羽根

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 大貴と別れ、独り歩く大通り。街路には蝉の鳴き声が反響する。自分が引きこもっていた間にも季節が動いていたことを、一人歩きながら改めて実感した。
(本当に会うのか。俺は……今から……)
 太陽が昇るにつれて、熱気は増す。蜃気楼の中で足どりは鈍く、進まない。祥衛はつい俯きがちになる。どんな顔をして……いまさら、紫帆に逢えば良いのだろう。わからない。大貴に背中を押され、とりあえず向かいはじめたけれど、まだ決心はつかない。
 といっても、今の祥衛には紫帆に逢う以外、行き場所は無いのだけれど……祥衛の心は重苦しい。
 全てを放棄して、逃げ出したのに。それなのに好きだなんて、伝えても良いのか?
 眉間に皴を寄せ、祥衛はアスファルトを睨んだ。やっぱり逃げ出してしまいたい、そんな思いも沸く。紫帆と逢うのが怖い。
(でも……行かないと……)
 怜の言葉も甦る。
『キミには何もないと思っていたけど、まだ“ある”んだもの』
『祥衛には帰る場所があるんじゃないか。単にキミが、勝手に拒絶していただけでさ……』
 確かに、学校にも家にも居場所はない。親しい友達もいない。でも、そんな生活のなかで紫帆だけ“居る”。
(紫帆だけが、俺と話してくれた。……心配してくれて……どんなに迷惑をかけても、泣かせても)
 ずっとそばにいてくれた。
 ふと思い浮かぶ紫帆の横顔。怜との自堕落な生活に逃げていたときは、紫帆を思いだしそうになるたび封じ込めていた。紫帆を断ち切ろうとしていたから。けれど今は押し殺す理由もない、脳裏に紫帆が溢れる。会いたい──それが本音だ! あの笑顔に触れたい。名前を呼ばれたい。祥衛は表情を歪めていく。願望は素直に、祥衛の心に込み上げる。

 本当は忘れたくなんかない、遠ざけたくなんかない、ずっとそばにいたいんだ!

 叫びだす想いを抱えて、祥衛は進む。住み慣れた学区に近づき、足を踏み入れる。幼い頃いじめられながらこの風景を歩いた。駄菓子屋の前では石を投げられたり、わざと転ばされたり。母親と彼氏によって今日よりも暑い夏の日に、この道を裸足で歩かされたこともあった。焼けるアスファルトの感触を今でも忘れない……想い出はズタズタで、ろくな過去を持っていない。
(でも俺には……何もないわけじゃない……絶望して死にたかったけど。怜くんの言う通りだ、俺には……)
 視界の彼方、佇む少女が見えた。逆光に祥衛は目を細める。

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 紫帆は制服姿だった。白い半袖のセーラー服、短いプリーツスカート。それらが風にはためくのを見ながら、そういえば今日は出校日なのだと祥衛は思い出す。大貴から聞いた情報だ。
「祥衛………」
 小さな声で、名前を紡がれた。紫帆は驚きのあまりに硬直し、目を丸くしている。シュシュをはめた手からは通学カバンが落ちた。アスファルトに音を立てて。
 しばらくの沈黙。まるで、時間が止ったようだ。祥衛も何も言えない。何を言っていいのか分からず、口許に両手を当てる紫帆の動作を見つめている。眩しい陽光だけが二人に降り注ぐ路地裏で。
「心配したんだからァッ……!!」
 紫帆はその場に崩れ落ちた。今にも泣き出しそうな表情を押さえ、膝をついて俯いてしまう。祥衛はただ、そんな少女を見つめる。
「死んじゃってるかもって思って。あたしが引っ越すって言ったから消えたんだって思ってッ……! 心配で、心配で、不安で──!」
 嘆きはすぐに嗚咽に変わった。祥衛の顔も歪んでしまう。目の前の紫帆が泣いている理由は、他ならぬ自分のせいだ。紫帆を悲しませて泣かせている。
「……ご……めん」
 祥衛は擦れた声を漏らした。うつむき、己の黒い影を見つめながら謝る。
「ごめん。紫帆」
「いままでどこにいたの……? どうして急に、いなくなったりしたの? あたしのせいなの……?」
「ちがう。紫帆のせいじゃ、ない」
 眉間に皴を寄せたまま、祥衛は拳を握る。
「……俺が弱いから。弱いんだ……紫帆が消えたら、俺の居場所なんて……何処にも、無くなるような気がした。死にたかった……けど死ねなくて。死ねなかったから……逃げてた。現実全部から。目をそむけてた……」
「──あたしは消えないよ……!」
 アスファルトに座り込んだまま、紫帆は声を上げる。
「何言ってるの、祥衛。あたしは消えない。確かに、この場所からは引っ越しちゃうけどさ。でも心はずっと祥衛のそばにいるよ……」

