた薫子の姿を見つける。 今夜の薫子はシンプルなワンピース、柄タイツとパンプス。ロリータ色はなく、クールな女王様といった装い。首に嵌めたチョーカーはさらさらの黒髪に良く似合う。 「おねえちゃんっ。お仕事おつかれさま!」 寄ってくる大貴に、立ち止まった薫子は一瞬呆れた表情をし、ため息を零した。大貴の頭を軽く小突く。 「もう……駄目じゃないの、車で待っていなさいって言ったでしょう? 子供がうろつく場所でも、時間でもないのだから」 「だって、薫子おねえちゃんにはやく会いたかったんだもん……!」 「甘えても駄目よ。まったく……先にお家に帰っていてもかまわないのに」 薫子は肩をすくめてから、歩きだす。叱られた大貴はすこしだけ唇を尖らせたけれど、薫子と会えたことや、薔薇の香りに嬉しくなって、すぐにニコニコと笑みを浮かべてしまって隣を歩いた。 街灯が映し出す影は、ヒールを履いた薫子のほうが、ローファーの大貴よりもまだ背丈がある。 3 / 10眠くない大貴が「パフェたべたい!」とわがままを言うと、薫子は聞きいれてくれた。明日は休みだし、薫子も年齢の割に落ちついているけれど若い女の子であることには変わりない。「私もアイスクリームが食べたい気分だわ」と微笑いかえしてくれた。お気になさらずと言う長田は車に残り、趣味の官能小説読書をはじめた。大貴は薫子に連れられて、繁華街のはずれのファミレスに入る。 高級レストランでばかり食事をしてきた大貴には、庶民的なファミレスのほうがもの珍しくて楽しい。休み前ということと繁華街が近いこともあり、日付が変わっているにもかかわらず様々な客層で溢れていた。大学生らしき若者、飲み会の帰りのような集団、水商売系の男女……大貴たちは窓際の席に案内される。 大貴は嬉々としてメニューを開き、チョコレートブラウニーのパフェを頼んだ。薫子はチョコレートアイスを注文する。ドリンクバーであたたかい紅茶を飲みながら、デザートが届くのを待った。 「今日はどんなお仕事したの? 俺はねっいっぱい丁寧にしてもらったよ。岩佐サンはやさしいからスキ! またガンダムのおもちゃもらっちゃった、レッドアストレイのフィギュアだよ」 「まあ……また? ちゃんとお礼をしなくてはいけないわ」 「うんっ。じゃあこんど高島屋いこ、ネクタイかってあげようかなー。ねぇついてきてくれる?」 「ええ、良いけれど……」 棺桶の形をした指輪を口元に当てて、薫子は頷く。その仕草は薫子の癖のひとつで、大貴が好きな薫子の癖たちのなかでも上位だ。 「じゃあそのときー、僕のお洋服えらんで着せて。薫子おねえちゃんの好きなかっこうしてお出かけしたい!」 大貴がサスペンダーを引っ張っていると、パフェとケーキ、それからアイスが届けられた。夜中に食べるチョコレートの味は格別に美味しいと大貴は思う。 「脚を巻きつかせて、首を絞めたの。とても苦しそうだった……苦しそうな奴隷の顔を見つめているあの時間、嫌いじゃないわ。それから尿道プレイもご所望だったから、したのだけれど……」 味わいながらすこしだけ、今日のプレイ内容を語ってくれる薫子。 薫子と官能的なSMの話が出来るなんて未だに信じられなくて、嬉しくて、大貴はうっとりとしてしまう。まわりの客は馬鹿笑いをしていたり、会話に夢中で、店の片隅でこんな話がされているとは気づいていない。 「いいなぁ。俺、おねえちゃんのプレイ生で見たいっつ」 大貴は、薫子が女王として綴っているブログも、其処にアップされているプレイ写真も、毎日のように眺めてしまっている。淫靡なパーティーで行われるショウも会場で直に数度か見れたけれど、とても幻想的で怠惰で美しくて刺激的で……麗しかった。 けれどまだ大貴は、薫子と客の個人的なプレイを直接目にしたことはない。 「もう……見てどうするの?」 薫子は困ったような表情を浮かべる。 「どうするのって……僕だってSMのしごとするときあるし、SMスキだもん。