堕つ百合

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 遊郭・四季彩。
 娼妓が共同生活を送る寮棟では、このところ、朝のひとときにそぐわない“催し”が見られる。
 寝起きで洗面所に向かったり、食堂に歩く者たちは初めこそ驚き戸惑っていたが、だんだんと慣れてきたようだ。
 全裸で、首にかけられた縄を従業員に引かれ、四つん這いで進む楓を見ても。
 罪を犯せばこんな目に遭うという見せしめだ──
 後孔にオモチャを嵌められた楓は粛々と這う。発情から進むスピードが遅くなったり止まってしまうと、当然ながら叱責を受ける。
「尻ッ!」
 従業員の鋭い声とともに、楓は臀部を高く突きだした。
 すぐさま、パンッ、パンッ、と、ケインで叩く乾いた音が響く。
 道程のところどころで仕置きを受けた尻はすでに無残なありさまだったが、また懲罰の痕が増えた。
 少年男娼の寮をスタートし、朝の時間をたっぷりと使って青年男娼の寮、娼婦の寮も巡る。
 同性よりも異性に四つん這いを披露するほうが、楓には恥ずかしくて辛かった。散歩ついでに中庭で排尿を披露させられるのも辛い。それも数箇所に分けて漏らさせられる。
 見せしめと懲罰を兼ねた散歩が終わると、やっと餌の時間だが、まともな食事を与えられるはずもない。わずかなフルーツや、栄養剤をかけた無味のゼリーなどを犬食いする。
 その後は反省の意をこめて遊郭や越前谷家の掃除をするのが常だった。もちろん全裸のまま、性器を揺らしての雑巾がけだ。バイブを挿れられてしまったり、羞恥にひどく興奮してしまったり先走りを垂らす日は尻を叩かれたあとでコンドームを嵌められ、汁垂れを防ぐ。
 おむつをしてやってはどうかと案も出たが、性器を隠すのは贅沢とされ、ゴムの処置に落ち着いた。
 楓を見ようと昼間に訪れる物好きな客もいたが、まだ接触は禁じられている。動物園のように遠くからの鑑賞となった。一生懸命、雑巾がけをしたり、窓を拭く全裸をオペラグラスで眺められたりもする。
 多くの客が集まると、サービスと称し、作業を中断しての交尾を行うこともあった。従業員に尻を掘ってもらう種付けだ。掃除同様に一生懸命に行わなければならず、客に届く大きな声で喘いだ。
「どうぞ近くでご覧ください」
 この日は種付け後、客たちに間近での鑑賞が許された。従業員がツアーコンダクターのように導き、客はやんやと騒ぎながら中庭に降りてくる。楓は縁側で、庭に向けた尻を高く突きだし、交尾を行った肛門を発表した。震えながら。傷んだ孔は連日の過酷な性交を物語る。

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 日中の懲罰は掃除の他に、長時間の正座、卑猥な単語ばかりを書く習字、遊郭の規則を暗唱させられるなど、心身にこたえる行為を強要された。
 遊郭の営業中はロビーに晒される。十四歳で足抜けした楓の所属は娼年部のままなので娼年部の玄関だ。麻縄で縛されたまま起立し、乳首にクリップをつけられたり、性器にオモチャをぶらさげられたり、反省中と素肌に墨汁で記されることもある。まだ客との接触を禁じているため、目隠しもしている。
 罪状の他、性器のサイズなど恥ずかしいものも含めた楓の身体のデータや、本日の射精回数や交尾回数なども記された紙も張りだされていた。ときには天井から吊られる夜もあった。
 営業後は座敷牢に戻され、早朝までのわずかな休息を与えられる。
 人間として扱われない日々だったが、多忙と疲労のせいで、残してきた美砂子やセイのことを考える余裕はあまりないのは不幸中の幸いともいえた。
 どんな目に遭っても耐えるしかないという覚悟も、決まっていた。

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 その夜も開放されたのは、日付が変わってからだ。
 粗末な毛布に包まって眠りを貪っていたはずが、気づけば茜と並んで座って話している。座敷牢は施錠されているが、身体の透けた茜には関係ない。平気ですり抜けてしまう。
