Fall Down

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 大貴を迎えにきたのは黒柳だった。長田が連絡したらしい。
 真堂家の執事をつとめる浅黒い肌に黒髪の美男は、大貴がこの部屋に来たときの格好──学生服と通学カバンの姿にさせると、手配していた車に大貴を乗せた。彼らしくそつなく無駄のない仕事ぶり。真堂家で暮らしているとき、黒柳の作業を眺めているだけでも楽しかったのを大貴は思いだす。
「……薫子おねえちゃんは……?」
 高級車のなかで、大貴は尋ねてみる。
「私は、峰野家のことまでは存じあげません」
「おねえちゃんはどこに行ったの? 長田は……おねえちゃんの運転手のひとは?」
「さあ……わかりかねます」
 黒柳はツンとしている。平素からこんな感じだった記憶もあるが、あまり機嫌はよくなさそうだ。
 隙を見せない彼に対し、大貴はほかの使用人に対してほど我儘を言ったり駄々をこねたりといった態度を取りづらい。そんな黒柳を崇史が迎えに寄越して来たということは従えという意味だろう。
「とりあえず、大貴さまは東京にお戻り下さい」
 やっぱり……と、大貴は思う。走る車、窓の外にはスパイラルタワー、ミッドランドスクエアといった駅前の高層ビル群が見えてきた。
「イヤだ……帰りたくない」
「おぼっちゃまのご意見は、お伺いしておりません」
「なんだよ、それ。俺はイヤだってゆってるだろ」
 ツインタワーの下にあるロータリーで車を降りる。日中の駅構内はざわついていて、人混みに溢れていた。黒柳によって大貴は通路を連れられてゆく。彼の足取りはまっすぐに新幹線乗り場に向かっている。本当に帰るんだと現実を認識すれば、大貴の憂鬱は深まってゆく。
 嫌々従って、改札をくぐっていた。グリーン車を手配されている。ほどなくして東京行きの車両が停まり、乗りこんだ。あーあ、動きだしたー……と、過ぎ去るホームを眺め、半ば呆然としてしまう。
「なにも、ずっとお住まいになれと申しあげているわけではなく、一時的措置でございます」
 不満いっぱいの大貴を見、黒柳は苦笑した。
「ホントかよ。信じられねー」
「少々、口調が粗雑になられたのではありませんか? だから私は反対したのです。庶民の、公立学校などに、大貴さまを放りこむなど……」
「丁寧に話せばいぃんだろ。じゃあ僕ってゆうよ、おまえの前では使ってやるよ!」
 大貴は脚を組み、窓際に頬杖をついた。黒柳はいよいよ呆れたように肩をすくめている。
「すぐお拗ねになるところは、お変わりないようですね、大貴さま」
「すねてないっ。おまえの言動に腹がたつだけだ」
「崇史さまの前でもふて腐れた態度を取っていらっしゃると、拷問椅子行きですよ」
 他の客も乗車している。それなのに平気でそんなことを言う黒柳に大貴は閉口してしまう。もう言葉を返さずに、流れる風景を眺め続けた。
 結局、ひさしぶりに執事と会ったのにもかかわらず、まともな会話も出来ないまま過ごしてしまう。東京までの時間をものすごく長く感じながら。