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「だから大丈夫なのに、祥衛。あたしは祥衛のことがすごくすき。祥衛の居場所はココにある」
 泣き笑いのような表情で、紫帆は祥衛を見つめる。涙を零しながらも微笑を浮かべる紫帆は、両腕を祥衛に向けて伸ばした。祥衛はその動作を目で追う。自分と一緒に居ても紫帆のためにはならないから、紫帆のためにも紫帆とは二度と会わない、なんて強迫観念はもう完全に崩れ落ちた。
(俺は紫帆のことが好きだ。紫帆がいないと、自殺したくなるくらいに。ほんとうは、紫帆のそばにずっといたいと思ってるんだ……)
 素直な気持ちでゆっくりと歩き出す。紫帆に近づき、祥衛もまた崩れ落ちた。熱い路地の上で抱きしめあう互いの身体。こんなふうに腕を廻すなんて、はじめてだった。紫帆の体温を、香りを、密着して感じるなんて。
 もう一度謝ろうとした祥衛の唇は、紫帆の手でふさがれた。紫帆は首を横に振る。
「もういいの。帰ってきてくれたから。死なないで、いてくれたから」
「でも……俺、は……」
「いいったら。おかえり、祥衛」
 耳元に響く声に、感じるのは安らぎ。お帰りだなんて言われると、祥衛はもう動けない。逃げていた自分自身が本当に情けなく思えた。金を稼ぐためではなく、逃げるために性行為を重ね、自堕落に調教されていた日々がみっともなくて仕方がない。
「俺も……紫帆のことが好きだ」
 紫帆に包まれながら、祥衛は想いを告げてみる。謝る代わりに、正直に伝えた。
「迷惑ばかりかける、けど。俺は弱くて……すぐ、手首とか…切りたくなって。友達も、いないし……いつも下ばかり向いて……でも俺は……もう紫帆にだまって、どこか行くなんてしない。俺も、俺の心も、ずっと紫帆のそばにいたいんだ……」
 強く強く抱きしめ返せば、紫帆も同じくらい力を込めてくれる。祥衛は目を閉じた。しばらくこのまま、身体を寄せ合って蹲る。静かに祥衛は、紫帆の心音を聴いていた。

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 けれども、一度世界を投げ出した祥衛に、罰のような現実が降りそそぐ。出校日をさぼった紫帆は、祥衛をとある場所へと連れていってくれた。其処は──病院だ。

「…………」

 眼前の事実に、祥衛は慄く。信じられなかった、理解できなかった。聞こえる機械音は、幼い少女の心拍数を伝えるもの。点滴類は小さな手首へと管を伸ばす。
「杏……!!」
 思わず祥衛は、ベッドの柵を掴んだ。身を乗り出して妹の顔に迫る。それは見慣れた寝顔でしかない。声を掛ければ、今すぐに開きそうな瞼だった。
「起きないんだよ。杏ちゃん。ずっと」
 それなのに──瞳は固く閉ざされたまま。状態を説明する紫帆の声は重暗い。紫帆は杏を可愛がっていたし、杏も紫帆にはよくなついていた。
「……いつから……」
「祥衛がいなくなって、すぐ。……あたしね、祥衛のこと気になって祥衛の家に行ったんだよ……そうしたら、杏ちゃんがこんなふうになったって、祥衛のお母さんに教えられて」
 紫帆は一瞬、続きを話すのを躊躇うように俯く。辛そうに息を詰まらせた。
「……殴られたんだって、祥衛のお母さんの彼氏に。頭を思いっきり……勝手だよね、大人っていつも勝手だよ。あたしたちを振りまわすばっかでさ。……こどもは親を、えらべないのに……」
 そう言って、目元に指を伸ばす。せっかくおさまった紫帆の涙は、再び溢れ出していた。
「かわいそうすぎるよ。杏ちゃん。あたしだってこんなふうに気を失ったりはしなかった。お父さんに時々殴られてたけど……お母さんが離婚してくれたから、助かったしさ……」
「俺は思い込んでた……」
 祥衛は杏の手を握りしめる。強くぎゅっと。まるで人形のように、呼吸だけをかろうじて繰り返す杏を見つめながら、表情を歪めた。
「杏は幸せなんだと思ってた……俺よりもあの女とか、あの女の彼氏に好かれてるって。……そう思ってた……でも、違ったのか……?」

