朧月

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 ……忙しく日々を過ごしていく合間。

 克己は早百合と密会を繰り返す。

 今宵も仕事を終えたあと、闇にまぎれて早百合の私室におもむいた。部屋に入ると鍵をかけられ、蚊帳に覆われた褥に誘われる。そして秘密のひとときを過ごす。

 早百合の身体は、劇的なまでに克己を楽しませた。

 他の人間とするセックスとは格段に違う。
 違いすぎる。
 誰としても冷めている克己なのに、早百合との行為だけには没頭し、酔いしれてしまう。

 どんな客にも情を抱かず、冷静にさばくことができるのに──どれだけ大切に扱われても、容姿の美しい男が相手でも、女が相手でも。
 大金を積まれても。身体の相性が良くても。

 早百合に対するように、のめり込むことはできない。
 どうしてなのか、克己自身が教えてほしいくらいだった。なぜこれほどまでに早百合に溺れてしまう?



 ……この俺が。

 最高級男娼、長原克己が。

 四十に迫る熟女に夢中になっている。

 ありえない。
 俺が、だ。
 笑える……。

 それも、早百合はただの女ではない。
 経営一族の越前谷の未亡人。この関係が周囲にばれたら克己に待ち受けるのは破滅だろう。
 罰を受け、殺されるかも知れない。



 早百合と姦通していても、リスクしかない。
 それなのになぜ……抜け出せないのか?



「ああ、いいわ、克己ちゃん。もっと頂戴……」  



 
 猫撫で声を出す、早百合の喉を撫でてやってから。
 望み通り濃厚なディープキスを与える。

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 夜が明けぬ前に私室へ戻る。草の生い茂る道なき道を抜けて。なぜ最上級花魁ともてはやされる自分が隠れて、このようなことをコソコソと行っているのか……プライドの高い克己には未だに理解できない。

 通うのをやめることも、できないのだったが。

「……ちっ」

 薄闇の部屋に戻ると舌打ちが零れた。足首を蚊に刺されていたからだ。ひきだしから軟膏を取りだし、すぐに塗り込む。

 畳に座り込んだ克己はほんのりと間接灯をつけ、その灯を見つめた。

 思いだすのは、後戯の際に早百合が語っていた言葉。

『水蓮ちゃんは辞めてしまうのだから、克己ちゃんの子どもを、わたくしがあれこれお世話出来るのは嬉しいわ』

『男の子だったら女の子として、女の子だったら男の子として育てましょう? それも一興でなくって?』

『ねえ、克己ちゃん……あなたも人の親になるのね……?』

 鈴の音を鳴らすような、彼女の笑い声が蘇る。

 ……父になるという自覚はまるで起こらない。それは水蓮に対して感情がまったくないことや、生まれた子どもに克己は関わらずとも良く、従業員に飼育されるということももちろんある。

 しかし、それ以上の原因として──
 克己は『親』というものがよく分からないのだった。



 克己は遊廓に捨てられていた子どもだ。

 中庭の紫陽花のそばに、ひっそりと。



 遊廓に勤めている者か、関係者か、はたまた客か。誰かが産み落とし、捨てて行った。未だに両親は不明だ。

 だから親と言うものに対しての感情もない、
 分からない。

「…………父か、」

 その単語を聞いて、克己の脳裏によぎるのは五年前に遊廓を足抜けしたあの少年……

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 かつて四季彩には楓という名の少年男娼がいた。

 楓は禁じられている恋をしたばかりか、あろうことか相手を孕ませ、この場所を脱走した。

 相手の少女も姿を消したので、楓と行動を共にしていると見做されている。

 おそらくは生まれた子どもと三人で、いまも逃亡を続けている。

 越前谷家は追っ手を放っているらしいが、まだ見つかっていない。

 克己はなぜ楓が逃亡をはかったのかが理解できない。
 捕らえられれば断罪に処せられるだろう。それなのに逃げた。どうせ、いつかはきっと捕まるにきまっているのに。すべてを覚悟の上で足抜けしたとでもいうのか?

(……貴方と同じ轍は踏みません、楓さん)

 克己は眉間に皴を寄せる。

 幼かった克己は、楓のことを少なからず慕っていた。だからショックも受けた。
 なぜ脱走などという馬鹿な行為に及んだのだろう、と。

(俺はうまくやってみせる。仕事も、奥様との関係も)

 克己は強い意志をもってそう思い、明かりを消した。

 布団に入ると瞼を閉じる。隣に客がいない夜は熟睡出来るのでいい。複数回に渡る行為と絶頂に疲弊した身体は、すぐに眠りに飲みこまれてゆく。