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 新幹線は品川駅で降りる。迎えに来ていた白いベンツに乗ると、23区でも郊外にある真堂家に向かった。喧騒を離れた閑静なエリアには真堂家の他にも邸宅が連なり、高級住宅街を形成している。
 到着すると、大貴は──ひさしぶりの自分の家を、なんだかむずがゆく感じる。懐かしいというか、照れくさいというか……黒い鉄柵の門、薔薇園、屋敷の外観、吹き抜けになったチェッカー模様の床が広がる玄関ホール。
 お帰りなさいませ、と家政婦たちに迎えられると嬉しかった。感動したのも事実だった。
 階段を上って、廊下を歩く。自分の部屋のノブを回すときも、むずがゆさは消えない。開ければだだっ広い空間はあの頃のまま。緑がかった青色の壁も、天井まで伸びた幾つもの窓も、ひとつだけある飾り窓も。マホガニーのテーブルも、ベッドも……
(僕のへやだ…………)
 掃除はきちんと行き届いている。大貴は不覚にも、すこしだけ泣いた。にじむ雫を指で押さえる。
 それを掻き消すように笑うと、ひとりで眠るのにはあまりに広すぎるベッドに飛びこんだ。すべてがとても懐かしい。眺める天井も。
 すこしだけならもっとはやく、此処に遊びにきてもよかったのでは、といまさら思った。帰るのがあんなに憂鬱だったのはまだ先程のこと。それなのに、来てしまえば拍子抜けするほど安堵できた。
 子ども部屋は専用のドレッシングルームと繋がっている。立ちあがった大貴は様子を伺うように扉を開ける。
 すると驚かされることになった。壁一面に作り付けられた棚には、いまの大貴の体格に合わせたらしい服が用意されているのだ。この家を出たころの、小学生のときの大貴の服はない。
「まじかよ……」
 驚きながらも、大貴は着替えることにする。タイミングを見計らったように、衣装部屋の扉がノックされた。だれ? と尋ねると、入ってきたのは執事だ。
「お見立てしたほうがよろしいでしょうか、大貴さま」
「自分でえらべるよ。てゆーか、これ……用意してくれたの……?」
「大貴さまはこの家の主でしょう。私服からSMプレイ用の一本鞭にいたるまで、お揃えしておくのは、当たり前でございます」
 彼の言葉にじぃんとする大貴は、また瞳をうるませてしまう。
「黒柳っ……」
 我慢できなくなって、大柄な彼に抱きついた。やっと素直になった大貴の亜麻色の髪を、黒柳はあやすように撫でてくれる。
「意地はって、帰ってこなくてごめんなさい。これからはー、ときどき、ホントにときどきだよっ……帰ってくる……」
「それは家政婦たちも喜びます。崇史さまも……」
「パパも……?」
 見上げると頷かれる。当然といわんばかりに。
「もちろんですとも」
 それでも大貴は怖かった。崇史に会ったら、ずっとこの家にいろ、と言われる気もするからだ。

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 FRED PERRYのポロシャツに袖を通し、黒いパンツを合わせた。長い間この家には帰ってきていないのに、サイズはすべて測ったようにぴったりだ。
 それから大貴は、真堂家で飼われているドーベルマン・ピンシェルのノエルとひさしぶりに遊んだり、リビングで紅茶とケーキを味わったりする。
 あっというまに日は暮れ、崇史は付きあいの会食を済ませてもうすぐ帰ってくるから──大貴のために用意されたカレーライスや、色とりどりなフルーツの盛り合わせを食べる夕食もそわそわと落ち着かない。
 食後すぐ「お帰りになりましたよ」と家政婦が教えにきてくれて、ダイニングから出る。どんなことを話せばいいのだろう、そもそも話を聞いてくれるのだろうか、不安を抱きつつ廊下を歩いてゆけば。
 黒柳にカバンを持たせた崇史と出会う。
 長身の黒柳よりもさらに高い背丈。顔だちは相変わらずに整っていて、もうすぐ四十を迎えるはずだけれど、年齢は衰えなどではなく、崇史の気品を増させているのみ。仕事のときは前髪を上げていることが多いから、そんな美しい顔だちは無防備なほどに露わで、大貴はどきりとしてしまう。
 崇史のことを……カッコいいと思っている。小さなころからずっと。
「…………」
 久しぶりに顔を合わせたのに、大貴はなにも言葉を発せない。おかえりなさいの一言も。
 ふ、と微笑ったのは崇史だ。
「……ついて来い」
 それだけ命じた。逆らうという発想はなく、大貴はうつむいて従う。黒柳と別れ、スーツ姿の崇史の後を歩き、当然のように書斎に行き、地下への螺旋階段を下りる。
 地下でされそうなことについて、ぼんやり大貴は憂う。複雑な心境を整理できずに一段、一段を降りてゆくと、最後の段差でつまづいた。バランスを崩してしまう。
「あ……!」
 転びそうになった大貴を抱きとめてくれたのは崇史だった。腕に支えられたとき、香った崇史のフレグランスは以前と変わらず、Penhaligon’sのもの。
「衰弱するほどの、監禁期間では無かったはずだがな」
 苦笑され、手を離された。やっぱり崇史はすべてを見通している。煉獄への入り口を解錠する背中に、大貴は弁解するように話した。
「パパ……その……、おねえちゃんのことを悪く思わないで。なにかに悩んでるみたいなんだ」
「不安なのだろう。こちら側に来ることが」
 こちらがわ? 首を傾げる大貴の前、大きな扉はゆっくり開く。
「お前を愛するということは、俺とおなじ世界に足を踏み入れるということなのだ」
「あいするって……」
 大貴の目の前で、崇史は扉の内側に足を踏み入れた。
「予測はしていた。令嬢は闇に惹かれながらも……まだ娘だ。さらなる真の闇に踏み入るのが怖い。裏世界に関わっていても、いざ自身が愛好するとなると、二の足を踏むのだろうな」
 そして崇史は振りむく。
「既存の価値観、倫理観、善悪の物差し。それらを『現在の人間どもに流行っているだけの一過性の流行』であると一笑に付せ、おのれの欲望を純然と追い求める常闇の求道者のみが抱ける悦楽の堕天使……それが、少年性玩具のお前だ」
 陰影に縁取られる、語る姿。
 大貴は息を飲む。
 このひとには逆らえない。そんな風にも思ってしまう。それは重ねられた躾のせいではなく、崇史自身が放つ暗黒の色香のせいだ。
 ……崇史は、付け足すように、優しく告げてもくれた。
「時の解決を待つこともできる。お前が大人になれば、所謂『非合法さ』は薄れるだろう」
「大人になるまで……おねえちゃんを待つなんて……ムリだよ、そんなん」
「だろうな」
 苦笑する崇史のそばに、大貴は歩み寄った。大貴も地下領域に入ってしまう。懐かしい、幽霊城の趣きが寒々しく広がっていた。此処に夏は届かない。
「とりあえず、しばらく休んでゆけ。疲れただろう」
「パパ……」
 崇史は大貴の顎に軽く触れた。そして背を屈めて口づけてくれる。大貴に逆らう気など起きない。
 鋼鉄の扉が閉ざされるのを背に、父親からの背徳の接吻を受けとめる。

