Golestan

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「本日のご予定は、14時に峰野のご令嬢とアフタヌーンティー、19時からお仕事となっております……」
 執事が告げる前で、大貴は平然とパジャマを脱ぎ裸身になる。恥部の奥まで見られるどころか、性交までしている相手に対し、恥じらう必要などない。
「お仕事の相手は、青山のおじさまだよね?」
「はい。おひとりではなく、新河商事の間瀬さまもいらっしゃるかもと」
「ふうん……」
 姿見の前、下着と靴下を身につけてから腹部をなぞる。そこには無数のキスマークが散っていて、鞭の痕も交差していた。
 崇史は海外出張から帰ってきてからというもの──応接室で宣告したように、連日大貴を寵愛する。大貴が嫌がっても、拒んでも、無理やりに抱いてきた。
 それが崇史の『愛』なのだ。
「嫉妬されないかなー。おじさまたちに」
 鏡に映る刻まれた傷を見つめながら言うと、執事の黒柳は大貴に囁く。
「下賎の者の卑しい感情などお気になさらず。大貴さまのお身体は崇史さまのモノなのですから、当然の所有印でございます」
「ゲセンのもの? たいせつな取引先なのにー。そんな言い方、よくないんだー」
 大貴は振り向き、黒柳の顎をつまんでやった。黒柳は涼しい顔のまま、白手袋の手で大貴の指を払ってしまう。
「双方とも真堂グループの関係者ではございませんし、取引といいましても、真堂に優位な関係を結んだいわば隷属でございましょう」
「こわーいっ。黒柳。それより、ちゃんと薔薇はつんでくれたの?」
 クスクスと笑ってから、大貴は黒柳から白いワイシャツを受けとった。アイロンも済まされていて、糊もきいている。
「はい、おぼっちゃま。リビングに用意しましたよ」
「やったぁ。どんな感じかはやくみたい!」
 カーディガンも着て、半ズボンを履いて、ネクタイを受けとった大貴は衣装室をでる。慌ただしい大貴をたしなめる黒柳の声がしたが、大貴は気にしない。
 そう、今日は、仕事前に薫子と会うのだ。
 それも薫子のほうから誘ってくれた……数日前に電話で、お茶をしないかと。もちろん大貴は了承し、約束の今日を迎えた。
 こないだのマドレーヌのお礼もしたいから、大貴は真堂家の薔薇園の薔薇を摘み、花束にすることにした。家政婦にはフラワーアレンジメントの得意な者もいるから、その者に頼んだ。
「わー! きれい! ありがと、ぜったいおねえちゃんよろこんでくれる!」
 深紅の薔薇の花束の前で、大貴は嬉々としてネクタイを結ぶ。

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 六本木にある高級ホテル、ロビーラウンジに現れた少年に、居合わせた人々の視線は集まる。
 白いシャツにタイを結びカーディガンを着、半ズボン、磨きぬかれたローファーで大理石の床を歩む姿。背筋はぴんと伸びて凛々しく、それでいて緊張の様子も気張りすぎている様子もない。
 ごく自然に品の良い動作をしているというさまが、少年に施されている躾の質と、家柄の高さを示していた。
 おまけに、すぐ背後には配下とおぼしきスーツ姿の男まで従えている。いったいどこの名家の令息なのかとひそやかに耳打ちもされているなかで──
「大貴さま」
 その配下の男、桐島が少年の名を呼んだ。
「ご令嬢が、いらっしゃいましたね」
 桐島の声は大貴の耳には届いていない。
 何故なら惚けるように、見とれているから。
「……おねえちゃん…………」
 小さな声で呟いた大貴は、なにか眩しいものを見るように目を細めた。
 感嘆のため息も漏らしてしまう。
 ロビーのソファに座る優雅な姿。漆黒のワンピースは膝丈で、生地がふわりと広がっている。頭に飾られたリボンも、両耳に光る棺桶型のピアスも衣服と同じく黒色だ。大貴を待つその瞼は閉じられていて、長い睫毛にふちどられている。
(薫子おねえちゃんだ……!)
 大貴の鼓動は上昇してゆく。うっとりと眺めながら、カーディガンの胸元を押さえた。
 荒淫にまみれた煉獄のなかで、ずっとこの瞬間を待ちわびていたのだ。崇史に夜毎犯されたり、崇史の見ているまえで使用人に犯されたり、ときには大貴のペニスで犯すように命じられたり。何人かの愛好者が招かれて、性的な接待をした夜もあった。容赦ない荒淫に傷つきながらも、薫子からアフタヌーンティーに誘われてからは、それを楽しみになんとか乗り越えてこられた。
 じつは、いまも身体のところどころを痛めている。尻の奥などは擦られすぎてジリジリとひりつくような感触がするほどだ。それでも、薫子に逢える嬉しさでそんな痛みなど、たやすく吹き飛んでしまう。
 どうしてこれほどまでに薫子が好きなのだろう。
 大貴自身、不思議なくらいに。
 ひどく惹かれる。薫子を形成するパーツのすべてに。いつも闇色を纏っているし、高貴ゆえに冷たそうな雰囲気も漂わせているから一見、人を惹きつけない高嶺の花に見える。
 だが、本当はすごく優しくて、可愛らしい薫子。
 ……大好きだ。
 まるで生まれる前から愛していたかのよう。
 逢えることが、幸せでたまらない。
(この時間がおわったら、いやらしい毎日に戻るんだもん……いまだけは忘れてたいなー……)
 性玩具であるという事実も、薫子とは結ばれないという事実も今日は閉じこめてしまおう。
 この頃も頑張って、変態プレイや好きでもない大人との交尾を我慢してきた。だからきっと、天国のママがご褒美の時間をくれたのかも知れない、と大貴は思う。

