Doll

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 大都会・東京。
 オフィス街に立ち並ぶ高層ビルのひとつの前に、黒塗りのハイヤーが停まる。降りてきたのはこのビルに本社を構える企業の重役・竹村だ。猫背ではあるものの、立場にふさわしくそれなりの風格を漂わせている。白髪を整髪料でなでつけた髪形がよく似合っていた。
「竹村常務。真堂不動産のご子息さまが、すでにいらしております……」 
 吹き抜けのエントランスホールに入ると、待ちかまえていた社員に声を掛けられる。
「わかっておる、連絡なら入ってるよ」
「はっ、すみません」
「丁重にもてなしているんだろうな?」
「それはもう……応接室にて」
 社員はうやうやしく頭を下げた。
 取引先である真堂グループの中核企業・真堂不動産の御曹司が“社会見学”と称され、ときおり送りこまれてくる。今回は三ヶ月ぶりのことで、応対はいつも竹村が担当していた。
 しかし、支社での会議が長引き、約束の時刻をずいぶんと過ぎてしまっている。竹村は秘書とともに早足でエレベーターに乗りこんだ。子息の待つ応接室へと急がなければならない。
「真堂社長は教育熱心なことですな。初等部の頃から、他社に見学に寄越すなど」
 乗り合わせた他の重役が、皮肉まじりに話しかけてきた。竹村は快活に笑ってみせる。
「よろしいことじゃないか。原石は、若いうちから磨くに越したことはない」
「だが常務、仕事の邪魔にならんかね」
「後継ぎをもてなすのも、接待。仕事のひとつだよ」
「なるほど、たしかに」
 重役は頷き、すぐに降りていった。
 応接室はというと最上階にあり、見晴らしの良さはどの来訪者にも評判だ。
「今日は当社のあらましを語って聞かせよう。大人が大勢で行ったら、ご令息も緊張してしまうからね。君は席を外していなさい。なに、子守りくらい私にも出来る。こう見えて孫もいるんだから」
 もっともらしいことを言い、秘書を追い払った竹村はひとりで応接室に入った。入室するとロックをかける。タッチパネルで操作する難解なもので、秘書といえどもう入ってこられない。
「大貴くん。大貴くぅーん……!」
 瞬間、他の社員に対するのとはまったく違う、甘えるような猫撫で声を出した。
 パーテーションの奥を覗くと、真堂グループの御曹司──大貴は、一人がけのソファに座っている。半ズボンにハイソックスの長い脚を、もてあましているかのように優美に組んで。名門私立初等部の制服姿が竹村には眩しい。
 大貴の髪色は生まれつきの亜麻色だ。少年の父親である真堂不動産の若社長は『北欧系のクォーター』という噂で 、コーカソイドの血を引いているらしい。実子の大貴もどことなく日本人離れした雰囲気を漂わせている。上品ないでたちで紅茶を味わう大貴の姿は、どこぞのロイヤルファミリーの皇子にも見えなくもない。

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「おっそいなあ……、竹村のおじさま。僕をいったいどれだけ待たせたと思ってるの?」
 大貴は苛立ちを隠さない。ティーカップをソーサーに置く動作は乱雑で、ガシャンと波立つ。竹村は反射的にひれ伏し、絨毯に土下座した。
「ご……、ごめんねぇ、大貴くんッ、おじちゃん会議が長引いちゃってぇ! ごめんねぇ、ごめんねぇ……」
「僕とのやくそくを守ることよりも、だいじな会議なんだ?」
「違う、違うよぉ。大貴くんのほうが大事に決まっているよおッ!」
 竹村は這いずり寄り、大貴の脚にすがりついた。膝に頬をすり寄せ、必死の弁解をはじめる。
「悪いヤツばかりなんだよ。おじちゃんの足をひっぱろうとするヤツらばかりでね、だれも信用出来ない。今日だって、大貴君が社会見学に来るって知ってるくせにぃ、みんなしておじちゃんのこと足止めするのぉ……」
「言い訳はきらい」
 竹村に大貴は言い捨てた。ティーカップを再び持ちあげ、背広の背中に傾ける。それほど熱くはなかったが、紅茶の感触に「ギャッ」と声を上げてしまった竹村だった。
「あー。手がすべっちゃったー……」
「だ、大貴くんっ、本当にごめんね、ごめんなさい!」
「シミになっちゃう。高そうなスーツなのに」
