煉獄

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 魔女の隠れ家のように、ダークで妖しげなインテリアでそろえられた薫子のマンション。
(はーあ……、つまんねー)
 大貴はダイニングテーブルで宿題をしているけれど、ふとした瞬間に憂鬱がぶりかえしてきて、拗ね顔で突っ伏した。学校の友人たちは今日市民プールに行っているらしいのに、自分だけ家にいるのが悲しい。
(俺もいきたかったな……)
 夏休みだからプレイのとき遠慮なく痕をつけられていて、とても素肌を晒せないのだ。
(しょうがないや……俺はお客さんとあそぼ)
 別荘にプールを持っていて好きなだけ遊ばせてくれる客もいる。もちろんエッチなこともされるし、ヘンな水着を着せられてしまうこともあるけれど仕方ない。そういった遊びかたが、小さいころからの大貴の水遊びだ。
 ため息をこぼし、身を起こした。グラスのコーラを飲んでふたたびシャープペンを手にする。
(学年1位とれなかったしー、ちゃんと勉強しなきゃ)
 ロンドンから帰ってきたらすでに夏休みに入っていて、個人的にひとりで学校に行き、答案用紙と通知表は職員室で受けとった。
 結果は学年3位で、担任の篠宮に褒められた。薫子も褒めてくれたけれど、1位を取ると公言していたからすんなり喜べない。
 だからこれからも勉強をがんばらないと、と思って大貴はまじめに宿題をしている。
「……大貴くん」
 数学の文章問題にとりかかろうとしたとき、薫子に声をかけられた。黒いワンピース姿で洗面所のほうから歩いてくる。今日の長い髪は結んだりセットされることもなく下ろされていた。
「……なぁに? おねえちゃん……」
 言ってから、大貴は(しまった)と口を押さえる。
 呼び捨てにすると決めたのに、つい、いままで通りに呼んでしまう。
「お風呂にぬるま湯をためてみたのよ」
「え……どうゆうことっ?」
「ずうっとふてくされた顔でいられたら、気になってしまうじゃない。私は賑やかで明るい場所に行くのも、水着も厭。でも貴方を放ってもおけないから……」
 プールの代わりよ。と薫子は告げる。大貴は嬉しさで顔を輝かせてしまいながら、席を立った。

