月光

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 祥衛は、ガラス越しの夜闇を眺めていた。
 終わらない執拗な行為のなかで。

「は……ぁ、はあ…………、は……」

 シーツに背をつけ、乱れた呼吸を整える。
 寝室のカーテンのスキマに月を探すけれど、浮かんでいるはずのそれは見つからない。
 ただ黒い闇だけが、ベッドから覗き見えた。

(疲れた……)

 祥衛は額に滲む汗を拭う。
 いまも怜とは奥深くまで繋がっていて、粘膜が熱く爛れている。
 体液もローションもべとついて、潔癖性の気がある祥衛には気持ち悪い。
 さっぱりとシャワーを浴びて、もう休みたい。

(だけど……嫌がった、ら)

 男娼になりたい──という請いを。
 却下されるかも知れない。
 祥衛とアンダーグラウンドな裏稼業を繋ぐ糸は、いまのところ怜だけ。
 振り払われる不安から逆らえず、好き放題に犯させている、もう、長い時間。
 祥衛だけでなく、怜も、このセックスを楽しんでいるわけではなさそうだった。
 ずっと退屈そうに揺らしている。
 祥衛が本気なのかを試す様子で犯していた。
 本気で身体を売って生きて行くつもりなのかを、窺っている冷たい視線。

「ダメだよ、よそ見したら」

 怜は祥衛の顎をつかんだ。

「ちゃんとお客さんのことを見てるもんだよ、男娼はね」
「う……」

 指に力をこめられ、痛い。
 祥衛はつい、反射的に瞼をぎゅっと閉じてしまう。
 怜の言葉とはまるで反対の動作だから、さらに嘲笑される結果となる。

「はは……ダメだなぁ。男娼って、時には客に本気でホレてるフリの視線だって送らなきゃならないらしいのに、キミにはとても出来る芸当じゃなさそうだね」

 おそるおそる薄目をひらけば、髪を引っぱられた。
 外れる結合。

「痛い、れ……」
「髪の毛も、こんなんじゃダメだ。綺麗に染めないと、質のイイ買い手に好まれないよ?」

 中途半端に地毛色に浸食されている祥衛の髪から手を離すと、次に性器を押しつけてきた。

「──舐めろ」

 長らく祥衛の体内を抉っていた肉棒はローションと、祥衛の体液にぬめっている。

(嫌、だ……きたな、い……)

 祥衛の眉間には皺が寄る。
 逃げだしたい。
 心を奮い立たせて肉茎に舌を這わせだすと、また髪を引っぱられる。

「イヤそうなカオして、お金もらえると思ってるの?」
「…………」
「まぁ、これはこれでソソルかもねー」

 飲みこみたくない唾液が祥衛の口のなかにたまって、どろどろと垂れこぼれた。

「男娼に向いてるとは思えないけど、顔も身体も人形(マネキン)みたいだし、キミは幸運なことにドMだから、その線でいけるかな」

 祥衛は懸命に口淫を施しつづける。
 ぎこちなくも、必死に。

「ホントは大貴くんに男娼の仕事のアレコレ教えてもらえるといいよねぇ、同い年だし、いろいろさ。でもケンカしてるんだっけ?」

(……ケンカじゃ、ない……)

 一方的に感情をぶつけられただけ。
 大貴の言葉や表情は、すぐに思いだせる。
 陽光の下、しゃがみこんでしまった姿も。
 眩しい光に照らされた亜麻色の髪はいちだんと明るい色に見えた。
 染めなくてもあの色だなんて、うらやましい。

「期待してたんだ、大貴くんがキミを引き止めてくれるかなってさ」

 怜は祥衛の口から、萎えたペニスを引き抜いた。

「けど、キミの気持ちは変わらないみたいだからね」

 いいよ、客、まわしてあげるよ。

 ガウンを羽織り、寝室を去る怜は不意にそう言った。
 あまりにもさりげなく、なんでもないことのように告げられたから、祥衛は聞き逃すところだった。

「……怜君……!」

 祥衛は、怜の行き先を目で追う。
 半開きのドアのむこう、廊下に明かりがついた。

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「そういえばキミさ、源氏名ってどうする?」

 風呂を出た後、怜に買ってもらった真新しいジャージに着替えた祥衛はBMWに乗せられ、堀川沿いに広がる風俗街の裏路地に連れられる。
 ラブホテルも密集しているこのエリアに、怜や大貴の属している組織の事務所があるのだという。

