初夜

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 夜はずいぶんと涼しく、肌寒ささえ感じられるようになってきた季節。
 初仕事の夜。
 祥衛は、怜に教えられた通りの場所に向かう。
 駅前の華やかな表通りをすこし離れ、スナックや小さな寿司屋などわずかな店舗がまばらに明かりを灯しているさみしい一角、古いビジネスホテルがあった。

(此処、だ……)

 人通りのない歩道に、ゼファーを停める。
 あたりは静かで、どこかで吠える犬の鳴き声だけが聞こえてくる。

(……本当に仕事をするんだ……) 

 ホテルを見上げる。
 緊張はあまり、していなかった。
 声をかけてきた変質者とホテルに行った経験は初めてじゃない。
 いまさら失うものなどない。
 得るものはある、お金だ。
 ちゃんとお金をもらえるようになれれば、少年男娼を仕事に出来れば、これ以上怜に迷惑をかけずに済む。
 児童養護施設に連れられる可能性もなくなる。
 妹も守れる。
 自立への第一歩でしかない。
 不安などなく、心変わりなどするはずもない祥衛の、アッシュブラウンの髪を夜風が撫でた。
 祥衛は歩きだす。
 ガラス扉は自動ではなく手動で、押して開き内部に足を踏み入れた。
 怜に買ってもらったブーツで踏みしめる、煌々と明かりのついた玄関ロビー。
 外観こそ古かったが、ロビーは小綺麗だ。
 フロントに係員らしき男がいる。
 ワイシャツ姿でうつむき、なにか手元で作業していた。

『あのホテルはなにも言わないから、さっさと素通りしてエレベーターに乗ればいいよ』

 思いだす、怜に教えられたことば通りにフロントを横切り、エレベーターのボタンを押す。
 乗りこんだ密室空間、携帯電話を取りだして見る時刻は二十二時を示していた。
 仕事はこれから一時間半に渡って行う手はず。
 電源を切ってデニムの後ろポケットにしまうと、客の待つ五階に到着した。

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 506号室の扉をノックをする。
 迎えてくれたのは白髪頭の初老の男だ。
 優しい客だと聞かされていたけれど、本当に彼はずっと柔和な態度のままだった。
 導かれるまま、一緒に軽くシャワーを浴び、ベッドに行くと「寝そべっているだけでいい」と言ってくれる。
 彼は人形を愛でるように祥衛の全身を撫でた。
 変質者には雑に扱われたことのほうが多いので、意外に感じ、拍子抜けしてしまう。
 もっと粗雑に扱ってくれても構わない。
 男は性器にも触れ、なまめかしく感触を愉しんだあと、人肌にあたためたローションを垂らしてくれた。

「あ……、っふ」

 愛撫を受け、祥衛は吐息を漏らす。
 部屋には喘ぎと水音ばかりが響いている。

(なにか……言わなきゃ、なにか……)

 感じて震えるだけではなく、喋ったほうがいいのだろうし、もっと表情だって浮かべたほうがよさそうだ。
 会話するどころか、気の利いたひとことさえ思いつかない自分が相変わらず過ぎてイヤになる。

「ヤスエ君は、ひさしぶりの上物だ」

 祥衛の心の内とは裏腹、老人は感慨深げに微笑った。
 腹部にも蔓延しているカミソリの痕を撫でながら。

「さすがはFANILYのレイ君の紹介だけはある」
「あ……」

 軽くキスをされる。

「脚を開いてごらん」

 彼の肉茎が、祥衛の蕾を穿ってきた。 
 老人とは思えない猛々しい滾りが、ゆっくりと祥衛を満たしてゆく。
 怜よりもはるかに優しい捩じこみかただ。

『今日のお客さんは、大貴くんのことも買ってるんだよ』

 こんなときになって、怜のことばを思いだす。
 意識した瞬間、ドキッとする。

(真堂も……この人に、犯されてる……んだ……)

 宴で見た、客と絡む姿が脳裏によぎる。
 ソファで客に絡みつき腰をくねらせていた。

『ヤスエには俺みたいなことしてほしくねー、汚れてほしくない……知ってほしくない……絶対ダメだ。あんなことさせられるかよ……』

 蘇る、ひきとめてくれたときの大貴の声、こんな瞬間に思いだしたくないのに。

「う………」 

 はじまる抜き差し。
 祥衛の眉根が寄ったことに、客が唇をゆるめる。

「あっ……あ……ぁ……」  

 抱えこまれ、揺らされながらも、祥衛の脳裏にはあの日の大貴が鮮やかに浮かぶ。

『自分からこんな世界、入んなよ。ヤスエはフツーの世界で生きれるんだぜ? ずっと、そうしてろよ……ダメだ、ダメだ……』

(俺は……決めた……んだ、なにをいわれたって……、させられたって、後悔なんて、し、ない)

