秘密

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 紫陽花が、情景に青紫の彩りを添える季節。

 山間にその身を潜める遊廓・四季彩は小雨のなか、今宵も営業していた。

 見世と呼ばれる、在籍の娼妓を座敷に並べた薄暗い空間は、好事家たちで相変わらず賑わっている。どの子を買おうかと実際に撫でたり話しかけたりして吟味する者もいれば、バーカウンターでマニア同士の情報交換をする者もいる。

 しかし、賑わいはあるとき突然に──途切れた。

 見世に現れたひとりの少年に、客だけでなく、娼妓たちの多くもそわそわと彼を気にしだす。この場にいるすべての瞳がそちらを向く。
 
 少年の登場で、場の雰囲気は一気に変わった。
 
 豪奢の限りを尽くした、錦糸の刺繍が大輪の華を咲かす着物を纏っている。長い黒髪には幾つもの簪が差され、まるで古い時代、遊廓の文化が盛っていた往時の花魁を現代に連れてきたかのようないでたちだ。両脇に付き人として連れている、客を取りはじめて間もない稚児がたたずまいをますます華美に引き立てている。

 娼妓の名は克己。

 幼児の頃にはじめて身を売ったときから、常に売上・指名共に一位の成績を獲りつづけている天才男娼だ。

 女形として君臨する、その美貌。知性と気品の溢れる立ち居振る舞い。流し目ひとつにも魔性が宿っていると評され、右目下の泣きぼくろがまた目つきの妖しさを増させて絶妙と客たちはたたえる。駆け引きも巧み、性の所作も巧みで、非の打ち所が無いとまで言われ絶賛されていた。まだ齢十六の少年にもかかわらず、四季彩の歴史のなかでも屈指の名娼妓と評価されている。

 当然、指名料は跳ね上がり、予約もなかなか通らず、抱こうと思いついた当日に抱けることなど無い。

 今宵克己を買った男も、一月ほど前に予約をしてやっと抱けるという客だった。遊廓の玄関からロビーに上がると、向かってくる克己を見て夢見心地のようにうっとりとしている。

「……おひさしぶりですね」

 克己は艶然と薄笑む。あり得ないほどの色気、と人々を惑わせる魅惑の微笑で。

「あ、あぁ……」
「さあ、お座敷に行きましょう──」

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「奇麗だ、克己……!」

 贅沢なつくりの客室で、克己はゆっくりと着物を脱いでいく。焦らすように、剥がすように爪の先で羽織をつまみ、男の興奮を誘いだす。

 襦袢姿にまでなると、客の男は息を呑んでいた。黄金色の屏風と克己との対比に感動して言葉さえ失っている。その様子は克己にとっては可笑しくてたまらず、内心では嘲笑いを浮かべていた。男の挙動も、この豪勢な金色御殿のような和室も、克己にとっては悪趣味なものでしかない。

「本当に、克己はべっぴんだなぁ。男ぼうずとは思えない……!」
「男ですよ。俺は」

 襦袢の裾をめくりあげ、下着などつけていない股間を客に晒した。恥部を見せることにはなんのためらいも感じない。そう教育されている。

「あなたと同じモノがついているんですから」

 この客からの指名は今宵が初めてではないし、今もまさにこうしてペニスを直視している。それなのに男は信じれん、と唸り、おそるおそるといった風に克己のソレを掴んだ。

「ふふっ。……優しくしてくれなければいやです」
「お、おう、わかっとる」
「そう……口に含んでください……」

 ねぶられながら、さらにはだける克己の襦袢。あらわになる胸板は当然のごとく平らで膨らみなどない。全身の骨格もしっかりしており、紛れもなく少年の身体つきをしている。

 それなのに、克己にはあまり性別というものが感じられない。化粧をして髪を伸ばしていることもあるが、もともとの顔立ちが女顔なのも理由のひとつだろう。
 あとは色香だ──克己はいつも、生まれつきに不思議で妖艶な匂いを立ち昇らせているのだ。

