娼年客船

 きらびやかなライトに照らされて舞台の上、愛らしい笑顔を振りまいて踊る少年たち。
 露出の多い、淫靡な衣装を身につけて、恥部を丸出しにして──羞恥からか頬を染め、それでも懸命に舞っている。
 客席から彼らを眺めている楓は、複雑な心境の中にいた。
 この3か月近くの旅路がやっと報われたような、ひとつの難関を乗り越えたような感慨深さもあれば、途方もない怒りも、悲しみも、切なさも抱いている。心の中は乱れてめちゃくちゃだったが、この場で怒り狂う訳にもいかないので、必死で冷静さを演じていた。
 本当にもうすぐセイと逢えるのだろうか。セイが、舞台上に現れるのだろうか……?


   ◆ ◆ ◆


 月の下、海沿いの道を歩いていく。
 定間隔に設けられた外灯は潮風に錆びついていたし、電球の光を頼りなく点滅させているものもあったが、それでも光は楓の向かう道を照らしてくれる。
 以前なら、夜道は眼帯を外して左目で見れば良かった。琥珀色の左目は昼間の眩しさには弱いが、その代わりというべきか、闇の中はクリアに見通すことができた。
 しかし、いつからだろう、暗闇での視力も落ちてきている。
 このまま光にも闇にも弱くなれば、いつか、左目は失明してしまうかもしれない。
 仕方ない。
 琥珀の輝きと視力を失っていくのは、きっと茜が成仏した証なのだろう。古の花魁・蜜から茜にまで続いてきた瞳の色も妖しの力もこれで本当に終わり、琥珀色の瞳を持つ者は2度と生まれないはずだ。
 芙蓉館を出られたら墓参りにいくと茜にした約束は、京都でビザの延長を待つあいだやっと果たせた、美砂子と共に。
 ……その美砂子は今夜もホテルで休んでいる。
 一時は熱を出して医者にもかかり、まだ体調は本調子に戻らず安静に過ごしている。
 このごろ一緒にセイを探せないでいることを、美砂子は数えきれないほど謝って、寝言でもセイと楓の名前を呼んでいた……そんな美砂子を見ていると楓の胸は締めつけられるように痛む。
 そして、セイを取り戻して落ちついたら、ちゃんと籍を入れたいと改めて想う……。
 これから先もずっと美砂子と共に生きたい、美砂子を守りたい。
 普通の女性なら、男娼という身の上はもちろん、遊郭から追われたり、離れて暮らさなくてはならなかったりと、こんな人生を歩む相手を選ばないだろう。
 美砂子は選んでくれた。かけがえのない相手だ。美砂子が支えてくれたように楓も美砂子を支えたい、これから先もずっと。
 楓は切なく潮風に撫でられる。

(そういえば……前にもこんな夜があったな)

 10年前にも、ひとりで月の光に照らされて、海沿いを歩いたことがある。ひさしぶりに見る海が嬉しくて、貝殻を拾って帰った。今夜と違って呑気だった。あのときの美砂子は病気で寝込んでいたわけでもなく、ただの昼寝だったし、セイは美砂子のお腹の中にいた。
 美砂子に貝殻を見せたら楽しそうに笑って、ホテルの風呂にまで持ちこみ、浴槽の縁に並べてはしゃいで……無邪気な美砂子に楓も笑った。あの頃は大変なこともたくさんあったけれど、ただの14歳と15歳でしかなかった。
 楓は苦笑する。呑気な日々は懐かしい。
 またあんなふうに楽しく笑いあえるだろうか……もちろん、其処にはセイも居て欲しいけれど……そんな日はまた訪れてくれるのか……ふとすれば弱気にもなる心を振り払いたくて、楓は走りだす。
 パーカーを揺らし、舗装の途切れた道をスニーカーで踏む。
 向かうのは、ちらほらと船が停泊している、小さな港。
 今夜の楓の目的地だ。
 じっとしていられなくて下見に来た──
 明日港に旅団の船がやってくると、裏路地の飲み屋で聞いた。
 この国でセイを探せるタイムリミットは近づいている。ビザが切れるまで残り1ヶ月も無い。それまでにもっと大きな手がかりを得たいし、叶うならセイを取りもどしたい。
 どんなに疑わしげな情報でも、駄目元でも、掴みたくなる。
 港の風景を駆け抜けていく人影は楓しかいないから、夜の散歩をしている人たちや、外にテーブルを出して麻雀に興じる人たちが、不思議そうに楓を見た。
 呼吸が苦しくなったから走るのをやめた……またとぼとぼと歩きだして、すれ違った老婆に、とある広場の方角を尋ねる。彼女は親切に教えてくれたが、怪訝そうに首を傾げた。
 教えられた坂を下って辿りつくと、首を傾げられた理由をなんとなく察する。
 石畳の広場は閑散として、誰もいなかった。
 漁港で使う資材が、積まれているというよりも打ち捨てられているといった感じで放置されている。誰かが持ってきたらしい、何脚かの椅子は雨嵐に晒され、座るのを躊躇するほど汚れていた。
 そんな椅子は人間用ではなく野良猫たちの溜まり場になっていた。
 猫たちを見ていると、少しだけ、伽羅を思いだす。
 そしてまだ整いきらない息で、広場の中心に立つ。
 此処に明日の夜、売春客船に乗って遊びたい人たちのために船からの迎えが来るなんて話は……楓にはとても信じられなかった。


