Funeral

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 大貴を蹂躙した男たちは満足して帰っていった。
 ひとり、大貴は寝転がっている。汚れきったシーツに手足を投げだして。身体じゅうがべとついて不快だ。尻穴の奥には何発も中出しされていて、収縮性を失った入り口からトロトロと溢れてくる。それがまた太腿やシーツを汚してゆくのも不快でしかない。
 半ば呆然として、虚ろな表情で天井を眺めていた。こうやってぼおっとしていると、掻き乱されていた精神がすこしずつ落ちついてくる。
 ずいぶんと鎮静したから、歯を食いしばって腕で起きあがり、視線を彷徨わせた。リビングの明かりは煌々とついているけれど、玄関のほうは真っ暗。
 もう、夜なのだろうか。
 大貴はひさしぶりに素足をフローリングにつけた。
 そのまま廊下を歩いてゆくと、壁にスイッチを見つける。指先で押してみれば明るくなり、洗面所や浴室が照らされる。
 お湯は出るのかすこし不安だったけれど、いろいろと操作してみれば出せた。
 シャワーを浴びれば……癒やされた。
 やっと、ホッとできた。
 目を閉じて降りそそぐお湯のなかにいると、まるでいままでずっと水のない砂漠をさまよい歩いていた身から助けてもらえたような、そんな心地にもなる。
 風呂場にはボディーソープやシャンプーも揃えられていて、洗い終えたころにくる吐き気。
 口を抑えて崩れ落ちる。
 せっかくの石鹸の香りをぶち壊す、吐瀉物の匂い。逆流が止まらない。吐くものはあまりなくて、胃液ばかりが排水口に流れた。
 気持ち悪い…………
(でも、俺はまだ、だいじょうぶ……)
 口を拭う。小学五年生の初夏、あのときのほうがヘンになりそうだった。どうにかなりそうなくらいに頭が痛くて苦しくて、感情の起伏がおかしかった。
 学校も休んでずっと部屋にこもっていたし、食欲もなかったけれど。
 いまはちゃんと空腹を感じている。閉じこもっていたいわけでもない。
 薫子の横暴さに、影響を受けてしまって揺さぶられても……それでもなんとか大貴の精神は、バランスを保とうとしている。かろうじての均衡。
(俺はだいじょうぶだよ。でも、薫子おねえちゃんは、なにがあったの……?)
 悲しい。察せないことが。いっしょに住んでいたのに。こんなにも近くにいるのに、わからない。
 おかしくなってしまった薫子を助けたい。従う『いい子』では救えないなら、どうすればいい?
 力になりたいのに──
 息を吐いてから、シャワーを止める。
 扉を開ければ、バスタオルと新品の下着が置いてあった。薫子おねえちゃんが? と思って嬉しくなったのも束の間、用意してくれたのは長田らしい。身につけてリビングに行ってから、部屋にいる彼を見てそれが分かり、大貴はげんなりしてしまう。ベッドを清潔に整えてくれたのも長田の仕事だろう。キッチンのカウンターにはデリバリーのピザと缶コーラがある。
「なぁんだ、おまえかー……つーかこれ食っていいの?」
 タオルで髪を拭きつつ、たたずむ長田に問いかけた。
 椅子はないから、立ったまま食べなくてはいけない。
「大貴くん、きみは一度、ご実家に戻ったほうがいい」
 長田は紙製の蓋を開けてくれる。美味しそうなベーコンやトマト、チーズの彩りと匂い。食欲をそそられながらも大貴は即答した。
「はー……なにゆってんだよ。ぜってーヤだ」
「いまのお嬢さまは狂っていらっしゃる。なにか、お嬢さまなりのお考えがあるようだけれど」
「……長田にもわかんねーの? いただきまぁす」
 ピザを手にとる大貴に、長田はすこしうなだれた。
 おいしい!と大貴は声をあげる。吐いてすぐだけれど食は進む。
「お嬢さまも大貴くんも壊れてしまったら……」
「俺はヘーキだよ。おねえちゃんのことも、なんとかしてみせる」
 気丈に告げると、長田は悲しげな苦笑を見せる。長田もそんな顔ができるんだ、と咀嚼しながら思う大貴だった。

