戴冠

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 白い息を零しながら、大貴はエレベーターを降りる。
 薫子の住む高級マンションはワンフロアにいくつかの部屋があるが、それぞれの玄関からは広く長いポーチが伸びており、門扉までついていて、まるで一戸建てのような独立感だった。
 庶民からすれば豪華このうえない住居だが、大貴にとってはまるでちいさな隠れ家。生まれてからずっと、英国貴族の暮らすような洋館で生活してきた大貴には狭くこじんまりとした家に感じられる。
 アールデコ調の流線型で作られた門は、お揃いのクラシカルなデザインのアンティーク調のカギで開く。大貴はいつもそれを首から下げていて、解錠すると、ポーチを歩き、部屋のドアも同じカギで開いた。
「ただいまー…………」
 高い天井の玄関には、薫子の履く厚底のサンダルとミュールが置かれている。その横にスニーカーを雑に脱ぎ捨て、大貴は室内に上がった。カラスの剥製や、薫子の好む堕天使の絵画がいくつも飾られた廊下を歩きリビングに行っても……

 だれもいない。

 膝丈の半ズボン姿の大貴は口をとがらせる。ランドセルをずるずると外し、ピーコートも、マフラーも手袋もその場に放った。そして薔薇柄のソファに飛びこむ。
「おねえちゃんはきょうもしごと! つまんない! ちょうさみしいっ……!」
 ばたばたとクッションを蹴って、拗ねて暴れてみせる。
 真堂家に暮らしているころは、帰宅すれば家政婦や執事たちが仰々しいほどに迎えてくれたのに……いまはこうして、ひとりきりの日もあるのだ。
 着替えは使用人たちが手伝ってくれたし、どこにカバンを放ってもちゃんと片づけてくれた。帰ってきて早々、たとえば『エシレのフィナンシェがたべたい!』など命令しても即座にすぐさま買ってきてもらえたりしたのに、此処ではそんな我儘は通らない。
 紅茶の用意だって、大貴が『アールグレイが飲みたいなあー』と言うだけで誰かがすぐにしてくれたのに。薫子がいないときは、自分でお湯を沸かして作らないといけないのだ。 
 ふたりで住むということに夢見心地だった大貴は、現実の洗礼を浴びている。
 脱衣カゴに衣服を入れることや、冷蔵庫を開けたことすらなかったから、はじめのころは色々と覚えるのに大変で精一杯だった。

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 生活に必要な身の回りの所作を覚えた近頃は、さみしさでもがいている。今日のようにだれも出迎えてくれない日だけでなく、薫子の仕事が遅くなりひとりでご飯をたべる夜も稀にあった。
 電子レンジの使い方もお湯の沸かし方も覚えたけれど、だれにも見守られずに食事をするのはさみしい。
 こぼしても、拭いてくれる人はいない。口移しはおろか、アーンもしてくれない。食べたあとは流しに持っていかなくてはならない。
 薫子は家政婦のおばさまでも雇おうかと言ってくれたのに、二人暮らしにこだわった大貴がイヤだと断ったので、なにもかも自分でやらなくてはいけなくなったのは大貴の責任でもある。
 それに大貴自身も、はやくいろいろなことを覚えたかった。あまりになにもできないさまに閉口している薫子を見て、よけいにそう思った。
 いままではどうやら甘やかされていたらしいから、一般的な子ども並のことができるように、がんばっているけれど……さみしさは拭えない。
「なんだよ、仕事ってー! しごと、しごと、しごと…… おねえちゃんは僕より仕事のほうが大事なんだ!」
 薫子のしている仕事はSM女王。SMクラブでアルバイトしていたところをFAMILYにスカウトされ、Jackという役職に就き──もう特定の店舗には在籍していないものの、FAMILYの業務とは別に、個人的に女王の仕事も続けているのだった。
「ずるい。僕だって、SMしたい。おもいっきり鞭をふりまわしたいのに……!」
 薫子に引きとられてからというもの、官能的で退廃的なこととは無縁の日々を送っていた。薫子は『駄目よ』と言って、道具に触ることさえも許してくれない。
(そりゃあ、ふつうの生活できてることは、めちゃくちゃうれしいけど……)
 転校した公立の小学校は本当に『普通』だ。大貴ははじめて庶民の生活を楽しんでいる。
 子どもたちは言葉遣いが乱暴だったり、服装も乱れていたりして、最初は驚いた。けれど仲良くなってみれば素朴で屈託がない。名門私立校に通っていたときは眉を顰められるような遊び──例えば、泥だらけになってするサッカー、下校時に寄る駄菓子屋、休日にはゲームセンターに誘われたりもして、大貴の夢見ていた、本当に癒される日々を送っている。