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 杏は愛されて面倒を見てもらい、母親の男と三人であたかも家族のように平穏な時を過ごしているのだと、祥衛は信じていた。いつも杏は笑顔だったし、幸せそうだったから。
 しかし突きつけられた事実は、こんな形だ。祥衛は胸の中の価値観が壊れ去るような感覚を覚えた。杏は大切にされていなかったのか? 祥衛が思い込んでいた姿と違ったのか……例えば、大貴のことを明るくて悩みなんて何もない奴だと感じていたけれど、実際は彼も虐待に遭っていたように。
(そうだ、紫帆だって……)
 紫帆だって、実の父親に乱暴に扱われていた。祥衛は思い出す。知っていた筈なのに、自分のことばかりを憂って、廻りのことなど見えていなかった、忘れていた。
(俺は……バカだ。世界中で、俺だけが不幸なんだと思ってた。俺以外の周りはみんな幸せなんだと思ってた。でも……違った……!)
 妹は何も言わず、静かなまま。祥衛の落とす影に覆われているだけだ。姿を見ていると祥衛の心臓は締めつけられていく。直接手を下したわけではないが、間接的には自分自身も杏を昏睡状態へと追いやった加害者かもしれない。一人、逃げていたのだ。
「杏、ごめんな……」
 零れるのはそんな言葉。手を握りしめてみながら、心底そう想う。紫帆は耐え切れなくなったのか嗚咽を漏らし、涙を抑えながら病室を駆け出て行く。小部屋は兄妹二人きりになった。祥衛は憂鬱な面持ちで、眠る杏を見つめつづける。嘘のようだ、まるで。こんな事が起こっていいものなのか? 良いはずが無い──
 複雑な思いを巡らせていると、ドアが開いた。紫帆が戻ってきたのかと祥衛が振りむくと、現れたのは母親だ。病院にふさわしくない、相変わらずのケバケバしい装い。ガーターベルトとワンピースはショッキングピンクの色合い、まるで下着かと見間違えるほどに腕や太腿を露出している。爪も相変わらずの長さで派手だ。髪色は最後に会った際とは多少変わっていた──やっと美容院に行ったのだろう──アッシュを入れて、長くエクステを付けている。
「あれぇ? なんでテメーが居んだよ?」
 ルイ・ヴィトンの鞄を放り投げ、女は祥衛をちらりと見た。

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 母親は部屋のパイプ椅子に腰を下ろす。乱雑な動作で下着が見えたが、気にする様子はない。
「紫帆に聞いた。病室も教えてもらって……」
「ふーん、あの子マジウゼェわ、アンタのこともさぁあ捜索願出せとかぁ? 警察に言えとかぁ、いちいち言ってきてぇー。ナニサマ? アタシん家の問題に口出すなっつーの!」
 大きな声で紫帆をけなし、ヒョウ柄のライターで煙草に火を点ける。
「丁度良いじゃんあの子沖縄? 引っ越すんだってー。祥衛もついてけば?」
 灰は傍らに置いてあった缶コーヒーに落とす。病室だということを分かっていない、女の動作を呆れながら見つつも、本当に紫帆と行きたいと祥衛は思った。出来るものなら。
 ……けれど、それはできない。前までは、単に紫帆の迷惑になるから無理だと思っていた。でも今は違う、杏のそばから離れたくない。母親と対峙すると、余計にその想いは増した。
「……母さんは──」
「そう呼ぶんじゃないよ。アンタみたいな中坊のガキいるなんてさぁ、汚点なんだよね〜」
「杏のことどう思ってるんだ」
 祥衛の質問を、女は鼻で笑う。
「は? 大事に決まってんじゃん?」
「大事に思ってて。……どうしてこんな風になる?」
「アタシは殴ってねぇもん。カレシが殴ったんだしぃ」
「……」
「ついでに杏も連れてけよ。めんどくなってきたぁ。全然起きねーし、起きたってダァを怒らせるしさぁー。アタシ悪いけどダァリンかぁ杏だったら、カレシ選ぶよ」
「じゃあ二度と、病院に来るな」
 祥衛は呟く。意識せずとも低い声色になって、少し母親は驚いたようであった。

