月映し

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 四季彩に辿り着くと、門限ぎりぎりの時刻だった。けれど間に合ったことには変わりないので、厳しいことは言われない。貞操帯も外して貰え、下弦の月を眺めながらゆっくりと大浴場の風呂を楽しみ、それから食堂に赴いた。

 用意されていた献立はグレープフルーツと林檎が切り分けられ、ブルーベリィが添えられた一皿。娼妓の食事は一人一人それぞれに合ったものが用意されるのだが、楓の夕食はいつも少なく、果物かゼリー、ときには流動食のみのこともある。

 楓は冷茶の入った大きめのグラスとともに盆に乗せ、自室にそれを持ち込んだ。寝そべって食事をとるのが好きな楓は布団の上に身を投げ出し、漫画雑誌をめくりながら味わっていく。

「ふぅ……」

 食べ終わって、それとなく外す眼帯。間接照明しか点けていないから、左目にも眩しくない。

 すると、何者かに肩を叩かれる。

 またお化けか、と思って楓は眉間に皴を寄せた。四季彩の敷地内で昔の花魁や、稚児の幽霊と出逢ったことは一度や二度ではない。眠るときまで外すんじゃなかったと、少しだけ後悔しつつも振り返れば──
 
 己を鏡で見たような顔が、そこにあった。
 ……茜だ。

『ふふっ。驚いた?』
「少し……今日は、どうしたんだ」

 楓は安堵する。不気味なものに触れられたのではなくて良かった、そう思って。

『あの場所に来てくれてありがとう。それをいいたかった』

 微笑んだ茜は、楓の両肩を掴んで唇を奪う。いきなりのことに驚いていると体重も掛けられ、シーツに押し倒されてしまった。

「! ん……っ……」

 掻き回される舌先。息苦しくて、茜を押しのけようとするけれど重くてできない。透けてみたり、重厚さを増したり……都合の良い肢体である。

「やめろ、茜……」
『どうして。お客さんとは沢山してるくせに』
「し、仕事だから……」

 楓の言葉を、茜は聞いていない。心ゆくまで唾液を注ぎ込み、ディープキスを堪能している。

『感じやすくなったね。楓はすっかり淫乱に堕ちた、ぼくが自殺したせいだろうか……』
「あっっ……」
 
 口許を、喉を、頬を、唾液塗れにされる楓はハーフパンツの股間を膨らませてしまう。茜の言葉通り、淫乱に成った自覚は楓にはあった。
 でも、茜のせいだとは思わない。きっと自分の中にもともとあったものなのだ、色情狂なマゾヒズムの芽は。

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 茜は愉しそうに、楓の下着を脱がせる。
 
「あ、茜……やめ……」
『楓は寝転がっていて。ぼくが悦くしてあげる』
「っ、ふ……」

 肉茎を唇に包まれ、楓は身を引き攣らせた。男性器として扱われず、自慰も挿入も禁じられているペニスには滅多にそんなことはしてもらえない。楓にとってフェラチオはとてつもない刺激だ。

「あッ、あぁっ、あぁ、茜、い、やだぁっ……!」

 本当はいつも触って欲しくて、触ってみたくてヒクヒクしている性器。遊廓の商品といえど、楓だって年頃の少年だ、人並みに欲求はある。

 それなのに、快感は肛門でしか味わえない、男として発散することは許されない。哀れなソレを、茜は舌を這わせ丁寧に舐め上げる。

「駄目だ…っ、あッ、んぅ……叱られ、る……」
『楓のクリ●リス。こんなに勃起して……』
「あぅ……」

 茜はわざとらしく、楓のモノを那智達のような言い方で形容した。そんな風に言われると恥ずかしく、楓は頬を染めてしまう。

「おねが…いだ、放して、くれ……ひどい目にあうんだ……、茜──…」

 いつのまにか、楓は金縛りに陥っていた。指先さえも動かせず、茜の思うままに弄くられ、高まる快感。

 ……自慰がばれただけでも恐ろしいのに、性器を使って快感を覚えたなんて知れたら。

 客に扱かれてつい漏らしてしまっただけでも、尻を叩かれたり、ペニスを火で炙られたり、男性器では無いという事実を自覚させるためだとか言われ女児用のショーツを履かされただけの姿で廊下を引き回されたり……散々な目に遭うのに。