 けれど。大貴にはなにかが足りない。
 満たされない。

 テレビやマンガで見ていた『普通の生活』に羨望していたはずなのに。いま送っている生活こそが、まさしく、その、喉から手が出るほど欲しかった生活なのに……

「僕は性玩具として育てられてきたんだもん。……もう……手おくれだったんだ……」

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 大貴は斜陽差しこむリビングで膝を抱える。拗ねていた子供の表情を消し、無表情に部屋を眺めた。
 薫子と暮らしはじめて半年。性行為をしていない身体は熱をもてあましている。薫子の目を盗んで自慰をしてみたりするけれど、もっと大きな手に握られる感触が欲しかった。
 尻穴だって、指では満足できない。太くて、長くて、張りつめたモノをぶちこんで欲しい。不快感をいつも覚えていた中出しでさえも懐かしく、ねっとりとした大人のキスも欲しかった。
(こんなことばっかり考えて、僕は……どうしようもないキチガイなんだ。アタマ……オカシイ……っ、普通の子はこんなこと考えない。知りもしない。エッチも、キスも、好きなひととしかしないんだって……でも僕は、僕は……淫乱で、汚いんだもん……)
 悲しくなってきた大貴は目を閉じる。薫子だけが好きなはずなのに、身体は大人の男を欲しているなんて、この矛盾が自分自身でも理解できず、辛い。
 ──できれば、崇史のようなひとがいい。引っ越してからというものずっと会っていない、電話で少し話すだけの崇史を想ってもっと悲しくなる。
(パパに……だきしめてもらいたい。ディープキス、してほしい。……犯してほしい……)
(なんてこと考えてるんだろう。変態。変態。変態。頭おかしい!)
(でもしたい、セックスしたい。しごくだけじゃ足りないよー……)
(普通の子は小学5年生でこんなセックスしないんだって。ほんと変態、気持ちわるい……)
(おじさんたちがなつかしい。僕のこと、また、犯してくれるかなー……)
(イヤだ。これ以上、汚れたくない。せっかくたすかったのに! かいほうされたのに!!)
 大貴の心は相反し、せめぎあい、暴れる。身体だけを著しく淫らに、心は純粋な子供のままで育てられてきた弊害が、大貴をひたすらに蝕んでいた。

