Nightmare

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 怜のアウディで連れられたきらびやかな繁華街。

 夜の大阪──

 祥衛にとって、はじめて訪れる都市だった。
 小学校の修学旅行で同級生はこの街に来ているはずだが祥衛に参加の意思はなかったし、もし行きたかったとしても、あの母親は旅行費なんて出すわけもないので、どのみち来られなかっただろう。
 家族で県外に出かけた経験もない祥衛の世界は、住み慣れたあの街だけという狭さだ。
 怜はアウディを高層ホテルの駐車場に停めた。
 そして今日も相変わらずに自分のペースで早足に歩いていってしまうから、屋内に入って上質なカーペットを踏む後ろ姿を、祥衛は追いかける。
 置いていかれたら、迷子になってしまう。
 高すぎる天井、豪奢な光を散らす照明、ロビーに飾られたモニュメントなど、ホテル内のすべての造形が漂わせる雰囲気に圧倒されながらも、エレベーター前で怜に追いついて乗りこむ。

「うわ〜、遅刻だねー」

 腕時計を見る怜はそう言いつつも、気にしていない。

「やっぱパーキングエリアでアイスティー飲んでる場合じゃなかったかな〜」

 怜に反省の色はないまま、ふたりきりで上昇し、大ホールのある階に着く。 

「ま、いっか。俺はヒトヅキアイで来ただけだし、キミはただの見学人だしね」
「…………」

 今宵、此処で行われているパーティーには、FAMILYの人々も参加しているのだという。
 健全な宴ではないということだ。
 ホールの入り口には屈強な体格をした外国人ボディーガードが立っていて、祥衛は息を飲む。
 ドアマンは怜を見ると一礼し、扉を開放してくれた。
 開かれるスキ間からこぼれてくる暖色の光。
 流麗な旋律を響かせるジャズ。
 祥衛はまたひとつアンダーグラウンドな世界を知ることになった。

「………………」

 怜とともに足を踏みいれて、あたりの様子をうかがう。 
 フロアを支配している爛れた熱気。
 いくつものソファ席がゆったりと点在し、スタンドライトとアロマキャンドルの灯がゆらめく。
 客層は若手実業家といった風貌の若い男から、老人までと幅広く、まれに女の姿もあり、グラス片手に雑談したり、首輪のついた裸身の少年を席にはべらせ愛撫したりしていた。
 壁に飾られた名画を背にちょっとした舞台もしつらえられており、ほぼ裸身に近いエロティックなコスチュームを纏った少年や青年たちがスローテンポなジャズにあわせて腰を揺らして踊る。
 彼らの素肌に落とされているピンスポットライトもあって、それは注ぐ蜂蜜のようにとろとろ流れていた。

(なん……だ……、ここ……)

 異質な世界に祥衛は戸惑う。
 怜はというとさっそく、この場に訪れている初老男性たちと会話している。
 男たちは祥衛をチラチラと見てきて、興味深げに刺さるその視線に、怜が自分のことをどう説明をしているのか気になった。

(売春の宣伝……とか)

 彼らとセックスをする日もくるのだろうか。
 だれとでもしなくてはならないらしいから。
 うまく仕事をこなすことができるのだろうか、それを考えるとやっぱり不安になる。
 客を怒らせずに満足させれるのか、自信なんてない。

(だけど、やるしかない……)

 テレビで見るようなアイドルさながらの上質な容姿を持つ舞台上の少年たちを眺めていると、会話を切りあげた怜が祥衛の肩を抱いてきた。
 香るブルガリの匂いに、なぜか安心する。

「大貴くんもいるんだよ。こっちさ」

 怜は強引に祥衛を連れて歩きだす。

(……シンドウが……?)

 この宴にいるなんて、祥衛は聞かされていなかった。

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 祥衛はこわごわと歩を進める。
 大貴と顔をあわせたらなにを話せばいいのだろう。
 まだ大貴は怒っているのだろうか。
 冷たい態度を取られるのだろうか。
 そんな懸念ばかりが廻った。

(グルグル考えすぎるのは……俺の悪い、くせなんだ……) 

 ネガティブな方向ばかりに思考が向いてしまって、そのせいでまた鬱になって死にたくなる。

(……あっ……)

 頭のなかの混線は、本人を見つけた瞬間に吹き飛ぶ。
 立って談笑しながら舞台を眺める人影から覗く大貴の姿は、ソファで男の腿にまたがって座り、抱きあい、相手の首に腕をまわしていた。
 濃厚な接吻を交わしている最中だ。

(……す、すごいキス、してる……真堂が)

 祥衛はまじまじと眺め、目をそらせなくなってしまう。

(おじさん、と……)

 それだけでも驚愕的な情景なのに、押しつけあう唇は卑猥で、さらには腰をくねらせて男のスーツの下腹部に股間を擦るさまもまた卑猥だ。
 大貴もまた、会場に流れるスローテンポな音楽にあわせて身体を揺らしていた。
 そんな大貴を愉しんでいるのは抱きしめて舌を絡める男だけでなく、両隣に座る男たちも、大貴の尻を撫でまわして可愛がっている。

(あんなのしか……はいてない……)

 素肌に紐のような黒い下着と、サイハイストッキング、革製の重厚な首輪。
 他の席でいたぶられている少年たちとおなじようないでたちなのだ、大貴も。
 首輪から伸びる長い鎖の先が気になって、祥衛は身を乗りだして直視する。
 鎖の端を握っているのは、料理とグラスが並ぶローテーブルをはさみ、向かいあわせのソファ席に座っているFAMILYの事務所で話した女性──薫子だった。
 あの夜に会ったときよりも薫子のメイクは濃く深紅の口紅が印象的で、つけ睫毛は長くて、非現実的な美しさをたたえていた。
 コルセットに幾重ものオーガンジーを重ねたスカート、ヒールは高く、手袋は黒光りしており女王らしい装い。
 薫子は隣席のおなじく女王然とした熟女と歓談してくつろいだ様子だ。

(……なんだ、これ…………?)