おねえちゃんのプレイ見て、おなじSとして勉強したいっ!」 主張する大貴がテーブルを叩くと、薫子は首を横に振る。 「貴方に手ほどきなど必要ないわ。実際、私の元でお仕事をはじめてからも、子供離れしたテクニックだと評判をいただいているもの」 「でもー、それはパパにおしえてもらったやりかただし。薫子おねえちゃんのやりかたも知りたい。どんなふうに痛めつけるの? ぶべつするの? かわいがるの? 鞭の打ち方も見たい! 見せてよっ」 「困った子ね……」 薫子はため息を零して、目を伏せる。溶けかけたアイスクリームをスプーンで掻き混ぜながら。 4 / 10大貴が男娼の生活に入る手はずは整えてくれた薫子だけれど、やはり、本心からはよく思っていない。できれば普通に子どもらしく生活してほしい、という彼女の想いは大貴にも伝わってくる。でも、無理だ。大貴にとって大人の男たちとの性行為は、学校生活と同じくらい大切なもの。本当は性への興味など薄いし、同性を好きなわけでもないのに。好きなのは薫子だけなのに──ホモセックスをしていないと身体は落ち着かず、精神的にも不安定になる。 性的虐待なしの生活は半年しかもたなかった。心のバランスを保つために、嫌悪を感じたり、傷つきながらも被虐を味わう。 矛盾に満ち溢れているが、そんなぎりぎりの綱渡りをしないと壊れてしまうのが、大貴という歪まされた少年だ。男娼の仕事は、FAMILYを通して供給してもらう劇薬でもあり安定剤。 そして……SMプレイだけは、大貴も心から好きと言える官能行為。特に自らがSとなる時間は愉しくて仕方がない。崇史の躾の賜物か、サディストとしての資質は幼くも発芽してしまっている。 5 / 10──帰宅すると午前二時を回っていた。入浴を済ませると明け方近くになる。パジャマ姿の大貴は、子ども部屋で横になった。 けれども眠れない。薄闇の天井を眺めても、何度寝返りをうっても、落ち着かない。 起きあがると、薫子の寝室に向かう。 薫子は大貴がおなじベッドに潜りこんでも咎めない。それは、大貴のことをまだ男として見ていないせいもある。 「おねえちゃんっ」 大貴に背を向けて、壁際を向いている薫子はなにも言わない。眠っていないようなのに。 薫子も眠れない夜を過ごしているのなら、自分のせいなのだと大貴は思った。 「……僕、せっかくおねえちゃんが、ふつうの生活させてくれようとしてるのに、ぜんぜんうまくできてない……よね……?」 「…………」 布団のなかで大貴は言葉を続ける。 「ごめんなさい。SM見たいとか、もうゆわない。男娼のお仕事させてもらってるだけで、満足する……」 お風呂に入って、湯船で考えたりもして、落ちついた大貴は冷静な気持ちで述べた。 薫子のことが大好きだから、薫子の女王としての姿を間近で見てみたいと思ってしまった。こうして、おなじ寝室で眠るくらいの気軽さで。 「ふつうの子どもってむずかしいな。まねしようって頑張ってるんだよ、学校のみんなの……。もうおねえちゃんをこまらせない、心配させないからー……」 「貴方は……私を困らせたくないから、普通の男の子らしく居たいと思うのかしら」 薫子は寝返りを打ってくれた。大貴に向いてくれる。 間近な顔立ちはとても美しい。こんなに近くで見つめられて、大貴はどきっとすると同時に、幸福でたまらなくなる。ランジェリーから覗く素肌も綺麗で嬉しいけどすこしだけ目のやり場に困る。 「そんなことない。僕自身も、あこがれてる……!」 「大貴くんらしく居てくれれば……良いわ。貴方の素の笑顔を見られることに、私は、幸せを感じるもの……」 「おねえちゃん……」 「…………」 薫子はなにか、考えているようだった。自分のせいなのかと不安を覚えつつも…… 大貴は瞼を閉じる。 自慰のときやセックス中の妄想はいつも、薫子を性的に弄り回す妄想。 しかし普段の大貴にそんな欲求はない。ただ隣で眠れることの嬉しさに満足して、薫子の温もりに安らいで、眠りに誘われてゆく。 