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 19時に帰宅した薫子はすぐに夕食を作ってくれた。下ごしらえはしてあるので、準備は早い。サーモンクリームのパスタ、サラダ、スープの野菜はよく煮込んであって、偏食で好き嫌いの多い大貴でも食べやすいように工夫してある。
「おねえちゃんはホントにSMがすきなんだね。ずるい、僕だってしたいのに……!」
 食後、紅茶を飲むひととき、大貴は思いきり拗ねてみせた。家着にしているすこしばかりラフな黒いワンピースに着替えた薫子は大貴の言葉を気にする様子もない。バッハのチェンバロ協奏曲を聴きながら、優美なデザインのティーカップに唇をつけていた。 
「ドレイを蹴飛ばしたいな。鞭をふりまわして、激痛と快楽を与えてあげたい」
「子供離れしたことを、もう、しなくてもいいの。貴方は……」
 薫子は肩をすくめた。動作に長い黒髪も揺れるさまは、大貴をときめかせる。けれど今日の大貴はそのドキドキに流されたりはしなかった。今日こそは、本当に言ってやろうと思う。
「カッツンみたいに、いやらしいお仕事したっていいんだ。僕なら男娼になれるし……」
 FAMILYの経理事務を担当しながら、性的な仕事もしている克己という青年。大貴は持ち前の人懐っこさですでに慣れ、カッツン、とあだ名で呼んでいる。
「いい加減にして頂戴。私は、貴方にそんなことをさせるために引き取ったんじゃなくってよ」
 カップを置く薫子の表情は、いつも通りすましたままだ。しかし、口調はすこし激しくなった。
「普通に学校に通って、お友だちと遊んでいればいいの」
「……わかってるよ。おねえちゃんにはすごく、すごく感謝してる……でも。……けどもう僕ッ、どうしようもできないもん……!」
 大貴も、気づけば語調を強めていた。テーブルを両手で叩いてみせる。
「おねえちゃんは……──僕の身体のこと分かってないんだっ。僕のことすごく思ってくれて、考えてくれてるのはわかる。うれしいよ。でも僕の……気持ちだけじゃなくて……身体のことも分かってほしい!」
 ハッキリ言うのは恥ずかしくて、それが大貴の限界だった。
 心のうえでは普通の子どもとして暮らしたいのに、身体は違う。
 身体は大人の男に犯されたい、犯したい、過激なSMもしてみたいと、激しい情交を求めている。細かく説明することはできないまま頬を赤らめてしまい、大貴はうつむいた。
「貴方……」
 ハッとしたような、薫子の呟き。
 大貴はダイニングにいられなくなり、席を立った。
 与えられている子ども部屋に早足で向かい、勢いよくドアを閉める。真っ暗な部屋、明かりをつけないままで倒れこむベッド。
 涙が滲みそうになってきた。心と頭がちぐはぐで、薫子にぶつけてしまうことも悲しい。薫子はせっかく、性交などとは無縁の日々を与えてくれているのに……
(パパのせいだ。パパの……! 僕っ、もう大人の男の人なしじゃヘンになっちゃうんだ。ばか、ばか、バカぁっ……!)
 薫子のことだけが好きなのに、こんなにもいやらしい夜が欲しい。枕を殴って、悔しくて悲しくて拗ねているうちに、ふて腐れた大貴は眠りに落ちてしまった。

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(あの子に、あんなことを言わせてしまうなんて……)
 薫子は頬杖をつき、ため息を零す。
 いままで散々大人たちに寵愛されてきた身体だ。急に開放され、だれにも触れられなくなった現状に馴染めないのだろう。大貴自身の心とは裏腹に。
 それはわかる。けれど……
(また、性的なことをさせろというの? 大貴くんは小学生なのよ)
 させられるはずがない。
 常軌を逸している。
 大貴のこれまで親しんできた日常は、おかしいのだ。
 崇史の愛情は狂っている。世間一般の装いとは異なるゴシックな服飾を愛し、デカダンを好む薫子でさえも眉を顰めたくなる。
 それは、大貴を幼いころから知っているという贔屓もあった。見ず知らずの子供が性を売っていても、見世物になっていても、薫子はそれほど憐憫の情は抱かない。だが、大貴となると話は違う。
 ずっと無邪気な笑顔を向けてくれて、あどけなくはしゃいで、慕ってくれた弟のような存在がまさか、笑顔の裏で、天真爛漫さの裏で、夜毎官能に鳴いていたとは──
 予想だにしなかった。崇史からFAMILYに連絡が入り、jackに預けるという話ではじめて事実を教えられたとき、稲妻に打たれたような心地になったほどだ……
(気づかなかった、私が愚かだったの……? だって、信じられないわ、一体だれが、こんなことが行われているなんて思うの……?)
 すべてを知ったいまでさえなお、信じがたい。大貴がすみずみまで調教され、徹底的にベッドのマナーを叩きこまれ、少年愛者たちを唸らせる口淫の術や腰つきを熟得しているだなんて。
 おねえちゃん、と呼んでくれて、笑っている姿とはかけ離れている。
「頭が痛いわ。こんな現実……」
 薫子は瞼を閉じ、眉間に皴を寄せる。ふたたび漏れる、深いため息。
 誰よりも苦しんでいるのは大貴だが、薫子も悩む。自らの意志とは違うところで、フラストレーションを溜めている大貴の欲望を癒してやるにはどうすればいいのだろう。
(SMはともかくとして……女の私が、あの子を抱くなんて……無理ね。まったく、なんてことをしでかしてくれたのかしら。偏愛にもほどがあるわ、崇史さま)
 大貴の様子が気になり、薫子は立ちあがった。廊下を歩き、子供部屋のドアを叩いたが反応はない。