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 窓から差しこむ昼間の光を浴びながら、大貴は黒のボクサーパンツだけになって、猫足のバスタブに入る。ゴーグルをつけて潜ったり、氷も入れたり、いつもと違うお風呂は予想外に楽しかった。
 薫子はハーゲンダッツを味わいながら大貴を眺めてくれている。浴室の扉を開け放って脱衣所に座り、素足を伸ばして。薫子にしては、ちょっとお行儀が悪い。
「ありがと、薫子おねえちゃん!」
 パシャンと飛沫をあげて、大貴は浴槽の縁を両手で掴んだ。薫子が食べているのはふたつめのバニラだ。
「俺すっげーしあわせだよっ。うれしい! たのしい!」
「そう……よかったわ。ほかにどこか、夏休みに行きたいところはある?」
 薫子はそんなふうに尋ねてもくれた。
 大貴は、もう、この夏のお出かけは満足してしまっている。ロンドンに連れていってもらって、祖母と薫子と3人で過ごせたし、ロンドンダンジョンにもソーホーにもカムデンにも、それからマダム・タッソー館にも行ったから。
「えーとっ……じゃあ、じゃあー…………」
 でも、せっかく聞いてくれているのだから、なにかひねりだしたい。しばらく考えて、まだ行ったことがなくて、行きたいところを見つけた。
「……サービスエリアってとこにー……、いきたい!」
「サービスエリア?」
 不思議そうな顔をされたけれど、大貴は強く頷く。
「高速道路のっ。がっこーのヤツらは家族でー、車でどっかいくと寄るんだって。おみやげも買うんだって。観覧車のあるサービスエリアもあるんだって」
「そんなところに行きたいなんて、変わった子ね」
 うらやましくて喋る大貴に、薫子は微笑う。  
「なー、いきたい。降ろしてくれなくてもいいからー、様子だけでも見たい! 知りてー!」
「降ろしてあげるわよ。でも日中は日焼けするから厭……貴方は昼間のお外に出たいのかしら?」
「あいだとってー、夕方から行くのはダメ?」
「そうね。じゃあ……貴方は明後日、お休みよね」
「うん、休みにしてる!」
 笑顔になってしまう大貴だ。スケジュールを覚えていてくれていることが嬉しかった。
「明後日の夕方に出かけましょう」
「やったー! まじでうれしい!!」
 大貴は上機嫌でバスタブを出た。雫を垂らし、首にゴーグルをかけたままで薫子の脱衣所のマットに素足を置く。そのままずるずる座りこみ、脚を伸ばした。
 向かいあわせの薫子は繊細なスプーンを使ってバニラを口に運び、大貴を見る。
「終えるなら身体を拭きなさい。風邪をひいてしまうわ」
「うん……!」
 窓の外から蝉の声が聞こえる。夏だ、ということを実感するたびに、今年の大貴はうれしくなる。
「……夏休みはどうなるんだろうって不安だったんだよ。梅雨のときとか……でも今年も薫子おねえちゃんと過ごせてよかった」
「ええ。そうね……」
 薫子も頷いてくれた。
「来年も、再来年も、その先もー、ずっといっしょにいてーな……」
 マンションに戻ってきて再開した、ふたりの生活。
 お見合いを辞退したことで、薫子の両親との溝はまた深まった。それなのに大貴に薫子はなにも言わない。いっしょに謝りたいと言っても、貴方は気にしなくていいの一点張り。今回のことは私が悪いのだから……と──
(おねえちゃんを悩ませたくない。支えたい。俺が原因で困らせるなんて、いちばんヤだ……) 
 大貴は薫子の脚に自分の脚をくっつけた。爪先でワンピースの裾をなぞる。濡れた素足だから薫子も濡らしてしまうけれど、薫子は嫌そうにしない。
(……もっとー、俺の身体スキにしていいのに……まだ遠慮してる……)
 そう、あまりにも、以前と変わらなさすぎる生活。
(せっかくカレシになったのに……。痛くて苦しいことでも、薫子おねえちゃんにされるならヘーキ。それに俺だって、ほんとうはおねえちゃんを支配したいよ)
 大貴は薫子の手を掴んでみる。瞼を閉じて、そっと甲にキスするのは忠誠を誓っていることを伝えたくて。そこまでなら許されたけど、くちびるを開けて食もうとすると、離れてゆく綺麗な手。
「やめなさい」と薫子は言った。そしてまたスプーンでバニラを抉る。
 意識せずに大貴は物欲しげな目をして薫子を見てしまう。それは一瞬のことで、すぐに大貴の表情は子どもらしい笑みになる。
 大貴は髪や素肌を拭き、着替えを自室に取りに戻った。
 そのあいだに薫子はリビングに去ってしまった。

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 観覧車のあるサービスエリアに、長田の運転する車で出かけた。大貴にとって、とても楽しい思い出になった。友達ともたくさん遊んで、客の家に泊まったりもして、夏休みは過ぎてゆく。充実していた──
『ねえ貴方、お腹はすいていなくって?』
 薫子からそんな連絡があったのは、男娼の仕事をした夜、零時を回ったころ。すいてる!と返信してから客とシャワーを浴び、洗いあって、ホテルをあとにする。
 向かう先はちがうホテル。ここからさほど距離は離れていない。今宵は薫子も女王業をしていたのだった。
「わー、すげえ! こんなにも使ったの?」
 豪奢なスイートルームに大貴が赴くと、リビングにはありとあらゆる食べものがあった。デリバリーの中華料理や、ルームサービスで用意されたスイーツ、持ちこまれたコンビニ弁当。どれも少しずつ手をつけられていた。
「そうよ」と答える薫子はロココ模様なソファに腰掛けている。黒いゴシックなワンピースにショートコルセットをして、柄タイツと厚底のサンダル。プレイの衣装と言われても納得できてしまうけれど、これは私服。
「冷凍庫にはシャーベットもあるから、好きなだけお食べなさい」
「うん! いただきまーすっ」
 ローテーブルなので食事がしやすいように大貴は絨毯に腰を下ろした。なにから食べようかと胸をおどらせつつ選び、まずはシュウマイに箸を伸ばす。
 薫子の今宵の客は、女王の口に含まれた食べものを吐きかけられたり、投げつけられたりという行為を欲したらしい。射精はシュークリームがヒールで踏みつけられた様子に興奮してのものだったというから、たいした変態だ。
「大貴くんにいっぱい食べてほしいと仰って、お帰りになったわ」
「ありがとうってゆっといて。てゆうかー、そのうち、俺もその人に調教したいなー」
 次はエビフライをつまみつつ、大貴は笑った。
「また薫子おねえちゃんとふたりでー、ドレイを調教したい。ペニバンは前もしたけど、ホントに犯してあげたりもしたいしー、逆にセックス無くてもいいよなっ。SMは直接エッチしてもしなくても楽しいからさいこー、やっぱりSMスキ!」
「そうね……」
 薫子は頷いてくれる。大きくてぶあつい革張りの手帳を広げながら。予定を書きこみながらも、大貴の食事を見守ってくれている。