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 石壁に囲まれた地下の寝室。シャンデリアの薄青い光も、蝋燭の香りも懐かしい。あまりに広すぎるベッドも……其処に倒された大貴は崇史との口づけをおかしくなるくらいに味わった。お互いの唾液は溢れるばかりで首筋まで汚し、呼吸はろくに出来なくて苦しい。
 それでも、大貴は拒まず、崇史もやめなかった。ジャケットを脱いだ崇史のシャツの背中に腕をまわして、薄目を開いてしまったり、ぎゅっと閉じたりしながら、激しいディープキスに酔いしれる。
「ッあ…………」
 涎の糸を引いて唇を離した。崇史はタイをゆるめ、ほどいてしまう。セットした前髪は中途半端に乱れて、顔だちに落ち、美貌を彩るアクセントになっている。
 ねそべったままの大貴はというと、呼吸を整えつつ、あまりにもいまさらなことに気づいた。
「俺……歯みがきしてないし、お風呂も入ってないけど、いいの……?」
「どうした。そんなことを気にする子だったか」
 崇史は切れ長の目を眇める。
「だって、ひさしぶりにするし」
「可愛い奴だ」
 大きな手に髪を触られる。そうされて、やっぱり崇史に頭を撫でてもらうのがいちばん好きだと感じた。
「……ほんとうはもっと早くに……パパに相談したかった。会いたかった……」
 じわじわと涙腺がにじむ。カッコ悪い。情けない。でも大貴はまだ子どもで、感情のままにこぼれ落ちてしまう。
「だけど……素直にゆったら、もうおねえちゃんと、住んじゃダメって。怒るかなって……」
「大貴が、本心から決めたことや選んだことに、パパが反対したことがあるか?」
 ない……、しゃくりあげて涙を擦り、大貴は答えた。
「けど、怖かった。ふあんだったんだ。それに、俺……パパに会ったら、ぜったい犯されて、俺はおかしくなるんだよ。イヤなんだよ。なのに、なのに……!」
 大貴は昂っていた。心底、欲していた。黒いパンツはもう穿いているのが苦しいほどだ。こんなものを脱ぎ捨てて、裸になって、求めあってしまいたい。
 崇史が欲しい。崇史に犯されたい。父親と息子で性交をするなんてと、嫌悪しているはずなのに。
 学校の友だちの家みたいな、ありふれた普通の親子関係を希求している。