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「開けるわよ。大貴くん」
 ドアノブを回すと、室内は真っ暗だ。自分で片づけるということをろくにしたことがなかったせいもあって、散らかった部屋。性的な躾は狂気に触れるほど徹底的に厳しくなされてきた大貴なのに、日常の躾はなっていない。薫子はただ大貴を預かるだけでなく、そういった教育を施すことも、任される形になってしまった。
「大貴くん……」
 廊下からの光に照らされ、ベッドの大貴が見える。薫子は足を踏み入れた。無理に起こすつもりはなく、布団を被せてやろうと思ったのだ。
 大貴は寝返りをうつ。ゆっくりと喉を掻きむしるような動作に、すこしばかり苦しげな表情。
 それは、悩ましかった。
 まぎれもなく官能的な香りをただよわせる。
「パパ……、パパ…………」
 驚き凝視してしまう薫子の眼下、薄明かりのなか、大貴は眉根を寄せていた。衣服は持ちあがるように膨らみを帯びてもいる。勃起していた。
 抱いてえ…………、と、甘えたように大貴は呟く。掻きむしるのをやめた指は唇に伸ばされ、なぞるように撫でられた。大貴はまぎれもなく眠っているのに、両手の指先を食んだり、舐めあげてみたりもして、まるで自分を慰めているようだ。
(ああ…………)
 薫子は表情を悲しみに染める。
 崇史と真堂家に対し、憤りも覚える。
 そして──強く想う、大貴を愛してやりたいと。恋愛的な感情ではなく、親心に近い想いだ、こんなにも歪まされ、蹂躙された、弟のような大貴が……愛おしくて可哀そうでたまらない。

 純粋で天真爛漫な大貴だから、素直に崇史の『愛情』を受けとめて、こんなにも歪まされた。

 薫子を含めまわりの人間たちにはばれないようにと淫靡さを隠すことに頑張り、家では調教と性的飼育を耐えることに頑張ってきた大貴。投薬や施術までされて、起こる身体の変化にはどれほど不安を覚えたことだろう。無数の大人たちに抱かれる夜を強いられて、傷ついて、それでも。
 すべて隠して、薫子おねえちゃん、と無邪気に笑っていたのか。
(大貴くん。ごめんなさいね。本当につらかったわね……)
 思わずその場に崩れてしまう。大貴が甘やかな吐息を零す傍らで。
(私には、貴方を幸せにする義務があるわ)
 スカートを床に広げたまま、顔をあげた。大貴は口許から指先をはずしたけれど、頬を染めていて、相変わらずに淫らな寝顔を見せてしまっている。
 そんな大貴を見据え、薫子は祈りを捧げるように胸の前で指を絡める。浮かぶ決意とともに頷いた。いちばん苦しんでいるのは大貴なのだ、薫子が苦悩している場合ではない。
(たとえその道が歪んでいようとも。最善の策を貴方に与えてあげなくてはいけないのね……)

