体育祭

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 コンビニでタバコを1カートンと、カロリーメイトのプレーン味を2箱買った。
 ジャージ姿の祥衛は果たして成人に見えるのだろうか。
 祥衛自身はあまり見えないと思う。
 けれど年齢確認に興味のないコンビニ店員も多いので、今日もスムーズに煙草を買えた。
 ビニール袋を下げて夕方の路地を歩く。

(………あの車だ)

 FAMILYの駐車場に黒塗りのベンツが停まっていた。
 エンジンをかけたまま読書している運転手を横目に、祥衛はエントランスに入る。
 エレベーター前に立っていたのは、私服姿の大貴。
 その装いだと、年齢よりも大人びて見える。
 テーラードジャケットもネックレスも高価そうだ。
 上階へのボタンを押す人差し指にはVivienneWestwoodのゴツい指輪が光る。

(大貴はいつも……いい服を着ている……気がする)

 当然ながら大貴と目が合い、話しかけられた。

「ヤスエ……、あ……そっか、ここに住んでるんだよな」
「…………」

 祥衛はうなずく。

「今日も仕事?」
「……あぁ……」
「そっか。ムリすんなよ」

 大貴は微笑を作ってくれた。
 いつもどおり無表情で黙っているしかない自分が、相変わらずイヤになる祥衛だ。
 もうすこしだけでも愛想のいい対応がしたい、大貴には──そう感じる。

「俺もいまから仕事だよ。使いてー道具が事務所にあるから、取りにきたんだー」

 扉が開いて、ふたりで乗りこむ。
 そういえば大貴と顔をあわせたのはホテルで身体を重ねた夜以来だ。

「何階だっけ、ヤスエって」
「5階」

 大貴がボタンを押してくれる。

「そういえばー、がっこーのプリントあずかってるんだ。いま持ってねーから、こんど渡す」
「べつに……いい」

 上昇する空間のなかで、首を横に振る祥衛だった。

「だめだって。ちゃんと渡すよーに、先生にゆわれてるもん。つうかー、あさって体育祭だからヤスエもこいよっ」

 祥衛にはあまりにも無縁な行事だ。
 沈黙していると、すぐ5階に着く。

「あはは。じょうだんっ。じゃーな」

 祥衛は降りた。
 振りむくと、大貴は笑顔のまま軽く手を振ってくれていて、その手首にはコンビニの夜とおなじスタッズがやっぱりはまっていた。

「またなー」
「……」

 エレベーターの扉は閉まり、祥衛は前をむく。
 ジャージのポケットから鍵を出して、自室を解錠する。
 そういえば、最後に運動会に参加したのはいつだろう。
 薄暗い室内、ビニール袋を床に置いた。

(あまり……覚えてないな……) 

 昔の記憶は薄い。
 楽しいことなんてほとんどない日々だったから。

(よく……死なずにすんだ、と思う…………おばあちゃんが、まだ、生きてたから……なんとかなった)

 祖母が亡くなる前は質素でも食事にもありつけたし、服も買ってもらえて清潔な生活が出来ていたのだ。

(学校…………)

 ベッドに腰を下ろし、冷たい床に足を伸ばす。

(大貴は……俺が学校に行ったら、うれしいんだろうか……紫帆は……うれしがる、と思う)

 ほとんど袖を通していない中学校の制服は、引き払われた借家に放置したまま。
 あの家がどうなっているのか見に行っていないからわからなけれど、服なんてもう処分されている気がする。

(学校に……行くのか……? また、制服を用意してまで…………)

 自分がちゃんと登校する姿なんて想像出来ない。

(でも俺は……うまく話せないし、笑えないし、めいわくばかり、かけている気がする。だから、すこしは、紫帆や……大貴に……態度でしめしてみたほうが、いいのかも……しれない)

 ベッド横の窓から下を眺めると、黒いベンツが路地裏から大通りに向かうのが見えた。

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 秋晴れの空の下、祥衛はパーカーにデニム、ブーツという私服でゼファーに乗った。
 学校の近くの公園脇に停めて歩き、だんだんと校舎に近づくほど緊張を覚える。
 はじめて男娼の仕事をしたときよりも心細く不安で、歩調はのろのろと進まない。
 体育祭のにぎやかな歓声や音楽が大きく聞こえてくるにつれて、祥衛はやっぱり帰りたくなってきた。
 裏門近くまで来たとき、ついに足を止めてしまう。

(……どう……しようか……)

 やっぱり、自分はクズだと思う。
 おなじ年頃の子どもたちは当然として通っている場所に、交わることができないから。

(なんで、こんなに、苦手なんだ。もう……小学校とはちがうのに)

 中学に上がって、紫帆に言われてしぶしぶ登校したとき、昔あんなにいじめたりからかってきた男子たちは、髪を染めて伸ばし『不良』になった祥衛とは視線も合わせてこなかった。
 だからもう、怯えることも怖がることもないのに。