「……あぁああッ!!」

 茜は口での奉仕を止め、涎と先走りに塗れた肉棒を激しく上下に擦りはじめた。
 楓は爪先立って背中も反らす。いけないと思う半面、嬉しさもある……こんな風に遠慮なく扱いてもらうのはひさしぶりだ。

『ふふふっ。大量の先ばしりだね』
「あぅッ、んふー……!す、ごい、あぁあ……!」
『巧い? ぼくも此処で働けそう?』
「ち、いぃ……ッ、あぅう…!!」

 透明な蜜はおねしょのよう、布団に染み込んでいく。こんなにお漏らしをして、バレないはずがない。
 どうせバレて罰を食らうなら、このまま射精したい──楓の脳裏にはそんな思いも浮かぶ。

『出して、楓。たまには男らしく使おう』
「んッ、んっ、きもち……い……ッっ!」
『クリ●リスなんかじゃないんだよ、本当は』
「あぁあぁイク、出……っ、く、来るうぅぅっ……!」

 濃厚な濁液だった。表情を歪めて快楽の極みに駆け登った楓は、ぜえぜえと息を切らせながら、茜の手の中にミルクを弾けさせてしまう。

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 快感の淵に楓は沈んでしまう。褥の上に身体をぐったりと広げ、繰り返すのは乱れた呼吸だ。
 心地よさの中で薄目を開けると、茜は放出された精液を舐めとっている。

『へぇ、精液ってこんな味なんだ』

 微笑いながら茜は塗れた手を、楓の頬に撫で付けた。体液の感触と匂い立つ香りに、楓は少しだけ眉間を歪めてしまう。

『そういえばさ。今日は葵も、来たんだよ』
「えッ……」

 肌を寄せられ、抱きつかれながら囁かれる事実。

「来たって、墓に?」
『葵は頻繁に来てくれる。あの人はあの人なりに、罪悪感を感じてるみたい……』
「そう、だったのか……」

 楓がアノ場所を訪れたとき、すでに馨っていた線香と鮮やかな花。それが、葵のそなえたものだったとは。

「『葵は悪くないのに』」

 偶然にも、楓の台詞と茜の台詞が重なる。同じ言葉を同時に言ってしまったあと、二つの唇は触れ合った。愉しむキス、舌と舌同士で生みだす心地よい快楽。

 両手の指も絡め合って、唾液をだらだらと零すまで行う淫靡な口づけ。

 ……こうしていると楓は、まるで茜は死んでなんていなんじゃないかと思う。けれども茜の身体は冷たく、ひんやりとしていて……楓にそれは錯覚だと気付かせる。

「やめよう、茜、兄弟でこういうことは」

 いつのまにか金縛りを解かれたことに気付き、楓は茜を軽く押しのけた。すると、茜は微笑する。

『良くないんだ?』
「ああ。するものじゃないだろ?」
『楓は真面目だね。相変わらずだ。こんな所に売られたのに、頭がおかしくならないなんてさ……堕ちたのは身体だけみたいだね』

 接吻によって、楓の性器は再び固さを帯びはじめている。先程の精液でまだ濡れそぼっているというのに。それを茜につつかれた。

『貪欲。何度でも触って欲しそうに勃つから』
「う……!」

 内腿をなぞられて、楓はビクンと震えた。猥褻になってしまった自覚はあって、惨めさも感じる。

『童貞のくせに、勃起は一人前』
「あッ、握るなっ、また……!」

 茜は戯れを続けるつもりだ。楓は拒もうと身をよじった、するとこのタイミングで──枕元の携帯電話が鳴った。表示されている名前は『ミサ』……

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 美砂子とは中庭の夜、別れ際に番号を教え合った。
 本当は客とのやり取り用にと与えられている電話だけれど、友人との連絡も、多少は見逃してもらえている。