「あぁ、気持ちいい。お上手ですね……」

 克己はずり落ちた衣の袖を噛み、感じている様を表す。性器が屹立をはじめると、客は激しく貪りだし、口腔での愛撫を加速させてゆく。

「すぐにいってしまそうです……ん、ふぅ……」
「こらえ性の無いやつだ、克己。売れっ子のくせに!」
「あなたが巧いから、あっ……」

 袖で隠す克己の表情は真顔だ。こんな嘘など、いくらでも吐ける。その気がないのに勃起することもできる。射精のタイミングをコントロールするのもたやすい。

 すべてが演技であり、作り物でしかない。

 客との戯れは流れ作業。

 いかに要領良く気に入られ、彼らの寵愛を得るか。そうして金を巻き上げ、最高位に居続けるのがこの命の存在意義だと克己は信じていた。遊廓の中で生まれ、赤子のときから性玩具となるべく育てられてきた克己は、客に媚びを売る毎日しか知らずに生きてゆくのだと思っていた──

 あのひとに恋をするまでは。

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 帰る客を玄関まで送っていった克己は、客室へと戻ってくるとため息を零す。襦袢の上に直接着けていた羽織を脱ぎ捨て、しばらくのあいだ布団に倒れ込んでいた。疲れた、と思いながら。

 いつまでもこうしている訳にいかないので、客の置いていった一箱の煙草へと手を伸ばし、起き上がった。普段の克己しか知らない者が見たら仰天するであろう行儀の悪い座り方で、火を点けてくわえる。

 ……今日は早百合と密会する夜だ。だから、はやく入浴して着替え、向かわなければならない。煙を吐き出しつつ段取りを頭に思い描いていると、

 部屋の扉が開く音がした。

 続いて足音もひたひたと近づいてくる。克己が顔を上げれば、屏風の向こうから姿を現したのは他でもない、早百合だ。

「奥様?」

 約束は、克己のほうから越前谷の離れに行くはずだった。どうして彼女が此処に来たのかわからず、克己は困惑の表情を浮かべる。

「待ちくたびれちゃったわぁ、克己ちゃん」

 今宵の早百合はシフォンのワンピースを纏っている。肩にはストールも掛けていた。おおかた、どこぞの夜会に顔を出してきた帰りなのだろう。遊び好きな早百合が越前谷の家にいる時間は少ない。

「俺のせいじゃありません。文句はさきほどの客に言ってほしいです。ひどい遅漏なんですから」
「まあっ。そんなことを伝えたら、男性のプライドを傷つけてしまうでしょう。わたくし、こう見えてもオトコを立てる主義なのだからできないわぁ」

 よく言う、と思って克己は鼻で笑ってしまう。すると、通じたのか早百合はわざとらしく拗ねた顔をした。早百合は妖艶な色香纏う女性なのに、そんな少女じみた所作もなぜかなじむ。

「克己ちゃん、喫煙はだめよ。美容にもよくないし、未成年でしょう?」

 克己の傍らに腰をおろした早百合は、煙草を取り上げた。灰皿に押しつぶしてから、克己のはだけた胸元に爪を這わせてくる。だが、克己はその指を握りしめてどけた。早百合が自分とおなじおそろいのマニュキアを塗っていることに気づき、それは嬉しくもあるけれど──客に抱かれたばかりの身体に触られたくはないのだ。

「……汚いですから、洗ってからにしてくださいませんか」
 
 しかし、克己の訴えは聞き入れられなかった。早百合はかまわず抱きついてくる。

「汚いどころかいい香り……男に抱かれたあとの汗の匂い、たまらない。お精液の匂いもして!」
「変態マダムですね……あなたは」
 
 克己は苦笑し、抗う気を失くした。そのまま唇を押しつけあい、舌を絡ませる。
 こうなればもう止められない、布団に崩れ、互いの唾液を混ぜあってゆくだけ。

 一日の仕事を終えて疲弊しきっていたはずの克己だった。それなのに早百合に対しては何度でも勃つ。鍵をかけた客室で激しく溺れ、ひたすらに酔いしれる。四十に手が届きそうな早百合の大人の肉体は、克己を酔わせて焦がすのだ。