囁 〜ササヤキ〜

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 季節が移ろい、風に幾らかの涼しさを感じるようになった頃。

 佐々木は、蒼白な顔で夜の街を歩いていた。

 遊廓で遊びすぎたために貯金は底をつき、カードも通らなくなった。知人らに金を借りるのも限界を迎え──ついにサラ金に手を出してしまう。今はまさに、消費者金融の連なる雑居ビルからの帰り道。

 この現実を『いけない』とは思う。けれど、由寧からの電話が掛かってくると、誘惑を断ちきれずにフラフラと四季彩に行ってしまう……。

 指名男娼を由寧に鞍替えしてからというもの、佐々木の金銭は楓の頃とは比べ物にならず吸い上げられて止まらない。由寧は憎らしいまでに甘え上手だ。湯水のように金を使わされている。

 高い酒を下ろされたり、ご馳走を注文させられたり、部屋も並のものでは嫌だと言われ、豪勢な客間を取らされたりと、浪費は凄まじい。

 客に金を使わせるほどに娼妓の順位が上がるので、由寧の成績はうなぎ登り。だが、指名している少年が上位に食い込んでも、佐々木に嬉しさは込み上げない……たしかに由寧は妖艶な魅力に溢れ、絡み合っていれば愉しいひと時が味わえるけれど……

(楓くん。また指名したいよ。……何故こんな事に)

 ここまで来て佐々木は、やっと。
 楓という少年娼妓の性的以外の魅力──接客に含まれる優しさが分かった。

 わがままを言うこともないし、しつこく営業電話をしてくることもなかった。最低限の連絡とお礼の言葉くらいのものだし、仕事には関係のない日常会話のほうが多かった気がする。

 それも、きちんと佐々木の勤務時間や、寝ている時間を避けて掛けてきてくれていた。あの頃は自然すぎて感じなかったが、会話から探って生活サイクルを把握されていたのだと、今になって気付いた。何しろ、由寧はお構いなしにいつでも誘ってくる。

 ねだり方もわきまえたものだった。佐々木が浪費を覚える前には楓も、それほど高くないフルーツを頼んで、二人で食べようと言ってくる夜もあった。あまりにささやかな色目。

 これも今になって気付いたのだが──楓がそうやって言ってきたのは佐々木の給料日後だったり、ボーナスの出た後。由寧はというともちろん、給料日前だろうが後だろうが、関係なく金を使わせる。

 そして、佐々木自身より佐々木の内情を心配し、注意してくれた。その優しさには涙が溢れそうにもなる、今さら。

 ……気付いたところで、もう遅い。

 
 佐々木は転げ落ちてゆく途中だ。
 楓に話された夜が、きっと分かれ道だった。
 あのとき、楓の話をきちんと受け止めていれば……

 さびれた飲み屋街の景色、安蛍光灯に照らされた下で佐々木の携帯電話が鳴る。また由寧からだろうか、と恐々としつつも取りだすと違い、珍しい名前が表示されている。高校時代の悪友。

 ずっと連絡を取っていなかったのに、一体何の用なのだろう? 不思議に思いつつも出てみる佐々木だ。

『……聞いたよ、ツレんとこ金借りて廻ってるらしいじゃん。何があったの?』

 久しぶりの悪友は、そんなふうに話を切り出した。尋ねられても、答えることができない。まさか遊廓で男の子を買い過ぎて借金をしているなんて、口が裂けても言えなかった。

『ま、いいわ。人には事情っつうもんがあるわなぁ。そんな佐々木にいいバイトあるよ』
「バイト?」
『俺さ、色々シゴトしてんだけどいま裏AVもつくってんだよね。ほら、家出少女とかハメ撮りするやつ』

 当時から大麻を吸ったり、普通の学生が出入りしない店に出入りしたりと怪しいヤツだったが、まさか今はそんなことをしているとは。

「おいおい……法に引っかからないのか……」
『これがまぁ売れるんだよ。で、佐々木、金いるんなら男優やる気ねえ?』
「は?」

 あまりの話に絶句している佐々木へ、友人はべらべらと話をつづける。

 正直、気乗りしない。けれども彼が提示した額はそれなりのものだったし、金に困っているのも事実。家賃も滞納している始末だった。
 
 背に腹は代えられない。佐々木はその誘いを、了承せざるを得なかった。