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 しばらく麗姿を眺めたあと、背後の桐島に振り向いた。桐島は持ってくれていた、深紅の薔薇の花束を大貴にそっと渡してくれる。
「どうぞ、ごゆっくりとお楽しみになって下さいませ」
「うんっ。帰るときに連絡するね」
 薔薇を抱えた大貴は踵を返す。愛している待ち人に歩み寄ると瞼は開いた。
 ゆっくりと……それは西洋のアンティークドールが目覚めるような印象を大貴に与える。
「ごきげんよう。大貴くん」
 紡がれる発音の一音一音までも、大貴の好みだ。大貴は病的なほどに薫子が好きなのだ。
「待たせちゃった? おねえちゃん……」
 ときめいてしまいながら、すこし不安になって尋ねる。薫子は「いいえ」と言って立ちあがった。そしてロビーから、円卓の並ぶカフェスペースに入ってゆく。
 受付を通って案内されるのは窓際の席。薫子があらかじめアフタヌーンティーを予約しておいてくれたので、一式はスムーズに用意され、並べられていった。テーブルの上にはすぐにティースタンドやポット、カップなどがそろい、大貴は花束を両手で渡す。
「ありがとう。とても嬉しいわ」
 アールグレイの香りたつなかで、薫子が微笑った。 
「貴方のお家のお庭の薔薇は、私の知っている薔薇のなかでいちばん美しいのよ」
「ありがと。けど、薔薇よりも薫子おねえちゃんのほうが、すごくきれいだよ」
 素直な感想を零し、大貴は紅茶を口にする。真堂家のものとは微妙にちがう後味だけれど、このアールグレイもとても美味しい。
「まあ、お上手だこと」
 薫子も同じアールグレイを味わい、並べられたティーセットの傍らに花束を置く。そして、そっと指先で花びらを指先でなぞりはじめた。
 そんな仕草にも、大貴はどきどきとしてしまう。薔薇をなぞる横顔は息をのむほど綺麗だった。
 毎日が淫乱にすさんでいるぶん、余計に薫子が美しく見えてしまうのかも知れない。
 ピアノとヴァイオリンの生演奏も響きはじめる、そんな優雅な空間で楽しむ会話──
 大貴の学校のことだとか、薫子が観に行ったというミュージカル『オペラ座の怪人』の話などをして、午後のひとときが過ぎてゆく。
(しあわせだ……すごく……)
 やっぱりこれは夢なのだろうか、よく夜の夢に現れてくれる薫子と同じように。ティースタンドに乗せられたタルトやショコラ、プチケーキをつまみながら、大貴はそう思った。
(夢ならさめないで。ずっと閉じこめられてたい。薫子おねえちゃんと、この時間に……)
 薔薇と薫子の対比を網膜に焼き付けながら、頬を染めてしまう。
 高い天井、モダンなシャンデリア、窓から望むのは大都会を眺望する45階の景色。あまりにもできすぎている。薫子とこんな素敵な空間で過ごせるなんて。

