7 月 3 日 1 9 : 0 0


「おい!! どうなってんだこの渋滞はよぉ!! あぁん?!」

 痺れを切らした眞尋は、後部座席から、運転席と助手席の間に身を乗りだす。

「さっきから全然進んでねぇだろーがよー!?」

 ハンドルを握る部下は振り返る。

「だって電車が止まってるんすもん! どうにもなりませんって!」

 列車事故が起き、地下鉄の運行に大きな影響が出ている。ダイヤが乱れ、夜の都心は電車代わりに目的地へと向かう車で溢れていた。帰宅時間と重なったこともあり環状線は混雑し、タクシーの数も多い。
 眞尋はため息をこぼしてから、言い放つ。

「てめーらさぁ、渋滞の先頭行って『もうちょっと早く走ってくんねぇ?』って交渉してこいよ」
「ムリですって……それよりちゃんと座ってくださいよっ、若!」

 助手席の部下に諫められた。眞尋はくしゃくしゃと髪を掻く。

「あぁもううざってぇなぁぁ!!」

 扉を開けて車外に飛びだした。周りの車に乗っている人々は、突然降りた眞尋のことをぎょっとした目で見る。部下たちの悲鳴も響く。

「ちょ、ちょっとぉ!! 若ぁあ!!」
「いきなり何すんですかぁ! 死んじゃう! 轢かれて死ぬ!」

 車列の間をぬって、歩道に向かって歩きながら眞尋は言いかえす。

「全然車動いてねぇのに轢かれるわけねぇだろぉが!! 阿呆か!! どこが危険なんですかぁ!!」

 後を追いかけ、部下たちも車を降りる。運転手以外の全員だ。

「ひーっ、若ぁー、待ってくださぁい〜!!」

 眞尋は歩道に到着する。アルマーニのスーツと革靴で植え込みを乗り越えていく眞尋は人々の注目の的になり、スマホカメラを向けてくる学生もいる。すかさず眞尋は怒鳴る。

「オラァ!! 見せもんじゃねぇっての!! 撮んな撮んな!!」

 ついてきた部下たちはハラハラした表情で、その若者に「すいません、すいません」と頭を下げている。現在、法律は暴力団に対して厳しく、恐喝と見なされればすぐに逮捕されてしまう。
 眞尋に追いついた部下が、軽く眞尋をたしなめた。

「素人さんに絡んだら駄目ですって!」
「脅してねぇだろうが! 注意だろうが!」

 眞尋は早足で歩いていく。通勤通学時とあって歩道も混雑しているが、渋滞して全く進まない車道よりも人波はスムーズに動いていた。部下が尋ねてくる。

「んで、どうすんですか?」
「いやぁ、歩いて行ったほーが早ぇえんじゃねぇかって思ってよー」

 とは思うものの、今夜の待ち合わせ場所まではまだ距離がある。
 眞尋の目に留まったのは自転車屋の看板だ。若者向けの店らしく店名は横文字で書かれており、近づいていけば店構えも並んでいる車種もオシャレだ。眞尋は部下たちに声をかけた。

「サイクリングと洒落込むかぁー! ……やい、てめぇらっ!!」
「はい!! 若!!」
「この眞尋さまが、普段よぉく働いてくれてるてめぇらに1台ずつプレゼントしてやんよっ!」

 部下たちは「えっ! いいんすかぁ!?」「まじっすかぁ!!」と沸き立つ。

「格好いい通勤用のチャリ憧れてたんですよね〜!!」
「やったぁ! 今日から俺もエコロジーっすよ!!」

 部下たちは目をキラキラさせて店内に飛びこんでいく。
 眞尋が車を降りたときは困って追いかけてきた部下たちだったが、とても楽しそうに自転車を選びはじめ、はしゃいでいる。
 そんな彼らを眺めて、終わりよければすべて良しっていうやつだな!と眞尋は微笑む……ただし、車に置いてきた運転手のことはすっかり忘れていた。