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 満腹になって箸を置いてからも、ホテルで過ごしていた。長期休暇中は、はやく帰って寝なくちゃ、と急ぐことなく、ダラダラできるからいい。大貴は絨毯に座ったまま、デニムの足を伸ばしてテレビを眺めている。若手芸人のコントに「あははは」と声をあげて笑ってしまう。
 小さいころからゴールデンタイムの番組は録画で倍速の大貴にとって、深夜番組のほうがちゃんとリアルタイムで親しめていた。
 夜更かしなクラスメイトとLINEでやりとりしつつ、そういえば薫子が静かだ、と気づけば、ソファに姿はない。
「あれー、おねえちゃん……」
 ゴルチェのバッグはソファに置いたままだから、此処にはいるのだろうけど。
 スイートルームは幾部屋にも分かれており広すぎて確認するのに時間がかかる、歩きまわって見つけたのは寝室のベッド。まるで死体のようにまっすぐ仰向けで横たわっていた。長い髪とスカートが広がっている。
「……寝ちゃったの? なーんだ……」
 眠かったなら、言ってくれればよかったのにと思う。たぶんテレビにケラケラ笑っていたから、邪魔をするのは悪いと、静かに離れて横になってしまったのだろう。薫子はいつも足音がないから、気づいたらそばにいて驚かされることも昔から多々あったし、今夜みたいにその逆もある。
(じゃあ俺も横でねよっかなー)
 だらしなく生活できるから、ずっと夏休みでもいい、などと考えながら靴下を脱ぐ。素足で絨毯を歩き洗面に行った。たくさん食べたし、歯をみがきたい。
(……またキスの痕つけられちゃった。ヤだなー……)
 歯ブラシを動かしながら鏡を見る。Tシャツの襟首をつかんで引っぱり、鎖骨のあたりを晒して。
 背中には昨日の客の鞭の痕もあるし、脇腹には一昨日の客の歯形もある。まるでいまの大貴は客たちの欲を示すキャンバスのようだ。
 めくりあげて、その脇腹の痕を見ているときだった。目線と気配を感じた。大貴は振りむく。去っていった黒髪があった気がした。
(薫子おねえちゃん?)
 不思議に感じながら口のなかの泡を吐きだして、うがいをした。それから寝室に戻れば、薫子は起きていて、ベッドに腰掛けている。ランプシェードだけの灯りに仄暗く縁取られながら。
「俺のことー、見てた……」
「いいえ、いま起きたの」
(ウソツキ……)
 絶対見てたのに、と大貴は思う。
「なんでウソつくの?」
「帰りましょう」
「俺にみとれてた。おねえちゃんも、俺を傷つけたいくせに……」
「なにを言っているの……?」
「してよ。俺の身体はおねえちゃんのモノなんだよ」
 大貴はベッドに歩み寄った。影に覆われる薫子は、幼いころ慕っていた薫子よりも、小さく、可愛らしく見える。
「ねー……、噛んだり、キスの痕つけたりして。切り傷でも、鞭でも、火傷でも、なんでもスキにして」
 シーツに片膝と手のひらを置く。沈む体重。顔を近づけると背けられる。薫子は横顔で「やめて」と呟く。
「いいわよ。今夜は……帰るの」
「ヤだってゆったら?」
「……貴方は私の所有物なのでしょう。だったら、いうことを聞きなさい」
「今日はー、わるい子になろっかな」
 大貴は薫子の手に、手を重ねてみる。すると逃げようとしたから手首を掴んで逃げさせない。
「離しなさい」
「ずうっといい子でいてーけど、それだとぜんぜんすすまないもん。せっかくおつきあいしてるのに、前といっしょだよ。いっかいエッチすればー、なんか、変わるのかなー……」
「やめて……」
 背けたままの顔で、薫子は首を横に振る。
 そんな薫子を見て大貴は切なくなった。
(怖いのかな……おねえちゃん……)
 一線を越えることが。
 以前の大貴だったら素直にいうことを聞いて、おとなしく帰っていたかもしれない。
 けれど、大貴は知った。
 薫子の腕を引いて進むときも必要だと。
「だいじょうぶ。ぜったいに怖くないから」
「……子どものくせに……」
 吐き捨てるように、忌々しげに薫子は言う。大貴はさみしく微笑ってしまう。
「子どもだけど男だよ」
「…………」
「俺だって男だから、薫子がほしい……!」
 抱きしめて倒れこむ。薫子の悲鳴を、大貴は唇を奪うことで消す──はじめて唇に触れた──その瞬間になにかが大貴のなかで破裂した。いつも存在していたくせに激しくは現れなかった独占欲や支配欲が、檻を破る。