 それなのに……

「……せっかく家を出たのに、おじさんたちに犯されない生活なんて、できなかった。さみしくて……自分でしても、全然足りなくて……イヤなのに。イヤなのに……ッ……! 俺の身体も、あたまも、めちゃくちゃにして、パパなんてだいきらいだ。嫌いだ、嫌いだー……!!!」
 泣きじゃくる大貴を、崇史は闇色の瞳で見ている。
 あぁ、憎い、大貴はしみじみと思った。
 崇史はとんでもない変態の加害者だ。法に裁かれれば間違いなく有罪で、もしもこの場で大貴が殺してしまっても、だれも崇史を憐れむことはない。憐みを受けるのは大貴だろう。
 しかし……崇史は法という領域に存在していない。超えてしまっている。恐れることもなく。
 それこそ、純然と。
「この屋敷を出る夜にも言ったはずだ。俺を恨め、それでお前が楽になれるのなら、幾らでも呪え」
 ずるい。ずるすぎる……大貴は涙を流しながら睨む。
 構わず崇史は大貴のベルトを外しにかかった。暴かれることを嬉しく思う大貴もいる。早くも感情はバラバラだ。心臓は早鐘を打つように鼓動を速め、嘔吐感もせり上がってくる。脱がされ、素足に指が触れ、下着も奪われれば喜びと絶望が混ざりあって大貴を襲った。大貴は両手で自らの頭を押さえる。
「取り返しつかなくなってから、恨めってゆうなよ! バカじゃねーの!! 」

 あぁああああああああ!!!!

 大貴は絶叫する。耳鳴りと頭痛。安定させることが出来ない。たまに掛け違えるときもあるけれど、ほとんどの夜はサーカスの曲芸師も驚くほどの絶妙かつおかしなバランスで、保ってみせる大貴の精神がまた……掛け違えた瞬間。バランスを見つけられない。
「お前ほど、愛らしいものを前にして、抑えられるわけがないだろう──!」
 歯を食いしばる大貴に、崇史も切なく表情を歪める。
 そして崇史も昂っていた。そろって欲情していながらも、噛みあわない。大貴は無理矢理に闇の価値観に引きずりこまれた生贄だからだ。

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「ひッ、いっ、イヤだぁあ──……」
 まるでなにかの罰のよう、繰り返し、貫かれる。裸身で覆いかぶされられて。
「やめてよ……、ヤダよぉおお、イヤだ──……!」
 大貴は叫び続ける。怖いほどの快楽。身体はこれ以上ないほどに歓喜し、悦びが止まらないのに、こころは壊れそうだ。
「やだ……イヤだ、助けて…………」
 力づくで体位を変えられて、好きなように撃ちこまれ、大貴はシーツの上で手を伸ばす。
「ママ……うっ、うー……、ふ……」
 勃起したペニスを擦られ、揺らされ、キスの数も幾度となく、どろどろと溶け落とされながら。
 ぐすぐすと泣いていた。泣きながら犯されることはよくあることだから、崇史は気にしてくれない。空調は心地よく管理されているはずなのに、滲む脂汗は止まらない。
 やがて大貴は吐瀉物を半開きの唇からドロドロと垂らす──立ちのぼる饐えた匂い。表情からは覇気が消え、がらんどうだった。空虚な瞳でまばたきも忘れ、絶望に打ちひしがれたまま尻孔を抉られている。
 大貴がベッドに嘔吐することもよくあったので、これも崇史は気に留めない。泣きすぎて、吐いてしまって、体液も分泌させて、身体じゅうの水分が奪われていった。
 ある瞬間、崇史の手が背後から伸びてきて、頬をなぞられた。崇史は汚れることも気にしていない。大貴の唇を愛撫し、打ちこみ続けるだけ。 
「痛い……」
 大貴は呆然と言った。撫でられながら。
「どこが痛い……?」
 めずらしく気にかけてくれたから、からっぽな闇の瞳を閉じる。
「ケツんなか……」
「監禁で、随分と手酷く扱われたようだな」
 苦笑され、大貴はムッとした。瞼を明けるとすこしだけ瞳に光が戻り、汚れまみれの口許を拭う。
「笑いごとじゃねーし……ふざけんなってかんじ……ッ、ンっ……」
 身体のなかでペニスが踊る。腰をくねらされると、傷ついた部位に当たることもあるし、より一層の快感も混ざったりする。
 崇史は大貴の胸に手を回して起き上がらせた。いままで足を向けていたほうに頭を倒される。広すぎるベッドはいくらでもスペースがあって、そこはまだ汚れていない。
「そんな扱いをさせるため、令嬢にお前の首輪の鎖を預けたわけではないのだが」
 剥がれた結合。ただでさえ傷んでいたのに、崇史の大きなモノで抜き差しされたからひりひりして、摩擦で熱い。抜かれてもなにかハメられているような感覚は続く。
「……おねえちゃんのこと、怒らないで……」
 薫子を庇うばかりの大貴に、崇史は頷いてくれる。
「分かっている」
「ほんと……?」
 被さられながら、大貴は安心する。
 瞼を擦って涙も拭いた。
 なんだか、嫌だ嫌だと叫んだ喉も痛くなってしまって、怒るのに疲れた……だから呆れるように、すこしずつ落ちついてきている。
 落ちつくと、体温に愛おしさを感じて、幸せも覚える……幸せは、崇史がまた大貴の腿を割り広げてその楔を沈ませてくる痛みにも生じる。
「……ン……ぅ……パパ……」
 痛みはずっと絶え間ない。けれど苦痛をも包み込むような生ぬるい、波間をたゆたう快楽が、大貴を甘く蝕みはじめた。勃起し続けている性器はぐちゃぐちゃにとろけ、精液と先走りの境さえわからなくなるほどに、されてゆく。