「今日はいつもより乱れてたね」
 裸身に毛布を頭から被った楓の隣、茜は銀杏の舞う絵柄の銘仙を纏っていた。今夜はふたりとも眼帯をしていないから、薄闇に琥珀色の瞳がふたつ瞬く。
 楓はふっと、自嘲と悦の混じった笑みを零す。
「あぁ……たしかに興奮した……俺は本当にマゾなんだ」
 遊郭の敷地内を四つん這いで引きまわされるだけでなく、その場で自慰を命じられたり従業員との公開交尾に及んだりもした。仕置きは日に日に過激さを増している。
「なんだか、夢を見てるみたいだ」
 ぽつりと呟けば、傍らの茜から目線を注がれる。
「夢?」
「こんなプレイも、気持ちよさも、遊郭の外では味わえない。ミサやセイと暮らしているときには味わいたいとさえ思わなかったな……忘れていたんだ」
「たしかに夢のようだね、此処は非現実的な場所……現代の倫理観や常識からは取り残された世界。楓は遊郭を離れれば、また忘れていくよ、きっと。なにしろ『夢』だからね」
 目配せをしあって微笑いあう。おなじ顔をしているけれど、楓には自分よりも茜の表情のほうが艶かしく感じられた。茜は自分よりも優秀な性玩具になったかもしれない、そんな予感もする。
 とりとめなく会話を楽しむなか、気になったことを楓は尋ねた。
「そうだ『母さん』は?」
「……えっと……」
 茜は眉根を寄せる。
 蜜という遊女の霊は恥ずかしがり屋なのだそうで、楓の前にはまだ姿を現さない。
「楓に会う勇気が出ないんだって。でも、楓のことはいつも心配してるよ」
 足音が聞こえる。こちらに向かってきている。
 似たようなことが昔にもあった。美砂子との関係を咎められていまとおなじように罰を受け、座敷牢で寝起きしていたときだ。
(あれから五年も経ったのか……)
 楓は瞼を閉じた。
「僕は去るよ。いまから楓は……ショックを受けるかもしれない」
「ショック?」
 意味深な茜の囁き。瞼を受けるともう彼の姿はない。
「いつかは知る運命だった、それが今夜というだけなんだ」
 声だけが淡く響き、続いて開錠の音がし、扉が開く。
 廊下からの灯りが眩しかったので楓は目を細める。光に弱い左目を手のひらで隠す。
 座敷牢に入ってきたのは私服姿の那智だ。
「あ………、」
 楓ははっと気づき、急いで正座する。だれかが来たときは時刻を問わず、たとえ就寝していようとも、すぐさま起きて正座で迎えるのが懲罰中の規則だ。
「いいよ、わたしにはかしこまらなくても」
 苦笑する那智はひとりきりで、使用人など、ほかの人間を連れてきていない。
「起きてたんだね」
「……ちょっと考え事をしてたんだ」
「そうなの……邪魔しちゃった?」
「いや、そんなことはない。那智と会えると、癒されるというか、ほっとできるっていうか……」
 那智の表情は翳ったままだ。楓が厳しく罰を受けていることに対し、あまりいい感情を抱いていないことは明らかだった。
「克己の話をしに来たんだよ、楓」
「えっ……」
「話というよりも、会って欲しいと言ったほうがいいかな」
 数珠と腕輪の音をさせ、那智は楓に腕を差し伸べる。

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 着衣の感触を懐かしく感じた。那智に与えられた襦袢を纏い、手早く帯を結び、素足でついていく。
 楓の過ごす座敷牢からさらに階段を下りた地下深くに、克己は収容されているらしい。足抜けした楓よりも克己の罪は重い。なにしろ越前谷家の夫人に手を出したのだ。
「それにしても……ちょっと厳しすぎるんじゃないのか」
 道程には見張りも配備されており、彼らは那智に頭を下げる。
「長老たちは水蓮を溺愛していたからね」
 次世代の商品を作るため克己と子を成した花魁は、克己に想いを寄せていたという。克己と夫人の密通を知ってショックを受け、せっかく孕んだ克己の子を流産してしまった。
(だけど、克己の出生の事実を知れば……きっと厳しい処置も覆る)
 克己の牢に辿りつく。鋼鉄の扉で封じられ、錠前も頑丈なもの。楓の牢よりもずっと強固だ。
