落札

 今夜の暮林は執拗だった。
 11歳のときに初めて指名されてからというもの、長年身体を重ねてきたから異変にはすぐ気づける。楓は、どうしたんだろうと不思議に思いながらもしつこく責められる……尻孔の奥に放たれた精液も心なしか、とても熱く感じられた。
 シャワーを一緒に浴びて、身を清めた暮林は客用のガウンを纏う。
 楓は裾を引きずる浴衣にゆるく帯を結び、新しく下ろしたガーゼの眼帯で左目を覆ってから、暮林とリビングに向かった。薄明かりのその空間には、寝室に入る前に楽しんでいた酒と軽食の残りがある。
 アンティークのソファに腰かけた暮林は、自分と楓の両方のグラスに氷を入れ、紹興酒をジンジャーエールで割った──香港フィズと呼ばれるカクテルだ。仕事の都合で中国生活が長かった暮林は、帰国した今も中国の酒を好む。
 楓はスツールに座り、乾杯してひとくち味わった。美味しい。湯上りの火照った身体に、心地良く浸透していく。
 しかし、楓は苦笑もする。

「仕事を取らないでほしい……酒なら俺が作るのに」
「今夜も愉しませてもらったんだ。これ位、世話してもいいだろう」
「暮さんは優しいな」

 出逢ったときから変わらない。窓を向く暮林の横顔は、歳を重ねたけれど──だが、それを言うなら楓だってそうだ。
 楓は24歳になった。
 カーテンの隙間から覗く夜闇を見つめ、暮林の瞳は眇められる。

「外の世界は……桜が満開だよ。君と花見でも行けたらいいんだがな」

 楓にはずっと無縁な行事だ。セイが今より幼い頃、逃避行を続けていた頃、美砂子と3人で見にいったのが最後だった。
 はしゃいだセイがつないでいた手を離し、ひとりで走りだしてしまったのを思いだす。追いかけてつかまえて、迷子になるから離れるなと諭したのが、懐かしい。

「来年の春には行けるぞ、もうすぐ此処を出られるから」
「おいおい……男娼を辞めても客と逢う気かい? 感心しないな」

 眉根をひそめる暮林の視線は、楓の左手の薬指に向けられる。
 銀色の指輪に。
 法律など存在しない、遊郭という場所に遊びに来る割に、暮林は生真面目な男だ。少年男娼だった頃は酒を飲むのダメだと言われたし、19歳で戻ってきたとき、喫煙を覚えていたのも叱られてしまった。
 大人になった今は叱られないから、テーブルに置いていたウィンストン・キャスターホワイトを手に取って、誰かが忘れていったライターで火を点ける。
 暮林は香港フィズをちびちびと味わい、楓は煙を吐きだす。

「じゃあ、店でもやろうかな」

 とりとめなく思いつきを呟く。

「喫茶店とか、食堂とか、普通の店……それなら暮さんも、またお客さんとして来れる。今度は何屋さんになろうかな……」
「これからも逢えるのは嬉しいよ、でも、楓くんの好きに生きるんだ。君はやっと自由を手にするんだから……」

 暮林は楓をまっすぐ見つめた。

「男娼の君と逢える夜は、きっともう残り少ない」

 しつこく抱かれた意味を理解して、楓は息を呑み、切なくなる。
 切なげに笑む暮林の表情を、じっと見つめてしまう。

(……俺のお客さんはいい人ばかりだな……)

 仕事で嫌な目に遭ったこともたくさんあったが、常連客たちは自慢したいほど出来た人間ばかりだ。
 暮林はさらに優しい言葉をかけてくれる。

「気が早いけど、おめでとう、長い間よく頑張った」
「ありがとう、暮さん」

 楓も微笑んで、灰皿に灰を落としたとき電話が鳴った。寝室から響くベルの音。
 この部屋に置かれた電話機は、フロントとのみ通話できる内線専用だ。それでも接客中にかかってくることはめずらしい。
 なんだろうと不思議に首を傾げつつ、楓は煙草を潰す。
 暮林にことわって寝室に行き、ベッドサイドの受話器を取った。