   ◆ ◆ ◆


「うわぁ! なにあれ!! 怖っ!!」

 待ち合わせ場所のビル前に近づいていくと、爽やかな雰囲気の青年が声を上げる。
 髪色は上品なブラウン、衿つきのシャツにリュックを背負った彼こそ、かつて遊郭で『椿』と呼ばれていた元・少年男娼だ。
 当時はいつも女の子の格好をしていたが、成人して男らしくなった。それでも線は細く、仕草も柔らかく女性的で面影はある。そんな椿の現在はというと──短大に行き、ヘアメイクの仕事に就いて、華やかな舞台を陰で支えている。
 椿の隣に立つスーツの青年の源氏名は『紫雲』。見るからに仕事のデキるサラリーマンといった風貌で、大卒後は商社で働いている。
 遊郭にいるとき、本気を出せば克己と肩を並べるほどの男娼になれるのに……と惜しまれていたが、本人にとっては勉学の方が大事らしく、仕事には本腰を入れていなかった。もしも紫雲が本気で男娼業に取り組んでいたら四季彩の歴史は変わっていたかもしれない。眞尋の売り上げや指名はいつも上位だったが、当然、それも紫雲に抜かれていただろう。
 オール1でも入れる底辺工業高校を出て、親のヤクザ家業を継いだ眞尋とは、ふたりとも生きる世界が違う。それでもたまに会う仲は続いている。
 紫雲は腕時計を見てから、到着した眞尋を睨む。ちなみにその時計はタグホイヤーのカレラだ。

「17分の遅刻だな」
「かてーこというなって! なっ!」

 眞尋は笑い飛ばすが、椿は呆れた表情で肩をすくめた。

「自転車暴走族でも始めたの?」
「いや、途中までは車で来たんだけど、すっげー渋滞しててよぉー、チャリの方が早ぇんじゃねーかって思って──」

 そこまで説明してから、眞尋は運転手の存在を思いだした。

「あ! しぃまった!! あいつんこと、置いてきちまったじゃねぇーかー!」

 部下たちも思いだしたらしい。慌てて電話をかけている。
 組員たちを眺める椿の瞳は、心配げなものになった。

「……どうしたの? トラブルでもあったの?」

 眞尋は両手をひらひらと振る。

「いや、内輪の話だ、気にすんなって!」
「よく分からないけど、それならいいけど……」

 容姿は変わったが、優しく気遣ってくれるところは昔と変わらない、内面は同じだ。
 紫雲が貸し切ってくれた居酒屋は裏通りの店だそうで、眞尋と部下たちは自転車を引き、皆でぞろぞろ歩いていく。お互いに近況報告をしあっていると……ある瞬間、椿は微笑った。

「……眞尋くん、全然変わらないね……」

 とても安らいだような笑みに、つられて眞尋も微笑む。

「てめぇらもなぁ」

 瞳を眇めたまま、改めて椿と紫雲の姿を眺める、店々のネオンと街灯の光の中で。
 ほどなくして昔ながらの居酒屋に着き、部下たちは1階、眞尋と椿と紫雲──元男娼たちは2階に上がった。2階は座敷なので眞尋たちは靴を脱ぐ。上着も脱ぎ、紫雲の背広をハンガーにかける椿を見たとき眞尋は少し(俺も嫁連れてこればよかったぜー)と思うのだった。
 おしぼりで手を拭いて、お通しを食べながら飲みものを注文し、続々と運ばれてくる料理を味わい、酒は進んでいく。
 会話の中で、眞尋は思いだした名前を口にした。

「他のヤツらも元気にしてんのかなー? 例えばよぉ、由寧とか?」

 紫雲の返答はそっけない。

「一応連絡したけど『無理』だそうだ」

 それに対して、フォローするのはもちろん椿だ。

「仕方ないよ、由寧くんは忙しいし、大事な時期だもん……」

 彼は医大に進み、現在は研修医をしている。単に忙しいだけでなく、性格的にひねくれているせいもあって出席しないのだろうが……確かに多忙な身ではありそうだ。
 眞尋には他にも思いだす顔がある、だから尋ねてみる。

「克己はぁ?」

 椿は首を横に振った。

「克己くんも忙しいって」
「まぁ、アイツもまじで忙しそうだよなぁ……」

 今も男娼を続けながら、越前谷家の副業組織の経理までこなしているそうで、いつ寝ているのだろうかと心配になる眞尋だった。
 現役の男娼といえば……もうひとり、眞尋の脳裏によぎる存在がある。2杯目の生中を飲み干して、次は芋焼酎を注文してから、眞尋は呟いた。