「…………」

 しかし、ゲンジナとはなんだろう。
 祥衛はわからず、無言を返した。
 隣の運転席でハンドルを握る怜に。

「男娼するときの名前だよ。まさか、本名で売るのかい?」

 そんなこと、考えてもいなかった。
 祥衛は夜景を興味なく見つめる。
 深夜だから道は空いていて、都心だけれどスムーズに走ってゆける。

(べつに……)

 友達もいないし、親に対してもどうでもいいし、男娼だとバレて困るような相手は身近にいない。

(紫帆は沖縄だし、杏も……ずっと眠っている……)

「真堂は……?」

 どんな名で男娼をしているのだろう。
 気になって、祥衛は怜を見た。

「あぁ、大貴くん? そのまま大貴って名前でしちゃってるけど、まぁキミとは事情も違うしねー」

(……事情……)

 たしかに、中学一年生で男娼なんてしているのだから普通ではない理由があるのだろう。

「前に言ったでしょ、大貴くんは生まれつきにエッチなオモチャだって。実家にいる小さい頃からのお客さんもたくさん持ってるから、いまさら偽名なんて使う理由もないんだよ」

 祥衛は、視線を窓に戻した。
 真堂大貴は──はじめは明るくてウルサイ他のクラスメイトとおなじだと思っていたのに、実のところは深い闇を抱えている少年だ。

(俺とちがって……しあわせなんだって。思ってたのが。はずかしい……)

 八月に怜の部屋で殴られた記憶がよみがえり、自分がイヤになって目を伏せる。
 到着するまで、瞼を閉じていた。

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 組織のアジトだという建物は、古い中層ビル。
 一階部分がくり抜かれた駐車場に怜はBMWを停めた。
 ポストの並ぶエントランスホールも、古めかしくて一昔前の集合住宅といったおもむき。
 怜とともにエレベーターに乗りこんで上昇し、降りた先には、蛍光灯に照らされた廊下がある。
 怜の革靴の音のあとに祥衛も続く。
 ひとつの部屋の前で立ち止まってノックをした怜は、振り返りもせずスタスタ入室した。
 祥衛も入る、緊張を覚えながら。
 顔はいつものように祥衛の感情を表してくれないから、無表情のままだけれど。

(意外と……ふつう、だ)

 人身売買に関わったり、男娼が所属している裏組織の事務所とは思えない、テレビドラマでもよく見るようなごく普通のオフィスだ。
 いくつかのデスクが並び、ワイシャツにタイを結んだサラリーマン風の青年と、黒の半袖ブラウスに薔薇の頭飾りをした長い髪の女がそれぞれの席につき、ノートパソコンにむかっている。
 彼らは作業を止め、怜を見た。

「やあキミたち。期待の新人つれてきたよー」
「先日、軟禁していらした子ですか?」

 青年と祥衛の目が合う。
 彼はびっくりしてしまうほどに整った造作をしていた。
 こんなにも綺麗な男は、なかなかいない。
 祥衛は驚いたまま立ち止まり、注視してしまう。
 相手も祥衛を観察する視線を注いでくるので、祥衛は目をそらせないまま、結果的に見つめあってしまった。

「……いいんじゃないですか。容姿は上等ですね」

 青年は席を立ち、給湯室へと向かう。

「ローズヒップティーでいいですか? 薫子さまが茶葉を持ってきてくれたんですよ」
「へー、いいねぇ。俺の好きなお茶だよ」

 怜は並ぶデスクのうち、自分の席に座ってしまった。
 隣席の女が、怜を睨む。

「貴方ねぇ……この子をほったらかして、ひとりで座って……」
「え? あー、テキトウにどっか座ればぁ」

 悪びれもせずさっそくスマホを取りだしている怜に、女は肩をすくめた。

「まったく、そんな言いかたないでしょう」

 女は席を立ち、祥衛を事務室の片隅のソファに案内してくれる。

「こちらにどうぞ。祥衛くん」

(なんで、名前…………)

 打ち明けていないのに知られているのだろう。
 従いながらも祥衛は疑問を覚える。

(怜君が……話したのか)

 女は上品ないでたちだ。装いはストッキングからミュール、身につけているアクセサリーにいたるまですべてが闇色で統一されている。
 ふんわりとただようのは綺麗な香。
 きつめのメイクだけれど美人だから祥衛はいちだんと緊張を覚えてしまった。

「貴方のことは大貴から聞いているわ。いま、いろいろと大変な状況だそうね」

(シンドウ、に………?)