    ◆ ◆ ◆


 胸騒ぎを感じながら、早足で階段を下りていく。
 至急フロントまで来てほしいと言われた。従業員の男の声は緊迫し、焦っているようだった。
 いったい、何があったのだろう……。
 一階ロビーに辿りつくと、夜のフロントを任されている彼は勢いよく飛びだしてくる。

「楓さん、接客中だし、取り継ぐか迷ったんですが、ただごとじゃなかったから!」
「どうしたんだ、そんなに慌てて……」

 背中を押され急かされ、小さな事務室に入った。デスクに置かれた外の世界と繋がる電話機──従業員は保留にしていた受話器を取り、楓に押しつけてくる。

「もしもし……」
『楓くん!!』

 電話の相手は美砂子。
 予想していなかった不意打ちの声に、楓は驚く。

「ミサか、こんな夜中にどうした──」
『……楓くん、楓くんっ……あのね、わたしね、ミサね……!!!』

 美砂子は楓の声を聞くと、ひどく泣きだしてしまう。
 確かに、ただごとではないのだろう。困惑しながら楓はなだめる。

「……大丈夫だ、俺にできることは何でもするから、落ち着いて話を聞かせてくれないか」

 美砂子は嗚咽交じりに弱々しく『うん……』と返事をする。
 そして衝撃的な一言を告げた。

『……あのね、楓くん、わたし……三日間、ずっと閉じこめられていたんだよ……!!』
「え……?」

 一瞬、何を言っているのか理解できない。
 それほど唐突で衝撃的だった。
 瞳を見開く楓に、美砂子の訴えが響く。

『こわかった……こわかったよぉっ……!! 殺されるのかなぁって思った、もう帰れないかと思ったの……!』

 話を聞いてみれば──仕事の帰り道、知らない男たちに強引に攫われて、知らない場所にいままで監禁されていたという。
 確かに……昨日電話しても美砂子は出なかった。毎日必ず連絡しあう訳でもないし、忙しいのだろうと思い、気にしていなかった……。
 楓に湧きあがる怒りの感情。暴力は浴びなかったらしいが、誘拐した人間には殺意すら覚える。受話器を持つ手はわなわなと震えた。

「本当に何もされてないのか……?!」
『うん、大丈夫……ご飯も食べさせてもらえたし、お部屋もきれいで……その人たちは「ただ、じゃまをしてほしくないから、終わるまで此処にいて欲しいだけ」って言っていたの……』
「どういうことなんだ……?」
『わたしにも分からない……それでね、さっき、いきなり外に連れだされて、もう自由だって言われて……助かったけど、でも、でも……! セイがいないの……どこにも……!! どうしよう……楓くん……どうしようっ……!!!』
「…………なん……だって……?」

 楓は受話器を握る手に力を込める。
 震えを止められないまま、美砂子の訴えを聞く。

『セイの靴もないの……学校から留守電が入ってて……セイも三日前からいなくなっちゃってる……みたいで……学校にも来ていないって……』

 目の前が、真っ暗になっていく感覚がする。
 美砂子は泣きわめくように叫んだ。

『わたしのせいだ!! ずっといっしょにいてあげれば、こんなことにならなかったのに!!!』
「……ミサのせいじゃない」

 嗚咽を聞きながら、楓は瞼を閉じる。震えはまだ収まらない。

「……俺のせいだ……」

 娼館で売春を強いられる人生で、セイも美砂子も守れない。
 美砂子はすかさず否定する。

『ううん、楓くんは、何も悪くない……! わたしが……』
「違う、俺が……!」

 悪いと言いかけて、楓は瞼をひらいた。

「……お互いに、自分のせいだって言いあってても仕方ないな……」

 まずは美砂子と合流するべきだ。セイを探すために、そして美砂子も酷い目に遭ったのだから、抱きしめてあげたかった。

「とりあえず……俺もそっちに行く、始発で行く」
『お仕事、どうするの……?!』
「なんとでもなる。なんとでもする。ミサは心配しなくていいんだ」
『楓くん……』

 大丈夫だから、セイも必ず見つかるからと念を押すように安心させて、受話器を置いた。慰めのつもりで口にした訳ではない。
 見つけなければいけない、絶対に。
 楓の唇からこぼれる、深い深いため息。
 気になるのは、犯人が告げたという『邪魔をして欲しくない』『終わるまで此処にいろ』……