(見にきただけ……だけど、先生に会ったら、なにか言われるかもしれない……)

 注意されて長話をされたら、やっかいだ。

(……帰りたい。でも……ここまできて、引きかえすなんて。なんのために来たんだ……大貴や、紫帆に、態度でしめすって……思ったくせに……)

 こんなふうに路上でウジウジ悩む自分は嫌いだ。

「…………」

 パーカーのポケットからガラケーを取りだした。
 画面を開いて、通話履歴を見る。
 ホテルの夜の大貴との着信履歴を探った。
 息を飲み、半ばやけくそで通話ボタンを押す。

(……出なかったら、帰ろう。どうせ出ない……体育祭だから……ケータイなんて持ち歩いてない……)

 耳に当てて呼びだし音を聞く。
 ほら、出ない。
 帰ろう、と決めたときだった。

『……ヤスエ? どーしたんだよ』

(あ…………出た……)

 大貴の声になにも返せず、黙りこむ。

『おいっ、なんかあったのか?』 
「……いや……いま……」
『いま?』

 心配そうな声色に、祥衛は意を決し、伝える。

「…………体育祭を見ようと思って……」
『まじで!』

 耳元に響く声は嬉しげな様子に変わった。

『ほんとに? ヤスエが? 俺っ100メートル走は午前中に終わったんだけどー最後にもっかい出るんだリレーにー、もうすぐだから早く来いよ! まだ家っ?』
「……ちかくまで、来てる」
『うおぉおお! むかえにいく! どこにいるんだよ』

 祥衛はあたりを見回し、答えた。

「そばにプール、がある……体育倉庫、も見える」
『裏門のほうだな。待ってろ!』

 切れる通話。
 祥衛は耳から外したガラケーを眺める。
 大貴と落ちあえば、この緊張や不安感はほぐれるのだろうか。

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 どきどきしながらも佇んでいると、大貴は学校の敷地内からフェンスをよじのぼって現れたので、無表情の内心では驚いてしまった。

「とーちゃく、ヤスエー、うれしい! 俺!」

 飛び降りて校外の路上に着地する、ハーフパンツにTシャツといった学校指定の体操着姿をじっと凝視する。

「なー、なんで来る気になったんだよー」

 正門のほうに歩きだしながら、大貴はニコニコと嬉しそうに祥衛に問いかけてくる。
 祥衛は大貴のすこし後ろをついてゆきつつ、アスファルトに視線を落とした。

「……なんと、なく」

 うまく答えられず、結局ごまかしてしまう。

「あははっ。ぜってー来ねーと思ったから、強く誘わなかったんだけどー、すっげーうれしい!」
「…………」

 角を曲がり、だんだんと見えてきた正門には『体育祭』と書かれたボードが飾られている。
 大貴はスタスタと入ってしまうから、祥衛は躊躇いを覚えるヒマを与えられずに校内に入った。
 梅雨前以来の登校だ。
 日陰でだべっている生徒たちの視線が祥衛に刺さる。
「誰?」という声も小さく聞こえた。 

「薫子はぁー、保護者席にいるんだー」

 グラウンドに出ると探ってくるような視線はより顕著になり、陽光の下、祥衛はうつむいて、クリーム色のコンバースを履いた大貴の素足を見る。
 自分のブーツも目にはいったとき、いまさら、こんな格好で学校に着てよかったのだろうかとも感じて後悔した。
 だが、制服も、スニーカーすらも持っていない。

「そーだヤスエ、俺と薫子はー、学校では遠い親戚っていう設定になってるから、よろしくな」
「…………」

 祥衛は頷いたものの、よくわからなかった。
 大貴の家の事情や、薫子との関係は、まだあまり理解できていない。

「もっとイロイロ話してーな、ヤスエに……」

 大貴は頬を掻き、微笑う。

「こんどウチ遊びにこいよ。俺はぁ薫子のマンションに住んでるんだけど、こっちに引っ越してきたのは小5のときで、それまでは東京にいてー、それが実家なんだけどー……」

 テントの屋根の下に並んだパイプ椅子に、たくさんの大人たちが座っている。
 最後尾に黒い日傘を指した女性が座っていて、祥衛の目からもすぐに薫子だとわかった。

「薫子おねえちゃん!」

 大貴は駆けだし、薫子に背後から話しかけた。

「なぁなあ、ヤスエきたんだぜ」
「あら、まあ……こんにちは、祥衛くん」

 薫子は振りむき、頭をさげてくれる。
 祥衛もおじぎをし、大貴のかたわらに立ち止まった。

「プログラム貸してっ」

 薫子は手に持っていたオレンジ色のパンフレットを、大貴に渡す。
 大貴は笑顔で、祥衛にそれを見せてくれた。

「これっ。クラス対抗リレーに出るんだけどー、ジャンケンに負けてアンカーになっちまってー」

 大貴が指さすのは体育祭のラストを締めくくる種目だ。

「ぜったい勝てねー、となりのクラスのアンカー、陸上部のヤツだし!」
「……もー、ちょっとぉー、真堂くんっ!」

 若い女がこちらに歩いてきた。
 一応はジャージを着ているけれど、栗色の髪は巻かれてセットしてあり、ベージュピンクの爪は長く、あまり運動をするタイプの大人には見えない。

