緑陰

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 美砂子よりも一足早く、楓は広間に戻った。

 宴は終焉に差し掛かっていて、ほどなくしてお開きとなり、他の娼妓達と一緒に客達を玄関まで見送る。

 何故か、佐々木がそわそわとしている様だったけれど気のせいかとも思い、楓は普段通りに接した。

 壮一とともに送迎車に乗り込む美砂子とは、庭を出てからは一言も話す機会がないままだったが、仕方ないことだ。

 娼年達は誰もが疲労を濃くにじませていて、足早にそれぞれの私室へ消えていく。

 楓も同様で、与えられている離れの奥の六畳間にたどり着くと、衣装のまま寝てしまった。
 犯され過ぎた肛門は痛いし、肌に染み着いた汗と精液が不快だったけれど、全てを眠りが包み込む……

 それから、数日後。

 宴を頑張ったご褒美と言われ、楓は臨時休業を貰う。

 突然の休日をどう過ごそうかと考えて──放課後に茜の墓参りに行こうと思いついた。登校前、その旨を申告して寺院までのバス代を受け取る。

 少年商品達は身体と精神だけでなく、財布の中身も厳しく管理されていた。自由に金銭を使う事はできない。給料は貯金され、男娼を卒業する際に退職金として受け渡される。

 今日の楓のように金銭が必要となれば、その都度、入り用な額のみを受けとるのだ。

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 普段の登校では許されているものの、学業以外の外出では貞操具を嵌められてしまう。

 肉茎をプラスチックのケースに入れられ、根本で掛けられた鍵。勃起はおろか、手で触れることさえ禁じる戒め。排尿用の穴が尖端にかろうじて空いている。

 貞操帯の理由はご法度である“仕事以外での自慰・性行為”を従業員の目が届かぬところでさせぬ為と、遊廓を離れても性玩具であるという自覚を持たせる為。

 楓を含め、四季彩の少年達には普通の男の子らしく過ごす時間など与えてもらえないのだ。
 
 股間に違和感を感じつつも過ごす学校生活はいつもに比べて落ち着かないし、嬉しいものではない。
 授業を終えてから目的地に向かい乗り込んだバスの中では眠気が襲い、うとうとしていると意志とは関係なく性器がケースの中で頭をもたげ、即座に痛みが走った。おかげで眠気は失われたけれど。

 ……四季彩とは別の方角に都会から離れ、辿り着くのは山間の寺院。穏やかな緑に囲まれたこの地には墓場も広がり、片隅に茜が眠る。

 茜をはじめとした歴代の琥珀の子供たちの墓は、日生家の本来の墓とはちがう所にある。日生の墓には入れてもらえずに、深い森林に包まれひっそりと建てられた小さな碑が寝床だ。

(あれ……)

 薄暗い坂を降りていくと、名前すら刻まれていないその碑前には花と線香がたむけられていた。しかもまだ灯は消えず、微薫を漂わせている。
 
 日生の一族が此処に来る事はまずない。はたして、誰なのか。楓は疑問を抱きつつも、バスを降りてから買った花を挿した。

 手を合わせてから、茜のことを考える──

 茜が死んでしまってからどれくらい経つのだろう。
 アノ鮮烈な死姿は今も楓の脳内に存在し、昨日のことの様に思い出せる。

 茜は今も気まぐれに楓の前に姿を現しては、気まぐれに消える。成仏を拒むのは、琥珀色をした呪いを解く術を探すためもあるけれど、現世を自由に浮游することを楽しんでいるようでもあった。無理もない、生きている間は一度も土蔵から出されなかったのだから。

 その人生とは何だったのだろう。生きている時よりも死んでいる時のほうが満たされているなんて、悲しすぎる。一体、何の為の命だったのか?