目覚めているのは、闇にため息を漏らす薫子だけになった。 6 / 10広く大きな窓の向こうには都心の夜景が広がっている。いくつかの部屋に分かれているシティホテルのスイートルーム、その一室で、大貴はニータイツを履いていた。肌に吸いついてくる感触は慣れた感触。嫌いではない。 今宵の大貴は、黒のラテックスでそろえた女王のような装いをする。ショートパンツのキャットスーツは真堂家でも着ていたけれど、これは薫子と暮らしはじめてからオーダーしてもらった品だ。実家で着ていたものは、背が伸びて、着れなくなってしまった。 「ふふ……」 太腿をなぞり、大貴は薄笑みを零す。 目の前にあるドレッサーの鏡の前、次に手に取るのは革製の首輪。薫子の奴隷だからつける首輪だ──首輪に意味があることが嬉しい。マゾでもないのに、絞まる感触にときめく。両手で首輪に触れながら、大貴はふたたび笑ってしまうのだ。 クスクスと笑って嬉しさに満足すると、二の腕まであるロンググローブをはめた。ニータイツやショートパンツと同じラテックス製。何度か手を握ったり開いたりして、準備は出来た。 ちょうど扉が開き、薫子の声がする。 「いらっしゃい……」と、大貴を呼ぶ声が。 「……はいっ。なに?」 大貴は振り向いた。その瞬間に飛び込んでくる麗しき女王の姿。ラバーの下着を彩る繊細なチュール飾りは、ショートグローブにも施されていた。 「準備は出来たのかしら?」 「出来たよっ。見てっ」 大貴は胸に手をあてる。薫子はしばらく真顔で大貴を注視し、すぐにピンヒールの踵を返した。 「……いらっしゃい、こちらへ」 綺麗な薫子の姿は後ろ姿も素晴らしい。さらさらと揺れる長い髪。大貴はうっとりと惹かれ、夢見心地で部屋を出た。 広いベッドルームには今宵の薫子の客がいる。 大貴とお揃いの首輪を嵌めたM男は床で正座していて、全裸だ。年齢は三十代半ばくらいだろうか。 大貴は女王・薫子のプレイを見学させてもらえることになった。薫子にその話を持ちかけられたときは驚いたが、嬉しくてたまらない。 この眼でじかに薫子の立ち居振る舞いを見られるなんて……考えただけで恍惚として、大貴の胸は熱くなる。 「さあ、始めましょう」 薫子の言葉が、豪奢な調度品の配された高い天井の一室に響く。 「遊戯(プレイ)の前に私への忠誠を表しなさい」 薫子に這いずって近寄り、絨毯に額をつけてひれ伏す奴隷。そして奴隷は薫子の靴に口づけを捧げた。 7 / 10──華やかであり、官能的な時間だ。薫子は愉しそうに男をいたぶる。バラ鞭を振り下ろしたり、ショートグローブの手で抓ったり、足置き台にし優雅にくつろいだりもする。 乗馬のように跨って部屋を回ったりもした。 不思議なのは、薫子はSでありながら優しさも感じさせることだ……母性? 包容力とでもいうのだろうか。 ひどく昏い闇色を纏い、唇を歪めて冷酷な笑みを浮かべたりもしているのに、ふとしたときに奴隷をいたわるような仕草も見せる。 大貴はスツールに腰掛けて眺め、女王としての薫子に惹きこまれてしまう。 崇史に対しては、従わなければいけないような畏怖も感じるけれど、つい甘えてしまう優しさも感じる。それはきっと父性なのだろう。 「大貴、その瓶を取って頂戴」 ときには大貴に助手の仕事を命じる薫子。大貴は素直に従う。呼び捨てにされいやらしい作業を手伝うのは悪くないなと思う。嬉しい。ゾクゾクする。 「お前は女の子のように鳴きたいのだったわね。鳴けるかしら?」 大貴が手渡したのはローションの容器だ。男はビニルシートをひいた絨毯の上に四つん這い。薫子と大貴に向けている尻はまだ貫通を知らない。薫子によって何度か弄られたりしているが、指で触られる程度で、男根を飲みこんだことは無いのだという。 至純な尻穴は、今宵も薫子の指でまた開かれてゆく。 大好きな人の手が男の蕾を嬲るさまは大貴にとってものすごく刺激的だった。大貴は食い入るように見てしまう。