 それを見張りが開錠してくれる。
 錆びた音を響かせながら開いた先は完全な闇だった。それでも、楓の左目にははっきりと見える。
 長い黒髪をうなだれて垂らし、正座をしている克己の裸身が。
「克己……」
 楓は名を呼んだ。
 廊下からの光に照らされても克己は微動だにしない。
 髪は乱れ、傷とアザだらけで、いつも纏っていたきらびやかな着物も奪われてしまった姿だ。
 駆け寄ってしゃがんだ楓が認識したのは、嵌められている手枷と足枷。それらの枷は無慈悲に擦過傷を作っている。
 絶世の美男子ともてはやされ、高級少年花魁として咲き誇った姿は何処にもなかった。
「克己、俺だ、楓だ」
 肩を掴み、訴えかける。
 ばさばさの髪で克己の表情は隠されている。 
「分かるか?」
「……あぁ……そのこえは…………」
 くぐもった声が漏れた。
「……楓さん」
「ひさしぶりだな、克己……突然いなくなったりして悪かった」
 変わり果てた姿に儚さを感じながらも、楓は手を離す。
「もうすぐお客様がいらっしゃるので、俺はあなたとゆっくり話しているひまはないんです」
「え?」
「楓さんもはやく支度をしたほうが……いいと思いますよ……、ふふ、ふ」
「なにを言ってるんだ? 克己……」
 楓は目を点にしてしまう。
 すると、那智は物憂げに告げた。
「連日連夜、激しく、責められて……克己の正気はとうに無いの……」
(そうだ、茜が言っていた──)
『……衰弱して、もう……夢と現実の境も分からなくなってるみたい。放っておけば死んでしまうんじゃないかな……』
 改めて克己を見つめる楓の眉根には皺が寄る。ならばいまも克己は夢を見ているのだろうか。
 まだ、現役だったころの──孤高の花魁だったころの夢を。
「那智さまもいらっしゃるのですね……? どこですか、那智さまぁ……」
 乱れた黒髪から覗く眼はうつろで焦点があっていない。闇だけを映し、ニヤリと唇を歪めたかと思えばその場に倒れこむ、後ろ手に枷をされたままで。
 ゆっくりと開かれていく克己の両脚。
 尻孔ばかりか、男性器も嬲られ尽くして傷んでいるのを、楓はまじまじと注視してしまった。
「どうぞ、那智さま、どうぞ、どうぞ、どうぞ」
 克己はずっとあられもない方向を眺めてケタケタ笑っている。
「……那智……、まさか、克己は……」
 嫌な予感がした。楓は悪寒に蝕まれる。那智はうつむき、立ちつくしていた。
「瞳孔を刺されたの、両目とも」
「そんな! ……なにも見えてないのか?」
 消え入りそうな声で「そう」と、那智は肯定する。楓の表情はいちだんと歪んだ。
(それでも克己は折れなかったのか……!)
 呆れるほどの意志の強さに、楓は息を吐く。
(どうして真実を明かさないんだ)
 肩を揺らして笑いだす克己を見つめても、痴れてしまった彼からは答えを聞けそうにない。
 茜は、克己はきっと男娼で在りたいんだと言った。
『長原克己で居たいんだよ』
(どんなにひどい目に遭っても……なのか……)
 楓は克己を器用な少年だと思っていた。上手く客をさばき立ち回る姿を見てきたからだ。
 しかし、実は、不器用な一面もあるのかもしれない。意固地に、純粋に、その道しか選べないなんて。 
「ごめんよ。克己、楓にも。わたしは無力だ。越前谷の人間なのに」
 振り返った楓の瞳に映るのは、逆光に縁取られた那智の苦笑。
「ふたりを助けられなくって……わたしにできることはせいぜい、こうして会わせることくらい……」
 楓は、五年前と違って那智にはほとんど権限がないことも、長老会の力が増していることも、凌辱の日々で耳にしていた。
「なにも那智は悪くないぞ。そんなに塞ぎこまないでくれ……克己の眼は俺にはどうにもしてやれないけど、此処から逃がすことはできるかもしれない」
 克己の狂った笑い声を聞きながら、薄闇で楓は告げる。
「いや、できる。克己は此処から出るんだ。それをおじいちゃんも望んでるから」
「楓……?」
 首を傾げる那智と向きあい、楓は微笑む。
 茜に託された、克己の出生の秘密を那智に明かした。