 楓は切なくなって、眼帯に触れた。
 左目の奥がチリチリと熱い。
 風の音に紛れ、悲鳴のようなものも聞こえる。
 此処に来るといつもそうだ、騒がしい。

(眼帯を外さなくてもわかる。小さな手がいっぱい、伸びてくる……墓の下から。殺されてきた、俺と同じ目をした子供たちが呻いてるけど……)

 楓にはどうすることもできない。ただ運命を受け入れることしか出来ずに生きてきた。おとなしく蔵に監禁され、遊廓に売払われ、淫乱な男娼になって──那智は受け入れられることも立派な才能だと言うけれど、本当にそうなのだろうか。茜のように運命に抗った者のほうが立派かもしれないのに、と楓は思う。

 楓はため息を零してから、踵を返す。

 樹々の影に覆われる石畳を歩みながらうつむく、自分もいつかはこの場所で眠るのが末路だ。

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 帰りはバス代を浮かせたるため、途中で下車し、夜の街を歩く。

 交通費を節約して小遣いにする手法は、四季彩の少年達の常套手段。必要な額しか金銭を貰えないので、こうしてコツコツと自らの蓄えを稼ぐ。

 そんな道程、大通りで見かけるのは和菓子舖『雛屋』
 幾つか支店を出しているのは知っていたが、こんな処にも店があったなんて……と驚いていると、すれちがう往来の一人から声を掛けられる。

「楓だろう?」

 振り返れば、制服のブレザーを着た青年の姿。

「やっぱりな。背格好がよく似ていたから……」
「葵……」

 思わぬはち合わせに、楓は目を見開いてしまう。

 彼は、楓の兄・日生 葵( ヒ ナ セ ア オ イ )。
 唯一親しくしてくれる日生家の人間であり、電話もするし、たまには会う事もあるし、兄弟仲は良い。

「どうした、こんな時間に出歩いて。仕事は?」
「今日は休み。茜の墓参りに行ってきた。……葵こそ、どうしてここにいるんだ?」
「新店に用があってさ」
「新店?」

 葵は雛屋の店先を指差し、微笑った。
 端正な顔立ちは笑顔だとさらに感じが良い。

 那智をはじめとし、越前谷家の人間は『楓よりも葵を四季彩に売って欲しかった』と冗談まじりながらも言い、楓は『失礼な!』と怒りつつもその実、間違いないとも思っている。

 すらりとした肢体、長い睫毛、柔和な雰囲気を纏う美青年。学業も優秀で、老舗の和菓子司の跡継ぎとして申し分ない存在が、葵という男子なのだ。

 楓は、兄と自分とはまるで正反対な気がしてしまう……何でも器用にこなし、風貌まで整っているなんて、血を分けた兄弟なのに不公平すぎる。

 そんなことを考えていると、ぽん、と手を肩に置かれた。

「なぁ楓、何か食わないか。奢ってやるぞ」
「! ……」
「相変わらず、四季彩にはろくなものを食わせてもらってないんだろ?」

 突然の誘いに、楓は戸惑う。
 もちろん、喜んで頷きたかった。
 けれど、それはできない──

「……ごめん。門限が厳しくて、急いで帰らないといけないんだ」

 本当はおなかがすいていて、葵に甘えてついていきたいけれど、楓はうつむく。

「それに、遊廓の外のものは食べちゃだめって。注意されるから……」

 兄と自分のいる世界は確実に違う。切なくて、申し訳なくて、楓の心には影が差す。
 規則、規則、規則──張り巡らされた束縛に飼いならされている。規定の体型を維持する為、性商品に享楽は必要ないという越前谷家の方針の為、娼妓には自由などほとんどない。
 
(今も、貞操帯着けられて、きつくて……)

 股間の違和感を認識すれば、余計に悲しい。葵には衣服の下のことがばれる訳もないけれど、惨めな気分になった。優等生であり、店の将来を担うであろう、きらきらとした兄と。男の精液に塗れるのが日常の性的奴隷と化した己。対峙していると、胸が苦しい。
 そういった点でも、葵と自分は真反対だ……。

「……じゃあ、また今度にしような。昼間にな?」
「うん……休みがもらえたとき、連絡する」
「頑張りすぎるなよ。楓」
「葵も」

 楓が顔を上げると、葵は手を振ってから去りゆく。その姿はすぐに群衆にまぎれ、消えてしまった。