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 夢中になってキスをした。こじあけて舌と唾液を注ぎこむ。はじめのころ、薫子は逃げようとしていた。柄タイツの脚をよじったりして。
 大貴には、けなげな抵抗に映った。
 逃げさせるはずない、今宵の薫子を。
「きょうは月もきれいだし、このホテルもすげーいいかんじだもん」
 やっと口を離して、両手の指を絡めたままで宣告する。赤い口紅を乱された薫子はまるで吸血の後みたいだった。だから大貴の唇も血の色に汚れているのだろう……薫子は固く目を閉じている。
「俺、美容院いったばっかりだし、歯もみがいたんだよ。このまま俺をもらって」
 丁寧にただ快感だけを与えてあげたい大貴と、強引にめちゃくちゃに欲望だけをぶつけたい大貴もいて、せめぎあっていて、けれどそれは快いせめぎあい。ふたつの気持ちの反発で興奮が増す。
「すき……だいすき。ほんとうにスキ!」
 逆らわなくなったから潰すように抱くのをやめた。腕は背中にまわしたままで寝返りをうち、黒いレースの胸元に頬を寄せる。いつもと変わらない薔薇の香。
「……私もよ」
 薫子はやっと優しく微笑んでくれる。赤っぽく染めた大貴の髪を撫でながら。
「だけど苦しい……貴方のキスはとてもじょうずだけれど、もうすこし、優しくしてくれるとありがたいわ……」
 薫子の指先は大貴の頬をなぞるようにすべり、喉元に辿りついた。首を片手で締めてくれる、弄ぶように軽く。そうされて大貴は、薫子に女王の気位が戻ったとわかる。不安に惑う少女らしさは……ふっ切れた。
「ごめん。スキすぎてー、気持ちが……暴走してた……」
 ギュッと身体を寄せる。衣服越しにもうはち切れそうなほど熱くてたまらないことを、薫子に伝えてしまう。
「可愛い子ね……」
 太腿に当ててしまっても、薫子は逃げない。
「ちょっと待ってて……ゴム取ってくるから」
 大貴は短いキスをしてから身を起こし、食事をしていた部屋に赴く。絨毯に落ちている財布を拾い、ふたたび寝室に戻る。財布にはいつもコンドームを入れているのだ。
「ただいま」
 返事はないけれど、薫子の目線を感じながらTシャツを脱ぎ捨てる。いずれはこの身体に薫子にも傷を刻んでもらいたいと感じながら腕を伸ばしてランプシェードに触れれば、部屋は闇に包まれた。
 大貴は素肌の半身をレースに寄せる。その黒いレースをひとつひとつ剥がしていく悦び。女王のドレスを脱がすことが出来るなんて、きっと自分にしか許されない特権なのだと気づき大貴の独占欲はひどく満たされていった。