(どこかで……見たことのある顔だ……)

 思いだせない祥衛は、眉間に皺を寄せる。

「ちゃんと自分の席につきなさい。ここは保護者の方の席なのよぉ」
「うるっせーなー、俺はねぇちゃんと仲いいんだもん」

 大貴は拗ね顔になり、女は黒い日傘の薫子に気がつく。

「ああっ、真堂くんのお姉さん! どうもっ、担任の篠宮ですーっ」
「フフ……いつも大貴がお世話になっておりますわ……」

 上品な黒いブラウスに濃赤の口紅をした薫子と、教師というよりもきゃぴきゃぴした女子大生に見える篠宮の対比は『別世界の住人』といった様子で、並ぶとちょっと異様だった。

(ああ…………担任、か……)

 やっと何者かしっくりきた祥衛と、篠宮の目があう。
「ひゃぁあぁん!」と篠宮は妙な声を上げて祥衛の肩を揺さぶる。

「か、神山くん? 神山くんよねっ?」
「シノリン、ヘンな声だすなよ!」

 大貴は呆れた目で篠宮を見つつ、プログラムを薫子に返していた。

「うれしいいぃいい……神山くんが学校に来てくれたぁあ……良かったぁあ……!」

 やっと祥衛を開放してくれた篠宮は、今度は涙目になって感動している。
 そんな反応をされるとは思わなかった。
 先生に会ったら叱られる気しか、していなかったのに。

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 クラス対抗リレーはもうすぐ行われるらしく、大貴は篠宮に引っ張られていった。
 祥衛は薫子のとなりに残る。
 ひとまず学校に来ただけで許され、クラスの席に行けとは言われずに済んだ。

(……俺の席なんて、用意して、ないんだろうし……)

 グラウンドの向こう岸に並ぶ生徒席は、あまり視力の良くない祥衛からはかすんでよく見えない。
 だから、彼らがどんな顔で祥衛をうかがっているかがわからず、逆に良かった。
 薫子は薔薇の香りをさせ、姿勢よく前を向いている。
 学校という場所や、青空には似合わない佇まいだけれど、薫子本人は気にしていないようだ。

「祥衛くん……」

 ふと、薫子に話しかけられて祥衛は緊張する。
 並んで座っている状態に、いまさらながら戸惑ってしまう。

「いまは、困ったことはない?」

 尋ねられて、どきまぎしつつ、祥衛は首を横に振った。

「ない……です」
「本当かしら?」

 念を押すように尋ねられ、祥衛はうなずく。

「なにかあったら私にも言ってくれて構わないのだから」

 優しい言葉に、どう返したらいいかわからない。
 こんなとき、表情豊かな人間はどんな態度で、どんなセリフを口にするのだろう……

(むずかしい……、わからない。かんがえすぎ、なのか、俺が……)

「……大貴が貴方に対して、色々と、傷つけるような言動を取っていたでしょう」

 薫子は長い睫毛を伏せた。

「ぜんぜん……」

 祥衛は首を横に振る。

「そんなことは、なくて」
「きっと無理強いしたはずだわ。ホテルの夜も……ごめんなさいね」

(薫子さんは、ぜんぶ、知っているんだろうか……俺と……大貴がしたことも…………)

 薫子と大貴の関係性も、祥衛にはよくわからない。
 そもそも、どうしてふたりで、FAMILYに属しているのだろう。 

「あの……大貴は、悪くない……です。悪いのは……俺……」

 とりあえずぼそぼそと謝ろうとすると、きっぱり否定された。

「いいえ。祥衛くんも悪くないの。悪いのは、大人たちでしょう。子どもは親を選べない。生まれ落ちる環境も。歪んだ家に生まれたとき、自我を殺してお人形となるか、必死に抗うか、どちらかの道を選ばなければならないけれど……」
「…………」

 にぎわう校庭にはあまり似合わない話だ。
 次の競技はクラス対抗リレーだという放送が響く。
 最後の種目だからか、多くの生徒が席から立ちあがる。

「なんでもひとりで、背負いこまないで。貴方の抗いは、孤独なものじゃない。大貴も、私も、抗っているから」
「はい……」

 流れはじめる行進曲は派手でうるさい。
 けれど、祥衛の心に薫子の声は、かき消されずに染みてきた。

「あ、あの……、…が、がんばります……」

 なんとか、返事を伝えられた。
 薫子はクスっと微笑する。

「そろそろ、あの子の出番ね」

 ハンドバッグから、薫子はデジカメを取りだす。
 薔薇と十字架のチャームが下がっていて、それもまた薫子らしかった。