 小ぶりな角卓をはさみ、向かいあわせに座る。

「私は……峰野、薫子というのだけれど、組織にはJACKの名で在籍しているわ。彼が……克己くん」

 アイスティーを銀色の盆に乗せて歩いてきた青年は、まるでウェイターのよう、サマになる。
 顔つきだけでなく、体型もモデルのようにスラリとしていて、仕草までも整っていた。

「長原克己です。よろしくお願いします」

 克己と名乗ったその青年が隣に腰かけてきた。
 薫子と克己に間近ではさまれ、祥衛はおじぎのつもりで、おずおずと頭を下げた。
 置かれるグラスのお茶に視線を落とす。

「……カミヤマヤスエ……です」

 うつむいて消え入りそうな声で、なんとか伝えられた。
 祥衛は頑張ったつもりなのに、怜の笑い声が聞こえる。

「はははは、なんだか、おもしろい絵面だねー」

 遠くから眺めている怜に、薫子がむっとしている。

「もう……相変わらず失礼なひとだわ」
「祥衛くん、本当に男娼をするんですか?」

 克己はローズヒップティーに口をつけてから、問いかけてきた。

「いままで普通に暮らしてきたなら、そのままこういった世界は知らずに暮らしたほうが良いかと」
「そうね、大貴や克己くんとは事情が違うのだし」

 薫子は心配そうな面持ちになり、頬に手を当てる。

「自立を志す気持ちは素晴らしいわ。その歳で、立派ね。だけど男娼は……できるなら他の道を探してほしいもの」
「俺も、あまりおすすめはしません」

 彼らもそろって、祥衛が身を売ることを否定した。
 誰に止められてもやめる気はない祥衛は無表情のまま、グラスを手に取る。
 ほのかな甘酸っぱさが、美味しかった。

「──とはいえ俺も男娼ですから、お仕事について分からないことがあればなんでも聞いて下さい」

 克己は祥衛を観察しながら、そうも告げてくれる。

(このきれいな人……も……男娼)

 それを知り、祥衛は顔をあげて改めて克己をちらりと盗み見てしまう。
 横顔も整っていて、男娼という肩書きもしっくり来る美男子だった。

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 ふいに響いてきた、駆けてくる足音。

「あの子ったら、また廊下を走って……」

 薫子はブラウスの身体をひねり、入り口の扉を見やる。

「ただいまぁー! つかれたー、カッツンお茶──」

 現れたのは大貴だ。
 ただし、祥衛の知っている大貴とはすこし違う。
 全身は黒光りする装い。
 コルセットにショートパンツを合わせ、太腿をあらわにサイハイブーツを穿いている。
 指先も手袋に覆われ、重厚な首輪をし、ワックスで遊ばせた髪は仕事後だからか、ちょっと乱れていた。
 長袖のジャージの上を羽織っていて、それだけが普通の少年らしくてこの装いには不釣りあい。

「あ……、ヤスエ…………」

 大貴は祥衛に気づくと立ち止まり、瞳をまるくする。

(……シンドウ……)

 祥衛は、初めて学校の外で出会ったときの大貴を思いだした。
 真夜中のコンビ二。あの夜にも大貴の驚く顔を見た。
 夏を越えて、まさか、こんな状況になろうとは──
 大貴は単なるクラスメイトで、自分は不登校の『不良』で、それだけで終わる関係のはずだったのに。

(たぶん、真堂はあの夜も……仕事をしていたんだ……)

 いまの祥衛には、それが見透かせる。

「もう……衣装のまま帰ってきたのね」

 薫子は大貴を呆れたように見やる。

「ちゃんとお着替えしてから車に乗りなさいって、いつも言っているでしょう?」
「……うるっせーなぁー、やっぱりお茶いらねー」

 大貴はふて腐れた表情になって、サイハイブーツの踵を返した。

「俺帰るっ」
「大貴、待ちなさい」

 薫子は後を追い、立ちあがる。
 揺れるスカートとひるがえって艶めく黒髪。

「ついてくんなよ! うちあわせしてるんだろ! ……」

 彼らが去り、扉が閉まった。
 エレベーターに向かいながらも言い争う声が伝わってきて、やがてそれは途絶える。

「うわー、険悪ムードだぁー」

 いままで薫子が座っていた席には、面白そうに口許をゆるめた怜が腰を下ろしてきた。
 克己に注いでもらったアイスティーのグラスを手に。

「あーあー、あのふたりまでケンカしたら、祥衛、罪な男だね〜」

(真堂と……女の人は……)

 どんな関係なのだろう。
 そういえば紫帆が『真堂は年上の人といい感じらしいよ』と話していた気がする。

「大丈夫ですよ。大貴くんが単にイライラしてるだけでしょう」
「まぁねー。ひと悶着あったら楽しいよね〜、あははは」
「完全に楽しんでいらっしゃいますね」

 克己は冷静な顔つきのまま、肩をすくめていた。