…Another eyes of amber…

1 / 7

【僕と僕】


 生まれる前から、ハッキリと自我があり、意識もある。寄り添いあって過ごす『もう一人の僕』は胎児らしくほとんど眠っていたけど……僕は覚醒していた。
 だから、膜の向こうから聞こえる祝福の声に心躍らせていたよ。優しく語りかけてくる母、家族、そのほかの人々……皆僕たちの誕生を嬉しく思ってくれていて、うれしかった。彼らに応えるため、早く生まれたいとさえ思っていた。

 まさか、僕が呪われた子供だとは誰も思ってもいなかっただろう。

 僕自身も知らなかったから。
 産道を抜けた瞬間、眼球を焼く眩しさと激痛に泣き叫ぶまでは……

 9月30日、それは僕がこの世に生誕してしまった日。

 もう一人の僕と運命を分けた日。

 もう一人の僕には『楓』という名が与えられ、僕には『茜』という名が与えられた。

 同じ姿形をしているのに、僕たちは違う。

 産まれて間も無く、そのことを理解させられる。楓は黒い瞳、僕は琥珀の瞳。僕の瞳は呪いの瞳だと、大人たちが話しあっている。忌み子、不吉だ、捨てろ、いや、殺してしまえ! 僕を囲んで大人たちは口々に言い争う……
 
 僕は泣きつづけた。眼がずっと染みるように痛いのもあったけど、胎内にいたころと彼らの態度が違ったから。あんなに、僕の誕生を心待ちにしてくれていたはずの人々は、今や僕を殺せだとか、いらないとか、どうするんだと言いあっている。

 どうして僕は祝福されないの?

 どうして楓だけ僕たちを産んだ母に抱かれているの?

 なぜ僕は誰にも抱きしめて貰えないの?
 
 なぜ死ねと言われるの?
 生まれたばかりなのに……

 どうして否定される?
 僕が何をしたというの?
 
 存在しているだけで、憎しみを浴びるの?

 自分の意志で生み出されたわけでもないのに……
 
 ああ……痛くて眼を開けていられない。瞼を閉じれば楽になるけれど、代わりに闇に包まれる。

 そうか僕には光を見る眼がないんだ。

2 / 7

【母】 


 殺されずに済んだけど、暗くてじめじめとした場所に閉じこめられた僕。此処は蔵という名前なんだって。

 別に何処にいたって、僕には関係ない。
 どうせ眼を開けられないんだから。

 開けてしまえば、ひどい眩しさに襲われた。それだけじゃなく、色々なものが見えたり聞こえたりする。身体の透けた人たちや、動物、渦巻いている霊魂。幻覚と幻聴に常に悩まされる状態、と言えばいいのだろうか。
 時には、頭の中に直接に風景などが激しく流れ込んでくることもあった。雛屋は繁盛している菓子屋だから、客の思念なども次々と僕へと流れ込んでくる。

 うるさくて、とても瞼を開けて暮らすことは出来ない。僕は目隠しをして過ごしていた。

 暗闇の中で、楓に対しひどく憎悪が溢れつづけた……

 もう一人の僕の癖に。どうしてお前だけが外の世界で楽しく生きているんだろう。僕は、生まれた意味さえ与えてもらえないのに。楓はよく此処に忍び込んできて、無邪気に僕と遊びたがったけど、僕はいつも邪険に扱った。罵ったことも一度や二度じゃない。
 
 それなのに楓は来る。僕と同じその声を聞くだけで腹が立つのに、何故何度も来るんだろう?!

 込み上げる激情に苦しんでいると、時折現れ、僕を抱きしめてくれる存在も現れた。僕はいつも蔵に一人だから、間違いなく『人ではない』のに、その存在は、目隠しをしている僕に触れることができる。

 生きている間に、誰かに抱きしめられたり、髪をなでてもらえたことなんて、この人にしかされたことがない。

 気づけば僕は『母さん』と呼んでいた。

 母さんは、それを否定しなかった。それほど言葉を交わしたことはないけれど、僕のことを愛らしいと言ってくれる、優しい女の人だった。

3 / 7

【首縊り】 


 蔵には沢山の書物がある。僕は染みる光とうるさい周りをこらえて眼を開け、読書することもあった。すらすらと字も読める僕はおかしいし、異質なのだろう。習ったことなんて無いのに。

