星宵

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 宴の中、絶えず犯されていた楓にも、やっと休憩が与えられた。

 身体を投げ出し、呆然と天井を見ている。騒ぐ客の賑やかしさや、同僚たちの嬌声をぼんやりと聞きながら。

 性的な商品として使われている様を、一般人の少女に見られてしまったのはショックだ。

 楓の心の中で衝撃は尾を引く。どんな風に思われたのだろう……きっと軽蔑されたに違いない。性器やアナルを見せたり、全裸で腰振る踊りまで披露したのだから。犯される時も少女のすぐそばで行われた。

「お疲れのようだね?」
 
 突然、覗き込まれて驚いた。由寧だ。

「でも楓は精液塗れが一番似合う。君の琥珀色の瞳は、白濁に良く映える……」

 クスクスと微笑む由寧も、仕事をこなしている。
 裸体に銘仙( メ イ セ ン )をだらしなく羽織っているだけで、前は閉じていない。腹も性器も丸出しだ。

「ねぇ。これ、返すべきだと思うよ」
「!……」

 由寧は薄ピンク色のタオルを差し出す。楓は横たえていた身体を起こした。

「持ってきたのか、控え室から……?」
「僕の“優しさ”だよ。せっかく返せるチャンスなんだからね」

 楓はそれを受け取る。手のひらに染みついた客の体液の残り香を、畳に撫で付けて拭ってから。
 
「ふふッ。……あの子はさっき、席を外した。壮一さんに、中庭に行くと言い残して」
「……追いかけろっていうのか。俺に……」
 
 あんな姿をさらしておいた後なのに、どんな顔で会えばいいのか──分からない。それにひょっとしたら、拒絶されるかも知れない。

「何を話せばいいんだ。恥ずかしいところ、全部見られて。俺の代わりに、返してきてほしい位なんだ……」
「僕は忙しい。一仕事終わった楓と違って、これからが本番なのさ」
「……」
「借りたものは自分で返そう、楓?」

 そう言い残して、由寧は背を向ける。
 向かう先は、待っていた客の腕の中だ。

 楓はため息を零した。
 タオルを握りしめ、よろつきながらも立ち上がる。

(返すだけだ。手渡して、それで終わりにすればいいんだろ……?)

 己に言い聞かせて、浴衣を拾う。袖を通し、きちんと帯を締めると広間を出た。
 板張りの廊下が素足にはひんやりと冷たい。

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 四季彩の敷地は広い。建物は入り組んだ構造で、はじめて此処を訪れた者が、迷うのは必至。
 中庭と名がつくものは幾つもある。
 
 美砂子は遊廓には何度も来ているのかもしれない、そうでなければ一人で庭に辿り着けるはずがない……そんなことを考えながら、楓はとりあえず広間から最も近くにある中庭を目指す。

 歩き抜ける通路の途中では、障子に映る性交の人影を目にしたり、琴と三味線の旋律、唄、艶やかな喘ぎ声を聞いたりもした。
 
 営業中の廓は淫靡でありながらも活気があって、楓はこの雰囲気が好きだ。

(あっ……)

 縁側の向こうに広がる日本庭園、その片隅に少女を見つけた。楓の左目は明るい光に弱い代わりに、夜目が利く。薄闇の中でも、美砂子の纏う水玉のワンピースや、膝の上に黒猫──おそらく伽羅──を抱いてしゃがみこんでいるのが分かる。

(どうすれば、いい……?)

