少年男娼

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 いつしか部屋を充たしてゆく陽光。カーテンのスキ間から晴れ渡る空を眺め、祥衛は表情を歪めていた。
 青空は嫌いだ。明るくて、鮮やかだから。俺の心とは正反対だから。人の気も知らないで呑気に晴れて……いつもいつもそう思う。
 今、祥衛は憂鬱に包まれている。突然に訪れた“楽園の終幕”に、心は重苦しく澱んでいた。この部屋から出て行かなくてはならない。行く場所も帰る場所も無いのに。
 どうして怜が、急に自分を追い出すことにしたのか。祥衛には分からなかった。それだけじゃない、昨夜この部屋で起こった出来事全てが不可解だ。大貴がいたことなんて、夢のような気さえする。それほどにあり得ない一夜で、未だに事態が少しも把握できない。
 この先、どうすれば良いのだろう。途方に暮れつつ、とりあえず着替えることにする。祥衛の姿は下着に怜のワイシャツを纏っているだけ、そんな装いだった。
 怜に投げられた自分の服。久しぶりに日の目をみたそれを眺め、気が乗らないけれど、袖を通さなくては──ため息を吐くと──玄関のほうで音がした。鍵の音、それから、ドアノブを回す音。
 この部屋に来る人間なんて、怜しかいない。祥衛はビクリと震えた。帰ってきた彼は何を言うのだろう。やはり、出て行けと告げるのだろうか?
 しかし、祥衛の予想は外れる。ヤスエ、と呼ぶ声が響いたが、それは怜の声ではない。少年の声だ。
「いるんだろ。ヤスエー……」
 足音が近づいて、開いたままの寝室の扉から覗くのは大貴の姿。私服姿で、Tシャツにデニムを合わせている。祥衛は驚いて、身動きもできない。ベッドの上で凍りつきながら、その姿を認識していた。
「よかった、まだいた。なぁ、昨日はごめんな、殴ったりして……」
 大貴は部屋に入り、祥衛へと歩み寄ってくる。そして勢いよく頭を下げた。
「俺、ついカッとなって。すげー反省してる!」
「え……っ……」
 祥衛は言葉を失う。謝られる事なんて、ほとんど経験がない。あっけに取られ、目を点にしているとさらに衝撃的な告白をされた。
「ヤスエが言ったとおりなんだ。俺はー、男とやってお金もらって、それを仕事にしてて。ホントのことゆわれたからむかついたんだ。ガキだよな、俺っ……」
 顔を上げた大貴の前、祥衛はさらに固まってしまう──さらりと紡がれた肯定に。

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「もう、あんなことしねーから。ゆるしてくれる?」
 祥衛は呆気にとられながらも、小さく頷く。やっと絞り出した返事は掠れ、あぁ……、と答えるのが精一杯だった。
「まじで!!」
 すると大貴はいっぺんに表情を明るくさせ、軽くその場で飛び跳ねる。
「よかったー、ゆるしてくれないかと思ってた! ヤスエ良いヤツ!」
「ちょ……」
 隣に滑り込んできた大貴に腕を掴まれ、祥衛の身体は揺さぶられる。教室で会った時もそうだったが、どうやら大貴は感情表現がかなりストレートらしい。
「あー、ホントよかった。だいじょうぶか、痛くねーか?」
「……大丈夫だ……」
「おわびにー、なんかおごるぜ。スキなもの食えよ。食いものじゃなくてもいーけど……あっ、今日は合い鍵借りたんだ。祥衛に謝りたくって、怜さんに」
 祥衛は、積み重なっている謎を尋ねたかった。大貴と怜の関係だとか、怜がどんな仕事をしているのかとか、大貴自身のことにも……ふつうの明るい少年に見えるけれど、本当の所は、いったいどんな生活をしているんだろう?
 ──疑問だらけの祥衛に、大貴はさっそく語りはじめてくれる。
「俺と怜さんはおんなじグループっつーか、組織にいるんだ。驚いたぜ、色々祥衛に話してるんかと思ったら、何にも教えてねーってゆうんだもん」
 大貴は姿勢を崩し、シーツに倒れた。
「けどー、話すなら、どっから説明すればいーんかな……うー……」
 口をとがらせて考える表情は、子どもっぽいもの。昨夜怜との絡みを聴いたのに、先ほど大貴本人からも打ち明けられたのに、未だに祥衛は信じられずにいる。
 大貴が身体を売っているという事実を。
 本当にこの少年が、男相手に身体を売っているのか。大貴からは淫靡な匂いが全くしない。