 そんなある日、偶然に、一人の女性に関する記述を見つけた。

 昔、雛屋の若者と、琥珀色の瞳をもつ遊女が結ばれたが、祝福されず。迫害された遊女は自殺した。腹に宿していた胎児と共に。それ以降、日生家には度々、琥珀の眼をした赤子が生まれ、遊女の呪いと言われている。

「母さん!母さんだ!」

 僕はそう叫んだ。信じて疑わなかった、この人が僕を抱きしめてくれる母さんなんだ……

 未だに僕のような子が生まれてしまうし、まだ成仏できていない母さん。可哀相に。どうしたら母さんを癒すことができるんだろう? ずっと閉じこめられている僕では何もしてあげられないのかな。

 僕は此処から出て、手だてを探したくなった。でも出ることはおろか、まともに陽の光のもとで眼も開けていられない。

 そうだ、楓が持つ『光を見る眼』を僕に頂戴。
 二つとはいわない、一つでいい。
 楓に貰った眼で、僕は不自由なく世界を見れるようになって、母さんを癒す方法を探しに行くんだ。交換すれば楓にも呪いと苦しみを分けられるから、一石二鳥だよ。

 そして僕は身体を捨てよう。
 生まれた意味を与えてもらえなかったこんな命、暗闇から一度も出してもらえないこんな身体、僕のほうから放棄してやる。

 楓はそろそろ学校というところから帰ってくるね。
 僕は首を吊って待っていよう。
 呪いの眼はときどき、未来も見せてくれる。蔵に駆け込んで驚く楓の顔が浮かび上がり、僕はクスクスと笑ってしまった。

4 / 7

【陰と陽】 


 奪いとった普通の左目で、たくさんのものを見た。

 青空がこんなに美しいものだなんて知らなかった。
 風に揺れる花も、海も、都会の街並みも眺めているだけで楽しい。自由になった僕は信号機に腰掛け、夜景を眺めたりもする。感動のあまり、今までとは違う感情から涙してしまうこともあった。

 外の世界は、光に照らされる世界は、素晴らしすぎる。

 僕は母さんを成仏させてあげる方法も探さずに、ずいぶんと長い間、フワフワと流浪し続けた。はじめて知る蔵の外がとても楽しくて……しかたなかった。

 どこかの商店街を歩いていたら、古い和菓子屋を見て足が止まる。僕を透けてたくさんの人が通り過ぎていく……ふと帰りたくなった。あれほど憎んでいたのに、雛屋が懐かしくて仕方なくなる。

 引き返し、辿り着いたのは夜だった。
 楓はどうしているんだろう?
 僕とまるで入れ替りのように、閉じこめられたところまでは知っているけれど。

 蔵に入れば、楓はシクシクと泣いていた。粗末なランプ一つつけて、冷たい床の上にうずくまって。

 気の毒に。そう思うと同時に、口の端が吊り上がる意地悪な僕もいた。

 どう? 辛いよね? 楓……

 一歩も外に出られないし、夜は寒いし、時々食事を忘れられることもあってそんなときはさらに最悪。
 今まで自由に物を見れたのに片目しか普通じゃなくなったのも楓にはこたえるかもしれないね。僕があげた眼は光は染みるし、おかしなものを見せたり、聴かせたりといたずらするだろう?

 でも、楓は此処が辛くて泣いているのではないみたい。
 繰り返し、僕の名前を漏らしている。

 僕を想って泣いていてくれてるんだと気づいた瞬間心が砕け落ちるみたいな感覚がした。

「……茜と、もっとはやくに目をわければよかった、そうすれば、しななくて、すんだの……? ほんとうにしんじゃった……、しんじゃったんだ……」

 ああ……楓はなんて澄んでいるんだ。

 その場に立ちすくんでしまう、声なんて掛けられない。掛けたところで、左目を隠している楓に僕の声は届かないだろう。

 僕は琥珀の両目のままで死ぬべきだった? 僕を想ってくれる楓を憎みつづけ、その末に呪いを分けるなんて、いけないことをしたのかな……?