「なぁ……楓の話って聞いたかよ?」

 すると椿も紫雲も表情を曇らせ、言葉を交わさずとも『知っている』ことを眞尋に伝えてくる。
 3ヶ月近く前の話だ。
 楓の息子が誘拐され、そのまま闇オークションで売却されたのは。
 犯人は長老会、四季彩の権力を握った老人たち。
 楓は息子を追って、売り払われた先の中国に向かったものの──息子探しは難航し、未だに見つかっていない。
 楓と家族のことを案じはじめると会話は途切れず、しばらく暗い話を続けてしまう。
 届いた芋焼酎をちびちび飲みながら、力になりたいと眞尋は改めて思うが、方法は浮かばなかった。あいにく、眞尋の知っているチャイナマフィアは少年の売買などには関わっていない。
 椿は肩を落とす。

「那智さまとはときどき電話したり、ごはんを食べるんだけど……」

 それで椿たちも楓のことを知っているらしい。
 実は、眞尋も那智から楓の話を聞いた。面倒見のいい那智は、遊郭を卒業した者のその後も気にかけてくれる。眞尋も、会うことはしないまでも、たまに電話で話したりする。

「じゃあ……四季彩がやべえってのも知ってるか?」

 眞尋が尋ねると、椿は悲しそうに頷く。

「……無くなって欲しくないよ……僕……あの場所が好きなのに……」

 紫雲は、そんな椿を心配げに見つめる。

「シンジ……」

 姿勢を正した眞尋は、慰めるでも諭すでもなく、ただ事実を椿に述べた。

「何百年も前からあるらしいじゃねぇか、しゃあねぇぜ、いままで続いたほうが奇跡なんだ」
「物事には始まりと終わりがある」

 眞尋と紫雲の言葉に、椿は力なく笑った。

「ふたりの言うとおりだって頭では分かってるけど、気持ちがついていかなくって……」

 椿は箸を置く。

「辛いこともたくさんあったし、色々な人とエッチなことをするの、最後まで好きになれなかったけど……四季彩には感謝してる。もし、遊郭に売られなくて、ずっと実家の田舎で暮らしてたら僕は……心を病んでると思う」

 町工場の跡継ぎとして生まれた椿は『男らしくしろ』と言われながら育てられたという。学校でも女みたいといじめられ、辛い毎日を送っていたそうだ。

「四季彩のおかげで、自分の好きなことを好きでいることに、性別は関係ないって分かったんだ。男のくせにって言う人は何処にでもいるだろうけど、気にしなくていいって思えた。いろいろなお客さんや、遊郭の人たちと接して、僕の世界も考えはすごく広がったから」

 眞尋は、椿が那智を慕う理由もよく分かる。那智の性自認は男なのか女なのか、よく分からない。
 それでも自然に生活していて、周りもそういうものだと受け止めていて、幼い椿が受けた驚きや衝撃は相当のものだっただろう。

「遊郭に売られてよかった。……だから、仕方ないことだけど、無くなっちゃうのは寂しい……眞尋くんみたいな人と仲良くなれたのも四季彩のおかげだしね」

 椿は表情をいくらか和らげて、眞尋を見る。

「同じクラスにいても絶対話さないし、仲良くならない人種だもん」

 冗談半分に、眞尋は椿の襟首を掴んでやった。

「はぁー? んだとぉ!?」
「きゃーっ、ほらぁ、怖いもん!!」
「俺もてめぇも同じ女子じゃねぇか〜!!」
「僕は女の子じゃないし、眞尋くんはもっと女の子じゃないよっ!」
「るっせぇな〜!! 女形同士だろうがっ!」

 じゃれあってふたりで笑っていると、椿は何か思いついたらしい。両手をぱんっと合わせた。

「あっ、じゃあ今度ちゃんと女子会したいねぇ、他にも女形だった子たちを呼んでさっ。楽しそうだなぁ、もちろん女子といえば那智さまも呼ばなきゃ──……」

 日本酒を飲んでいた紫雲がグラスを置き、スマートフォンを取りだす。気づいた椿はそっと寄り添って「仕事の電話?」と尋ねた。

「いや……違う、噂をすればだ」

 紫雲は着信画面を、椿と眞尋に見せる。那智からの電話だった。