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 教えこまれた方法のすべてを使って、薫子を開いていった。女のひととするのはひさしぶりだし、ましてや相手は薫子だから緊張も覚える、だいじょうぶかな、ちゃんとできるかな、とすこし不安だったけれど、大貴の不安など吹き飛ぶほどに薫子は感じてくれた。
 濡らして、はしたなく、我慢しきれない吐息を漏らしたり、堪えているような喘ぎをこぼす。大貴の淫らな指先と舌先、重ねる肌、脚を絡めて触れあう体温によって、かるく達してもいる。
「あぁあ…………」
 薫子の鳴き声をはじめて聞いた。切羽詰まったような嘆き。長い髪を乱して震わせる四つん這いのような体勢で、乱れた呼吸を落ち着かせようとしている。いまも溢れる感じきった雫は白い腿を滴り、シーツをまた濡らす。
 視界は闇に慣れてきていた。薫子をずっとこの闇のなかで眺めているのも愉しそうだけれど、繋がってみたい気持ちも激しく存在する……大貴はサイドテーブルに置いていたVivienne Westwoodの財布を開いて、ひとつの包装を抜き取る。破いて中身を出す様子を薫子にひどく観察されていることが伝わってきた。こちらを向きはしていないけれど、神経を集中させられていることが伝わる。
 大丈夫だとか言ってあげたほうがいいかな、とも思ったけれど、もう言葉はいらないような気がした。言ったところで意味をなさない。挿れていいかと請うことも。ダメと言われても止まれない。
「……薫子っ…………」
 だから、名前を呼んだ。勃起しすぎて弾けそうで先走りをダラダラと垂らしたペニスにゴムを被せて、薫子にすり寄りながら。
「正常位で……しよ? こっち向いて……」
 薫子は目を閉じている。やっぱり大貴以上に不安そうだ。けれどたやすく従ってくれて大貴の腕を掴んでもくれる。覆い被さり淡い下生えに性器を重ねる。指先も使って濡れそぼった花びらを開き、ゆっくりと薫子へと沈んでいった。
(すげー……俺……すげーことしてる…………)
 汗ばむ喉を眺めながら、大貴は自分でもわかるくらいに鼓動を乱している。信じられない。薫子のなかに挿入っていくなんて。震えあがりそうなこの感情は、嬉しさからなのか、緊張ゆえなのか、わからない。頭は真っ白になりそうで、気持ちいいのかどうなのかさえもわからない。
(どうしよう……すごい……こんなことしていいのかな……スキなひととするなんて……スキなひととして、いいのかな……)
 いまさら妙な疑問さえ湧く。最奥にまで到達すると、大貴は薫子の頭を両手で優しく包んで問いかけてみる。
「いたくない、ヘーキ……?」
「……ええ……」
「ホント?」
「本当よ。だから……動かして……」
 薫子も大貴の頬に触れてくれた。大貴はひどくホッとして、安らいだ。まだ緊張は解けないけれど、いざなわれるまま、腰を使ってみる。薫子はすぐに喘ぎを零した。表情も歪む。
「薫子……きもちいいの……?」
「あぁ……もう……貴方は……」
「俺の身体で、そんなに、感じてるの……?」
「じょうずすぎる……わ……、なんて身体をして……」
 いやぁ…………、と、薫子は呻いた。シーツに立てられる爪。薫子の四肢に妙な力と反発が入るのも大貴に伝わった。快楽にもがいているのだ。
 大貴は腰を振りつづけて、くねらせたり、キスも与えてみたりする。薫子から溢れる蜜は止まらなくて艶かしさを帯び、なめらかに収斂しては大貴にも快楽をくれる。
「スキ……スキだよ……壊したいくらい……あいしてる……!」
 揺らしながら薫子の手を掴んで、忠誠のキスをする。薫子の喘ぎがいちだんと伝わってきた。
「や……ぁ……もう、もう……だめぇ…………!」
 大きく震えた瞬間にあわせて、大貴は腰つきをとめた。奥に挿したまま。しとやかなつぼみは痛いほどに締めつけてくる。快楽の極みを味わっている身体を、繋がったままで抱きしめる。薫子は睫毛さえも震わせていた。このまま一晩続ければ、本当に壊せてしまうかもしれない。こんなにも感じてくれるのなら。

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「あー……、イキそー……ふふふっ」
 激しい快楽が近づいてくるたび、大貴は揺らすのをやめる。繋がったままキスをしたり、髪を触ったり、指をなぞったり、胸元に溺れてみたりと戯れて、昂ぶりが落ちつくとまた腰を引いてゆっくり波打たせる。
 それを幾度となく繰り返したら薫子は虫の息だ。震えながら「やめて…………」「だめ…………」と繰りかえす声も弱くなってきた。がくがくとわなないている。溢れかえった蜜で潤む粘膜。
「あのね……小さいころは……感じやすくなる注射も打たれてて……」
 薫子の意識がどれくらいはっきりしているのか、聞いていてくれているのか、わからない。けれど大貴は肌を寄せたまま、背中に腕を回して語りかけた。
「薬の量を減らされてからも……射精しやすく仕上がってたから、矯正された……尿道にブジー挿れられて拘束されて掻きまわされて、激痛くて泣きまくってもやられて……痛さをガマンできるようになったら、イクのもガマンできるようになってきて……ほかにも、いろいろ、薫子が聞いたらかなしくなるようなこと、たくさんされたんだよ。俺の身体はエッチのためのオモチャだもん……」
 抱きかかえて動かす体位。力をこめれば薫子を殺すこともできそうな気がした。
「それでー、許可がないと射精しちゃだめって……しつけをうけてるから……ガマンしてられるけど……」
 脚を絡める。濡れた肌の感触も心地いい。
「もうやめないと、薫子が壊れちゃう」
 クスクスと笑んだ。長い髪を両手で弄りながら顔立ちを間近で見ていると、薫子という惹かれてやまない存在を手中に収められたような心地がして嬉しい。
「薫子を落とした底に、俺もそろそろ、いこうかな……」
 耳元で囁いて、大きく腰をグラウンドさせた。薫子の目が開く。唇は請う。
「……あぁ…………もう……」
 嘆きのあと、泣き顔に変わった。大貴はそんな薫子にますます笑んでしまい、最後の揺さぶりを捧げて激しくした。薫子を見つめ、唇を指先でなぞり堪能しながら精を吐きだす。強く結合しながら。