 絨毯の上で濡れ、ブザマに跪いている竹村に対して口の端を吊りあげた大貴は、さらに意地悪な言葉を投げつけてきた。
「もう会ってやらないよ。僕を待たせるだめイヌとはあそばない」
「ごっ、ごっ、ごめんってばぁ〜! 大貴くぅん、おじちゃんを嫌わないで!!」
 竹村はさらに頭を大貴の脚へ擦りつけた。
 社会見学というのは建前だ。本当は、竹村のほうが大貴を呼び寄せている。高額を支払うこともあれば、対価に真堂グループに優位な取引を強いられることもある。それでも、竹村は構わない。
「きゃはははは! かっこわるいイヌー!」
 大貴は無邪気に笑いながら、竹村のネクタイを引っ張ってきた。顔面にはローファーの靴底も押しつけられてしまう。
「あぁあ……大貴くぅん……」
 踏まれて嬉しくなる竹村は、恍惚としながら靴を両手で奪った。大貴は間違いなくサディストの気があり、今後の成長を想っても、竹村は期待でときめきがとまらなくなる。
「なめろよ。もうしわけないって思ってるんなら、ぴかぴかになめまわして」
 当然のごとく命令に従い、美味しいお菓子を貪るかのように、無我夢中でローファーの裏も表も唾液まみれにしていく。
「あはははは……、きたないのにおじさまってすごいね、あははははッッ!!」
 声変りを迎えていない笑い声は、竹村には天使の嬌声に聞こえる。
 応接室に響きわたる至上の福音。
 竹村にとって大貴は、快楽の世界へと導いてくれる、倒錯の天使でしかない。

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 大貴は少年愛趣味を持つエグゼクティブたちの間では有名な存在だ。社長であり父親である崇史の命により、夜ごと彼らの元に派遣され、股をひらく性的愛玩用少年。
 寵愛され、変態性欲の捌け口にされ、ときには多人数にも廻される。それが大貴の日常だった。
「お疲れさまです、大貴さま」 
 竹村との戯れを終え、迎えの車に乗り込むと、運転手の桐島がそう言ってくれる。真堂家お抱えの運転手で、学校の送り迎えもしてくれる者だ。
「楽しいひとときをお過ごしになられましたか?」
「たのしいわけないだろ。仕事だからやってるんだ」
 大貴は後部座席に通学カバンを放り、ふてくされた表情で座った。性行為のあとに締め直したネクタイをまたゆるめて、唇を尖らせる。
「パパの命令じゃなかったら、あんなおじさんとあそぶわけないもん」
 座席には大貴のため、色とりどりのキャンディーやチョコレートが用意されている。いつも大人相手にキスや口淫を強いられている大貴の口直し用に。
 さっそく開けるチョコレートの銀紙は、その場に適当に捨てた。接待相手の大人がいれば猫をかぶって行儀良くする大貴だったが、ふだんからいい子ぶりっこなどはしない。
「このくつも、もういらない……つばくさい、へんたいのM男のよだれまみれだ」
「そうですか、では新しいお靴を下ろしましょうね」
 大貴は次にストロベリー味の飴を口に放りこみながら、座席の背にもたれた。
 過ぎ去る夜景のなかで、さきほどの応接室を思いだす。退屈なプレイだった。気持ちよくもなんともない。犯された尻穴はいまも疼き、ジクジクと鈍く痛む。
 こんな痛み、もう慣れっこなのだけれど……
 最近の大貴はときおり、ふとしたときに暗い気持ちになる。
「九時すぎちゃった……」
 窓にうっすらと映る自分の顔を眺め、ため息を漏らした。
 子どもむけアニメの時間はもうとっくに終わっている。
 録画してきているからいいのだが、好きな番組をリアルタイムで観たことなんてほとんどなかった。夜は大人たちと淫靡に過ごしてばかりだ。
(なんかもう……こんな毎日、つかれたな……)
 キャンディーを噛み砕く大貴の表情は憂鬱に染まる。悲しくなってしまう。
 学校の友達は夕食を味わいながら見たり、家族でテレビを見たりしているらしい。それなのに大貴はというと、さきほどまで変態の男に犯されて喘ぎ、立ったままバックから挿入され、中出しを派手に注がれていた。
(ふつうの生活が……したい)
 そうは思っても『普通の生活』がどんなものかもよくわからない。マンガで読んだり、クラスメイトから聞く話などから想像しているだけ。
 憧れて、イメージを描いて。
(ママが生きてたら、もうちょっとはふつうだったのかな。こんなにおかしくならずにすんだ……?)