扇情的な光景で、素直に欲情してしまう下半身を押さえつけながら。ショートパンツの下で勃起しているのが恥ずかしい……でも興奮を止められない。 昂ぶりながら薫子の弄りを注視する。 「ここからは男の子の、貴方のお仕事よ」 すでに存分に喘いで感じた男から、薫子は指を離した。 薫子はペニスバンドも用意している。自らでは付けず、大貴にするように命じる。 「貴方がこの豚を犯すの」 「え、俺がー……?」 大貴は、自分は今日は見ているだけと思っていた。 プライベートのときより長いつけ睫毛で、しっかりとアイラインも引いた顔立ちで薫子は頷く。 「いいの? 女王サマのドレイを……俺がして、いいの……?」 いまは遊戯の時間だから、女王様と呼んだ。薫子に仕える奴隷で居たいと思っているから。 「貴方は私の専属奴隷よ。奴隷同士どう使おうと、私の勝手でしょう?」 「…………!」 専属奴隷……なんて素晴らしい響きなのだろう。大貴は嬉しさを表情に表してしまう。見つめる薫子にクスッと微笑われた。 8 / 10大貴は奴隷と共にベッドに座る。ペニスバンドを手渡すと、興奮まっただなかにいる男は熱い呼吸を繰り返しつつ受け取った。「おまえの手で俺につけろよっ」 命じれば素直に従い、大貴の腰に黒革のベルトを嵌める。その指先は震えていた。歓喜ゆえなのか、緊張からなのか、それとも羞恥などほかの感情で震えているのか…… 大貴は唇を歪めながら、そんな男の髪を慈しむように撫でる。 大貴にとって変態は可愛らしい。特にMの変態は可愛らしくてたまらない。子どもの大貴はなぜマゾを可愛らしく感じるのか明確には理由を見つけていない。ただなんとなく、自分がSだからかなーと思っている。 「しゃぶって。フェラして……」 擬似の男根、まずは男に咥えさせた。熱心に丹念にやっていることはわかるが、あまりにも稚拙なしゃぶり方。 大貴は苦笑してしまう。 「もういいよ。あとで丁寧に教えてあげる」 大貴は口淫を止めさせると、唾液で濡れたディルドにローションを垂らした。男が息を飲む。これから自らの尻穴に挿入される玩具を、期待と不安の入り混じった瞳で見つめている。 「だいじょうぶ、俺はうまいし、コレはそんなに大きくないから、安心して」 「まぁ……自分で上手いだなんて、よく言うわ……」 自慰をするように扱いてぬめりを塗れさせていくと、薫子が微笑う。先ほどまで大貴が座っていたスツールにピンヒールの脚を組み、腰を下ろす姿は麗しかった。 「ほんとだよ。おねえちゃんは俺の腰使い見たことないから、知らないだけだよ」 素でむっとしながら、大貴は膝立ちになり男の背後に移動する。 「俺のえっちのしかた……見たら……びっくりするよ。ふつうの子どもじゃないってわかる」 四つん這いになっている男の腰に片手をかけた。 再びローションを掴んで腰骨のあたりから垂らす。 その動作もまた慣れきっていて、小学生の少年がするものではない。 「冷たい……? でもちゃんと濡らさないとお前がいたいから、ガマンしろよ。お前、処女なんだよね? ふふ……カワイイ」 背中をなぞり、潤んだ尻穴を軽くいたぶっているとき、大貴は自分のテンションが上がっていくのを感じる。 この奴隷を犯すことに熱中してゆく。 犯されるときは好きじゃない、イヤな体位の後背位だけれど、犯すほうの立場なら好きだ。征服している感じが味わえるから。 「ほら、いれるぜ……」 「あ、ぁああッ……」 先端を押し当てただけで簡単にぬるり、と挿入った。 スムーズな挿入なのに、男は固く目を閉じてこわばっているし、かすかだけれど逃げようとする動作も見せた。及び腰になるのを大貴は両手で掴んでとどめ、擬似の男根の全てを収める。 「逃げんなよ」 「あ…………、ぁ…………」 しばらくは腰を動かさず、男が異物に慣れるのを待った。崇史も大貴が苦しそうな素振りを見せると、こうやってしばらく待ってくれることが多い。身体で覚えてきた性の作法。 