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 祥衛が母親に対し、怒りや苛立ちを表わした事はこれまで無い。今よりも幼い頃は彼女を恐れていたから。最近では関わりたくないという気持ちが強い。
 けれど今、祥衛に感情が溢れてくる。凍りついていたはずの表情に熱がこもり、迸った。杏の手を離して母親のほうを向く。両眼で見据える──自分をこの世界に産み落とした者の姿を。
「二度と来るな。あんたに母親の資格なんてない。自己中すぎるんだ、いつもいつも……!! 杏は……俺が面倒見ていく。だからあんたは彼氏のところに行けば、いいんだ!」
「だ、誰に向かって口聞いてんだよ。子供のクセに!」
「あんたに親らしいことしてもらった事、一つもない」
 うるせえーーー! 女は金切り声を上げた。図星を突かれるとキレる、短気な彼女は昔からいつもそうだ。声が廊下にも響き渡ったのだろう、看護師が驚いて部屋を覗きに来る。
「じゃあお前が金も払えよ、治療費もなぁ、杏育てる金全部払えんのかよ?!」
「ああ。全部面倒見る」
「このくそがきが!!」 
 母親は吸殻を缶に押し付けた。荒々しい動作のため、空き缶は落ちる。飲み残しと灰が混ざった液汁が白い床を零した。
「お前の顔なんて二度と見たくねえ!!!」
 集まった人々がざわめく中、鞄を手に女は出て行く。いつの間にか紫帆も戻って来ており、困惑した表情で去ってゆく女の姿を見ていた。
 祥衛はため息を零し、目線を妹に投げかける。
 ……なにかが終わったような気がした。もう二度とあの家には戻れない。でもそれで良い、虐待の思い出しかない場所にはもう帰らない。
 幼い杏はいつも、リストカットをしたりオーバードーズで寝込む祥衛を心配していた。それを鬱陶しいとさえ思っていた己を祥衛は恥じる。遅過ぎるかも知れないけれど。今度は、自分が妹を守りたい。

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 病院からの帰り道、紫帆はいつも通りに戻っていた。なにげない日常の話しをしながら、祥衛の隣を歩いている。……祥衛には紫帆も、この日常も、何も変わらないように思えた、自分が怜の部屋に逃げ出す前と。
 暑い風にはためくセーラー服と艶やかな髪。少しだけ脱色したブラウンの髪色だ。手首にはシュシュ、手に持つ学生鞄。すべてが普段通りの紫帆。
 けれどもう紫帆は遠くに行ってしまうのだ。簡単には会えなくなる。紫帆なしの日常がもうすぐではじまる。事実は痛いほどに解っていた。

 やっぱり、祥衛にはこの現実は重い。

 頼る親など存在しない。世界で一番信頼している紫帆という存在が引っ越してしまう。妹の杏を守っていかなくてはならない。
 祥衛は歩く速度をつい、落としてしまう。国道沿いの歩道で、陽炎を感じながら熱を握りしめた。追い抜いた紫帆は一段一段と歩道橋を上がっていく。祥衛の目には、その後ろ姿がかすむ。
 色々と考えを交錯させながら、祥衛も上った。コンクリートの階段を踏みしめて。
「祥衛? どうしたの。急に歩くのおそくなって……」
 紫帆は振りむいて話しかけてくれる。その声が心地よかった。現実から逃げている間は、ずっと無理に思い出そうとしなかった声。大好きな声だ。
 祥衛は眉間に皴を寄せる。唇もつむる。紫帆のことが好きだ、真夏の空の下で思って、胸が痛い。
「……俺は大丈夫だから……」
 言いながら、何が大丈夫なのか自分でも分からない。しかし伝えたかった、渦巻く感情を紫帆に。
「心配、しなくていいから。紫帆が引っ越しても、俺は……その。……生きていく、から……」
 歩道橋の真ん中で、紫帆は立ち止まった。従って祥衛も止まる。響くのは、真下を走っていく車達の音と、自分の心音。
「す、好きなんだ。紫帆のことが。……ほんとうなんだ……この気持ちは、消したくない。時間が流れても。……大人になっても……!」
 心境を吐露するのは恥ずかしさもあって、紫帆を直視できなかった。祥衛はうつむき、紫帆の影を見つめた。
「だから。紫帆は何も、心配とか、しなくていい。……不安に思わなくて……いいから」
 もっと巧く気持ちを纏められたらいいのに。言葉に出来たらいいのに。言いたいことは溢れそうな程ある。それなのに器用に紡げない。
「──ありがとう。あたしもずっと祥衛のこと大切に思うよ、大好きだよ」
 何かを感じたと思ったら、それは紫帆の唇だった。祥衛が瞳を見開くとすぐに離れ、紫帆は前を向き直して歩き出している。
「……紫帆……!」
 名前を呼べば、早く行こうよ!と言われ祥衛は急かされた。
 熱射線と蝉の鳴き声に包まれた、昼下がりの出来事。祥衛は唇に指で触れて、未だに呆然としてしまう。欲深い変質者とは数えきれないほど交わしたキスも、好きな女の子としたことは無かったから。
 突っ立っていたら、置いていかれてしまう。気付いた祥衛は慌てて紫帆を追いかけた。