 ──美砂子が何かの邪魔だったというのか? 
 ──何が始まって、何が終わったのだろう?
 ──美砂子が隔離されていたあいだに……

(セイ……セイの身に何が……?!)
 
 振り向くと、従業員のとなりに暮林がいた。急いで着替えたのか、ネクタイはしていない。ワイシャツにスラックス、客用のスリッパという姿だ。従業員に話を聞いたのか、力強く告げる。

「行きなさい。とりあえず、君の一週間の予定は、私が買い占める」
「何言ってるんだ……! そんなお金を、お客さんに払わせるわけにいかない、自分で自分を買う」

 芙蓉館は男娼に休日など与えない。楓は、休息を取るときは自分自身を指名し、時間を買って休んできた。そうして適度に休みながら、ゆっくりと巨額の『違約金』を返してきたのだ。
 暮林は譲らない。

「だめだ。せっかくもうじき卒業できる所まで来たのに、自由になる日がまた遠のくだろう。お金の心配はしなくていい」
「暮さんの気持ちは嬉しいけど……男娼としてそれは出来ない、俺のプライベートな事情にお金を使わせるなんて絶対したくない……!」

 芙蓉館の玄関扉が開き、響いてくるピンヒールの足音。
 事務室の入り口で睨みあっていた楓も暮林も、おろおろするばかりの従業員の男も、そちらに目線をやる。
 ロビーに入ってきたのは、豪奢な毛皮のコートに身を包み、パールのイヤリングを揺らす絶世の美女──に見えるが、女装した美青年であり男娼だ。楓の後輩にあたる克己だった。
 克己の表情は、心なしか、辛そうに見えた。
 スーツケースを引いて近づいてきて、楓たちのそばで立ち止まり、頭を下げる。ハーフアップのウィッグは揺れる。

「申し訳ありません、楓さん……」

 克己は頭を上げない。
 楓はますます困惑してしまう。
 なぜいま、この場に克己が現れて、謝罪するのだろう。


   ◆ ◆ ◆


 楓の部屋には、接客するリビングや寝室の他に、楓の私室もある。
 趣味で飼う昆虫類のケージ、集めた蝶の標本、天体観測用の望遠鏡などが置かれ……客にもらった品も多かった。
 リビングに置いてあるものより簡素なロングソファに克己を座らせ、楓もひとりがけのソファに腰を下ろす。コートを脱ぎ、シャネルのドレスを露わにした克己は改めて頭を下げた。

「俺の力では、助けだすのは無理でした」
「どういうことなんだ……さっきから、何が起こっているのか、分からないぞ」

 なぜ克己が謝っているのかも、楓にすれば意味不明だ。とりあえずガラスポットのレモン水をグラスに注いで、口をつける。
 克己はやっと顔を上げたが、深刻そうな表情は普段あまり克己が見せない顔だった。

「冷静に聞いて下さい。とてもショッキングなことを言います」

 前置きされて告げられた言葉は、確かに、楓の想像を遥かに超えていた。

「貴方の息子・清志郎くんは──性奴隷のオークションにかけられて、売り飛ばされました」
「…………な…………」

 楓の手から滑り落ちるグラス。
 ソファの肘置きに当たり、床に零れ、音とともに砕けてしまう。
 克己はそれに目線をやることなく、まっすぐに楓を見ている。

「してやられました。FAMILYの関わるオークションで売り払われたのですが、俺の知らないところで誘拐と売買の話を進めていたんです。俺が気づいたのは期日が迫ってからで、出来る範囲で阻止を試みたんですが、失敗しました」