    ◆ ◆ ◆


 裏路地にあった、10代の少年を買える店の主が、翻訳アプリと筆談を使って教えてくれた。
 確かに、この辺りに売春旅団の船が来ると。
 とはいえ港に停泊するわけではなく、警戒心の強い彼らは沖に留まり、客の方が陸地を離れて船に向かうのだという。
 大方、客を乗せた小舟でも出すのだろう。
 店主は売春船の来る日時を、客から聞いたらしい。その客は何度も船で遊んだ経験があるそうだが……船内はどうなっているのか、どんなことが行われているのかは詳細には語らないという。語ってはいけないと言われているのかもしれない。
 客に紛れこんで、船に乗ってみようと楓は思った。
 その船にセイが乗っているのかも、そもそも本当に船が来るのかも分からないが──とりあえずは船の迎えを信じてみたい。
 運命の日、昼間は美砂子と過ごし、ホテル内にある喫茶店の軽食を部屋に持ってきてもらってふたりで食べる。一時期に比べると、美砂子の食欲が戻ってきたので楓はほっとする。
 ソファに寝そべって、上海で買った中国語講座のテキストを読んだりもする。とはいえ……せっかく言葉を覚えても、ビザの関係で出国の日はそう遠くない。それに旅団の船は神出鬼没で、ときにはアジアを離れるのだから、中国沿岸に固執する理由もなかった。
 セイが見つからなかったら次は何処に行けばいいのだろう。
 テキストを閉じ、考える……しばらく日本で聞きこみをするのもいいかもしれない。
 船は日本に来ることだってあるかもしれない。
 楓の脳裏になんとなく浮かぶ港町は神戸や横浜。だが、日本海側に訪れるかもしれないし、あまり多くの人には知られていない、ごく小さな都市にやってくるかもしれない。
 昨夜、下見にいったあの港町のように。
 庶民が暮らし、広場には野良猫がくつろぎ、まさか売春旅団が近づくとは思えない景色だった。
 未だに実態の掴めない、旅団の実態について考えを巡らせていると頭の中が混乱してくる。
 ため息をこぼしつつ、楓は身を起こした。
 美砂子は気だるげな姿勢でベッドに横たわって、ブランケットに包まり、ラジオを聴いている。
 小さなスピーカーから響く胡弓(こきゅう)の音色は美しい。
 楓はソファを下り、美砂子に近づき、思いついたことを呟いた。

「……もし、中国にいるあいだにセイが見つからなかったら、あの島に行くのもよさそうだな」

 美砂子がセイを出産し、その後も1年近く滞在した『売春島』と隠語で呼ばれている島だと……細かく説明する前に美砂子には伝わった。遠くを見るような目で「なつかしいね」と微笑う。

「みんな元気にしているかな、もう島を出ているかな?」
「今も住んでる人もいるはずだ」

 漁業を営む古くからの住人たちだったり、例えば男娼喫茶のマスターだったり……あの小綺麗な男は誰かを待っているようだった。大切に想っている人間が、島に迎えにきてくれるのを。
 美砂子もゆっくりと起き上がる。

