1 / 3物心つく前から、厳しく躾けられてきた本当の理由が。こんなかたちで分かるなんて。 予想だにしない事実とともに。 ショックだった、衝撃を受けた、というレベルの話ではない。 帰りの車、克己は蒼白な面持ちで、まばたきも呼吸さえも忘れてしまいそうだった。いつもの克己のように、平静を演じることなどできない。 会話の内容を知らない越前谷家の使用人は心配げだ。克己が狼狽えることなどこれまでにない、ありえないことなのだから、当たり前だろう。 なぜ自分だけが、これほどまでに女装を強いられ、遊廓から出られないのだろう……克己は不思議に思っていたし、本当に幼いころは辛く、悲しかった。 その理由を従業員や越前谷の人々は、克己は男娼として期待されているからこそ、大旦那様が徹底して飼育したいのだ、と言っていた。 けれど本当は違った。 克己の正体を隠すため、守るため、敵の目を欺くためだったのだ。 成長するにつれ、男らしくふるまっても叱られなくなったり、たまに外出させてもらえるようになったのは、抗争が落ちついたから。一条という男は組織のナンバー3の地位を得たらしい。 病室の静間は「選択しろ」と言った。 一条に連絡をとり、彼の元で生きるか。 静間の孫であることを公にし、越前谷を名乗るか。 このまま男娼の人生は歩んで欲しくない、そんな思いを言外に滲ませて。 いま、静間以外で、克己の正体を知るものは誰もいない。越前谷の一族にも。 葬儀の日当時の運転手もすでに他界している。 2 / 3四季彩に着くと、同乗していた使用人は克己の部屋まで付き添おうと申し出てくれた。けれど克己は断る。余裕がなかったので「いい」と冷たく言い放った。 そんな克己など見たことがないので、彼も運転手も驚き、それ以上なにも言わない。 (どうしろと言う? いまさら、そんな話があるのか……) 静間の話は、克己には酷な告白だ。 いままで男娼として育てられ、克己自身も自らの生きる意味としていたのに。 本当は違うと言われた。 自らの価値観も、存在理由も、叩きのめされたような気がしてしまう。 (馬鹿な。俺は……、いったい……!) 誰だ。 これまでの人生はなんだったのだろう? 美しくあろうと常に努力し、性技の研鑽にも励みつづけてきた。ふとした動作にも目線にさえも気を配ってきた。すべては客を虜にするため。 男娼として生涯を終える覚悟も、とうの昔に決めている。それなのに。 いまさら。普通の人生など歩めない。 外の世界をろくに知らない。学校に行ったこともないし、そんな日々を考えたこともない。 狂いだしそうなほど混乱している克己にとって、駐車場から寮に着くまでの道はひどく長い。 視界はうつろ、意識も遠かった。眩暈を起こしているのだと気づいたときには転んでしまい、ストッキングを派手に破く。脱げたパンプスは茂みに跳ねた。 「く……、っ、…………!」 3 / 3砂利道に倒れたまま、表情を歪める。指を伸ばしても靴は取れずに、克己は泣きそうな心地になってきた。そんな思いと重なり、ぽつぽつと雨が降りだす。 「俺は……、俺はぁッ……長原克己だ……!!!」 絞りだすように叫んだ。幸い、通りかかる者は誰もいなかったが、いまの克己には人の目を気にする余裕もない。 くそうッ、と呻いて、すりむき出血した膝で立ちあがる。取り戻したパンプスを履くことなく、手に持ったまま、破れたストッキングで歩きだす。 無意識のうちに、身体は早百合の私室へと向かっていた。しだいに激しくなる雨のなか、裏庭に面したガラス戸を開ける。室内には早百合がいて、鍵はかけられていない。 「……まぁ……! 克己ちゃん……?!」 通いなれたその部屋、早百合は鏡台に座っていた。お化粧直しの最中だ。 「どうしたというの。血が出ているわっ。すぐに手当てしないと」 驚いて駆け寄ってきた早百合は、またすぐに離れようとした。だが克己は早百合の腕を掴む。 「! 克己ちゃん……」 「そばに居て下さい、俺のそばに、お願いです」 「でも、克己ちゃん、お膝が」 「どうでもいい。いまはどうか、俺のそばにいてくださいませんか……」 そばにしゃがみこんでくれた、早百合を抱きしめる。確かな体温と香りに、克己の目頭は熱くなった。 「俺の名前を呼んで下さい、早百合様」 克己と呼ばれたい。 誰よりも愛しい声に。 「なにがあったのかしら……? わたくしに話して頂戴な……」 早百合も、克己に腕をまわしてくれる。克己はそんな早百合に口づける。感情をぶつけるよう、いきなりに濃厚な接吻を。唾液とグロスの味が混ざる。このまま押し倒してしまおうと体重をかけ、 次の瞬間。 早百合が息を呑んだのが、密接している克己にも伝わった。 そして早百合はおそるおそる言う。 水蓮ちゃん、と。 克己は振りむいた。ワンピース姿の水蓮は凍りついたように窓の外で立ち尽くし、差していた傘をぱらりと落とす。 克己に渡そうとしていたのか、水蓮の胸にはもうひとつ傘が抱かれていた。 |