一夜の契

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 那智は、昼下がりに楓の元に向かった。
 
 牢から出されてしばらく経つが、楓はまだ母屋で療養中だ。身体の傷が治るまではゆっくりと過ごさせるらしい。それは秀乃と前々当主が決めた。

 このところ、当主としての自分の役目が終わりつつあるのを那智は認識している。元々一時的な約束、けれどいざ位を取り上げられるとなると寂しくもある。

「はははは、そうなのか、すごいな──」
「でしょう、今度楓ちゃんにも見せてあげるわ」

 その一室に入ると、布団に座ったままの楓の傍らには早百合がいた。楽しそうに談笑する、屈託の無い楓の笑顔を見て那智は安心した。

「あら、なっちゃん」

 早百合は那智に気付き、見上げる。楓もまた那智に振り向いた。……久しぶりに重なった視線。なにしろ、楓が再調教になってからというもの、会っていない。

 会いづらくて那智はわざと避けていたのだから。

「那智。ひさしぶりだな……」
「楓……」
「その、俺はちゃんと反省したから……」

 楓は僅かに肩を落とした。

「まだ、ミサへの気持ちは消せないけど。もう会わないし、男娼の仕事を頑張りたいんだ。性玩具なんだって自覚を持って──」
「ごめんね、楓」

 那智は座り、楓の手をとった。

「……秀乃に怒られちゃった。わたしは、楓のことをずっと子猫みたいに思っていたかったんだ」

 いつのまに楓は恋を覚えるほどに成長したのだろう。今回が初恋なのかどうかも、那智は知らない。いや、知りたくないと思っていた。愛玩するあまりに成長を認めなかった。いつまでもカブトムシやセミにはしゃぐ子供でいて欲しかった。

 精神面だけでない、できる限り身体の発育を遅らせようと栄養をとらせなかったり、楓自身の男性器にもろくに触れさせずに育てた。幼い容姿を保たせることは他の受け子にも強制することはあるが、楓には誰よりも厳しく押しつけてきたのだ。

「? 那智……?!」

 早百合の前だというのに、楓を抱きしめてしまう。石鹸の匂いがする、華奢で小さな身体。

「来年はもう中学三年生なんだね。その次は高校生なのに、わたしは……」

 不思議そうな表情をして、おずおずと手を廻してくれる楓はやっぱり可愛い。叶うなら、ずっと可愛いままでいてほしい。だけどそれは叶わないこと。

「だから、わたしも賛成したよ。今回の再調教がなくっても、そろそろ頃合いだったよね。楓に純潔で居て欲しくて、先延ばしにしてたけど……」

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 楓は“貫通の儀”を済ませてから、遊廓に戻ることになった。

 それは四季彩で飼われる少年たちが、初めて自らの性器を挿入する儀式を指す。どこまでも悪趣味な四季彩は越前谷の一族と、観賞料を払った客達の目の前で公開し初体験をさせるのだ。

 立役も行う男娼ならば早い年齢で済まされるし、儀式自体もあまり重要視されない。行われない場合すらもある。が、受け子として飼育されている男児にとっては貴重なひととき。
 
 受け専門の性玩具が、遊廓に在籍している間に男としての行為がゆるされるのは“貫通の儀”一度きり。ペニスを他人の孔に挿れる最初で最後の機会だ。

 そのため、興味本位に観たいと申し出る客は多く、料金も高額になる。少年たちは例外なく、大盛況の広間で観てもらいながら初々しい男役をこなすはめになった。

 ……楓はあまりにも複雑すぎる心持ちで居た。儀式のことを話されたとき、通例に則り、自分も他の同僚とするのだと思っていた。

 けれども当日になって知らされた相手の名前は



 美砂子



 信じられない。
 信じたくない。
 あり得ない。
 会えないんだと思っていたのに。
 身体の傷を癒しながら、そう自分に言い聞かせてきたのに。

(ミサと、するなんて。それも大勢に見られながら……!)

 当日の控室、座布団に座る楓は深いため息を零す。

 初めての挿入の相手が好きな人だなんて、身体を売らされる身には考えられないほどの幸福かもしれない。だけど、こんな形で味わいたくはない。

 美砂子は同意の上なのだろうか? 誰もなにも教えてくれない。ただ此処で待っていろと言われ、衝撃のままに時間を過ごしている。

 無理やりに連れて来られるのだろうか。ひょっとしたら佐々木が“真実”をバラしてしまって、弱みを握られて来るのかもしれない。不安に押しつぶされそうになって、私服の胸元を握る。美砂子に会えるのだと思うとお気に入りのシャツを着てしまって、丹念にシャワーも済ませている自分が馬鹿らしくも思った。