「確かに、あの島だったら売春の船の噂を知ってるひともいるかもしれないね」
「売春と港町……これ以上ないほど、条件は揃ってる」

 楓は美砂子の隣に座った。胡弓の音は途切れ、女の声が語りだす。
 当然中国語だから、楓たちにはほとんど理解できない。美砂子は丸い爪でラジオのスイッチを切った。
 楓は自分にも言い聞かせるように呟く。

「だけど、まだ島に行くかどうかは分からないな……とりあえずは今日だ」

 美砂子はとても辛そうに表情を歪め、それはセイを探す日々で幾度となく楓に見せる顔だった。

「一緒に行けなくて、ごめんね」
「いいんだ」

 そんな美砂子に対して、抱きしめることしかできないのが、楓にはとても歯がゆくて悲しい。
 それでも何度でも抱きしめたいし、何度でも涙を拭いたい。

「売春船が本当に来るかも分からないし、なおさら俺一人でいい」
「来てほしい……セイを取りもどしたい……セイがどうしているのか、知りたい……でも……」

 楓の腕に抱かれた美砂子は、ぎゅっと楓を抱きしめ返してくる。

「……でも怖い気持ちもあるよ……セイの今の状況を知るのが……それって親失格なの……?」

 不安げな瞳で見つめられ、楓は痛いほど気持ちが分かり、頷いた。

「俺も同じだ」

 美砂子が失格なら、自分だって失格だ。

「怖いのは当たり前だ、自分の子どもが……」

 淫靡に乱れて調教されて、性奴隷に堕ちている姿なんて見たいわけがない。違法な薬を使われ、身も心もボロボロになってはいないだろうか、一生消えない傷を負ってはいないだろうか……。
 心配事は尽きない、心配事しかない。
 楓と美砂子は無言で抱きしめあう。美砂子の頬には涙が伝い、楓は今日も優しく拭った。