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 大貴はカバンを引き寄せた。膝の上で開き、教科書やノートとは別のところにしまってある、側面のポケットからロザリオを取りだす。
 六角形にカットされた黒数珠が連なっている、優美なデザインのもの。
「おねえちゃん……」
 鈍く輝く十字架を見つめて、大貴の吐息は熱を帯びた。ロザリオの本来の持ち主は、大貴より七つ年上の峰野家の令嬢。
 大貴の母親は生前、ピアニストをしていた。現役を引退してからは名家の子女相手にピアノ教室をひらいており、峰野家の娘もそのひとりである。
『峰野のおじょうさま、薫子さんよ』
 母親に紹介された日のことはいまでも鮮烈に覚えている。
 大貴はそのとき、たった五歳だったというのに。
 忘れもしない。
 陽光差しこむ真堂家のリビング、大貴の目に薫子は女神のように映った。
 濃紺のワンピース姿の美少女。黒髪はさらさらで長くて、睫毛も長くて、手足は細くて白くて──綺麗だった。薫子を形成しているすべてのパーツを、大貴はひと目で気に入ってしまった。冷ややかなほどに澄ました表情も、薫子の魅力を引き立たせている。
 あまりに大貴がじいっと見るものだから、母親は薫子に『ごめんなさいね』と謝っていた始末だ。
 その後レッスンで訪れる薫子と顔を合わせるたび、大貴の心はどきどきした。話せると嬉しくて、楽しくて、もっといっしょにいたいとも思う。
 小学校に上がってから、この気持ちが『恋』であると気づいた。薫子への『好き』は、ママとパパに対する好きとは違うし、クラスメイトに対する好きとも違う。
 痛くて切なくてはりさけそうな『好き』だ。
 一目惚れという単語も、成長とともに大貴は知る。
 まさしくそれは、五歳のあの日にしたもの。
 それほどまでに大好きな令嬢なのに、いまはめっきり会う機会が減ってしまい、さみしい。
 黒いゴシック・ロリータのドレスを好み、身に纏う薫子は『峰野家の恥』だという。両親との折り合いは昔から良くなかったが、短大に進学するのを期に決定的に断絶した。薫子は勘当に近いかたちで、遠くの街でひとり暮らしをしている。
 大貴にとっては、薫子の纏う幾重ものフリルも、闇色のオーガンジーも、髑髏のモチーフも、すべてよく似合っていて美しくてたまらないのに。
 彼女の両親以外にも、固い大人はたくさんいる。
『まるで喪服だ』『鴉のよう』『薄気味の悪い趣味をお持ちで』などと揶揄する、淑女たちの話を聞いたことも大貴はあった。
(僕は……お姉ちゃんのこと、きれいだとおもうのに……)

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 最後に会った春先の薫子を思いだし、大貴の頬は朱に染まる。
 相変わらずの全身漆黒で、パニエで膨らませたスカートも、ニーソックスも、ブラウスも、すべて黒だった。長いネイルの色まで闇。
(スキ……)
 十字架を握りしめたり、見つめたりしていると自然に口許がほころんでしまう。遠くに引っ越してしまうのがさみしいと言ったところ、薫子が預けてくれたのがこのロザリオ。
 祖母の形見でとても大事なものらしいのに、だからこそと大貴に手渡してくれた。
 それからというもの、大貴はいつも肌身離さず持ち歩いている。
「──……来客か?」
 閑静な住宅街にある真堂家に帰ってきたとき、桐島がふと、ひとりごとを漏らした。
 ロザリオを眺めていた大貴だったが、顔を上げる。
 真堂家の正門前には、たしかに運転手つきのドイツ車が停まっていた。
「薫子おねえちゃんの車だ」
「えっ?」
 薄暗い夜闇のなかでも、外灯に照らされているナンバーを見ただけで大貴は分かった。薫子に関するいろんなことを覚えてしまっている。それがときおり常軌を逸するレベルに達している事実には『普通』を知らない大貴は自分で気づいていない。
「おねえちゃん!」
 車庫にも入っていないのに、大貴はその場で車を飛び降りる。制止する桐島の声も聞かず。
 ゴシック様式の鉄門をくぐり、石畳を駆け抜けた。
 真堂邸は先々代の建築した壮麗な洋館で、薔薇園に取り囲まれている。大貴の母親・舞花がこよなく愛し、世話をしていた薔薇たちは、いまも使用人たちの手によって華やかに維持されていた。
 大貴は館に辿りつく前に、こちらに向かって歩いてきていた人影と遭遇する。
 満月の光に彩られたその姿は、やはり薫子だ。
 今宵のドレスは漆黒のハイネック。胸元にはブラックダイヤモンドのブローチが光る。
「あら……」
 すこし驚いたように、薫子は瞳を見開いた。走ってきた大貴と、いきなり鉢合わせたので当然だろう。だがすぐに微笑み「ご機嫌よう」と挨拶をしてくれる。
「やっぱり、おねえちゃんだ、ぼく、車でわかった……よ……」
 全速力で駆けてきたので息が切れてしまった。ゼエゼエと呼吸する大貴に、薫子はまた微笑む。
 最近の薫子は笑顔を見せてくれることが多い。峰野家で暮らしていた頃は陰鬱を纏っているときが多くて、ため息ばかり零していた。細い手首にはためらい傷もいくつか走り、包帯で巻いて隠している時期さえもあった。
 そんな頃からすれば、こうやって朗らかな薫子の姿を見れるのは嬉しいことなのだけれど……
(どうしてそんなに……しあわせそうなの。彼氏でも、できたのかな)
 大貴の脳裏には不安がよぎる。
 だけどそれを確かめることも出来なかった。肯定されたらどうしようかと、怖い。

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 初等部の高学年になってから、大貴は気づいてしまった。歳の差というものに。
 幼い頃は考えなしに『薫子お姉ちゃんと結婚する』と言ってはばからなかったし、まわりの人々も微笑ましいと笑ってくれていた。
 けれどだんだんと現実を知る。
 薫子はもうすぐ二十歳なのに、自分はまだ小学生。
(僕が大人になるまで、だれともつきあわないで。なんて、ゆえない……!)