 彼の舌に首筋から胸元までを辿られる。
 舐められることには不快さしか覚えない。
 それなのに、祥衛のペニスは屹立を続けていた。

「いい子だ」

 繋がりを保ちながらも身を起こした老人は、祥衛の頭を撫でるかのように亀頭を撫でる。

「ん……あぁ……」

 そうされることには気持ちいい祥衛が存在して、薄闇の天井を眺め、仰け反った。

「初々しいヤスエ君を買えて幸せだ」

 老人は丹念に突きこんでくる。

「これから君は、普通の少年とはかけ離れてゆくんだ、胸は女の子のようにされてゆくのかもしれないし、もっとピアスをつけられてしまうかもしれないよ」

 祥衛に貫通しているフェルナムに触れ、笑う。
 体勢を変えられる度に肉壁への当たり方が変わり、祥衛の鳴き声は細く震える。

「あぁああ……ッ……」
「陰毛だって刈られて、刺青を入れられるかもしれない。私がいつも買っている少年男娼──……少年性玩具たちはそんな身体をしている」

 恐ろしい事柄を、柔和なまま、平然と教えてくれる。

「調教されて、寵愛を受けるにふさわしい身体にしてもらって、年齢には不釣り合いに成熟した性技だって見せてくれる、少年たち……FAMILYの大貴君だってそうだ」
「だい……き……」

 喘ぎながら、老人につられて名を呼ぶ。

「あの子はいい性玩具だね」

 男はうなずき、祥衛のくちびるをなぞる。
 そうされて祥衛は、自分が唾液を飲みこめずに垂らしていることに気づいた。

「いつも楽しませてくれて、サービス精神も旺盛だ」
「あぁ……あ……、あ……」

 せりあがってくる快楽に覆われてゆく。

「そのうち、おなじFAMILYの少年男娼どうし、大貴君とヤスエ君、同時指名させておくれ」

 怜に懸念されていた可能性を、さっそく請われる。
 近いうちに現実となるのだろう。
 祥衛が男娼になったことを、大貴が認めなくても。

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「どうだったー、鳴海さんは」

 FAMILYのビルに帰ると、駐車場に怜がいる。
 洗車を終えたところらしくブラシやバケツが出されており、コンクリートの地面は濡れていた。
 BMWはぴかぴかだ。

(俺も……今度、此処で洗車、しよう)

 ゼファーを停めて、怜の元に行く。

「……べつに…………」

 最初から最後まであの老人は紳士だった。
 だからこそ、祥衛の初夜に選ばれたのかもしれない。

「やさしいでしょ、あのおじいさん」

 怜は束ねていた髪をほどき、シュシュを指先で弄ぶ。
 地味なデザインだけれど明らかに女物だ。

「でさ、給料のことなんだけど、どうしよっか」
「……」
「まとめて月イチで渡したほうがいい? 日払い? 週払い?」
「…………週払いが、いい」

 ちょっと考えてから祥衛が答えると、怜はいつも通りの気さくさで「おっけ〜」と答える。

「もちろんFAMILYの取り分と、俺の取り分は抜くから、そこんとこヨロシクね。FAMILYに属すかたちで仕事をするんだし、俺はキミの管理者ってことになるから」

 祥衛はうなずく。
 当然のことだ。
 彼らがいなければ、祥衛は男娼になれなかったし、これからも出来ないだろう。

(はやく、いままで怜君に迷惑かけたぶんを、かせぎたい……)

 克己にも報告したほうがいいので、事務所に向かおうとすると、駐車場に車が入ってきた。
 黒塗りの高級車だったので、祥衛はぎょっとする。
 降りてきたのが大貴だったので、さらに驚いた。

「……おつかれっ」

 ダメージデニムにカットソーを着て、手首にスタッズを嵌めている、一学期の夜にコンビニで会ったような姿の大貴は、祥衛と目をあわせずに言う。
 やっぱり拗ねた表情だ。

「お帰り大貴くーん、上に薫子いるよー?」
「だから来たんだし」

 怜ともろくに会話せず、屋内に入っていってしまった。
 ベンツの運転席に、ワイシャツにタイをした中年男性を残して。

「俺にまでつんけんして、カワイイけどお仕置き決定だなぁ。なにしようかねぇ」

 怜は楽しそうだ。 

「祥衛、どうする? 俺は出かけるけど。キミが事務所行っても大貴君あんな調子だよ」
「……怜くんの家に、帰る」

 顔をあわせづらいから、祥衛は避けた。

「それもいいかもね〜」

 洗い立ての愛車に乗りこむ怜に、今夜の客にW指名の話をされたことは言えなかった。

「じゃあ、またね、祥衛」

 サングラスをかけた怜が、窓を開けて告げてくれる。
 祥衛は頷き、降りたばかりのゼファーにふたたび跨がった。
 夜闇の大通りに戻る。