   ◆ ◆ ◆


 夜更けに楓はホテルを出る。
 フロントの従業員はにこやかに見送ってくれた。近くの盛り場にでも行くと思っているのだろう。
 楓は昨夜と同じ道を辿っていく。今日は走らずに一歩一歩踏みしめるように向かう。
 しかし、心臓はどきどきと暴れだしそうに鼓動を速めている。緊張からなのか、逢えるかもしれない高揚からなのか、セイの現状を知る怖さからなのか……理由は楓自身にも分からない。
 そもそも、もし旅団と出会えたとしても、話を聞いてくれるのか。
 セイの親だと名乗り出たら邪魔者扱いされて、最悪の場合、殺されてしまうかもしれない。四季彩でさえ、遊んだ金を滞納する客や、目に余るほど素行の悪い客は『始末』していた。
 そういった裏の仕事を、美砂子の腹違いの兄・健次がこなすことも多いらしい。克己に聞いた話だが、長老会の命でセイを誘拐し、闇オークションの会場に連れてきたのも健次だという。
 健次はセイが自分の妹の子どもだとも、自分が愛している女の孫にあたるとも知らずに、ただいつものように仕事をこなしただけだ。
 運命の悪戯。
 いったい、何処まで業の糸は絡みあって翻弄するのだろう。
 健次を責めるわけにもいかない。長老会は言うまでもないとして、ふがいなく長老会に四季彩を私物化させている秀乃にも非がある。
 だが、秀乃はああ見えて繊細で優しい……無理をして当主を演じているのには、ずっと前から楓を含む多くの人間が気づいている。
 早くに父親を亡くし、幼いころから次の当主にと期待されて、重圧に病んでしまった。
 ……いっそのこと、那智が継げばよかったし、克己が継いでもよかったのだろう。那智が仕切っているときの四季彩は上手くいっていた。克己が実質の運営を任されている組織も滞りないようだ。
 世襲制にこだわる理由はない。古き良き慣習もある程度は大事かもしれないが、旧態依然としたあの場所は、長老たちが暴走しなくとも、いずれは破滅の道を辿っていったのかもしれない。
 道程は昨夜の港町に近づいてきて、楓は、さまざまに巡らせてしまう思いをひとまずは追い払った。セイを売り払われた怒りと憎しみを募らせるよりも、四季彩の行く末を憂うよりも、いまするべき行動はセイ本人を助けることだ。
 見上げれば、今夜は雲に覆われて月も星ひとつも見えない。星座を描ければいくらかは励ましのように感じられただろうに、今夜の夜空は味方してくれなかった。
 時刻は昨夜よりも遅い。すでに閉まっている店も多く、店じまいの最中で、外に出していたテーブルを片付けている者もいる。歩く人影もまばらだった。
 だが、石畳の広場にはちらちらと明かりが見えた。あんな光は昨夜は無かった。光を認めた瞬間、楓の心臓は震える。
 覚える胸騒ぎ──……
 意識せずとも歩調は速くなる。
 到着すれば、野良猫しかいなかった広場は昨夜とは別世界のようだった。この場には不釣り合いな高級車が何台も停車し、降りて煙草を吸う男のスーツの上質さ、着飾った女の纏う毛皮のショールの豪奢さは薄闇でも分かる。明らかにこの街の住人ではなく、外から訪れた者たちだ。
 広場に足を踏み入れた楓に気づき、屈強な身体つきの男たちが数人近づいてくる。中国語で声をかけられたが、意味は聞きとれない。歓迎されていなさそうなのは表情で分かった。
 楓は背負ってきたリュックサックを下ろして、取り出すのは、奴隷貿易商・ユー・ルイに貰った『紹介状』入りの封筒だ。旅団と接触したら渡すようにと受けとってきた。
 封筒は引ったくられ、さっそく中身の書類を出した男たちは内容を覗きこんだり、文字列をなぞったり、お互いの顔を見合わせてぼそぼそと相談を始める。
 いっそ素直に息子を探しに来たと打ち明けたほうがいいのか、客を装うか……楓は迷う。
 楓の答えが出る前に、男たちの方の答えが出たようで、オーケー、可以(クァイー)と繰り返し、紹介状を手に立ち去っていく……広場に留まるのを許されたらしい。
 ひとまずほっとする。まだ何がどうなるのか、全く分からないが……このまま船に乗ることができたら、改めてルイにはお礼をしたいと思った。
 楓は周囲を観察する。集まっている人々は見るからに裕福そうな者だけでなく、楓と同じでごく普通の私服姿や、中には作業着のような服装の者まで見受けられる。ドレスコードはなく金さえ払えば、そして紹介者がいれば、誰でも連れていってくれるのかもしれない。
 人種はアジア系が多かったが、白人のグループもいるし、日本語の会話も聞こえる。どうやら日本からの訪問者もいるらしい。
 それにしても、広場からどうやって売春船に連れていってくれるのか、何も分からないまま楓は佇んで待つ。パーカーのポケットに手をつっこんで、星の見えない空を眺める。
 ある瞬間から……プロペラの音が聞こえてきた。
 先程、楓を取り囲んだ男たちが、声を上げだした。イントネーションは怪しかったが、日本語で「ライトを点けて」と言っているのも聞こえる。
 車を停めている者たちは一斉にヘッドライトを光らせる。とても眩しく、楓は思わず目を眇める。ヘリコプターはこの明かりを目印に近づいてきた。まさか……
 輝きの中で楓は息を呑む。
 旅団の船には、これで連れていくつもりなのか。
 連絡船のようなものを使うのだろうと考えていた楓は、驚くとともに、集合場所として広場が選ばれた理由を理解する。確かに広々としていて、ヘリポート代わりにちょうど良い。
 客の数に対して機体は小さく、一度では運びきれない。とりあえず一部の者を乗せてすぐに飛び立っていく。しばらく後に戻ってくるとまた目印にライトで照らす。それを繰りかえす。
 楓は3回目の離陸に乗った、男たちが「日本人を乗せる」と、声を張り上げたからだ。
 なぜ同じ人種で集めたのか……それはヘリコプター内で分かった。
 パイロットの隣に、カマーベストを身につけた青年が乗っていて、船のスタッフらしい。彼は日本語で話しだす。

「長旅ご苦労様でした、私はコンシェルジュの燈比(ともしび)と申します。今夜のお客様は初めて乗船する顔ぶれですので、ご説明させて頂きます──これから向かいますは『旅団』の擁する少年男娼の中でも、とびきり精鋭のみを乗せた極上船でございます」