 薫子には、当然だけれど大人の男性が似あう。恋人になってと言っても、薫子はきっと冗談だと思うだろう。実際、結婚しようと無邪気に言えた幼い頃、薫子はクスクスと笑っていた。
「どうしたの、大貴くん」
 大貴が神妙な面持ちをしているからか、薫子はそっと顔を覗きこんでくれた。肩にも触れられる。
 その瞬間、大貴はさきほどの行為を思いだした。
 高層ビルの最上階で竹村常務と絡み合っていた時間。
 常務は大貴のブレザーにも顔をうずめ、しきりに頬ずりもしていたのだ。
「き、きたないから──……さわらないで!」
 薫子の手を払いのけてから、しまった、と大貴は思う。
 大貴にのけられた白く細い手は、宙に浮いている。
「あ……、……!」
 どうしよう。そんなつもりじゃなかったのに。大貴は狼狽し、石畳の上で身じろぐ。
「なにか、厭なことでもあったのかしら?」
「…………」
 薫子は優しい。すっと手を下ろして、今度はそんなふうに言ってくれた。大貴は震える。泣きそうな気持ちにもなってきて、こみあげる涙を振り切るように頭を横に振った。
「……ないよ、なにもない。……英語の先生の家に行ってておそくなっちゃった」
「こんな遅くまでお勉強だなんて、がんばりすぎよ」
「う……」
 とっさについた嘘に、薫子は眉をしかめる。
「パパみたいな社長になりたいから……そのためには、がんばらないといけないから……」
 大貴はもぞもぞと小声で言うと、俯く。社長になれるくらい大人になったらお姉ちゃんとつきあいたい、と咽喉(のど)まで出かかった言葉は飲みこんだ。
「大貴くんは立派ね」
 ……立派なんかじゃない。さっきまで中年男を足蹴にしたり罵ったりしていた。どろどろのセックスもした。唾液とローションと精液に塗れて、いまも下着は湿っているのに。
「そんなこと、ないよ……」
「貴方の家に来たのは、久しぶりにマドレーヌを作ったから、貴方に差し上げようと思ったのよ」
 弱々しい大貴の呟きをかき消して、薫子は話す。
「家政婦さんに渡してきたわ。お夜食にでもして頂戴」
「ありがとう」
 笑わなくちゃ、と大貴は思う。だから悲しくて苦しいけど、大貴は顔を上げて笑顔を作った。
 作り笑顔なら得意だ。大人たちの前ではいつもそうしているし、辛いことがあっても笑っていれば気がまぎれる。
「また来るわ……次はきちんと連絡をして、貴方の居る午後に。アフタヌーンティーでも楽しみましょう」
「うん、まってる」
「今宵はいまから、用事があるの。急がなくてはならないから。おやすみなさい」
 薫子は去っていった。門まで送ろうとも思ったが、大貴は後ろ姿を見送ることにする。
(いまから用事なの……? 大人だから、夜遅くに出かける日もあるんだろうけど……)
 もしかして、デートだったらどうしよう。不安になりながら、大貴は薫子の姿が見えなくなるまで石畳に佇んだ。やがて大貴の通学カバンを持ったお抱え運転手の桐島が、こちらに向かって歩いてくる。

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 入浴と夕食を終え、食後にはマドレーヌを味わい、録画したテレビ番組を見終わったころには十一時半を過ぎていた。
 ふだん、真堂家の使用人たちは大貴を零時までには寝させようとする。今夜も追い立てられて、まだ眠りたくない大貴なのに、しぶしぶ二階の自室に引き上げた。
 生まれたときから与えられている私室。イギリスの子ども部屋のような雰囲気でだだっ広く、壁紙は緑がかった青色をしている。もう身体が大きくなってしまって乗ることの出来ない木馬は飾りとしてそのまま置いてあり、空間のアクセントとなっていた。
 いくつもある大きな窓は高い天井まで伸びていて、ひとつだけ飾り窓もある。そこに嵌めこまれているのは蔓薔薇を描いたステンドグラスで美しい。