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 祥衛は外に連れ出された。随分と久しぶりに自分の服を着て、部屋を離れる。季節は移っていて、早朝とはいえ気だるく暑い。
 大貴は赤い自転車をマンションの駐輪場に停めていて、鍵を挿すと祥衛に促した。
「よーし乗れよッ。二人乗り!」
 一体何処に行くんだろう? 祥衛は勘繰る。まさかいきなりに紫帆の元へ突き出すつもりか。
「公園でさー、色々話そーぜ。ヤスエだって、俺に聞きたいことあるんだろ」
 ……確かに、それはそうだ。太陽の光を浴びるのはそれほど好きじゃない。だが、大貴の言うとおり知りたいことでいっぱいだ。
 祥衛は決心し、ハブステップに足を掛けた。大貴の肩に手を乗せると、自転車はマンションを離れる。走りはじめる路上──
「あははは。きもちいい」
 大貴は勢いよく坂道を降りてゆく。吹きあげる風、照り返す日差し……眩しくて、祥衛は目を細める。陽光を感じるのも、誰かの漕ぐ後ろに乗るのも、祥衛にとっては随分と久しぶりなことだった。
「でもさー、俺とヤスエはきょうだい?なんだな。まさかお前とそんな関係になるなんて」
「兄弟?」
「うん。だってヤスエ、れーさんとやってんだろ?」
 問い掛けに、祥衛は恥ずかしくなる。街を駆け抜けながらなんでもないことのように尋ねられると、余計に赤面してしまう。
「それは……」
「俺も何回もやられてるもん。だからー、きょうだいだよな」
「……」
 想像できない。祥衛は大貴の後頭部をじっと見つめる。大貴が怜に犯されている姿なんて思い描けない。昨夜聞いた前戯も、未だに夢と思える位だ。
「けど、俺とれーさんとはホントに何でもねーんだ。金なんてもらってないし、つきあってるわけでもないし。ただ、おんなじ組織にいるだけでさ。知りあいっつーか……ヤスエは昨日、色々聞いちまったもんな。隠してたってムダだよな……」
 後半は、自分に言い聞かせているような口調だ。大通りを道沿いに走る中、大貴は声の調子を落とす。

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「……俺はべつにエロいことなんか、すきじゃないし……ただの知り合いとそんなことするのおかしいって分かってる。しかも男同士で。分かってるけど、昨日みたいに押し倒されると……まーいっか、ってなっちまう。軽いっつーか、性に対しての考えがおかしいんだ、俺」
 独白の後、大貴は「誰とでも、はじめて会った人とも出来るし」と付け足す。
「どうして……」
 思わず祥衛がそう呟いてしまうと、
「男娼だもん、俺」
 大貴はそう言って振りむいた。ちょうど信号で足止めを喰らい、停車しながら。口元には微笑みを浮かべ、さわやかな表情だ。
 ダンショウ。その言葉を祥衛は知らない。祥衛も路上に降り、しばらく考えてみても分からなかった。
「何だ、それ………」
 祥衛が尋ねてみると『娼婦の男版』と返される。
「ほとんど毎日やってんだ。今日も夜になったら、出勤するし。で、れーさんは……調教師」
 車の流れが止って、点灯する青。待っていた人々が渡りはじめ、祥衛も再び後ろに乗った。風に撫でられる大貴の髪を見下ろす。根元まで綺麗に染まっていて、ひょっとして地毛なのかもしれない、と祥衛は思う。
「俺達のいる組織はエロいことばっかしてて、法律で禁止されてるような、危ないこともやってるんだ。怜さんはヤスエのことも、調教して売るつもりだった。性、奴隷として……俺の言ってることの、意味わかる?」
「なんとなく……」
 話に現実味は相変わらず感じられないが、言っていることは理解できた。
「オークションに出されるか、怜さんが仲良くしてる人に売られるか……そうゆう目に遭いそうだったんだぜ、お前」
「……べつに俺はそれでも……よかった」
 祥衛の言葉を聞くと、大貴は声を荒げる。
「バカ! よくねーよ。どうなるか知ってんのかよ、カチク以下だぜ。やばいことばっかされて、殺されるかもしれねーんだ!」
 穏やかな朝の街並みにそぐわない、過激な会話。自転車は大きな公園に入っていく。科学館と美術館を併設する、都心の緑地へ。