 克己の立場は、越前谷家ではそれほど強くない。克己を責めることはできない……楓は肩を落とし、克己の話を信じられるはずもなくうなだれる。

「セイを…………本当か……?」
「……はい……残念ながら……」
「誰が……そんなことを……!!!」

 楓は拳を握りしめて、テーブルを叩く。そんなことをしても何もならないと分かっているのに。
 妥当な犯人を、克己は口にする。

「長老会です」

 遊郭・四季彩をはじめとした裏社会の娯楽業に関わり、権力を持つ、越前谷家の親類筋の老人たち。

「あの糞じじいどもは性悪の変態ですから、貴方の子どもに興味を持った。貴方の妻は、相沢壮一の……あくまでも噂ですが……実の娘だと聞きましたし、興味の対象になってもおかしくない」
「………………」

 楓は顔を上げられないまま、ただ震えて、怒りと悲しみで表情を歪め、爪が食いこむほどに拳を握りしめた。
 いわくつきの花魁の業を背負い、呪われた左目を持つ男娼。
 かつての常連客であり、不幸な火事で焼け死んだ稀代の官能小説家・相沢壮一が、妾腹に産ませた娘。
 克己の言うとおりだ。確かに、その間に生まれた子どもは、下卑た老人たちの興味をそそるには十分すぎる存在だろう。
 しかし、楓には疑問も浮かぶ。

「爺さんたちは……自分たちで弄ぶんじゃなくて、どうして、売ったりするんだ……?」

 克己は見下す瞳をする。もちろん、楓に対してではなく、老人たちに対してだろう。 

「鑑賞したいんだと思います、稀有な少年が堕ちていくさまを。ひょっとしたら、誘拐の顛末を知った俺の姿も、これからあなたがどう動くのかも、鑑賞の対象かもしれない」
「ふざけるな……っ……!!」

 楓はまたテーブルを叩き、さらに顔を歪ませてしまう。
 彼らにとっては娯楽なのだろうが、人の人生を何だと思っているのか……老人たちの悪趣味な享楽は、かつての当主だった静間が亡くなってから酷くなるばかりだと耳にしてはいたが、まさか……自分の息子が巻きこまれるとは思いもしていなかった。
 それは油断だったのだろうか。
 いや……矛先がこちらに向くなんて、誰が想像できるだろうか?

「……秀乃は……? 何をしているんだ……」

 越前谷家の現当主の秀乃なら、老人たちの狂った遊びに苦言を呈せる立場にある。当主らしく鬼畜のふりをしていても、遊郭に直接的なかかわりのない、美砂子やセイは守ってくれるはずと信じたかった。
 だが、克己は呆れたような口ぶりで現状を語る。

「残念ながら、防波堤にはなってくれませんよ……このところ、体調を崩されて入院しています。精神的なものが原因だそうです。あの方は優しすぎますから、無理をして越前谷家の当主など、継ぐべきではありませんでしたね」
「……そうか……」

 楓はうつむいたまま、両手で目元を覆った。秀乃のことは心配だが、四季彩は克己が継いだほうが良かっただろうな──と思った。
 そのほうが、上手く運営できていたかもしれない。関連組織のFAMILYを任されていることからも容易く想像できる。
 ……いったい、これからどうすればいいのだろう。
 性奴隷……セイはどんな目に遭うのか。もう遭っているだろうか、性的な商品になるための調教を受け始めているかもしれない……考えたくない……考えると涙がこぼれそうになる。
 やっぱり、俺のせいだとも思った──

(……俺が男娼だから……!! セイを巻きこんだ……)

 たとえ、望んで男娼になったわけではないとしても。
 親の運命の巻き添えを食らったということなのか。
 セイの現状を美砂子にどう話せばいいのか……知ったら、美砂子は泣き崩れるだろう……。