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 ひどく汚したシーツを執事が替えているから、大貴は隣接するバスルームにいた。猫足のバスタブには執事によって湯も貼られている。けれどタイルに座りこみ、シャワーの飛沫を雨のように浴びているのが心地いい。崇史も座ってくれて、手のひらでお湯をすくい、大貴に飲ませてくれる。なめらかなお湯で癒され、大貴は崇史の身体に腕を回した。
「きょうは……黒柳も誘うの……?」
 尋ねてみる大貴は、意識せず上目遣いになる。客の前ではさまざまに趣向を凝らして演じるけれど、崇史の前で演技をしたことはない。
「あれのも、欲しいのか」
「ううん……パパとふたりきりがいい」
 崇史はなにも言わない。だから、きっと自分とおなじ気持ちなのだと思い、大貴は安らぐ。満たされている。大貴もいまは常識の世界を離れ、闇のなかに落ちてきていた。
「僕は……わすれたことなんてなかった。わすれられなかった。ずっとちゃんと自覚してるよ、パパの性玩具なんだって……」
 こんなことを言ったら、崇史は嬉しいだろうな、と感じる。喜ばせるためにわざと言っているわけではない。大貴は素で話している。崇史は聞いてくれていた。
「だけど……性玩具の僕だけど、薫子おねえちゃんのことがだいすきなんだ。どうしたらいいのか、わかんないくらい……でも、僕じゃまだ、おねえちゃんをしあわせにできないのかな。どうしたら、おねえちゃんに笑ってもらえるんだろう……」
「成長したな」
 間近にある崇史は、感慨深げに目を細めた。すこしだけ寂しそうな顔でもあった。
「成長?」
「令嬢のそばにいたい、そればかりだった。昔のお前は」
 そして崇史は色々と思いだしているようだ。
「ううん、ちゃんとー、守りたいとも思ってたもん」
 大貴は言い返す。そうだ。守りたかったのだ。手首に傷を作り、孤独だった少女のころの薫子を。
「でも実際は……ずうっと俺のほうが守ってもらってた。いっしょに住んでくれて、ごはんも作ってくれて、男娼の仕事ができるようになったのも、おねえちゃんのおかげで……」
 情けないよ。大貴は呟き、唇を尖らせる。崇史はその口にそっとキスをしてくれた、すぐに離れたけれど。
「お前はまだ庇護されていい歳だろう」
「そうかも、しれないけどー…………」
「俺の……パパのところにも、いつでも戻ってきて良い。ずっと居ろとも言わん……」
 崇史がタイルに手をついたので、そのぶん空間が出来る。シャワーの雨に当たりながら、大貴は崇史をまじまじと見てしまった。
「ただ、その度にお前を泣かせてしまうだろう。苦しい思いもさせるだろうな」
「……そんなこと宣告するかよ。ふつー……!」
 大貴は吹きだしてしまった。あははっ、と声を出して。……やっと笑えた。崇史の指先が大貴の目元に伸ばされる。先ほどまでさんざん泣きじゃくっていたので、腫れてしまうかも知れない。
「──パパはお前を傷つけるばかりだが」
 ふと、なぞられる輪郭。指先は探るように大貴の顔だちだけでなく、身体のラインをもたどる。癒えて薄い昔の折檻痕にも触れた。
「お前を支えてやりたいとも思っているのも事実だ。今回みたいに、大事になるまで自分のなかに閉じこめるくらいなら、パパに相談しなさい」
「うん……そうする」
「お前を、頭ごなしに否定することはない」
 父親の愛情を感じて、大貴はなんだか、嫌がって泣いてしまったさきほどとは違う意味でじわじわ泣きそうになった。昼間、黒柳に抱きついてしまったときみたいに。瞳の奥が熱くなる。
「心配させてごめん、パパ……」
 返事のかわりに頭を撫でられる。優しく。大貴は崇史の胸元に口づけ、そのまま肌を密接させた。性行為と、平常との境はない。