 楓は窓際の席なので、聞きながら外を眺めていた……広がる暗い海に船はまだ見えない。
 言い淀むことなくすらすらと述べていく燈比は、何百回、ひょっとしたら何千回も説明しているのかもしれない。

「数夜で現実に帰ることもできますが、料金さえ支払っていただければ、いつまでも夢の世界にご滞在できます。カジノに興じるも良し、さっそくご指名になられるのも良し。お部屋で動画を閲覧してゆっくり少年を選ぶのも良し、プール、船内のショップでの買いもの、レストランはいくつもありますので、お好みの店でお好みの料理を。和食、中華、フレンチ、イタリアンと揃えております。もちろんバーもございまして、バーテンも美少年となっております」

 楓の想像を越えるリゾートぶりだ。
 そういえば、上海で出会ったリーが言っていた。

『そこらへんの子どもが日銭稼ぎに来てるこんな店とはレベル違う、完璧な娯楽提供する』

 彼の言葉の意味を理解する楓だった。
 艶めかしい説明はまだ続いている。

「カジノディーラーとして仕込んだ美少年もおりまして、彼らは自らの身体を賭けて戦います。抱くためには勝たないといけません」

 この船で過ごすためには金が幾らあっても足りなさそうだ。
 半ば呆れていると、隣に座る恰幅の良い中年男性に肩を叩かれた。楓はそちらを見る。

「……お宅、とても買う方には見えないんだが?」

 男の言いたいことはすぐに分かった。遊郭で幾度となく見てきた瞳だ。少年時代、品定めする下心に溢れた、舐めるような目つきを注がれた見世での時間。芙蓉館に入れられてからも、新規客にそんな視線を投げかけられる機会はあった。

「何歳なんだ? まだ10代じゃないのか? 間違って迷いこんじゃったのかな?」

 男の手は肩から腕をなぞっていく。決して迷いこんだわけではないと答えようとしたとき、燈比の毅然とした声が響いた。

「お客様同士のプライベートの詮索は禁止されております」

 その瞬間に、男は弾かれたように楓から指先を離す。

「規律を守らない方は総支配人から厳しく追及され、場合によっては今後乗船禁止となりますので、どうかお気を付けください……」

 極上の娯楽に興じられる権利をみすみす失いたくはないだろう。男はそれきり黙りこんで大人しくなった。観察するように楓たちを見ていた他の客の視線も剥がれていく。
 静かになった空間で、燈比は胸に手を当てて告白する。

「実は私も元・少年男娼でして──」

 客たちはどよめいた。驚きと、歓喜も混ざっているような声だ。

「23才と少々とうが立っておりますが、一応、お相手出来ます。船内には少年男娼ではなくとも私のように抱けるスタッフもおりますので、箸休めにでもどうでしょうか?」

 楓の後ろに座っている男が、どうして男娼になったのかと尋ねる。
 スタッフに関しての詮索は可らしい。燈比はにこやかに答えた。

「部活の帰りに誘拐されまして、10年経ちます」
「何部だったの?」
「野球部です」

 何でもないことのように答えてみせるが、心の裏はどうなのだろう。楓は眉根を寄せてしまう。
 客たちはまだ詮索したそうだったものの「右手をご覧ください」と言われると、一斉に従う。
 彼らが上げる、感極まったような歓声。
 楓の瞳にも確かに映った。
 
 真夜中の海上に浮かぶ、豪華客船が──

 極上の少年たちを乗せて往く、高級娼館客船。

 子どものころからアンダーグラウンドな性の世界に身を浸して生きてきた楓でも、初めて触れるアングラな世界だ。現代社会の性風俗において、深淵の闇に近い存在かもしれない。
 船上のヘリポートに着陸すると、燈比と同じようなカマーベストの青年に引率されて、出迎えの少年たちが駆け寄ってきた。精鋭と言われるだけあり、どの子の容姿も整っている。少女と見まごうような子も多い。全員、乳首を透かす薄手のブラウスしか着ておらず、下半身を露出している。当然ながら性器は揺れ、尻も丸見えだった。
 そして皆、不自然なほどに完璧な笑顔を浮かべている。