『楓。くれぐれも気をつけて』

 茜は表情の色を変えた。真剣な目つきになって、琥珀の瞳を金色に見えるほどに光らせている。眼球の輝きを増させるのは、茜が『妖力』を発現している時だ。

「……何かが、見えるのか?」
『鮮明には見えない。ぼやけて……でも、すごく胸騒ぎがする』
「どういうことだ……」
『楓のことだから、どんなことが起こっても大丈夫だと思うよ。その女の子は、楓に何かを起こす。注意していて。ぼくは今日、このことも言いにきたんだ』

 着信音の響く中で楓は戸惑った。胸騒ぎがするだなんて告げられると、驚いてしまう。

『楓を苦しめたくて、呪いの瞳を分けた。ぼくだけ不幸なのは癪だったから。だけど、楓はちっとも不幸にならないんだ、いつも穏やかに生きていて……ぼくも楓みたいな性格だったら、よかったんだろうか……』

 茜はそっと両腕を伸ばし、楓の瞼を押し隠した。冷ややかな手のひらの感触に包まれたかと思えば、次の瞬間消えうせる。

「茜……!」

 目を見開くと──全てが幻と消えていた。脱がされたはずのハーフパンツも履いているし、体液に塗れた形跡もない。布団も乱れずに整ったまま。

(夢だったのか……全部??)

 部屋の様子は何もかも、茜の現れる前の状態と同じ。携帯電話は静かになっていて、着信を表わすオレンジのランプが点灯している。

(これだけは、現実……?)

 急に戻された現実世界。楓は美砂子にかけ直す。美砂子はすぐに出てくれたけれど、何故か声色は弱々しい。

『おしごと、じゃなかったんだ……』
「ああ。今日は休み。どうしたんだ?」
『……なんでもないの。たださみしかったから。誰かの声がききたかった……』

 美砂子の話す背後では、風の音と、車の行き交う音がする。どうやら、外にいるらしい。

「ミサ、どこにいるんだ。もう夜中なのに──」
『だっていづらいもの。施設はちっとも楽しくないよ。どうしてミサだけあそこにいなきゃいけないのかな……パパはお家に帰るのに、ミサは帰れないんだよ』
「ミサの気持ちは分かるけど。危ないぞ、こんな時間に女の子が1人でいたら……1人なんだろう?」
『……かえでくん、ミサのこと分かってくれるの?』

 もちろんだ。普段はあまり深く考えないようにしているけれど、日生の家のことを思うと切なくなる。

 幼いころは食卓で家族や住み込みの従業員達とひとつの鍋をつついたり、談笑溢れる時間を過ごしていた。普通に愛されていた。

 それなのに──突然に拒絶され、隔離されて過ごし、今は遊廓に売払われ。

「……俺は今日、兄貴と会って、すこし話した。だけどミサと一緒で、一緒の家には帰れないんだ」
『かえでくんは、四季彩に帰らないといけないから?』
「うん。俺をここに売ったのは、俺の家族だから。ばあちゃんにも、もう二度と日生の敷居をまたぐなって。そんなふうにも言われてるし──…」
『そんなぁ、酷いよ。嫌だっ、ミサはそんなの悲しい。もしミサがかえでくんの立場だったら、多分。ううん絶対泣いちゃうよー!』

 美砂子の言い方には感情がこもっていて、本当に哀しげだ。けれど可愛らしくて、楓は微笑ってしまう。

『? どーしてわらうの?』
「いや、かわいいと思って」
『!! えぇえええっ、ミサかわいくない、ちっとも。そんなの誰にも言われたことないよ。あっ、パパにはあるかもしれないけど……!』
「そうなのか。俺は可愛いと思うけどな……」

 恋愛を知らず、男女の感情もよく分からない楓は、素直に自分の思っている感想を言っただけだった……この台詞が、ミサの想いを招き寄せる引き金になったことを知ったのは、後々のこと。