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 大貴はジュースを奢ってくれた。ベンチに並んで腰を下ろし、祥衛はポカリスエットに口をつける。久しぶりの味だった。隣では、大貴が缶コーラを開けている。
 目の前には広場が面していて──遠くのほうで遊ぶ子供たちを眺めつつ、祥衛はこれまでの話を整理してみた。怜と大貴は同じ組織にいる。その組織は、現実世界では禁じられているようなことをする裏の組織。其処での大貴の仕事は『男娼』未だに信じがたいが、大人相手に身体を売っているようだ。そして、怜はというと『調教師』をしている。売買に使う人間を調教するのが彼の役目らしい。
「でも……」
 祥衛は傍らの大貴に、視線を戻す。
「どうしてこんな所へ……俺をつれてきたんだ」
 尋ねると、大貴は背もたれに深く預けて空を見た。
「光合成だよ。ヤスエ、ずーっと最近部屋ん中にいたんだろ。太陽の光浴びたほうがいいじゃん」
「よけいなお世話だ。……俺は、こういう、明るい所が好きじゃない……」
「だめだって。暗い所にいたら、気持ちまで暗くなるしっ」
 大貴の言葉に、祥衛が零してしまう、ため息。
「……俺はシンドウとは違う。生まれつき、暗い性格なんだ。光を浴びたって、なにも変わらない。お前みたいに、恵まれてないし……違うんだ」
 大貴のように学校に馴染めない。教室で笑えない。何処に行ってもいじめられるばかりだし、家に帰ってもひどい扱いをされる。何処にも居場所がない。
「どうして、俺が……こんなふう、に。ネクラになったか、知らないくせに……」
 心境を吐露すると、大貴は小さく笑った。
「知るわけねーじゃん、そんなん。それに俺だってイロイロあってなー、苦労したことも──」
「お前の苦労、なんて、俺のに比べたら全然マシだ。俺の辛さとか、不幸とかは、学校にいるヤツの何倍も、何倍も、辛くて」
 大貴の声を遮って吐き出し続ける。祥衛は足下の地面を見つめた。こうして話しているだけで色々と思い出し哀しくなってくる。思考回路は虐待とイジメに汚染され、四六時中こみ上げては祥衛の心を痛めつける。
「なにがあったんだよ、話せよ」
 祥衛の様子に、大貴も表情を沈ませる。けれど、その質問も祥衛の気に障った。

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「……話したら殴られたんだ。黙っていろって。みんな、俺にそうやって言ったっ……家の事は学校で隠して、学校の事は家で隠して、けど近所の人とか、絶対気付いてた。気付いてるクセに何も……だれも……」
 祥衛は両手を顔に近づける。折り曲げた指に睫毛が当たった。……何故今大貴相手にこんなことを言っているのか、祥衛には分からない、誰にも吐いたことがない。紫帆にはすこし漏らしたことはあるけれど、多くは語っていなかった。心配させるのがイヤだったし、性的虐待に遭っているなんて口が裂けても彼女に言えない。こんなはずかしくて、惨めな事を。
「助けてくれないんだ。見て見ぬふりならマシで、いっしょになってイジメとか、虐待とかに加わるんだ。皆、ケラケラ笑って……!」
「けど今はそんな目にあってねーんだろ?」
 身震いを覚えていると、大貴の声が響く。祥衛は顔から手を離した。
「ならいーじゃねーか。もう、終わったことなんだろ」
 ……軽く言うな! 祥衛は思った。終わったこと? そんなふうに片づけられたくない。加害者達に対する恨み辛みと憎しみは絶えず、頭の中で渦巻いているのに。
 やっぱり、こんなやつに話しても何も伝わらない、俺の辛さとか深刻さとかを全然分からないんだ、コイツもどうせ教室にいる連中と一緒なんだ、不幸なんか味わったことのない幸せな人間なんだ。
 祥衛は不機嫌に表情を歪めた。そして地面を睨んでいたが──
「俺だって虐待されてたよ。でも俺は自分のこと不幸だなんて絶対思わない」
「!」
 意外な言葉を聞き、弾かれるよう顔を上げた。
「そんなん、お前だけじゃねーよ。よくある話なんじゃね? 俺だって、親とかにめちゃくちゃされてたし。すげー辛かったし、痛いこともされたし、泣きまくってた。……でももう終わったもん。祥衛ももう遭ってないなら、うじうじすんなよな」
 事も無げに言ってのけ、大貴は缶コーラを飲む。動作を眺めながら、祥衛の目は驚きに見開かれた。ぽかん、としてしまう。
「逆にさ、あーいう目に遭ってきたぶんー、楽しく生きなきゃな!って思う。後ろ向きはよくねーぜ。なっ、ヤスエもそーふうに考え方変えればいーじゃん」
 大貴は祥衛の肩を叩き、笑顔を見せてきた。これからは楽しく生きる……? そんなこと、祥衛は考えたことも無い。虐待の過去をあっけなく打ち明けられたことにも戸惑ってしまう。
「男娼の仕事だって、100パー好きでやってるかってゆうと、違うんだ。イロイロ事情?みたいなのがあって……仕事したくない、イヤだなって思うことも多いし、俺は男スキじゃねーし。でも男に身体売らなきゃ……けど、それでも、俺は自分が不幸だなんて、少しも思わねーもん」
 柔らかな笑みを作ったままで話す大貴。降りそそぐ陽射しの中で、祥衛は唖然としていた。言葉を返せない。ただただ、呆気にとられる。