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 嫌がるのにも疲れて、泣き叫ぶこともなくなった、吹っ切れた大貴は素晴らしい生き物に変容する。なめらかに腰を振り、甘やかに喘ぎ、自分から求めもした。大貴が自分の魅力に気づくことはない。むしろ、一生、呪いつづけるのだろう。
「あぁあ…………パパぁ…………」
 崇史に跨って腰を振るう姿は、あさましい堕天使だった。尻穴は潤滑剤のせいだけでなくぬめり、潤っていた。大貴自身が滲ませた腸液は愛液にも似て、全身で感じきっている。
「はぁ、はァ、あぁ、はッ」
 熟れきった尻穴に迎え入れたり、ずるりと抜いたりを繰りかえす。そうしながら、大貴は崇史を見つめていた。崇史も大貴を見つめている。あまりにも瓦解した父子関係は、歪みを超越し、堕落しきったところでやっと調和する。
「あー……ッ、こすれる……」
 両手で腰を掴まれて、ぎりぎりに抜けかける。それから再び腫れた蕾に亀頭の形から抉られると、大貴は「ひぁあああッ」と歓喜からの悲鳴をあげてしまう。変声期にさしかかっている、かすれた喘ぎは、いましか味わえない少年の声。
「あ……、あぁ……!」
 すべてをはめこまれたとき、大貴のペニスからは一筋の雫が流れ落ちた。絶頂のはずなのだが、もう白色は薄く、液量も少ない。それをこぼしながらも大貴は悲壮にも似た顔で崇史を見つめつづける。躾られた作法を、懸命に行おうとしているのだが、うまくできない。達するときは瞳をあわせるだけでなく、気持ちいいことを告げなければいけないのに開いた唇は震えるだけで、その瞬間まで登りつめてしまった。
「教えたことを守れなかったな」
 崇史は微笑し、しゅんとする大貴の喉をなぞる。大貴はずっと快楽のなかにいるから、射精の余韻と、平常の違いさえもなくなっていた。
「……めんなさい……」
「あたらしい首輪を与えてやろう。成長したお前に相応しいものをデザインしてやる」
「ほんと……うれしい…………」
 思いついたように言う崇史に、大貴も微笑む。小さな粗相ではあったけれど、咎められなかったことにもホッとした。お仕置きはいつも崇史の気紛れではじまるからだ。
「じゃあ、またコスチュームもつくって。プレイ用のっ……僕がすきそうな服だよ……おねがい」
 藝術家でもある崇史に頼んでみる。抱きしめながら。断るはずがないと確信していて請う大貴は小悪魔でしかない。大貴自身は意識していなくとも。
 もちろん、崇史は頷く。
「大貴に似合う、ラテックスの衣装を作ってやろう」
「あははっ。パパだいすき……すき……ぎゅってして……」
 大貴の髪を撫でてから、大貴の希みどおりに抱きしめかえしてくれる。
 大貴はいま、痛いほどに幸せだ。後孔には崇史の感触もはまったまま。崇史は凌辱者で、下劣なほど狂っているけれど……息子を愛してくれる父親には、変わりなかった。