いくらかは腸壁に馴染んだ気がしたところで、ゆったりと抜き差しをはじめた。 浅い部分で擦るのを繰り返し、時折押し進めて奥を突く。最奥に触れるとき男の喉からはくぐもった呻きが漏れる。かすれたようなその声は大貴を微笑わせた。頼るものを探す手が、シーツを掴んださまも良い。大貴の加虐心を刺激する。 「おまえのきもちいぃところは、ここかなぁ……」 そろそろ強い快感を与えてやろうかと目論み、大貴はある一点を突いた。 「…………ンぁッ、あっ、あぁあっ!!」 男の啼き声が変わった。男泣きのように雄々しく吠えはじめる。 「きゃはははは。アナルいいよなー? 特にお前みたいなマゾにはぁとくにたまんねーんじゃねぇの? あははははは!」 嬌声とも悲鳴ともつかない大人の喚きのなかで、大貴は侮蔑する。いよいよ、腰を激しく動かしながら。 クスクスと笑い続ける少年と、啜り泣く男の交尾。 異様な光景だ。ひどく退廃的で倒錯的な。 大貴が男の性器に手を伸ばしてやれば、ピストン運動のリズムを取るかのように揺れている。爆ぜそうに屹立し、感じきっている。尻穴への刺激で勃起している証拠を掴んだ大貴は嬉しくなった。 男を絶頂に追いこむため、様子を見ながら抽送を速めていく。 「ヌルヌルじゃん。はじめてなのに、ケツでこんなに感じるなんて才能あるんじゃねー? カチクの才能!」 「うぁああッ、ァあああ──……!」 「お前のケツがもっと開くようになったら、俺のチンコぶちこんでやるよ。たのしみだなー、中出しするの! あははははぁ!」 「ア、ア、ア……!!」 男の射精は近い。噴出したら仰向けにひっくり返して白濁を舐めてあげようと大貴は思った。 ご褒美と、フェラチオの指導を兼ねて。 9 / 10薔薇色のお湯で満たされたバスタブに腰掛け、大貴は自らのペニスを弄ぶ。奴隷は、満足気に帰っていった。大貴もうまく仕事をこなせたと思って満足している。 薫子の様子だけが少し変だ、マンションに帰宅する車内でも物思いに耽っているようだった…… 「……っ、あ……!」 擦りあげて大貴は達する。 白濁を迸らせ、反らした胸元や、腹部を汚した。太腿にも散る精液。出しっぱなしにしているシャワーの音に隠して、乱れた呼吸を繰り返す。 ふだんはあまり自慰をしない大貴だけれど、今宵は薫子とプレイしたせいか昂ってしまい、こっそり行ってしまった。 ……シャワーで精液を流しながら、大貴はすこしだけ自分がイヤになる。薫子の様子が妙だと気づいているのに性欲を抑えることもできず、風呂に入るなり、いけない妄想をして達するなんて。先程の奴隷と薫子を置き換えた妄想だ。 まだ見たことのない薫子の裸身を跪かせて後ろから犯した。髪を掴んで笑い、背中を引っ掻く。 空想と絶頂の余韻でぼおっとしてしまう夢見心地をかき消すよう大貴は頭を横に振る。 入浴を済ませ、パジャマ姿の肩にタオルをかけたまま、リビングに行った。 「薫子おねえちゃん……!」 薄闇のなか、薫子はソファに腰掛けている。明かりはランプシェードひとつだけ。そんな部屋で、出かけたときの黒いゴシックなドレスのまま紅茶を味わっていた。 「俺のせい……なの? なやんでるの……?」 不安に囚われながら大貴は近づく。薫子の横顔は陰影に覆われていても美しい。闇は白い肌と長い睫毛を引き立てもする。大貴は薫子のシルエットでさえも好きだ。 「貴方のせいで私が悩むわけ、ないじゃない。ただ……」 「ただ……?」 「禁忌に触れるのが怖いの。ただそれだけのことよ」 薫子は素っ気ないそぶりで言った。大貴は、素足で隣に腰かける。すると、微笑ってくれる薫子──陰に縁取られながら。 「貴方を見ていると……禁忌の存在を感じる。崇史さまは怖いわ。怖くて、残酷で、素晴らしい。なにも恐れてなどいないのね。美学……哲学にも近い……」 「なあに、それ……?」 薫子からはいつものように薔薇の匂いがする。瞼を閉じる大貴の目の前には、真堂家の薔薇園が浮かぶ。 「私は貴方にひきこまれそうになる……」 薫子に髪を撫でられた。