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 大貴が、岩佐と会うことになったのはそれから半月後だった。電話は幾度かしていたけれど、実際に会うのは初夏に洋館でなされた催し物の夜以来。
 土曜の今日も、出張帰りらしい。夕方に待ち合わせ、駅前にあるホテルへとふたりで歩いていった。久しぶりに会えて嬉しくて、大貴は色々と近況を話す。なんだかたくましくなったんじゃないのかい、と頭を撫でてもらえると、ほころんでしまう口許はなかなか戻らない。
 岩佐は今宵此処に泊まる。大貴は……22時までそばにいる約束をしている。
 ホテル内には会員と宿泊客のみが立ち入れるフィットネスクラブがあり、温水プールで遊ぶ約束も岩佐としていた。岩佐は仕事帰りなのに、大貴につきあってくれる。デッキチェアに座って、大貴を眺めていてくれた。持ってきたスクール水着に着替えた大貴は、心ゆくままに泳いだり、ジャグジーにはしゃいだりする。楽しくて、また来たいと思った。そのときは、もう、普通の男の子ではなくなっているのだけれど……
「さいごに思い出をつくりたかったんだ。岩佐さん、ありがとう」
 存分に楽しんでから部屋に戻り、ふたりでシャワーを浴びたあとでそう言うと、バスローブ姿の岩佐は複雑な表情を見せた。大貴はすでに裸身で、甘えるように彼の腿の上に座ってみる。こんなことをするのもひさしぶりだ。
「最後って……大貴くんはずっと大貴くんには変わりないよ」
「そうだけど。区切り、ってゆうか……僕、いま、ふつうの男の子なんだよ」
 岩佐に抱かれるのをきっかけに、大貴は男娼になる。
 本格的な性玩具の生活に戻るのだ。
「性玩具になったら、また、服ぬぎにくくなくなる。変なあととかいっぱいつくし……それに性玩具じゃなくてふつうの子どもの僕のこと、岩佐さんの目に焼きつけてほしかった」
「大貴くん、本当にいいのかい。まだ間に合う」
 いまなら引き返せる、と岩佐は言った。大貴は薄笑みを浮かべる。
 無理だ。それは出来ない。
 返事の代わりにキスをする。ひさしぶりの感触を、目を閉じて味わった。岩佐ははじめ躊躇いがちだったが、しだいに舌を絡めてくれるようになる。向かい合って、抱きついて、大貴は身をこすりつけた。刺激から遠のいていた身体はすぐに昂ぶって、勃起してしまう。ほら……やっぱり僕は淫乱だ、と大貴は自嘲した。こうしているときが、幸せなのだ。そうなるように調教された。
(おねえちゃん、ごめんなさい。せっかく普通の子どもでいさせようと、してくれてたのに……) 
 叶うなら、大貴だってそうしたかった。けれど骨の髄まで大人の男の味を叩きこまれて、快楽を教えられて、普通の生活をするような身体に育てられていない。
 こんな身をしているから、ランドセルを背負って無邪気に笑っていればいい、なんて生活は送れなかった。悲しい。憧れていたのに。
(でも、これからもできるだけ昼間のあいだは、普通っぽいふりも、してみたいな……両立、できるかなー……)
 火のついた岩佐の愛撫を受けながら、大貴は思った。股を開かれて後孔をいじられる。やっぱり自分の指よりも、大人の男の指のほうがいい。