 楓は、一瞬迷った。だけどここまで来たのだから、渡したほうがいいに決まっている。
 ゴクリと唾を飲み込み、意を決して縁側の下に何足か用意されている草履を履くと、庭に踏み込んだ。

「だれ?」

 足音に気付き、美砂子は振りむいた。
 楓だと認識してくれたのは伽羅のほうが早く、鳴き声を零すと美砂子から離れ、駆け寄って近づいてくる。

 美砂子のそばに辿り着いても、楓は緊張して話し出せなかった。伽羅を抱き上げながら、言葉に詰まる。

「……さっきは変なもの見せて、ごめん……」

 謝ることができても、前を向けない。伽羅の毛並みに視線を落とし、うつむいた。
 
「かえでくんって、ホモなの?」
「!」

 美砂子から紡がれたのは、そんな質問。

 ……予想だにしない言葉に面食らって、思わず顔を上げてしまう。すると、雨の日と同様、澄んだ瞳が目の前にある。

「わ……分からない……、多分、ちがうけど」
「どうして。分かんないの?」
「……考えたことがないんだ。恋愛とか、そういうものはここは禁止されてるし、万が一してしまったら、辛いだけだってみんな言うし……」

 ふーん、と呟いて、美砂子は立ち上がった。

「ミサは、パパの本を読んで知っているし、かえでくんが色々されていたことも、何とも思わないよ。ああいうことをさせるパパはキライだけど」
「パパ?」

 その言葉を不思議に思い、楓は尋ねてみた。すると、美砂子の眉間はしかめられる。

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「相沢のおじさんは、ほんとうはおじさんなんかじゃない。あたしのね、お父さんなの」

 美砂子の笑みに含まれるのは憂い。

「愛人の妹だって、わらっちゃう……こどもなのに。どうして、認められないのに生み出したの? ミサには分からないよ、大人のじじょうなんか」
「そうだったのか……」

 二人を撫でる夜風。伽羅は楓から飛び降りて、再び美砂子の元に擦り寄った。

「よかったのか、それを俺に言って」
「かえでくんは善い人だから、いいふらしたりしないってことわかるの」
「俺は、そんな人間じゃないぞ」

 楓はその一言を心から告げた。

「見ただろう、初対面の人間にも身体を渡して、変態なことばかりして、どうしようもない──」
「お仕事なんだから、仕方ないよ」
「だけど淫乱には変わりないんだ」
「そんなことより。ねこは可愛いね」

 伽羅を抱きしめ、美砂子の微笑みはまた至純なものに戻る。……そんなこと、だなんて切り捨てられると、楓はそれ以上話せなくなる。

「お話しよっ。宴会のお部屋は、むしあついもん。ここは涼しいから、すこし休憩していようよ」

 そして美砂子は歩き出し、庭のさらに奥へと向かっていくのだった。楓は戸惑いつつも、後を追う。
 
 ……改めて、美砂子は不思議な女の子だと思った。遊廓の男娼の姿を見ても驚きもしないし、行為を目の当たりにしても何も思わないだなんて……。

 左目の色だって違うと気付いているはずなのに、何も尋ねてこない。四季彩の中でも、学校生活でも、楓に対して興味本位に色々と聞いてくる人々ばかりなのに。

「……これ、ありがとう」

 楓はふところからタオルを出す。

「あれっ、いいよ。それあげるよ?」
「いや、返す。洗濯だってちゃんとしたんだ」

 ピンク色のお姫さまチックな絵柄のハンドタオルを貰っても困ってしまうので、追いついて手渡した。

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 並んで座る二人の会話は途切れない。声を出して笑い合うことも多くて、楓は自分がつい先程まで残酷な凌辱を浴びていたことも忘れかけていた。

 そんな楓と美砂子を包み込むのは、雲ひとつない夜空だ。幾日も降り続いていた雨は嘘のように止んで、今は星々を映しだしている。四季彩は辺鄙な土地にある故、その輝きは都会よりも多い。

「スピカだ」

 ふとした瞬間、楓は南の空を指さす。伽羅の毛並みを撫でながら、美砂子も顔を上げた。

「? なあに、それ」
「星。肉眼でも見えるんだ」

 説明しても、美砂子には分からないらしい。眉間に皴まで寄せて、険しい表情で空を睨んでいる。

「はははっ。なんだ、その顔」
「え〜っ、分かんないよ、どれ?」
「あの、明るい星。アークトゥルスも見える。獅子座のデネボラと合わせて、春の大三角形っていうんだ。6月だからもう、春の星座は、だいぶ西に傾いてきてるけど……」