 思っても、もう、遅いけれど。

5 / 7

【遊郭の夜】 


 そのうちに、楓は『四季彩』に売られてしまった。
 母さんがいたあの遊廓に。

 たしかに僕は、辛さを分けてやろうとは思ってた。でもこんなのは望んでないよ……毎晩男の人に犯されてしまうような人生に堕としめるはずじゃなかった。

「あぁあぁッ、あ、ぁ……」

 楓の仕事を見下ろし、憂鬱に染まる。

 楓に覆いかぶさる客のモノは太くて、長くて、大きくて……僕と同じ顔立ちが歪んでいく。快感じゃない、明らかに苦しそうだ。

 痛いに決まってるよ。楓の身体に突き刺さっていることが、この目で見ても信じられないから。あんなにすごいものを入れられて、楓のお腹が壊れてしまうんじゃないかと心配になってしまう。

「ひうぅ……、っ、ぁぅ……!」

 男の体が躍動するたびに、楓は悲鳴をこぼす。

 それなのに。満足げな男に微笑みかけられると、楓も微笑みかえす。脂汗まで滲ませているくせに、口の端をゆるめてみせる。
 
 楓は僕を恨むどころか、文句一つ零さない。すべて受けいれてしまうんだ。今のこの行為も、遊廓に堕とされた生活も、すべて。

 楓は強い。僕よりもきっと、ずっと……

 部屋の隅に佇み、うつむいていると。いつのまにか男は絶頂を迎えている。楓の肌は白濁塗れ。お互いの唇をついばみ合っていて──その様子を見ていると、楓の視線は僕をとらえた。

 眺めていたのが、ばれている。

 びっくりして、僕はあとずさりをした。
 その瞬間に楓は吹きだし、笑いだす。客がどうしたんだと尋ねると「なんでもないんだ」と言って。

 恥ずかしくなる僕は縁側に出た。廊下の闇には二つの瞳が光る。一瞬、琥珀色に輝いた気がしたけれど──気のせいだったみたい。歩いてきたのは伽羅だったから。

「伽羅、楓が、ぼくを笑ったんだよ」

 愚痴りながら、僕は庭に面して腰掛けた。
 動物は霊感が強いから、僕を分かることが多い。なかでも伽羅は強いほうで、僕の手を舐めることもできる。夜の闇に今にも溶けてしまいそうな、うつろに揺らぐ僕の身体を。

 伽羅と戯れるのは嫌いじゃない。母さんは近頃、姿を現さなくなってしまったけど……こうしていると母さんと過ごしていた温もりを思いだすよ。母さんは、今、何処にいるのかな。

 客を送ってきた楓は、僕の隣にそっと腰を下ろしてきた。お風呂も入ったみたいでさっぱりとしている。僕達はぽつぽつと会話をしながら、降り注ぐ星を眺めてた。

6 / 7

【ミサ】 


 白く綺麗な建物は、町外れに建っている。バスを降りた女の子はその中に入ってゆく……僕は密やかに追いかけた。

 楓はあの子のことが好き。楓自身はまだ気づいていないけど、もうすぐ気づくはず。それに僕は、楓とあの子には引き寄せ合うなにかを感じてた。運命と名付けてもいいほどのものを……僕の右目が、強く訴えかけてきて仕方ないから、気になって女の子を尾けたんだ。

 女の子は与えられている部屋に帰ると、学校の服からワンピースに着替える。携帯電話ばかりさわっていた。色々な人とかわるがわるに話して、無理やりに時間を埋めるかのよう。

 話しながら開く手帳は、人と会う予定で詰まっている。
 夜になり眠る時もたくさんのぬいぐるみに囲まれてやっと眼を閉じる。

 女の子は、病的なほどに空白を怖れていた。

 僕は好奇心に負けて、眼帯を外す。片目でも、僕の力は楓とは比べ物にならない。
 とたんに激しく流れ込む、彼女の思念──

 寂しい。
 悲しい。
 ひとりぼっち。
 なぜ愛されないの。

 可憐な女の子が秘めていたのは、渦巻く負の感情。
 
 ……幼い彼女はいつも心待ちにしている、大好きな父親が会いに来てくれる日を。だけどそんな日は稀だし、一緒に暮らすことは永遠にできない。

 母の方はというと女の子を憎んでいた。蹴飛ばしたり、髪を引っ張ったり、呪いの言葉を吐きかける。憎悪に支配された母に見つめられ、ガタガタと震える女の子の姿が、僕の心を痛ませた。

 だけど、もっと凄惨なものを見せられることになる。

 女の子は初恋をした。女の子の暮らす『児童施設』に『研修』で訪れた大学生に。
『福祉』の大学……? 僕はそれがどういう意味なのか、大学という場所もどういうものなのか、なんとなくしかわからない。

 大学生は女の子に優しかったけど、あるとき豹変する。夜中に部屋に忍び込んできて、楓が毎日しているあの仕事と同じことを強要した。やめて、と叫ぼうとした口はハンカチを噛まされて塞がれ、無理やりに行為をすすめられる。

 痛い!
 怖い!
 嫌!!!
 すきだったのに……

 はじめてだったのに!!