 子どもひとりで寝るには大きすぎるベッドや、ランプシェードの置かれたサイドテーブル、勉強をしたりする机はすべてマホガニーの特注品。
 まるで皇子さまの過ごすような空間で、パジャマ姿の大貴はベッドに腰を下ろし、ふてくされた表情を浮かべる。
 崇史はもうすこし甘いというか、夜更かしして寝坊しても「自己責任だ」と放っといてくれるのだが、執事や家政婦はうるさい。
 崇史はいま海外出張だから、その口うるさい大人たちしか真堂邸にいないのだ。階下にいる泊まりこみの家政婦には、子どもは夜更かしをしてはいけないのだと諭された。
「子ども子どもって、うるさいなー……」
 大貴は拗ねながら、サイドテーブルに置いていた十字架のロザリオを手に取った。
 ランプシェードのオレンジ色の明かりのなかで。
(はやく大人になりたいな。でもそのころには薫子おねえちゃんは、だれかと結婚してるのかな)
 そんなこと、絶対に許したくない。どうして年が離れて生まれてしまったのだろう。大貴は運命を呪いたくなる。
「それにぼくは……」
 大貴は無表情に遠くを見た。
「よごれているから……こんなよごれた僕は、きれいなおねえちゃんには似合わないや……」

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 薫子は知らない。大貴の身体が、余すことなく性調教されていることを。
 大貴と交わりたがるエグゼクティブたちと負けず劣らず、崇史は変態紳士だ。実の息子である大貴を幼児のころから犯し、徹底的に性の作法を教えこんできた。
 ときには拷問同然の行為までし、大貴を一級品の性玩具に育てた。
 その結果、大貴は小学五年生にして、未経験のプレイも体位も無いほどに性技を身につけている。
 フェラチオも尻の振り方も『素晴らしい』と大人たちは褒めてくれるし、犯される側だけでなく、受け身趣味の男や淑女を自らのペニスで犯すことも『実に上手い』と称賛を浴びる。
 だけど大貴は、どうせなら学校の成績が良いと褒められたいし、崇史や大人たちとはセックスをするよりも庭で遊んでほしい、遊園地や、動物園に連れていってほしい。
 それなのに、普通に遊んでもらえることはない。太陽の下で、子どもらしい場所に連れてもらったことなんてほとんどない。
 連れていかれるのは怪しいバーの地下や、拘束具の並ぶSMルームや、仮面を被った大人で溢れる妙なパーティーといったものばかり。
「せい……がんぐなんだよ……僕……、おねえちゃん……っ……」
 ぽろぽろと涙が零れた。泣き虫なのは小さいときからそうだったけれど、母親が死んでしまってからいっそう酷くなった気がする。
(……こんなことばれたら、どんな目でみられるんだろう。きらわれる……! けいべつ、される……)
 それだけは嫌だ。だから薫子には、この身が淫らに成熟していることは、ずっと隠しておかなければならない。
 もともと叶わない恋だった。歳も離れているし、綺麗な薫子にこんな汚れた手では触れられない、触れたくない、触れさせたくない。
 無数の男たちのペニスをしゃぶらされてきた唇で、薫子にくちづけるなんてとんでもないこと。
 絶対に出来ないし、したくない。
「でも、でも…………! スキだよ……! どうしたら……いい……の? ッ、うぅー……、……」
 ぐしゃぐしゃに濡らした頬をぬぐう。
 黒いロザリオは大貴の腿の上、反射して光る。
 大切なロザリオを預けてくれて、手を振りはらってしまったのにも関わらず心配してくれて。マドレーヌもとても美味しくて──薫子の優しさは、きっと弟を想うような種類のものだけど……嬉しい。そして痛すぎるほどに切なくて、大貴は眠りに落ちるまでしくしくと泣き続けてしまった。