1 / 4(どう……しよう……)祥衛はガラケーを握ったまま、迷った。 ちらりとビルのエントランスを見る。 蛍光灯の明かりが、駐車場に漏れてきていいた。 部屋に帰る気にはなれない。 (どうせ、テレビを見て、ボーッとする、だけだから……) 片隅に停めているゼファーも、視界に映す。 今夜は乗る気になれなかった。 埠頭まで走って夜景を眺めるのは、とても好きなはずなのに。 (あ…………) ガラケーが震えて祥衛は驚く。 表示されているのは紫帆という名前──着信だ。 「もし……もし……」 祥衛は耳にあて、とりあえず駐車場を出る。 夜の路地裏を歩きはじめた。 そう遠くない距離に風俗店のネオンや、ラブホテルの装飾が輝いている。 『電話出たね。あははっ、嬉しいよ』 紫帆の声は祥衛を癒やす。 とても。 染みわたるように心に溶けてくれる。 『いま、なにしてるの、祥衛は』 「……さんぽ」 『え? 大丈夫なの?』 「だいじょうぶだ……」 どんな行動をしても心配されてしまうから、一体何をしていれば安心してもらえるのだろう。 『それならいいけど、はやく帰ってお風呂に入って』 「風呂は、はいった」 『湯ざめしちゃうよ。そっちはもう、寒いよね?』 「だいじょうぶ」 おなじ言葉を繰り返し、路地裏を抜ける。 高速道路の下に広がる大通りに出たあたりで、紫帆は今日の出来事を話しだした。 学校のこと、きょうだいのこと── 『……なんか祥衛、元気なくない?』 「…………」 いつも通り、ろくに言葉も発していないのに、見透かされた。 『どうしたの?』 「じつは……大貴が、おちこんでて……」 祥衛の足取りは無意識のうちに地元へと向かっている。 『そうなんだ、めずらしいね』 「…………」 『でも、それで祥衛も凹んでるなんて、ふたりでケンカしたの?』 「ケンカはしてない……」 『そっか……てゆうかさ』 耳元で、紫帆が微笑んだのが分かった。 『さいきん、大貴って言うようになったね。真堂のこと』 「あ…………」 そういえば、そうだ。 見慣れた夜景のなかで、祥衛は気づく。 『で、どうすればいいか、ってこと?』 「あぁ…………」 『ちゃんと話をしたらいいと思うよ』 「話は、苦手だ」 『聞いてあげるだけでも、ちがうんじゃないかな』 ──……もっとイロイロ話してーな、ヤスエに……── 体育祭の日に、照れくさそうに微笑った大貴を思い出した。 『なんか、うれしいんだけど。祥衛と真堂が仲良くなるなんて。おなじクラスなのにおたがい存在もしらなかったじゃん!』 「そうか、おなじクラスだった」 『忘れてたの? もー。……ちゃんと学校いきなよ』 呆れられた後に、注意される。 会話を続けながら祥衛はやっと、自分があの学区へと歩きだしていることを自覚した。 此処からはちょっと離れているけれど、歩いていけない距離でもないから、足を止めない。 2 / 4中央公園に辿りつくと、23時をまわっている。時計を眺め、誰もいないグラウンドにたたずんだ。 (ひさしぶりに、きた…………) ガランとしたひとりきりの公園に既視感はある。 小学生のころ、家を閉めだされてすべり台で一晩を明かしたこともあるし、クラスメイトにからかわれていじめられたこともある。 決して、イヤな思い出ばかりじゃない。 紫帆とデートに行くとき待ちあわせたり、杏と遊んだこともある。 (怜君とも……、よく、ここで合流した……) 地元だからたくさんの思い出に溢れている。 この公園に大貴も来ているとは意外だ。 (俺は……大貴のことを、なにも知らない…………) しみじみと思う。 フラフラと歩きだしながら。 来る途中で買ったポカリスエットの500mlペットボトルを手に。 今日はたくさん歩いたから、明日は筋肉痛になりそうだ。 (帰り……タクシーで、帰りたい。でも、きんちょう、する。つかったことがないから……) ブランコに近づき、あまり汚れていなさそうだったから座ってみる。 潔癖症の気がある祥衛はあまり握りたくなかったけれど、あとで手を洗うことにして鎖も握りしめてみた。 ペットボトルを幼児用の小さな席に置いて。 (家に寄ってみよう……まだ、他のひとが住んでいなかったら、学ランがあるかも……しれない) 立て付けが悪いから、鍵など無くても引き戸を揺さぶればカンタンに開くはずだった。 (……学校に行く、のか、俺は。……毎日行くのはむりだ……ギムキョウイクなのに……ギムなのに、できない……みんなが、できていることが、できないから……いじめられるのも当然かもしれない……うまく話せない……もりあがれない。輪に、はいれない。どんくさい……!) 