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「終わったことより、今どうするかだろ。ヤスエの人生の主人公は、ヤスエなんだ。イヤな思い出とか、いじめてきたヤツとかに……いつまでもふりまわされてたら、面白くねーよ」
 大貴が紡ぐ言葉はどれも、祥衛には無い考え方だ。驚きに支配されながら、落ち葉で埋もれた遊歩道を行く。
「なっ。そー思わね?」
「……思うけど……」
 正論だとは思う。大貴の話は自分とは違う明るさに満ちていて、惹かれもする。けれどそんな輝きに溢れた前向きな考え方、急に受け入れられるはずが無い。
 祥衛は大貴の少し後ろを歩いていた。陽射しに輝く大貴の髪は時々金色にも見える……眩しい……大貴は祥衛には眩しい。今日は、単に部屋から連れ出されたのではなく、薄暗くじめじめとした人生からも連れ出されそうな心地がする。ふと目線を上げれば、晴れ渡る碧空があって──昼間の空をこうやって眺めるのは、どれくらいぶりだろう?
「じゃあ実行なっ。お前が変われば、お前の毎日だって絶対変わるし」
 大貴は振りむいて、立ち止まる。
「俺とやくそく。これからはー、今までよりも楽しく前向きに生きること」
 祥衛が戸惑い、佇んだままでいると、大貴は勝手に小指を絡めてきた。
「やくそくしろよ! つーかヤスエって、まじ細っせーな」
「……」
「肉食ってねーんじゃね。なぁ、肉すき?」
 手を離した大貴は、そんなことを尋ねてくる。祥衛は首を横に振った。
「だからだよ。だから痩せてんだって。今度肉くいにいこ、そんとき俺おごる!」
 そう言って、大貴はふたたび歩きはじめた。祥衛もその後に付いてゆく。どうも、大貴のペースに呑まれてしまう祥衛だ。
「俺のスキなひとも紹介するなっ。ウチあそびにこいよ」
「彼女……?」
「しょうらい、結婚するんだー!」
 満面の笑顔で宣告される。祥衛もつい、つられて口の端をゆるめそうになる……歩調をゆるめずに遊歩道を廻っていると、やがて道は公園入口にたどり着いた。
「で、これからどうしたらいいか、お前はわかるよな」
 自転車の前で、触れられる核心。
「……会わないほうが良い。会う資格もない、傷付け続けてきたから。……俺は……」
「けどスキなんだろ? あいつのこと。スキなら絶対会ったほうがいい。ヤスエのためにも会ったほうがいーぜ」
「俺の……ために……?」
 また、祥衛の持っていない引き出しが開けられた。祥衛は、自分の為に紫帆に会う、なんて一度も考えたことがない。
「うん。だって、スキなひとといたほうが楽しいしー、幸せじゃねぇ。沢上もお前のことスキって感じだし……両思いじゃん!」
「!」
 いきなり、背中を叩かれた。
「会わない理由が見つからねーよ。後ろ乗れって、送ってくっ」
「いや……」
 自転車に乗る大貴の隣、祥衛はその申し出を断る。
 向かうのなら、歩いて行きたい。歩きながら紫帆に話すことを思案したいから。