 祥衛には、意味が分からない光景に思える。
 大貴は舌と舌の繋がりを解いても、性行為を連想させる動きで腰をグラウンドさせ続けていた。
 下着のサイドの紐部分にローターのバッテリーが挟まれて固定されていることにも、祥衛は気づいてしまった。
 目を疑い、まばたきを忘れて凝視する。
 けれど見間違いではなかった。
 股間に性的な玩具も仕込まれながら大貴は女王に鎖を握られ、男にサービスをしているのだ。

「………………」

 祥衛は立ちつくしてしまった。
 大人たちの手がいまも大貴の尻や腿を撫でまわしたり、何事か囁きあって、大貴も微笑を浮かべたりしている。
 大貴の表情は淫靡でしかなかった。

(シンドウは、本当に)

 男娼なんだ…………

 やっと、祥衛は、ほんとうに理解したのだった。
 大貴が大人に性玩具として扱われる存在ということを、頭ではわかっていても、心の底からは信じていなかったことも自覚する。
 いま、完全に思い知る。
 呆然としている祥衛に目を細めるのは、怜だ。
 祥衛の乳頭にピアスを通したときよりも満足気な表情を浮かべている。

「いいね……キミの、その顔」

 怜はつぶやいて、ほくそ笑む。

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「そのうち、祥衛もああいうコトさせられるから、よく見ておくといいよ。勉強しなきゃねー」

 気軽な口調で告げて、怜は祥衛の髪を掴んだ。
 かすかに祥衛の眉間に皺が寄る。

「音楽に合わせて腰を振ったり、ときにはアンアン鳴いたりもするんだよ。恥ずかしいよね。大貴くんは小さいころ、あぁいうサービスするの辛くて泣いちゃったこともあるらしいよ?」

 耳元で囁かれる逸話。

「いまは笑顔でこなしてて、偉いよねぇ」

 祥衛たちの目線の先、大貴のかたわらに座る男がおもむろに空のワイングラスを手に取った。
 大貴はソファに膝立ちにさせられ、下着から半勃起のペニスを掴みだされ、男たちの手によってグラスをあてがわれている。
 行為の異常さに目を瞠る祥衛は、パイパンであるとか、巨根であるとかの大貴の性器の異質さには気づけないまま、放尿の一部始終を眺めてしまう。
 グラスを八分まで満たしたところできっちりと迸りを止めた大貴のペニスはおしぼりで拭かれ、尿はワインを楽しむように紳士が口に含む。
 味わうさまを目にする大貴はいちだんと唇を歪めた微笑を作り、顔立ちは色合いを変えた。
 単に官能的な魅力だけを振りまいていただけだった大貴が、サディスティックな眼光を瞳に宿す。
 そんな大貴を祥衛は怖いと思った。

 怖い。

 それが、S的な大貴を見ての、いまの祥衛が抱いた率直な印象だった。
 後ずさりしつつ、同時にゾクッと震えてもしまう。
 祥衛に携えられたMの感性がさせた快い震えだったが、倒錯した世界を知ったばかりの祥衛には恐怖と恍惚の違いすらろくにわからない。
 大貴は威圧的でさえある表情を浮かべたまま、グラスを傾ける男の白髪まじりの頭をペットを愛玩するように撫で、なにごとかを宣託のように与えている。
 グラスをすこしずつ飲むその男は明らかにうっとりした様子で、こくこくとしきりに頷く。
 飲尿する彼から指先を離すと、大貴はぷいと横を向いてしまった。
 首輪の鎖が揺れて綺麗だった。
 隣席の男の腿に移動してしまい、抱きしめられ、祥衛からその表情は見えなくなる。

「キミさぁ……ひょっとして」

 見とれていた祥衛は、いきなりに話しかけられて驚いてしまう。
 怜の存在を忘れていた。

「……やっぱりね」

 中途半端に膨らみを帯びたデニムの前に触れられ、よりいっそう怜に笑われてしまう。

「パーティーの雰囲気と、大貴くんで、興奮したんだね」
「…………」

 祥衛は目を見開いたまま固まる。
 肯定できない。
 信じられなかったし、信じたくない自分もいる。

「たいした変態だ、キミは。この歳でね」
「ヘンタイ……じゃ……」

 いまさら形だけでも否定しようとする唇は震えた。
 証拠を抑えられている──怜にペニスをきつく握られているのに。

「いや、変態だよ」

 残酷に言いきった怜は、祥衛から離れると歩きだした。

「怜君……」

 来たばかりなのに、フロアから出ていってしまう怜を祥衛は追いかける。

「──合格。キミはテクニックも愛想も無いけど、男娼としてやっていけるんじゃないかなぁ」
「…………」

 怜はそれを確かめるために、此処に来たのだろうか。 
 ピアスを貫通され、性玩具になるという印(しるし)は与えられた祥衛だけれど、怜から直截(ちょくせつ)的なことばで認めてもらったのは初めてだ。