「かえでくん!」

 けれども、楓の懸念とは裏腹、現れた美砂子はいつもと同じ笑顔だ。

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「学生服、ありがとう……!」

 数人の従業員に伴われて、入ってきた美砂子はショッピングバッグを差し出す。少女もののブランドロゴが印字されたその中には、学ランが折り畳まれていた。

「ひさしぶりだな……元気、だったか……?」

 美砂子はリボンのついたコート姿で愛らしい。気恥ずかしく、照れくさくもあって、楓ははじめ直視することができない。

「うん、ひさしぶり。元気だよ、ミサはだいじょうぶ。それよりかえでくんは──」
「佐々木さんとも、壮一さんとも……。なにもないのか、大丈夫なのか……?」

 袋を受け取りながら、さらに問いかけてしまう。それが一番の不安だ。他の人間もいる前なのでぼかした言い方で伝えれば、美砂子は頷く。

「うん。ないよ、なんにもないの」
「そうか、それなら良いんだ。ごめんな。突然連絡できなくなって──」

 座卓に袋を置いた瞬間、胸元を殴られた。大した力ではなかったが、楓は驚いてしまう。

「……ばかぁっ、ばかだよ! いいひとすぎるよ! かえでくんのばか! ミサのことなんて守ってくれなくていいのに……パパにばれても平気だもん!!」

 何発かの後に、美砂子は泣き出した。

「平気じゃないだろ。あんなに震えてたんだ!」
「でも、ミサがわるいんだよ、ぜんぶミサが──」
「いや、ちがう。ミサを悲しませる……さみしくさせる、お父さんとお母さんがいけないんだろう? ミサの話を色々と聞いてきて、俺はそう思う」
「かえでくん……!」

 涙を拭う美砂子を間近で見ていると、胸が痛む。美砂子はこれまでの人生、あまりにも傷つきすぎている。置き去りにされて、美砂子のことを本当の子供だということを公にする両親はいない。

 温もりや繋がりを求めるのも当然だ。
 それが過剰でも、歪んだ形でも。
 
「謝るのはミサのほうだよ、ほんとうにごめんね。謝っても謝りきれないよ……いっぱい痛いことされたんだよね……ひでのくんに聞いたよ」

 部屋を出ろと指示されて、従業員に急かされる。美砂子は悲しそうに楓の手を握り、ちょっと痩せたね、と言った。

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 儀式は遊廓内の洋間で行われるらしい。ベッドを囲んでたくさんの座席が用意されていることだろう。想像するだけで楓はげんなりとしてしまう。

 行われるのは、とてつもなく恥ずかしいこと。それなのに美砂子には緊張の様子も、恐怖の様子もない。先程までの涙も落ち着いた。

「ひでのくんに頼まれたの。かえでくんがおしごとに戻る前に、どうしても済ませなきゃいけないことがあるからって……」

 手を繋いで向かいながら、美砂子はそう話す。

「今回のことはミサにも責任があるから、協力してほしいって。儀式をしなきゃ、かえでくんはずっとこのまま復帰できないってゆわれたよ」
「……けど、色んな人の前で……。俺はともかく、ミサにはさせられない……!」 

 叶うなら今、美砂子を逃がしたかった。けれど、従業員に囲まれていて出来ない。

 楓は眉間に皴を寄せた。自分はどうなっても良い。美砂子のあられもない姿を大勢に見せつけるなんて、絶対に許したくない。

「あたしは、ひみつを守ってもらった恩返しをしたい。どんな目にあってもかまわない。処女じゃないし、いまさら──」
「駄目だ。ミサは一般人なんだぞ。巻き込むなんて」

 先導する従業員は、大仰な扉の前で立ち止まる。
 開ければきっと大勢の視線が待っている。

 楓は把手を掴み、そっと開いた。

 すると。



 
(? どういうことだ……??!)