 そして指よりももっと──……

 貫かれた瞬間に涙が出た。大貴は顔を手で覆う。
 普通の男の子の生活には、半年でピリオドが打たれた。

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 峰野家の運転手・長田の車で帰宅した大貴は、薫子にどんな顔をして会えばいいのかわからない。会うのを避けて、今日はもう眠ってしまいたいくらいだ。
 けれどそれはできない。仕事の内容は仕事後、すべて詳細に語らないといけない。
 大貴はもう、薫子に飼われる犬になった。FAMILYの女王が所持する少年男娼になったのだから、飼い主に報告するのは当たり前のこと。
 夜のポーチを歩いて扉を開けると、薫子はたたずんでいる。黒色のロングドレスを纏った姿がいつも以上に眩しくて、神々しい。濃厚な性行為を終えてきたからそう見えるのだろうか。
「おかえりなさい。大貴くん。私の部屋にいらっしゃい」
「た……だいま。あ、の、僕もう寝る……」
 やっぱり、薫子のそばには行けない気がする。スニーカーを脱いだ大貴は顔をそむけ、逃げようとした。
「大貴」
 その瞬間、呼び捨てられてビクリとしてしまう。
「飼い主の命令が聞けない犬なんて、飼う価値もないわ」
「……! や、だ、ごめんなさい。ごめんなさい、おねえちゃん……」
 大貴は即座に従った。薫子のそばに駆けよって、ドレスを掴もうとする。しかしその手は叩かれて、触れられない。 
「飼ってよ! ぼ、ぼくのこと……」
「じゃあ、私の言うことをききなさい。服を脱いで下着だけになって私の部屋にいらっしゃい。そして報告するのよ、どんなふうにどんな体位でどんなあえぎかたをして犯されたのかすべて飼い主の私に言うの」  
 薫子は大貴を見下し、行ってしまう。自室へと入ってゆく。パタン、と閉じる扉を見ながら、大貴は食いしばった。覚悟を決めなければならない。こんなことさえ出来ないようでは、薫子の男娼にしてもらえない。大好きな薫子の犬になれないのだ。
 大貴はその場でシャツを脱ぎ捨てた。靴下も、半ズボンも脱ぐ。そして薫子の部屋をノックして、開ける。
「おねえちゃん! イヤがって、ごめんなさい。仕事のお話しするから聞いてっ」
「……それが飼い主に対する口のききかたかしら。 まあ、いいわ。貴方は『弟』なのだし、見逃してあげる」
 闇色で統一された調度品に、仄暗いランプシェード。黒魔術を行う魔女のお城、といった雰囲気の私室で、薫子は天蓋つきのベッドに腰かけていた。
「いらっしゃい、そばに。私からもお話しがあるのよ」 
 薫子はやっと優しく微笑んでくれた。大貴は安堵して、薫子の傍らに座る。ふかふかのベッドも薫子と同じ薔薇の香りに包まれていた。

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「ふふ……よく似合っているわね」
 大貴が身につけているのは、女性用のランジェリー。大貴の好きな赤色の下着を薫子が選んでくれた。性交が終わったらこれを着けるようにと渡されていて、その通りに履いたのだ。
 全面はレースに飾られていてまだ生地の量が多いが、バックはほとんど紐。尻肉の谷間に紐を通しているような状態だった。 
「はずかしいよ、おねえちゃん」
 薫子の爪に太腿の付け根をなぞられる。性器には触れないけれど、大貴にはありえないほどに官能的だった。……勃起してしまいそうだ。 
「おそろいのガーターベルトと、ストッキングもあるのよ。今晩はそれを着けて寝なさい。貴方はきれいな脚をしているから、きっと似合うはずだわ」
「僕に用意してくれたの……? それ……」
 どんな贈り物でも、薫子からのモノなら嬉しい。頷く薫子に、大貴は表情を輝かせた。
「しばらくお家では、そういった格好をして過ごすのよ。性玩具の生活に入ったということを、自覚しないと駄目。学校にも、体育のお着替えがない日はふしだらなランジェリーで通うこと。普通の子どものふりをして生活しているときも、身分を忘れてはいけなくてよ」
「はいっ。はずかしいけど、ちゃんとする」
 太腿を撫でられながら返事をした。崇史に撫でられるのも好きだったけれど、薫子にされるのも気持ちがいいなと大貴は思う。
「それから、当然だけれど、私の許可なしにココを使うのも駄目よ」
 薫子は爪の先だけで、大貴の股間に一瞬触れた。
「私の許可したお相手に、私の許可したときだけ使うの。それ以外でのセックスは許さなくてよ。自慰は……性玩具とはいえ、年頃の男の子だから、ときどきなら許してあげる」
「はい! ……えへへ、うれしい……!」
 性行為や射精を管理されることも、実家でずっとされていたこと。そのときはべつになにも思わなかったけれど、薫子に管理されて把握されるとなるとにやけてしまう。大貴は笑みを抑えられないままでベッドに倒れこんだ。
「ちょっと。まだお話しは終わっていないの」
「僕、いいドレイになる。ぜったいだよ。薫子おねえちゃんのじゅうじゅんなカチクになって、いつもそばにいたい。男娼になったから、僕のことヘンなパーティーにもつれていけるよね? オークションとか、裏世界の危ないあつまりにも、僕をつれていって。おねえちゃんに恥なんてかかせない、じまんしたくなるようなドレイになってみせる」
 枕を抱きしめて思いのたけを打ち明けると、薫子はすこし目を丸くして、それから笑った。
「まあ、頼もしい性奴隷ね」
「それでね……そのうち……」
 おねえちゃんのカレシにもなりたい、と言いたかった。けれど大貴は唇を閉じて薫子を見つめる。そのうち、なあに、と尋ねてくれたけれど言えない。掃除機の使い方もよくわからないし、洗濯機もむずかしい。お店でお金を払うのにも、小銭なんて触ったこともなかったから戸惑うばかり。彼氏になるためには覚えることがまだまだたくさんありすぎるのだ。
 調教されている身体のおかげで、性玩具だとか、男娼にはたやすくなれても……
「ひみつ。まだ、待ってて。僕、いろいろちゃんとできる男になってからいいたい」
「よくわからないけれど……わかったわ。ねえ貴方、さっそく着けてみるかしら?」
 薫子は立ちあがって、猫足の黒いチェストの引き出しを開けた。