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「ねえ、大貴くん」
 幸福を噛みしめていると、薫子に問いかけられた。
「なあに、おねえちゃん」
「私の気のせいなら、良いのだけど。貴方最近すこし、元気が無いようじゃない……?」
 その言葉は、大貴を動揺させた。
 予想だにしていない質問を投げかけられ、一瞬だけ瞳を見開いてしまう。ショコラにフォークを伸ばしていた動作も止まった。
「え……、なにゆってるの? そんなわけないじゃん」
 大貴はすぐに、笑ってみせる。無邪気さを意識して。それなのに薫子の眉間はすこしだけひそめられていて、曇った表情をしている。
(あれー……、僕、うまく笑えてないのかな……)
 そんなはずはない。作り笑顔には絶対の自信がある。意図的に子どもらしく振る舞うことにも。普段からずっとしているからだ。
「えへへ。このショコラ美味しいっ」
「なにか、悩んでいるのでしょう。そうでしょう?」
 楽しそうにして見せる裏で、大貴の精神は震えた。
 痛い。
 胸がズキン、と疼く。
 それでも大貴はさらに笑ってみせる。
 ……素直に打ち明けられたら、どれほどいいだろう、大好きな薫子に。
 本当は毎日が辛くてたまらないと。
 水面下では、どんな夜を送っているか叫びたい。このシャツをめくるだけで伝えられる。キスマークと、鞭の痕と、他にもさまざまな拷問の痕が散らされているから。
 助けを求めてしまいたい。
 助けてほしい。
 助けて──……本当は助けてほしくてたまらないのだと大貴は気づいた。
 真堂家という牢獄から。崇史の歪んだ愛情から。虐待という名の寵愛を注がれて、性的調教の終わらない泥沼の悪夢。薫子に手を伸ばして、この泥沼から引き上げてもらえたら。
 どんなにいいだろう。
 でも。
(そ、そんな、た、たすけて……なんて、)
 言えない。
 ショコラを飲みこみながら、大貴はかすかに視線を彷徨わせた。
 真実を知られたら、軽蔑されてしまうかも知れない。普通の虐待ではないのだ。あまりにも背徳的で、淫靡すぎる。大貴自身も快楽を感じているところが、大貴には後ろめたかった。強引に犯されても嬌声をあげて射精しているのだから、手に負えない。
(僕はおかしいんだ。頭も、身体も。ばれたら、おねえちゃんにあそんでもらえなくなっちゃう)
 それがいちばんイヤだ。二度と口を聞いてもらえなくなったりしたら、辛すぎて死んでしまう。
「学校も楽しいし、パパも出張から帰ってきてうれしいし、悩みなんてひとつもないもん」
「信じていいのかしら、大貴くん」
「あたりまえじゃん! あはははっ」
 ぼろぼろの精神状態で、大貴は満面の笑みを浮かべた。薫子はどこか腑に落ちない様子だったが、それ以上は追求してこなかった。

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 客との仕事を終えて帰路につく頃には、すでに零時近い。桐島の運転するベンツに揺られながら、大貴は座席に深くもたれていた。ひとりを相手にするのと複数人を相手にするのとでは違う。受け身の仕事ならなおさら。疲れてしまって、桐島に愚痴る元気もない。
 ただでさえ連日の荒淫で身体も尻穴も痛んでいるのだ。それなのにふたりの男に容赦なく挿入されて、快楽よりも痛みのほうを強く味わうはめになった。
 薄目を開いて、窓を過ぎる夜景を眺める。おきまりの景色。こんな夜景ばかり見ながら生活している。明日はまた学校だから、家に帰ったらシャワーを浴びてすぐに寝ないと起きられない。
「お疲れのようですね、大貴さま……」
「……見ればわかるだろ。うるさいな! だまってろよ、桐島のくせに」
 いたわってくれる桐島に、心にもない言葉を投げてしまう。発してから、大貴は自分がイヤになった。ただの八つ当たりだ。
 それからは会話もなく真堂邸に着いた。大貴は車庫から館に戻らず、薔薇園のほうにふらふらと歩きだす。
 自宅の敷地内といえど、こんな夜更けにひとりで彷徨っていることがばれたら──叱られて、ひょっとしたら折檻されたり、地下で悪趣味なお仕置きを受けるかも知れない。
 それでもかまわなかった、そんな懲罰など慣れっこだ。大貴にとっては鞭打ちも、吊るされて問い詰められるのも日常茶飯事で、いまさらどうというものでもない。
「きれい。ふふっ……ママただいま」
 月光に照らされるいばらの潅木(かんぼく)たちを眺めて、大貴は薄笑みを浮かべた。舞花の愛していた薔薇を見ると癒される。夜風のなかで大貴は歩み寄り、ひとつの木に抱きついた。
 棘の痛みなど、甘美でしかない。
「ママ……きょうも僕、セックス、がんばったんだよ。だからまたおねえちゃんと会わせてね」
 香りに包まれて瞼を閉じる。今日の薫子も麗しかった。なにもかもが大貴の好みだった。大貴の心が近頃、いまいち晴れていないことにも気づいてくれていて、嬉しかった。ひょっとしたら薫子は、相談を聞くためにアフタヌーンティーという場を設けてくれたのかも知れない。
「ありがと、おねえちゃん。でもぼくにはこれ以上ちかづかないで……!」
 大貴は瞼を開ける。悲しかった。大好きなのに、触れられたくないなんて。
 どうしてこんな矛盾に苦しまないといけないのか。大貴は笑みを浮かべたまま、薔薇の花をちぎった。舞う花びらに、大貴の笑い声が重なる。
「あははははっ、あははははは! ふふふふ……! あははは」
 夢中で薔薇を掻きむしった。大貴自身は気づいていないが、大貴の精神状態はいつ崩壊してもおかしくないところにまで追いこまれている。間一髪のバランスで、かろうじて保たれているに過ぎない。指先を傷めることさえも気にならず、薔薇を散らし、舞わせつづける。
 薔薇園にはしばらくのあいだ、戯れる大貴の嬌声が響いていた。