「楽園にようこそ!」
「ようこそ!!」
「ようこそ!!!」

 ヘリコプターを下りた客たちを歓迎するかのように擦り寄って、愛嬌を売るさまからは必死さを感じ取ってしまう楓だった。きちんと媚びを売らないと、スタッフに叱られるのだろう。
 もちろん、楓にも美少年たちが集まってきて、触れてくる。近くで観察すると身体に不審な傷痕の見受けられる子もいる。裏では躾という名の虐待が行われているのは明白だ。
 彼らの笑顔に囲まれて、遊郭時代を思いだす楓だった。楓はそれほど抵抗なく仕事を始めたが、嫌がっていつまでも仕置き部屋に入れられ、長い教育と拷問の末にやっと客に笑顔を浮かべて股を開けるようになる少年もいた。例えば椿がそうだ。
 難なく慣れていった楓でもたまに粗相を犯して罰せられることもあり、爪の間に針を入れられるのはとても痛かった。何十発と叩かれるよりも苦手だ。食事抜きは慣れてしまったし、恥ずかしい目に遭わされるのは結局興奮してしまうので、あれが一番嫌いな懲罰だったかもしれない。
 他の客や少年たちと共に大階段を下りていくと、きらびやかなフロアが広がっている。船の中というより、豪奢なシティホテルのロビーのようだ。
 数メートルの大きさのシャンデリアがぶら下がり、何層もの下の階まで吹き抜けになっていて、今もせわしなく稼働する数基のエレベーターの様子も望める。
 コンシェルジュである燈比の説明は続いており、全12階にもなる船内について語っていた。
 到着したのはウエルカムシャンパンを振る舞う少年たちがいるソファ席で、先にヘリコプターで運ばれた客たちのくつろぐ姿もある。
 係の少年はもちろん楓にもシャンパンをすすめてきたが、楓は断った。飲む気になどなれない。
 入船したはいいものの、これからいったい、どうやってセイを探せばいいのだろう?
 あまりにも広大すぎる船内を見回していると、燈比が近づいてきた。明るい場所で改めて見ると、なるほど、はっきりとした目鼻立ちでかなりの美青年だ。
 その手にはいつのまにか、広場で引ったくられた紹介状がある。

「日生様」

 紹介状には楓のフルネームも記入されていたが、燈比は目を通したらしい。名指しで呼ばれた。

「奴隷貿易有限公司代表・ユー・ルイ氏のご紹介で、我が『旅団』を知ったのですね」

 楓は──単刀直入に尋ねてみる。

「彼から最近買った日本人の男の子を見せてもらいたいんですが」
「ご指名ですか。申し訳ありませんが、その子はこれから行われるショータイムに出演予定でして」

 いったい、どんな見世物なのか。表情が歪みそうになるのを何とか堪える楓だった。
 燈比は他の説明をするときと同じくすらすらと話す。

「ご指名はそちらを拝見していただいてから、お願いいたします。また、指名が被った際はオークション制となりまして、より高額の値段を入札した方が指名権を得られます。……ショーをご覧になるということで宜しいですね?」