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 ガーターベルトとストッキングを履いて、ビスチェも着けてもらった。ビスチェの背中のリボンを結びながら薫子は、今度、新しいコルセットもオーダーしてあげるわね、と言ってくれる。大貴は目を閉じて頷き、薫子の好きに飾ってもらえることを嬉しく感じた。
 それから、仕事の報告をした。プールで遊んで、普通の男の子としての最後の時間を見届けてもらったこと。それから一緒にお風呂に入って、洗いあったこと。ひさしぶりの性行為だったけれど岩佐は優しくしてくれたから気持ちよくて、2回も達してしまったこと。
 イク瞬間に薫子のことを考えていた、ということだけはとても言えなかったけれど、体位も、喘ぎ方も、どんなふうにキスをされたかもきちんと説明した。喋っていると、恥ずかしさからペニスが起ってしまったから、布団に入ってごまかす。きっと、薫子にはバレていると思うけれど……
「……ありがとう、おねえちゃん」
 ひととおり報告したあとで、大貴は感謝を伝えた。ベッドに腰掛けたままの薫子は、不思議そうな顔をする。
「僕、半年間も……エッチもなにもしない、なにもしなくていい、普通の子供の生活できてうれしかった。この半年は一生の宝物にする。ずっと夢に見てた生活ができたんだもん」
 だから、悲しい。せっかくの世界を大貴から壊した。狂いそうなほどに羨ましくて、嫉妬して、欲しかった平凡な生活なのに。望んでいたはずなのに、出来なかった自分が悔しくて悲しい。
「ごめんなさい。わがままゆって、また性玩具になって……めちゃくちゃイヤなんだよ、ぼくだって。おじさんたちとセックスしまくるの。フェラとか、もう、したくない! ずっと、ずうっと普通の生活したかった……! でも、でも、それじゃ、ものたりないってゆーか……自分でもどうしてこんなんなのか、わかんないよ……!」
「私の命令でさせられてるの。そんなふうに考えたら、すこしは楽にならないかしら」
 大貴の感情の起伏は不安定だ。また、昂ぶりだしてじわっ、と涙が滲んできて布団にもぐっていると、薫子の声が響く。布団越しに身体も撫でてもらえる。
「私に命じられれば、こんないやらしい格好をするのも、射精を管理されてしまうのも、嬉しいのでしょう? おじさまたちに抱かれるのも同じ。私を悦ばせるために抱かれなさい」 
 薫子は優しい。大貴はずっとそう思っているし、知っているけれど、今夜も心底思った……震えるほどに。大貴の心につく傷を減らすために『命令』という事実を強調してくれている。
 大貴の意志でするのではない。仕方なくするのだ、という理由を、言い訳を与えてくれた。  
「貴方の心と身体はちぐはぐなの。お父さまが、身体ばかりを躾けたから。いまはつらいでしょうけど、じきにバランスがとれるわ」
「……そう、かな……」
 ずっと頭がぐちゃぐちゃに混乱したままだったらどうしよう。大貴は不安のなかで顔を出した。薫子は微笑んでくれている。
「ええ。大人になるころには。それまではおじさまたちの胸を借りていなさい」
「…………うん……」
「今夜は一緒に眠りましょう。いいかしら?」
 頷いた大貴は、薫子に頭も撫でてもらえた。薫子と同じベッドで眠れるなんて、半年前なら考えもしなかった。天国に昇ってしまいそうなほどの、極上の幸せだ。