 ……俺は生きていかないといけない。現実からは逃げたくなるし、死にたくなりそうになりながらも、でもやっぱり地に足をつけて、紫帆のいるこの世界で生きていきたい……。

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 夏の終わり、祥衛はフェンスに凭れている。
 堤防沿いの草叢は碧い風に凪ぎ、暑さとは裏腹、さわやかな景色だ。
 何故此処に来たかというと、紫帆を見送るため。
 紫帆の一家は今日、この街を発つ。けれど祥衛は空港には行かない。クラスメイトが大勢押しかけるようだったから、顔を合わせるのが嫌だった。
 故に此処で1人、機影を眺めることにした。原付に乗って辿り着き、停車して高台から空を見つめている。きっと今、横切っていくのが紫帆の乗っている飛行機なのだろう。教えられていた出発時刻と重なるから。
 
 



 祥衛は目をとじる。
 



 
 昨日は紫帆と花火を見に行った。
 祭りで打ち上げられる様子を二人で堤防沿いで眺めていた。
「祥衛」
 耳元で囁く、紫帆の声。
「ちゃんと見てないとダメだよ。こんなに綺麗なんだから」
 また一つ音が響く。そして降りそそぐ光。
 気がつけば紫帆は泣いているようだった。祥衛は掛ける言葉を見つけられない。腕に縋り付かれて、嗚咽を漏らしはじめる。
「あたし本当は行きたくないんだよ。此処から消えたくない。祥衛のそばにいたい」
 祥衛は表情を歪めた。紫帆を抱きしめ返して、髪を撫でるくらいの事しかできない。密になっている体温、紫帆の心臓の音が大きい。花火を打ち上げる音よりも。
「祥衛……」
 蚊の鳴くような声は弱々しい。いつも勝ち気に笑う紫帆の裏側に、触れた気がした。



 もう、この街に紫帆はいない。



 眩しさを感じながらも、瞳を開く。
 これから、何をしなければいけないのかは分かっていた。生きる為、杏を養う為だ。現実逃避だったり、後ろ向きな気持ちからの考えじゃない。
 “真堂大貴と同じように、男娼になりたい”
 祥衛は少しだけ微笑う。それから、フェンスから背を離した。 
 原付に乗って、向かうのは──怜の所。

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消えない傷
痛み

苦しみ


それらに支配される日々
分裂しそうな頭の中

何も光が見出だせない

自分自身の無価値だけ確信する

募る自殺願望
こんな自分も、世界も嫌いだ
劣等感

圧迫感

無力感

絶望感

抜け出したい

 

泣いていた

ずっと叫んでた

光を捜していた

生きていく意味が欲しかった

全てを呪っていた

現実が憎かった
本当は淋しくて
いつも誰かのせいにして

すぐに死ぬ事を考えた

面倒な全てを避けてばかり

すぐに眠りに逃げて
ホラ 自己嫌悪自己嫌悪自己嫌悪自己嫌悪自己嫌悪………
抜け出したい………

繰り返す自殺未遂の度に何を見た?
周りを嫉む

怨む

親を憎み

神さえも憎み

醜い感情にとりつかれて縛られる
醜い醜い醜い醜い醜い醜い……
また募る自己嫌悪

悪循環……
醜い醜い醜い醜い醜い
変わりたい

こんなのは嫌で

助けて

誰に?

誰に助けを求めているのだろう?

壊れそうな頭痛

渦巻く欝が重過ぎる

羽根が欲しい

他人ばかりが気になる

眩しい光に憧れている

陽光を浴びたくて………

 

闇を終わらせる鍵は 自分なのだと気付いた
 

 

大切なものはきっと、貴方の傍に。

JESUS END