「セイを……助けにいかないとな……」

 悲しみと怒りの中で、それだけは分かる。
 自分がするべき行動だ。楓はゆっくりと顔から手のひらを外した。
 目の前の克己は、スーツケースに腕を伸ばす。

「楓さん、貴方が越前谷家に払うべき金額は、残り4千万円と聞いたのですが」

 上品なベージュのマニキュアの塗られた指で、ファスナーを下ろし明らかになる中身は大量の札束だ。克己は雑な動作で、それをテーブルに積んでいく。溢れるように床に零れる束もある。
 楓は絶句し、呆然としてしまう。
 克己はなんでもないことのように言ってのける。

「4千万円ありますから、どうぞ自由の身になって、清志郎くんを追ってください」
「なっ……何言ってるんだ、克己……!」

 克己は落ちた札束を拾って、それもテーブルに置いた。
 そして色香たっぷりに薄笑む。

「こんなもの、俺には、はした金なんですよ」
「そうだとしても、大金には変わりないだろう、貰えない……!! セイを助けたら、また戻ってきて働けばいい話なんだ」

 克己は首を横に振り、イヤリングを揺らした。

「此処はもう泥船なんです。戻って働くなんて流暢なことを言っている場合じゃない。一刻も早く、離れたほうがいいんです」
「……那智もよく、そんなようなことを言ってるな」

 苦笑する楓だった。四季彩も越前谷家も良くない方向に向かっているから、早く出ていけと顔を合わせるたびに口うるさい。
 聞くまでもなく分かるのは、今回のセイの一件は、那智にも伏せられて行われたということ。那智が、楓の家族を巻きこむはずない。
 克己は胸に手を当てた。

「楓さんは、俺の恩人です……貴方がいなければ俺は生きてはいないでしょう。恩人を助けたいと思うのは当然の感情なんです」

 楓の脳裏に蘇る、地下牢で発狂していた克己の姿。
 あれから5年の歳月が流れた。

「そして、俺は我儘な男です。清志郎くんが売られるのを止められなかった俺の罪悪感を拭うためにも、受け取っていただけませんか?」
「いや……でも……」

 克己の言うことは理解できるし、助けようとしてくれているのも嬉しい。それでも札束を受け取らない楓に、克己は強引に迫った。

「どうぞと言っているでしょう。受け取るまで館から出しませんよ」
「……こうやって話してる時間も、勿体ないな……」

 根負けする楓だった。苦笑する。克己は満足げに笑む。

「えぇ、後のことは俺に任せて、貴方は清志郎くんを追うべきです」
「セイは何処に……誰に売られたんだ……?」
「……上海の奴隷商人です」
「……奴隷商人……」

 やはり、信じたくもない。嘘ならどれほど良いだろう。
 ため息はまた重苦しく溢れた。
 喉を潤そうと思ったが、楓のグラスは床で割れ砕けているから、克己のために注いだレモン水に口をつける……まるで味を感じない。

「克己……」
「なんでしょうか、楓さん」
「此処を泥船って言うのなら……克己も離れるのか?」
「俺の心配なんていいですから、息子さんの心配をしてください」

 呆れたように言ってから、克己は頷く。

「えぇ、そう遠くないうちに去ります。奥さまと成之さまは俺が守ります。那智さまなら上手く立ち回るでしょうし、秀乃さまなら健次さまに任せておけばいいんですよ」
「……そうか……」

 そして自分も、こんな形で芙蓉館を去るなんて、想像したこともない去り方だ。遊郭に連れられたのも突然なら、終焉の日も突然すぎる、あまりにも。
 克己とともに私室を出た。客室のソファには、身なりをきちんと整えた暮林が座っている。
 楓は、暮林に現状を話し、すべてを聞き終えた暮林は顔つきに深刻な疲労感を滲ませ、参ったとばかりに白髪交じりの髪を掻く。

「楓くん……君の人生は本当に──……」
「また連絡する。絶対にだ……約束する」

 楓は意識して微笑みを作る。暮林と逢うのを、こんなに悲惨な夜を最後にしたくない。他の常連客たちとも唐突に別れたくはない。
 窓の外の夜闇に目をやる。遠く離れた月の下で、美砂子はひとりで泣いているのだろう。
 セイは……異国の地へと連れられて行く最中なのだろうか。
 必ず助ける──楓は誓った。