1 / 38月も終わりに近づいてきたころ。越前谷家の母屋で、克己は成之と向かいあっていた。 成之の学校の宿題を見てやっているのだ。風鈴が揺れる下、卓袱台に問題集を広げていた。 成之は早百合の息子で、秀乃の弟にあたるが、兄弟の歳は離れていて十も違う。ゆえに成之は、秀乃よりも歳が近い克己のほうになついているようだった。 また、秀乃は当主としての仕事で忙しいが、克己は昼間ならば自由時間がある。おまけに、早百合とのこともあって他の娼妓より、母屋に顔を出すことが多い。 父親もいない成之が、克己のことを好くのも必然だったのかもしれない。 「なぁ、克己ー、克己はどうして学校にいかないの? 」 自分も昔、秀乃に勉強を教えてもらっていたな、と克己が思い出したときだった。ふと、成之がそんなことをたずねてきたのは。 (愚問を……) 分かりきったことを聞くものだ、と呆れたが、本心はおくびにも出さず柔和な微笑みと共に教えてやった。 「戸籍を持っていないからですよ」 そう言ってやっても、成之はぽかん、とした表情だ。シャープペン片手に固まっている。 「えー? どおして?」 どうして戸籍がないの、と成之はさらに問いかけてきた。 「必要がないからです」 「ひつよう……?」 「ええ、俺は四季彩の外に出る必要がありませんから、届け出をしなかったそうなのです」 「そうなん……??」 成之は納得できないような面持ちだ。首をかしげ、唇をとがらせている。克己は苦笑しつつも、成之の開いているページに触れた。 「……さあ、早く終わらせてしまいましょう。お母様が、おやつを用意して下さっていますよ」 克己の言葉に頷き、ふたたび問題を解きはじめる成之は素直で良い子だ。それゆえに一抹の不安も感じる克己だった。越前谷の仕事はまっさらな心ではやっていけない。歪み、狂気を抱き、変態性癖を嗜好するくらいではないといけない。 秀乃はいまの成之と同じ年頃のときに、通う学校のウサギを惨殺したり、同性愛に目覚め姦淫も繰り返していた。 血を分けた兄弟といえど、秀乃のほうが当主の素質に優れているのだろう。 2 / 3「……克己」居間で早百合と成之と、お茶を楽しんだ後。 遊郭に帰ろうと、廊下を歩いていたところを呼び止められる。 「那智様」 成之や、秀乃の従兄弟にあたる那智はいつも麗しい。体の性別は男性なのだが、装いは女性的であることが多い。 今日も女物の着物を身につけ、那智の趣味であるエスニックなアクセサリーと合わせていた。手首にはじゃらじゃらといくつものブレスレットがはまり、ブラウンの長い髪を高い位置で結わえている。 「おはようございます。今日も美しいですね」 「克己こそ。ねえ、ちょっと、おいで……」 マニキュアを塗った長い爪で手招きされた。克己は早く自室に戻って仕事の準備をしたいと思っていたが、おとなしく従う。 幸い、那智は立ち話をしたいだけらしい。どこかの部屋に連れて行かれるということはなかった。四季彩と母屋をつなぐ渡り廊下で立ち止まり、夏の日本庭園を眺めながら口を開く。 「水蓮とはうまくやっているの?」 うまく、とはどういうことなのだろう。月に一度の交配なら滞りなく行っている。不遜な態度を貫く彼女の思惑は測りかねるし、内心は少しも理解できないのだが。 「ええ、順調に行っていますよ」 心は全く通っていないが、肉体をつなぐ関係においては着実に任務を遂行している。だから克己はそう答えた。 「本当? 良かった。最初から、克己なら、きちんと仕事をしてくれることは分かりきっていたけれど」 「ありがとうございます、那智様」 「それで、克己はなにか……変わった?」 秀乃によく似た顔は尋ねてくる。克己はいよいよ、返答に困った。 3 / 3「恋愛ごとを禁じておいて矛盾しているのは、わかっているのだけどね」長い髪を指先で弄りながら、那智は切りだす。 「娼妓のお仕事は、恋もそうだし、ほかにも様々な感情……を知らなければ、極められないの。疑似恋愛といえど、お客様とより感情を通わせることができるでしょう? お客様の気持ちも汲み取ることができる」 「……なにを仰りたいのですか」 克己は表情こそ平静を装っていたが、内心では怪訝に感じる。 那智は指を、そんな克己の頬に伸ばした。 「克己は完璧すぎて──……冷たくて、機械的。もうすこし人間味があってもいいよ。いまの克己はお人形と変わらないんじゃない……?」 輪郭を撫でられ、間近で瞳を見つめられる。克己も那智を注視していた。 「水蓮と交わらせたのはね。克己に、化学反応を起こすためもあったんだよ」 明かされる真意。指先は、克己の唇に触れる。 「優秀な次世代の商品を生み出したい、というのが第一の理由。けれどね、水蓮と交わることによって、恋愛とまではいかなくとも。克己の心がなにか変わらないかなって思惑もあったの。わたしと、秀乃はね」 それに、と那智はさらに続ける。 「水蓮は克己のことが好きなの。表立って騒ぎは起こしていないから、わたしたちは気づかないふりをしているけれど。だから、引退の前に。大好きな克己の子どもを産ませてあげるんだよ。水蓮には稼がせてもらったから、それくらいの恩賞を与えても構わないんだ」 「………っ」 克己は驚きに目を見開く。息を飲んでいると、那智はくすくすと笑いながら手を離す。その指先は那智自身の舌に舐められた。 「ほら、やっぱり、水蓮に気づいていなかったんだね。あんなにばればれな態度なのに……やっぱり克己は……」 那智はからかうような笑みのまま。 踵を返し、母屋のほうに帰っていってしまう。 |