 瞬間、さすがに大貴の目の前も眩んだ。
 白く遠ざかる意識。安楽に包まれる。

(きもちいい…………すごい…………きもちよさ、しか、ない…………)

 眩むままに瞼を閉じて、驚く。
 大貴の快楽はいつも後ろめたさや、嫌だ、という抵抗と背中合わせだった。そういった負の感情がないときは、諦めの境地や、どうにでもなれという自棄や、いやらしいことが好きだと演じて心にガードを張った上での絶頂。
 バリケードのなかでは膝を抱え途方に暮れていた。
 崇史と味わう愉悦の境地も、絶望と憎悪に荒らされた後、やっと見いだす果て。
(これが……すきなひととする、セックスなの……?)
 ゆっくりほどける結合。薫子から離れてゆく。熱が遠ざかる。それでもすさまじいほどの充足感は続いていて、満ち足りていて、安らぎも感じた。
 指先で薫子を探しながら溢れる涙。
 大貴の頬を伝って落ちる。
(……俺、いま、しあわせしかない……………)
 快楽に沈みきって想う、ずっと此処にいたい、と。
 心地よさにたゆたい、つかまえた体温は気を失っているようだ。そんな薫子がひどく愛おしい。 

(セックスは…………ほんとうは……こういうものなんだ………………)

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 大好きな人にはっきりと向きあって、告白して、自分の想いを貫いた。だから手に入れることができた居場所。

 向きあわなかったら、貫かなかったら、大貴も薫子もいま此処にはいない。

 大貴は祖母のもとで暮らしていたのかもしれないし、薫子は結婚して令嬢としての役目を果たしていたのかもしれない。それは世間一般的には十分に幸せと見なされるだろうし、実際、それなりの幸せは得たかもしれない。
 けれどやっぱり、大貴にとっていちばんの幸せは薫子といっしょに過ごすこと。この時代この社会では『正常』とされる価値観を持つ者たちに禁忌とされる行為を味わったりしながらも。

「いまのショウ……よかったね。薫子サマっ」

 ビアズリーの絵画に、禍々しい色あいや形状を集めた昆虫標本、拷問器具の飾られた店内。
 退廃的なバーで、大貴は薫子に振り返る。大貴の首輪の鎖を掴んでいる薫子はalice auaaのドレス姿、幾重ものヴェールはまるで蜘蛛の巣。サンダルはかなりの厚底で、お化粧も濃くアイラインとつけ睫毛で強調されている。
 そんな女王は白と黒のチェッカー模様の床に座らせた少年男娼の顎を、まるで愛猫を撫でるかのように撫でた。大貴はオーバーバストコルセットを締めて下着にストッキングを穿き、フードつきの外套を被ることで素肌を覆っている。
「そうね……流れ出た血も綺麗だったわ」 
 店の舞台ではさきほどまでスカリフィケーションが行われていた。医療用メスを用いて、皮膚を切ることで図柄を描く。背中に刻まれた呪術的な文様は妖しげな照明に映えて美しかった。
 続いてのショウでは、人体に直接フックを刺して吊り上げてみせるそうだ。大貴は何度サスペンションを見てもワクワクできる。吊るされた人間が恍惚の素振りを見せてくれるとさらにイイ。
「その次の切腹ショウでラストだそうよ」
「最後まで観て帰ろ? いい?」
 もちろんよ、と薫子は頷いてくれた。大貴は嬉しさに微笑み、最前列の特等席、薫子の脚にもたれる。重厚な首輪から伸びる鎖や、左右の足枷をつなぐ鎖の感触が心地よかった。カフスのような手枷もつけてもらっていて、その手でじゃれるようにサンダルを弄っていると、かるく踏みつけられそうになる。あはは、と大貴は笑った。戯れていると愉しい。