 美砂子はやっと、スピカを見つけた。いちばん明るい星だね、と言って指をさして嬉しそうにする。

「プラネタリウムに遠足で行ったときに、そうゆうの聞いたかも。かえでくんってお星さまに詳しいの?」
「詳しいかどうかは分からないな。ただ昔、ひまだったんだ、閉じこめられているときに」

 先程、美砂子には、何年も蔵に幽閉されていたことを軽く話した。驚くことも無く、そうなんだ、とだけ言ってくれたことが楓には嬉しい。過剰に同情されたり、哀れまれたりするのに飽き飽きしている。

「ふーん、ひまな夜に、お空を見ていたんだね」
「うん……四季彩は星が綺麗だから好きだ」

 楓がそう言うと、美砂子は笑った。

「あはは! お星さまが綺麗だから、遊廓がすきなの?」
「ここの良さはそれだけじゃないぞ、裏の森にはめずらしい昆虫もいるし──」
「めずらしい虫っ?!」

 美砂子は腹を抱えている。真剣に話しているのに、何故笑われるのか楓には分からない。

「かえでくんっておもしろいね。あんまり男娼っぽくないんだもん」
「?? 確かに、良くいわれるけど」
「さっきはあんなに色っぽかったのに」
「……!」

 美砂子の一言で、即座に思い出す先程の一幕。
 楓の頬はすぐにまた熱を取り戻し、思わず美砂子から顔を背けてしまった。

「……忘れてくれ。さっきのことは……」

 そういえばこの少女には、性器も、尻穴を犯されている様も、羞恥的な芸をさせられている姿も、全てを見られていたのだった。楓は思い出して嫌になる。

 すると。

「じゃあこれでおあいこ」

 美砂子は突然、楓の想像を超える行動に出た。

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 美砂子はワンピースの裾をまくり上げた。
 見せつけるのは白く滑らかな素肌。小さな胸と淡色をした下着、太股もあらわだ。

「!! ……ば、馬鹿っ──!」

 とっさに楓は美砂子の腕を掴み、裾を下ろさせた。

「なにをするんだ、信じられない!」
「ミサのはずかしい所も見せてあげる。そうしたらかえでくんだけはずかしくないよ?」
「いいんだ。俺は平気だから……、女の子がこういうことをしちゃだめだ」

 手首を掴んだままで言い聞かせる。すると、美砂子は拗ねたような表情になって、頬を膨らませる。腑に落ちないといった様子だ。

「どーして?! かえでくんの為を想って、するんだよ」
「やめろったら……俺を困らせるな!」

 そんなことをされても、楓は嬉しくない。二人の間で伽羅はきょとんとした瞳をしている。

「そっか、かえでくんの為にならないんだ……」
「自分で自分をおとしめるようなことはしないほうがいい、俺とちがって、ミサは娼婦でもなんでもないんだ」
「……手、はなして」

 気付いて、楓はその通りにする。

「ごめん」
「いいよ、ミサも悪いもん。……かえでくんって真面目だね。やっぱり、四季彩の人っぽくない」
「……」
「かえでくんと話してたら、癒されたかも。ミサたくさん笑ったの久しぶりだよ、最近ずっときぶんがしずんでいたの……」
「……俺でよければ。幾らでも、話きいてやるぞ?」

 そう言ってやると、美砂子は表情を輝かせた。一瞬にして嬉しそうな態度に変わったので、楓もつられて微笑ってしまう。

「ほんとに? ミサの話、もっときいてくれるの……?」
「ああ。今日はちょっと……もう、戻らないといけないけど。今度、時間があるときなら」
「ありがとう!!」

 伽羅を膝に乗せ、美砂子は笑った。
 
 たくさんの顔を見せてくれた美砂子だけど、一番似合うのはその笑顔だ。宴の時、壮一の隣でしていたような憂鬱そうな表情は似合わない……楓は思う。