 溢れる血と涙。それから女の子は壊れてしまった。手当たり次第に誰とでもして、門限もよく破って、街で男の人達と遊ぶようになる。僕は辛くなって見ていられなくなり、右目を隠す。

 目の前の現実世界では、勢いよく飛び起きる女の子。汗をかいて、肩で息をしていた。

「またあの夜の夢……!」

 うなだれたあとに、女の子は枕元の携帯電話を握りしめる。震える指で操作すると、すぐに耳にあてた。

「……かえでくん。よかった、でてくれて……お仕事はおわったの……?」

 女の子の頬には、静かな涙が伝う。
 僕は楓と電話が繋がったことにほっとする。
 やっぱり、二人には運命を感じるよ。

「なんでもないよ。かえでくんの声がききたくなっただけだよ! 本当だよ。ねえお話して……」

 僕は浮遊して、この場所を離れた。楓と女の子にすてきな未来が訪れますように。呪ったり恨んだりしたことはたくさんあるけど、幸せを願うなんて僕らしくない。

 僕も少しは大人になれたのかな。死んでしまってから成長するなんて、可笑しい。

7 / 7

 車を降りた楓は走っていく、全速力で駆け出していく。やっぱり僕の右目が見せた予感通り、あの子は楓を変えたんだ。

 生まれてはじめて、楓は抗うんだね。

 僕の反抗は死だったけど、楓は違う。
 楓は生きて、命を育む。

 僕達は何処までも正反対。同じ声をして、同じ顔をして、手の大きさも身体の線もすべて同じなのに。 

 楓のことをもう一人の僕と思っていたのは遠い昔。あまりにも違うと気づいたよ。楓のことが眩しくてたまらない。きらきらとしていて、まっすぐで、青空に輝く光のようだ。でも僕は、楓にもらった左目がなければ太陽の下で過ごすこともできない日陰の子。

 闇にふちどられているような僕だけど、呪いを分け与えたようなこんな僕だけど……楓とあの子の幸せを祈る。

 僕の願いが、闇を裂きますように。手を合わせるよ。女の子に宿る命が、どうか、僕と同じ眼をして生まれませんように。

 僕が感じた苦しみを、辛さを、もう誰にも味わせたくない。

 え……、僕は何を思っているの?

 この身の辛さを知らしめたいと思っていた僕が。呪わしさに気が狂いそうだった僕が……

 嫉妬と憎悪で自らの目をえぐり、楓に押しつけたようなこの僕が!

 僕のような子が生まれないように、と心から思うなんて、どうしてしまったんだろう。

 戸惑った瞬間。
 優しく抱きしめられる。
 忘れもしない、紛れもない、この温もりは。

「母……さん…?」

 はちみつのにおいがした。母さんが姿を見せるたび、蔵の中で感じた甘いにおい。驚愕のあまりに振り向けば、誰もいない、感触も立ち消える。

 甘い風は遊廓の方角に靡いていく。僕は恍惚の想いで佇んでいた。やっぱり、母さんは、まだそこにいるの?
 四季彩に潜んでいるの?

 ねえ楓……
 僕は四季彩に留まろうかな。手がかりがほしい……いつまで母さんとの隠れんぼは続くんだろう。どうして、今はちゃんと姿を見せてくれないんだろう。

「楓を導いたのも、母さんなんでしょ……? そうにきまってる、楓に未来を見るほどの力なんて、ない……」

 母さんと一緒じゃなきゃ、成仏したくない。
 いつの日か、母さんを連れて一緒に昇りたい。
 あの人と手を繋いで、永遠の眠りにつく。
 それが僕の夢。

 だから僕は背を向けて、母さんの香りたなびく四季彩に戻った。
 僕はいつも、楓と反対の道を選ぶ。
 きっとそれは宿命だね。
 改めて不思議、同じ身体をしているのに。

茜篇 終……