考えていると、やっぱり死にたくなってきた。 自分に、生きている価値なんて見いだせない。 (だめだ……生きる。決めたんだ……杏のために、紫帆に会うために……俺は……) キイキイと音を鳴らし、しばらくブランコを揺らす。 無表情で、座ったまま。 怖くて立ち漕ぎができなくて、そのことでもからかわれた気がする。 昔のことはあまり思い出したくない。 (ていうか、大貴が、来るなんて、決まってないのに) よく中央公園に行くと教えられただけの話だ。 祥衛は、大貴が今夜何時まで買われるのかも把握していない。 (じゃあ……連絡すればいいのに……) ブランコを止めて、ズボンのポケットに手を入れてみる。 取りだした、さっきまで紫帆と話していた携帯電話。 一瞬、大貴から着信があればかけ直すのにと思ったけれど、誰からの連絡も来ていない。 (今日は、だいじょうぶだったか、とか、やさしい言葉をえらんで、メールすればいいのに……) 画面を開く。 待ち受け画面にしているバイクの画像を眺めるだけで、たった一行も送れない、勇気がなくて。 体育祭のときは『絶対に出ない』と確信していたから発信できた。 結果、出られてしまったのだけれど。 「…………」 自分のクズさに嫌になる。 自分はクズだとわかっているのに、どの行動が一番の正解かもわかっているのに、できない。 男娼になったことについても、本当は、児童養護施設に入ったほうがよかった。 杏への虐待の件もあって、母親も彼氏も逮捕してもらえたかもしれない。 (めんどくさい。親は、もう、どうでもいい…………) 祥衛はやっぱりガラケーをたたみ、ポケットに戻してしまった。 誰もいない公園の風景を、静かに眺める。 3 / 4どれくらい、ブランコに座っていただろう。何本も煙草を吸って、地面に潰して、ブーツで踏んでを繰り返していた。 だれかが公園に入ってきた気がする。 あまり視力の良くない祥衛は目をこらし、眉間に皺を寄せて睨む。 大貴かもしれない、と思ったとき、グラウンドのまんなかで相手は立ちどまった。 「…………ヤスエ?」 しぃんとしている真夜中の公園だから、そう大きくない声でも響く。 「なにしてんだよ……お前……」 近づいてきた大貴は赤いネルシャツを腰に巻いていて、他は黒っぽくまとめている夜系のファッションをハズすアクセントになっていた。 いつものようにスタッズのリストバンドをした手には缶コーラを持っている。 「あはははっ…………」 ブランコの前まで歩いてきた大貴は、顔を崩して笑う。 それは演技では、なさそうだった。 「ヘンなやつ。祥衛って……なんで、ここにいんの?」 「運転手の、ひとに。大貴はときどき、中央公園にくるって、きいたから……」 「まじかよ。よけいなことしやがって、長田」 大貴はコーラを飲むと、地面に置いた。 勢いよく祥衛の隣のブランコに飛び乗り、立ち漕ぎをはじめる。 「でも、俺がくるかわかんねーのに、いたんだ……」 「…………」 「不器用かよ。すげーな。俺にはねーところ、いっぱい持ってるんだな」 (逆……だ……) 静かに座ったまま、祥衛は驚いた。 みんなにできることが出来ないと嘆いていたばかりだったから。 「ありがと。ヤスエ。俺がヤスエを支えてあげなきゃいけねーのに、俺のほうが、お前に迷惑かけて、心配させて……」 鎖の音を鳴らしながら、大貴は漕ぎ続ける。 「祥衛は気にすんなよな。これは、俺の問題だから」 長田とおなじことを大貴も言った。 「つらくないっていったら、嘘になるけど、こんなの慣れてる。もっと苦しいときもたくさんあったんだ。だけど俺は笑ってこれたし、乗り越えてきたんだもん。今回だって……」 乗り越えられると言うのだろうか。 外灯に照らされる、大貴の影を眺める。 (つよ、すぎる……大貴はつよいんだ…………) 俺なんかとは違うと、改めて思う。 (でも、ひょっとして……ひょっとしなくても……ボロボロなんじゃ…………) 小さなころから弄ばれて、無傷で生きてこれるはずがない。 それは祥衛だから、余計にわかる。 「……つらくして……ごめん……」 「なんで祥衛があやまるんだよ。悪くねーし」 大貴は笑いとばす。 「俺も悪くねーのかな」 そして、漕ぐのをやめて、ゆっくりとブランコは速度をゆるめる。 4 / 4「俺……虐待されてたって前話したよな」静止したブランコ、大貴はずるずると崩れ落ちるように腰かけて、うちあけてくれた。 「いろいろされた。だれにも言いたくないくらいひどいこと、たくさん。はずかしくて、苦しくて……だけど悦んでる俺もいて、わけがわかんなくて……いまでも狂いそうだし、考えてると涙が出てくる。