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 大規模なタワービルが完成した落成式で、竹村は大貴の姿を見つけた。
 はじめは見間違いかと目を疑ったが、高い天井のフロア、ざわめきのなか、目で追っているうちに間違いなく大貴だと確信する。最後に会ったときより多少背も伸びているようだし、衣服のテイストも変わっていた。
 竹村の知る大貴は崇史の趣味を反映し、白いブラウスを身につけた品のいいおぼっちゃまといった装いが常だったはず。今宵の彼は黒を基調にしたゴシックな装い。黒いストライプの入ったグレーのブラウス、ネクタイはリボン結び。サスペンダーをしている半ズボンの丈も、竹村が頻繁に会っていた頃の大貴よりも長くなっている。
 だが、あの亜麻色の髪と真堂社長を思わせる風貌は大貴でしかない。
「大貴くん」
 勇気を出して声をかけてみた。大貴は幾人かの企業主たちと談笑していたが、竹村に気づくと彼らに断り、その場を離れてきてくれる。
「竹村常務だ……! おひさしぶりです。元気だった?」
「だ、大貴くんこそ。わあ……、すこし見ないうちに、大人っぽくなったねえ」
 そんなことないよ、と言って大貴は笑った。人好きのする、竹村の好きな笑顔だ。
 大貴は声をひそめて伝えてくれる。
(僕、いまも性玩具なんだよ。竹村さんはちょうショタコンだからー、小6はもうタイプじゃないかなー……)
 竹村は首をぶんぶんと横に振る。大貴ならば年齢など関係なくまだまだ愛せそうだ。少年から大人になったとしても、性行為は無理でもデートだけでも良いからしたい。
(大貴くん、ご親戚のところに引っ越して、そっちの接待はもう、してないと聞いたけど……)
(してるよ。おじさまたちにイロイロされるのだいすきだもん。またあそんでくれる?)
 大貴は胸ポケットから名刺のようなカードを取りだした。真っ黒いカードに白文字で携帯番号とアドレスだけが書かれている。受け取った竹村が裏返せば『FUCKER FAMILY』と記されていた。 
 竹村はその名称を知らない。なんだろう、と思っていると、耳元で囁かれた。
(俺のカラダ、いま、パパに管理されてないんだー。FAMILYの女王サマに管理してもらってるから、気がむいたら……そこにれんらくして)
(ああ……)
 俺、と発したのをはじめて聞いた。竹村は妙にゾクリとしてしまい、そんなさまは大貴に薄笑われてしまう。
 いつも大貴は不安定にゆらぎ、子供らしい笑顔と、いまのような大人びて歪んだ笑みを交互に竹村に見せてくれた。その酷薄な瞳で竹村の股間をよく踏みつけてくれた。竹村の会社のアノ応接室で戯れた記憶がよみがえる。
「じゃあまたね」
 手を振って、去ってゆく大貴。企業主たちの輪に戻る。
 彼らにも大貴は抱かれているのだろうか。きっとそうに違いない。ひとりの男は大貴の腰へ、おもむろに腕を回しているから。
 竹村もその場に背を向け、名刺をしまった。あとで早速連絡してみたい。ひさしぶりに大貴に虐められたいし、官能的な身体を思うままに堪能したい。
 大貴に会えただけで、このパーティーにきた意味はあるなと感動した、竹村だった。

戴 冠 E N D