Epilogue

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「……へー、それで学校やすんでたんだね」
 紫帆は呟いた。公園のアスレチックの上で。
「大変だったけどー、おかげでイギリスつれてってもらえた! おばあちゃんちに泊まったんだー」
 大貴はカムデンで買ったTシャツが汚れるのを気にせず、紫帆のかたわらでねそべっている。
 響きわたるのは港祭りの花火の音。
 名駅近いこの街からは高層ビルにかき消され、肝心の花火は見えない。ただ大砲のような音だけがする。花火が見たいのならもっと高い場所に昇るか、実際に港までいかなければならなかった。
 Fortnum & Masonの紅茶つめあわせ。その箱を抱えて、紫帆は笑う。
「こんなのはじめてもらったよ。でも納得かも。真堂は、なんとなく品いいからね。あたしのお母さんも言ってたよ、あの子は礼儀正しいねって」
「だろ?」
「もー、じぶんでゆう?」
 性的虐待を受けていることはさすがに伏せたが、それでもいろいろなことを打ち明けた。
 真堂不動産の跡継ぎであること。好きな相手は21才の令嬢であるということ。そのひとに告白を受け入れてもらえて、いっしょにイギリスに行ってきたこと……
 紫帆になら言ってもいいかなと思えたから。
(コイツ、すげー苦労してるんだろうな)
 当たり前のように煙草を取りだして、火をつける背中を眺めつつ、そんな気がする大貴だった。
 そうでなければ、他のクラスメイトにくらべてこんなにも大人っぽいはずがない。
(俺も、今回のことで、すこしは大人になれたのかなー)
 花火の打ちあがる音にまぎれて、キン、という澄んだ金属音が大貴の耳をかすめた。
「デュポン?」
「そーだよ」
「お前っ……すげーの使ってるな。それ、大人の男が使うヤツだぜ」
 笑ってしまった。とても中学生の女の子が使うライターではない。
「オヤジが置いていったヤツ。音だけでよくわかったね」
「そんな音するライター、デュポンしかねーもん」
 大貴は勢いをつけて身体を起こした。
「俺にもちょうだい」
 紫帆は無言でBOXごと差しだした。大貴は一本を抜きとって咥える。紫帆が火をつけてくれた。
「すっげースーッとする……」
「メンソだから当たり前じゃん!」
「セブンスターのメンソールはー、初めて吸った」
「じゃあ、いい経験できたね」
「おうっ」
 ふたりで煙を吐きだす。響きつづける花火の音は、すこしだけ会話の邪魔をする。
「ヤスエじゃなくて真堂のこと好きなほうが、よかったのかな。なぁんか」
「……俺はやめとけっ」 
「そーだね。真堂はちょっと危険だもん」
「危険? ヴィシャス? めっちゃうれしー」
「なにそれっ」
「ピストルズ!」
 I am an anti-christ!と歌いながら、大貴は飛び降りる。猫がいたからだ。中央公園の猫とひさしぶりに会えた。
「ヤスエさあ、あんがい、近くにいるんじゃね」
 大貴のサンダルに寄ってくる三毛猫や黒猫。彼らにまみれて煙草を吸いつつ、大貴は告げた。アスレチック上の紫帆に。
「だから心配すんな! 俺、おんなじクラスだし、お前が沖縄いったら、ヤスエの面倒は沢上のかわりに俺がみる!」
「あはは……ありがとうね」
「もうすぐ帰ってくるって。フラフラーって」
 と言いつつフラフラ歩きだすのは大貴だった。紫帆は大貴のことを落ち着きがないと言って笑う。大貴のあとをついてくるネコもいるし、ついてこないネコもいるし、気まぐれだ。
「ヤスエといっしょに来てよ! 沖縄に――!」
 ひときわ大きく響いた見えない花火の音のあとに、紫帆が大貴に叫んだ。エクステをつけて長くした髪とロングスカートは風にゆれている。
「絶対行く。ゾンビになってもいく!!」
「ゾンビなら来んな!キモい!」
「キモくない!」
 妙な言いあいをして、笑いあった。
 近づいてくる、紫帆の去るカウントダウン。 繰り返す日常。なにかを失ったり得たり傷ついたり癒されたりしながら……だけど変わらないものもあって、たとえば、大貴のポケットには今夜も黒い十字架のロザリオが入っているのだ。