 白を基調とした、調度品も内装も上品なベッドルームはもぬけの殻、誰もいない。

「お客様は全員キャンセルだ。越前谷のご一族様も、皆急用にて席を外した」
「そんな……!!?」

 従業員は、そう言うと楓の背を押した。よろめいて室内の絨毯を踏むと、手を繋いでいる美砂子も一緒につまづいてしまう。転げるように入室する二人。

「よって、事を済ませたら備え付けの電話で連絡しなさい」

 勢いよく締められる扉。次の瞬間にはガチャリと音をたてて、外から鍵をかけられてしまう。

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 美砂子は部屋を歩き、嬉しそうに見回している。

「あのね、前にパパとディズニーランドにいったことがあるんだよ。そのときのホテルみたい!」

 今の状況になにも思っていないのだろうか。美砂子の姿を瞳に映し、楓は気付いた。

 いや……思っていないはずがない。美砂子はきっと、あえて普通にふるまっている。お祭りの夜のように。

「ソファもかわいいなぁ……、こういうおうちに住みたいな、かえでくん」
「ミサ」

 呼び止めて、後ろから抱きしめた。美砂子の身体が小さく震えたのがわかる。

「やっと二人きりになれたな。……嬉しい、もう会えないのかと思ってたから……」

 安心させたくて、楓はあえて笑う。それに、再会の嬉しさは本心だ。

「たしかに散々な目に遭ったし、痛かったけど、すこし休んでケガもなおった。……ミサのせいじゃない。俺が勝手に、本当のことをしゃべりたくなかったんだ」

 美砂子の体温をぎゅっと両手で閉じこめる。ずっと不安だっただろう、心細かっただろう。想いを伝え合ってまもなく連絡が途切れたのだから。

 今日もどんな目に遭うのかが分からないのに、此処に来てくれた。覚悟を極めて。楓はそんな美砂子のことを本当に愛おしく想う。

「……好きだ。ミサのことがすごく、すごく好きだ。やさしくて、かわいくて……ずっとそばにいたい、だけどできなくて……俺が男娼でごめんな」

 瞼をそっと閉じてみる。お互いの心音が脈打っているのがわかる、あまりにも静かな空間の中で。

 美砂子は、楓の腕の中でするりと向きを変えた。対面して改めて抱き合う。上昇する楓の熱。こんなふうに肌をくっつけているだけでとめどない幸福と切なさとときめきが溢れるのにヒトツになってしまえばどうなるんだろう? この先を考えられない……

「かえでくんこそ悪くないよ。なにも悪くないよ。その左目もミサはすき。かえでくんの頭の先からつま先まで全部すき。こんなにだれかに心配されたことも、守ってもらったこともない。これからもかえでくんみたいなひとはミサの前に現れない……!」
 
 楓もまた、美砂子の声も、瞳も、心も、笑顔も、すねた顔も、全てが好き。女の子と話をしても合わなくてあまり面白くないな、そんな風に思っていたのはまだ最近のことなのに。

 美砂子は楓を変えた。それがきっと恋。

 どちらからともなく、お互いの唇を合わせる。その瞬間に世界が廻りだす。やわらかな感触に楓は眩みそうになった。拍動も明らかに速まる。

「かえで、くん……」

 見つめあいながらゆっくりと接吻を離した。美砂子の頬は色づいている。自分の顔も染まっていることを自覚しつつも楓のほうから再びキスをする。何度か優しく押しつけたあとで、舌先でも触れてみた。おそるおそる挿れてゆくと慣れたように迎えられ、絡める所作は美砂子の遍歴の多さを楓に伝える。

 ……そんなことはどうでもいい。それに汚れているのも経験の多さも明らかに楓のほうが上。ただ想うままに唾液を混ぜた。

「俺もきっと、だれかに対してこんな気持ちになることはもうないような気がする。ミサへの好きは日に日に大きくなるばかりで……」

 うっとりとした表情の美砂子に、そっと囁く。

「儀式とか関係なく、俺のはじめてを……もらってほしい……ミサに……」

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 互いの服を脱ぎ捨てて、なめらかなシーツの上で滑らせる指と舌。女の子の素肌は驚くほど柔らかくて、普段交わる客のものとは違う生き物のようだと楓は思う。

「……我慢してるのか……?」

 細い手首を掴み、爪にキスをして尋ねる。愛撫の一つ一つに震えて吐息を漏らす美砂子は、喘ぐのを堪えていた。

「声を、出してくれていいのに」
「だってっ……すご、すぎるよぅ……、かえでく……」
「……?」

 楓は胸元に頬を寄せ、腿へと指先を這わせる。幾度となく弄った其処は蜜を滴らせていた。先程掻き回したとき、美砂子は軽く達したらしい。
 
「上手過ぎるよ。悲鳴が、でちゃう……」
「ミサだって上手い、さっき、すぐにイッてしまったし……今だって、もう……」

 軽く咥えられただけで、楓はいとも容易く射精した。溢れた白濁を飲み干す美砂子にまたどきどきとして、こうして触れあっているだけでまた膨らんで反り返る。

「きて。入ってきてほしい……ミサ、かえでくんが欲しいよ……」

 腕を広げる美砂子と抱きあう。きつく密接するのは、もう何度目か分からない。股間を押しつけている事実だけで楓の意識はぼんやりとして、熱だけがただ暴走しそうになる。

「うん、俺も……。もっとミサが欲しい」

 接吻を甘く愉しんだあとで、楓は花弁を拡げた。慣らすように濡らせば、美砂子は睫毛を震わせる。指を抜いて、交わらすのは性器。



 溶けてゆく身体──



「やぁああっ。あぁっ、あぅ……いきが、できないよぉ……、ひっ、あぁ……!」

 いつも客の男にされるように腰を揺らした。歪んでゆく美砂子の顔を見つめながら、楓の呼吸も乱れる。気が遠くなりそうな快感と、酔いしれるような恍惚に打ち抜かれる。

「ミサ……、ミサ、だめだ、そんな顔をしたら……」
「か…えでくん、だいすき……」
「かわいくて……止められ、ない……! あぁ……」

 繋がりながらも見つめあう。瞳をそらすことはできない。キスの度に舌がもつれて、麻痺して、唾液でグチャグチャになる。絶頂も幾度となく味わい、狂うほどに繰り返す。

 窓の外の黄昏が沈み、夜が世界を閉ざしても、二人はいつまでも戯れ続ける。
 
 求めあう、飽きることを知らずに。

 このひとときが終われば、また離ればなれになることを、今だけは忘れていたかった。