9 / 10

 圧巻のサスペンションが終わったころ岩佐が来た。
 昔から大貴を抱いてくれる彼は、いまも出張で訪れるたびに大貴を買ってくれる。ただ今回は接待に忙しく大貴と会う時間は作れそうにないと言い、大貴も薫子とプライベートで例のバーにショウを見に行く予定なのでどちらにしろ会うのはむずかしいと電話で話したのだ。
「岩佐さんだー、会えてうれしいんだよ、演技じゃないよ!」
 首輪の鎖は薫子に握られたまま、大貴は岩佐の足下にすり寄る。岩佐にひさしぶりに撫でてもらえて大貴は幸せだ。薫子はいつも大貴を買ってくれたり、ガンプラなどオモチャもたくさんプレゼントしてくれることに対しお礼を述べていて、大貴もそれを聞きながら──岩佐が連れてきたサラリーマンが気になった。緊張した面持ちで座っている。この場の雰囲気に気圧されている様子だ。
「ほら、大貴くん、チョコレートだぞ」
 テーブルに届けられたデザートからつまんで、岩佐は大貴の口に入れてくれる。ひとつめはスムーズにもらえたけれど、ふたつめは「お手」と手のひらを差しだされた。大貴は笑んだままで従う。すると先ほどとは違う種類のチョコを口のなかに入れてもらえた。
「おいしい!」
「ははは、良かった、良かった。きみ、この子が大貴くんだ。かわいい男の子だろう」
 紹介されても隣の男はおずおずと頷くだけ。けれど大貴には見透かせる、本当はこんな世界に興味津々だということが。だから岩佐は連れてきたのだ。
(……このひとも俺のお客さんにしていいのかな……)
 様子をうかがう大貴の頭上で、岩佐は大貴が高級性玩具であることや、よく調教されていて手入れも行き届いていることなどを説明していた。辱める言い方ではなく褒めちぎるように語るので、大貴はなんだかはずかしい。イヤに思うどころか、照れくさくなる。
「新しい首輪だね、社長のデザインか」
 岩佐は大貴の首に触れて言い当てた。
「すっげー、どうしてわかったの?」
「分かるさ。社長は本当にいいセンスをしているから」
「パパにはいまー、かっこいい衣装も作ってもらってるからー、完成したらそれも見てほしい」
 もちろんさ、と岩佐は頷く。そして、
「しかし……鎖はやっぱり、女王さまの手に握られているのがいいね。いちばんしっくりくる」
 しげしげと大貴たちを眺めて呟いた。
 薫子は微笑する。大貴は表情を輝かせてしまった。
「こんど岩佐さんとふたりきりのとき、くわしく話すね。いろいろあったんだよ……」
「そうか、おじさんにも聞かせてくれるのか」
「うんっ。あったりまえじゃん」
 ちゃんと岩佐の目を見て話す大貴はテーブルに腕を伸ばす。アイスレモンティーのグラスを取り喉を潤していると、ステージにウエディングドレスの女性が出てきた。内臓が溢れて絶命するまでは裂かないが、腹部を刃物でなぞり血舞台にはなる。
「紹介が遅れたが、部下の駒形くんだ。彼も少年を嗜むらしくてね」
 岩佐が連れてきた男はその説明に頬を赤くし、かぶりも振ってみせる。なんてことを言うのかと弁解も始めた。落とされる照明。舞台だけが赤く際立たされる。
「そうなんだ、じゃあ甘えてもいいの……?」
 大貴は岩佐に尋ねる。許可をもらい、大貴はグラスを戻すと移動した。駒形の元に。
「はじめまして……俺の前ではどんな変態なことも隠さなくてもだいじょうぶだよ。楽しませてあげる」
 スーツの膝に手をかけた。駒形は困惑がちに大貴を見てくる。けれどゆっくりと脚を開いてくれたから、大貴は彼の股の間にすべりこんで太腿を指でなぞった。
 この男はどんな性癖をしているんだろう。あれこれ想像しながら、大貴は、花嫁の悲鳴を耳にした。