そうされるのも大好きだ。大貴は瞑目したまま、薫子の肩に頭をもたれかけた。 「おねえちゃんのお話の意味、よくわからないけど……あんまり考えすぎないで」 不安だけを感じ取って、大貴は言葉を発した。薫子が頷いてくれたのがわかる。 「ええ。私は……悩んでなんていないのよ。ただ、戸惑っているだけ。私自身の心に……」 薫子の声を聞き、しばらくの間、大貴はそのままでいた。ほんのりと残る不安。 それでもいまの大貴はその不安をかき消す術を知らなくて、ただ薫子を信じるしかない。 大貴はまだ幼くて、そばに薫子が居てくれるだけで幸せで、それ以上の関係になりたいとは考えていない。 年齢にそぐわない関係性を大貴に無理強いするのは、いつも大人たちの方だ。 薫子もまた、そういった大人のひとりへと染まろうとしているのだった。姉と弟のような関係のままではいられずに。 やがて、時間の流れとともに、歯車は運命に導かれていよいよ激しく廻りだすのだが。 それはまだもう少し先のお話。 今宵はまだ、ただ、静寂が支配している。 くすぶる熱量をそっと秘めて。 10 / 10デパートで客に贈るネクタイを買った週末、大貴は崇史のネクタイも選んだ。家を出た日から一度も会っていないけれど、電話をしたり、プレゼントを贈ったりはしている。帰宅すると夕食はナポリタンに決まった。大貴も料理のお手伝いをする。薫子に教えてもらいながらたまねぎを切ったり、サラダのレタスをちぎったりした。 キッチンに並んで立って、笑ったりお話したりしながら時間を過ごせる日がくるなんて……一年前の大貴なら考えもしていない。 実はいまもときどき、夢なんじゃないかと思う。薫子と暮らしはじめてからずいぶん経つのに。 「いただきまーすっ!」 出来上がった食事の前で手を合わせて、大貴は満面の笑顔を浮かべる。黒いシャンデリアの下でまずはスープに口をつけて、ポタージュの味にはしゃいだ。それからナポリタンを食べて「おいしい!」と声を上げる。 「薫子おねえちゃんのごはんおいしいからすき、俺んちのコックさんよりおいしいよっ」 「お世辞はやめて頂戴……」 「おせじじゃない! ほんとにおいしんだもん」 薫子は高校生の頃、料理を習っていた。名家の令嬢にありがちな花嫁修業ではない。お嬢さまの薫子なりに自立したいと考え、自炊が出来るようになりたいと、教室に通っていたのだった。 「俺はおねえちゃんに助けてもらってー、家を出れたけど……おねえちゃんは自分の力で出て、すごいなー……」 食べる合間に、思っていることをポツリと呟く。 大貴は薫子のことを尊敬もしている。実年齢よりも大人っぽくて、自立していて、貫いていて、姿だけではなく内面も美しく麗しい。大貴には薫子が、眩しい。 「貴方はまだ、子どもだもの。私の歳でひとり暮らしなんて珍しくないわ」 「そうかもしんないけどー、すごい! だって、俺、おねえちゃんに教えてもらうまでお金の払い方もわかんなかったし、まだー、お洋服もたためないし……電車とかー、バスの乗りかたも、よくわかんねー……」 「電車は私もよくわからないわ。そうね、じゃあ、今度いっしょに乗ってみましょう?」 「! やったぁ! 乗るっー!」 薫子の申し出に顔を輝かせてしまう。そんな大貴を見て薫子も微笑する。それから薫子は上品な食べ方で、サラダを口に運んだ。 行き先を何処にするかの相談は、食後の紅茶を味わう時間にする。大貴と薫子は書斎にしている一室に移動して、地図を開いて見たりもして、遠出の計画を立てるのだった。 官能的な仕事のない穏やかな時間が過ぎてゆく。本当は、いつもこんな夜であればいいのにとも大貴は思う。それが叶えられない夢だということは、あの半年間でうんざりするほど知ったはずなのに。 いまだけは、悲しさも憤りも忘れて、年相応な少年の笑顔で薫子に甘える。書斎の重厚なソファにお行儀の悪い座り方をして、大好きな薫子との時間を楽しむのだった。 E N D |