 もちろん、楓は頷く。燈比も頷き、にっこりと笑んで連れていってくれる。

「開演間近ですから、チェックインの手続きは後にしましょう。さあ、急いでください」

 燈比の後ろについて再び歩きだし、エレベーターに乗って5階まで降りていく。この階にあるというホールでは連夜演目を変えて催しが開催されるのだそうだ。長期間滞在している客の為だろう。
 道程の途中でも少年たちとすれ違う。服装は様々だったが、どの少年も色気を垂れ流す蠱惑的な装いで、客らしき大人といちゃつきながらだったり、少年同士で話しながらだったり、スタッフと共に歩いていたりする。どの子も楓に微笑んで会釈してくれたが……ヘリポートで出迎えてくれた子どもたちよりも年上だったからか、必死さや健気さは薄い。慣れきって自然だった。悪い言い方をすればスレてしまったのだろうが、慣れなければとてもこんな環境で生きてはいけないだろう。
 少年たちは完全に昼夜逆転の生活を送っているのだろうかと、楓はそんな観点でも心配になる。
 楓の過ごした遊郭の生活も夜が長かったが、学校には通わせてくれたので、平日は割と早くに就寝できた。此処は海の上で学校になど通えるはずない。
 精鋭を船に隔離する、それは外部から見つかりにくくするためだけでなく、少年たちの逃亡を防ぐためにも有効なのだろう。この船は一部の大人たちの楽園であると同時に、移動式の牢獄でもあるのかもしれない。
 おぞましい……考えを巡らすほど、楓は身震いしそうになる。
 やがて到着したホールは5・6階をぶち抜いて吹き抜けになっていた。前方にステージがあり、客席は映画館の仕様に似ている。だが当然、街中の映画館よりも上質な作りで、全席リクライニングシートになっている。
 此処にもシャンパンを注いで回る恥部丸出しの少年たちがいて、客たちは軽食を食べながら、そんな少年に腕を伸ばして尻を撫でさすったり、性器の感触を楽しんでいたりした。
 客の入りは6割ほど。船内には他にもたくさんの娯楽施設があるので、そんなものだろう。
 前から5列目の席に楓を案内して、燈比は去って行った。
 リュックを下ろして座ると、すかさずシャンパンをすすめられたが、やはり飲む気になどなれず断り……代わりに席にあったメニューを広げてアイスティーを注文する。
 氷の揺れるグラスはすぐに運ばれてきて、楓はストローでひとくち啜った。
 開演前のホールには客たちの雑談の声が響いていて、楓の耳につくのはやはり日本語だ。理解できる言語だから、目立って聞こえる。
 斜め前にいる日本人は、聞き覚えのある歌を口ずさんでいた。上海の場末のバーで、リーの部下が歌っていた童謡だ。
 彼の仲間なのか隣席も日本人で、不思議そうに尋ねる。

「なんですか、その歌?」
「この近くの港町の童謡だよ。夜になると少年奴隷の船が来て、悪い子は連れていかれるから、船に連れられたくなければいい子にしていろ──っていうね」
「なるほど、悪いことした子達なんだから、恥ずかしい目に遭っても仕方ないんですね」
「そういうことだな、ははは……!」

 冗談めかして笑う彼らに、苛立ちを覚える。セイは何も悪いことなどしていない。おそらくここに居るほとんどの少年もそうだろう。突然連れてこられただけだ。
 呷るようにお茶を喉に流しこんだとき、開演のアナウンスが5か国語ほど流れ、客席の明かりが落ち、ステージが眩しくなった。
 アップテンポなクラシックのBGMが流れ、ステージに少年たちが登場する。
 身につけているのは黒のニーソックスと目隠しだけだ。驚くべきことに、目隠しをしているのに一糸乱れぬ動きで行進してみせる。何周かした後にはその場で足踏みし、上げる腿の高さも指先の伸ばし方も揃っていた。相当厳しく訓練されている。
 お約束のように性器はぶるんぶるんと揺れまくり、羞恥に興奮しているのか、早くも完全勃起させている少年もいた。
 楓は表情を歪ませながら、目を凝らす。この中にセイは居るのだろうか……はたして2か月半ばでこんな行進を身につけられるのか。体育の成績はいつも良かったが……。
 ステージとは距離がある上に、どの子も目隠しをしていて、ほとんどの少年がアジア系で黒髪なので、判別が難しい。
 居たとしたら……悲しすぎる……。
 我が子に居てほしいのか、見つけたくないのか、楓は分からなくなってきてしまう。無意識のうちにぎゅっと拳を握りしめた。
 斜め前の日本人客の、声をひそめた会話が聞こえる。

(ところで、ここの総支配人って、結局どんな人なんですかね?)
(さぁなぁ……客は誰も会ったことがないらしいよ)
(どうせ自分も楽しんでるんでしょう、客に紛れてとっかえひっかえ抱きまくりで)

 確かにどんな人物かは気になる。これほどまでに圧倒的な少年愛の楽園を運営する人間は、一体、何者だろう。言えるのは『旅団』という組織の中でも、かなり上の地位の者なのは間違いない。
 ステージでは、数人を残して他の少年たちは去っていく。
 数秒の静止の後、ライトの色と曲が変わった。さっと出てきた黒子のスタッフに目隠しを取られ、笑顔を浮かべ、派手なダンスを始める。流行の洋楽に乗せて踊る彼らの中に、セイの姿はない。
 楓は複雑な心境を抱きながら、セイの出番を待つ──