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 終演後、駒形の連絡先を教えてもらって店を出てから。座席を倒してフラットな長田の車の後部座席、大きな鉄の箱に入れられた大貴だった。
 四肢を伸ばすことは出来ない。受け止めた花嫁の血まみれなブーケを弄りながら、空気孔を眺めている。
 大貴は暗闇のなかで安らいでいる。鎖の音もさせず、丸まったままちゃんとおとなしくしていた。
 ひどい扱いをされても、何処に連れられてゆくのかも、不安には感じない。信頼している上での主従だから。薫子は横暴な支配者から、慈悲も優しさも持つ女王に戻ってくれた。従うのは逃げられないという諦めでも、感情が麻痺しているからでも、恐怖からでもない。盲目すぎる崇拝とも違った。
 もう明け方近いから、うとうととしていると……振動で目覚める。箱は車外に出されキャスターで動かされているようだ。空気孔からの光が眩しくなる。
「うわ、なに……?!」
 移動が止まったかと思うと、箱の蓋を開けられた。
 這い出た大貴の視界に飛びこんできたのは、プールだ。
 広い空間にガラス張りの壁、その向こうには植物園のように生いしげった緑。そして朝焼け。
 室内すべてはどことなく瀟洒な雰囲気。
「好きに泳ぎなさい。ホテルのプールを貸しきったの」
 驚かせるため、箱に入れて連れてきたと語る。
 薫子は大貴の枷を外そうと鍵を取りだすが、大貴は嬉しさのあまり薫子に抱きついた。
「きゃあ……ちょっと、貴方……」
 水面に落ちて、倒れこんだ。ふたりで。
 デカダンスな黒衣を身につけたまま。
 深くはないから、立つことができる。
「あははははっ……! ありがと……薫子、大好きだよ。いっしょにおよご?」
「もう……信じられないわ──……でも……」
 薫子も、無邪気な少女のように笑ってくれた。
 大貴は薫子がそんなふうに声を出して笑うのをひさしぶりに見た気がする。微笑むことはあっても、めったに思いきりは笑わないからだ。薫子の笑顔が見れて嬉しい。
 大貴は外套を脱ぎ、コルセットだけになる。白薔薇のブーケはばらばらと乱れて波にゆれていた。血に濡れた花びらは光にゆらめき綺麗だ。
「ドレスがだめになったら、ゆるさないわ」
 唇をゆるめたまま薫子は言った。
「ごめん。つぐなうから」
「たくさんの罰が、必要ね……」
 薫子は優雅に水のなかをヒールで歩き、首輪の鎖をはずしてくれる。大貴は濡れた髪を掻きあげる。滴りを感じながら、薫子にキスをした。唇の感触が愛おしい。
 堪能してから目を閉じて崩れ落ちる。ライトと朝焼けを映す波間に沈み、もぐってから、浮いてみた。身体を伸ばす。水を吸ったストッキングの感触がひたひたと面白い。こんな世界で眺める薫子の姿も新鮮でよかった。
「きもちいいから、薫子もいっしょに浮こ」
「私、浮けるかしら……?」
「全部ぬいだら、軽いぜっ」
 クスクスと大貴は笑う。
 なにをしても自由だ……

 此処は倫理からすこし、離れている。

「……おいでよ、薫子……」
 プールの底に立って、手を伸ばせば、薫子は蜘蛛の巣のようなヴェールに覆われたまま大貴に指を伸ばしてくれた。
 永遠に離したくないから、ぎゅっと強く握る。
「ずっといっしょにいよう? ずうっと……こうしてたい……」
 抱きよせた。闇色のドレスを纏う薫子をもう離さない。
 ほのかにただよう薔薇の香りもいい。すべてが大貴を幸せにさせる。
「……ええ……もちろんよ。ごめんなさい。私は貴方を幸せにしてあげたかったの。だけど、至極普通の価値観での幸福論は、私たちには当てはまらなかった。それなのに貴方に与えようとしてしまったし……私は、怖れることなく私らしさを貫かなければならなかった……それが貴方の幸せにもつながったのに……」
「もう、いいよ。そんなに俺を想ってくれて、ありがとう……。これからもいろんな退廃的なことしてあそぼ」
 薫子は大貴をなぞり、首筋に爪をたててくれる。食いこんで痛いけれどその痛みに愛おしさを感じた。爪の感触が鎖骨の下に降りてゆくのも心地いい。
「いばらの道だとしても、貴方となら甘美ね」
 薫子は大貴にまた、薔薇色の微笑を見せてくれた。

HEART eternity・煉獄 END