吐きそうにもなる」 あぁ、性的虐待のことだろうか、と、祥衛は思った。 ただ静かに耳をかたむける。 「……ずっと、ずっと、親父にめちゃくちゃにされてた。小さいころからずっとだよ。どうして……? 俺はこんな目に遭わなくちゃいけないの? 俺だって、俺、だって……」 呆然とした表情で、遠くを眺めている大貴の瞳からひとしずくの涙が伝う。 「パパのことは尊敬してる。SMもすき。だけど、できるなら、学校のみんなみたいに、ふつうに育てられたかった。ふつうの家に生まれたかった!」 大貴は鎖をきつく握りしめる。 ガシャガシャと派手に揺らしてもみせる。 「パパと話すのはいつもベッドか、地下の調教室ばっかり……ひどいよ……っ……ほんとは、あんな躾……気持ち悪いし、痛いし、嫌だよ……!! ホモじゃないし、薫子がすき……なのに、なのに……ずっと淫乱に育てられてきたから、もう、おじさんたちの玩具にならきゃ、おちつかなくて、いやされなくて……俺はビョーキで、おかしくて、だれとでもして、きたないんだ……!!!」 感情をぶちまけた大貴は乱れた呼吸を繰り返している。 また涙が生まれて、ゼエゼエと肩を上下させながら、嗚咽を漏らす大貴を祥衛は見る。 (……かわいそう、だ……) 祥衛の表情はかすかに歪んだ、じっと眺めてしまう。 どんな声をかければいいのか、相変わらず思いつかない。 「大貴はわるくない……」 それだけ、なんとか発すると、大貴は瞼をこすって、泣いている瞳を祥衛に向けた。 「う……ッ……、やす……え……」 「俺は……男娼の仕事、やめない……」 うまく言葉を選べないから、自分の意志を口にする。 「……、それでいい、そうしろよ……俺のことは、ぜんぜん、気にしないで……」 鼻水をすすって言われても説得力はなかった。 (なにか……もっと言葉を……なにを言えばいい……わからない……俺は……) 必死で探しているけれど、外面的にはいつもと大して変わらない表情で無言でいるだけの自分はもう嫌だ。 「大貴も……やめ、ない……」 「ん……、やめられない……」 「でも……でも、俺、は…………」 大貴の視線を感じながら、祥衛は想いを伝える。 「大貴と……、友達、で、いる……」 「…っ……!!」 大貴は拭う指を離し、大粒の涙をいちだんと零した。 「ひどいこと、したのに、ゆったのに……それでも、友達でいてくれるの?」 目の前で大泣きされることに面食らいながらも、祥衛は深く頷いた。 「あんなキスしても、フェラしても、ホモのセックスしても、ともだちって、思ってくれるの?」 「ああ…………」 「うぁああああっ……うっ、うぅ……、う、……ッ!」 いちだんと泣きだして、乱れだす大貴の呼吸。 「はぁ、はぁ、はー……、はッ……あー過呼吸に、なる……っ……や、べ……」 「…………」 祥衛は立ちあがり、幼児用のブランコに置いていたポカリスエットを手にした。 昼どきのワイドショーで、過呼吸になりそうなときに冷たい水を飲ませると落ち着くという情報を見たことがあったから、キャップを開けて大貴に渡す。 (水じゃないし、そこまでつめたくない、けど) 「う……ぅ、……」 渡されるがまま大貴はポカリスエットを傾け、あっという間に飲み干してしまう。 「……ッ、おいしい……ポカリ……すげーおいしいっ……」 大貴の呼吸は落ちつきを取り戻してきたので、祥衛は安心した。 学校に行かずテレビばかり見ていた経験が、めずらしく役にたった気がする。 「……こんな、かっこわるい、とこ、ばっか、見せてるの、に……俺と、友……」 食い入るように見つめられて、祥衛はうなずく。 「そう」 大貴からペットボトルを取り、キャップを元通り嵌めた。 「いいやつすぎる……なんでみんな、ヤスエみてーなやつ、いじめたりするの? バカじゃねーのかよ、見る目なさすぎる……!」 ぐしゃぐしゃと目を擦ったあとで、大貴は立ちあがる。 「沢上はやっぱり、見る目あるな。すげーなー……あ、ねこだ……」 公園のグラウンドに、いつのまにか数匹の野良猫が集まっていた。 だれもいない真夜中だから、まんなかを堂々と占領して優雅にくつろいでいる。 「あははっ……、祥衛、ありがとうなっ……」 大貴は照れくさそうに笑って、地面から缶コーラを拾った。 それから猫たちの輪に近づいていき、たわむれて嬉しそうにしている。 笑顔の大貴のほうがいい。 泣いている大貴よりも。 祥衛は、そんな当たり前のことを当たり前に感じた。 祥衛自身は気づいていなかったが、大貴を眺める祥衛の唇はわずかにゆるめられ、微笑のかたちを作っている。 やわらかに降り注ぐ月の光の下で。 |