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 部屋から出されることはない。知らない男たちがかわるがわる客として招かれ、大貴はおなじベッドの上で、ひたすら股を割り開き、肛門に受け入れる。そればかり繰り返していれば尻穴は当然傷んで、身体は疲弊する。快楽を感じても違和感や痛みはずっと消えないようになった。
 ……けれど大貴はこんな辛さにも慣れている。赤く腫れた蕾を自ら弄り、淫乱な少年男娼となって誘った。
 ときには座ったまま。ときには四つん這いの尻を突きだして。ペニスを振って「ぶちこんで犯して」「ココにいれて、中出ししてぇ」と、ねだる。
 薫子が客を連れてくる、それに対してどうすればいいのか『正解』がわからぬまま、いままでの自分らしい対処を続けてしまっていた。
 セックスを薫子に眺められている時間もある。ぐちゃぐちゃ抜き差しされる粘膜を間近で鑑賞されるのは、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしく、淫乱な少年ぶっている演技がほころびそうになった。
 いまも初対面の男に両足を抱えこまれ、腰をゆさぶられて大貴も振るい、恥毛のない性器を踊らせ、しかも薫子に眺められている羞恥からずっと完全に芯を入れてしまったまま保つ。
「あッ、あーっ、あっ、あぁぅ……ヤダぁあ……」
(おねえちゃんが、俺を、見てる……!)
 黒いブラウスにパニエで膨らませたスカート、そんないつもの闇色の上品な姿で。 
「女王さま、このガキ、スゴイですね!」
 素で恥じらっている大貴の腰骨を掴み、男は嬉しそうに言う。客の笑顔を見れると大貴も嬉しい。満足してもらえているならよかった。でも、薫子おねえちゃんは、どうなんだろうか。
(満足……? こんな俺で……)
 揺れながらちらりと目線を投げかける。
 わからない。薫子の黒い瞳がなにを思っているのか。
 あまり機嫌は良くなさそうだ。相変わらず……
(どうして……どうすればいいんだろう……考えなきゃ)
「腰つきもスゲーし、肌もすべっすべだ、おまけにこの歳で、インランの男好きだもんなぁ」
「ン、スキだよ……、男ズキのヘンタイだしっ、おちんちんっ生ハメしてもらえて、サイコー……」
 大貴は微笑をつくってみせて、肛門を締めつける。足の踵で背中をなぞった。そうしながらもずっと考えている。薫子に心から笑ってもらう方法を。
「だろうな、掘られてんのにこんなにおっ勃ててんだもんな。しかしデケェなァ」
「こすったらヤだ、イキそうになるぅ……」
「イッちまえよ、性玩具」
「……あぁあ……だめ…………」
(おねえちゃん…………どうすればいいの?)
 快感が強くなると、考えごとができなくなる。大貴を包みこんでゆく絶頂。
「ひ……っ、あぁ……はずかしいいぃ……」
 犯されて達するところまで薫子に見られてしまう──
 セックスの最中いつも薫子のことを妄想してきた大貴は、本物の薫子に鑑賞されている現実に信じがたい悦びを感じた。自慰を見せたときよりも強い、羞恥と恍惚。
 小さなころから調教されて、性玩具として生きてきたのに。まだ経験したことのない昂ぶりや、快感があったなんて……そんなことを思うほど、驚くほどの熱を覚えた。
 もしも薫子が不機嫌ではなくて、好意的に視姦してくれているのなら、もっと気持ちよさそうだ。
「いぁあああッ、イクぅう……!!」
 ギュッと目を閉じた。頬を染めたまま。絶頂の瞬間はしっかりと大人の顔を見ていなさい。そう躾けられているのに、掟を守れないほどに大貴の素がこぼれ落ちた。妙な姿勢で震え、白濁を飛ばす。

 此処にいるのは妄想の薫子おねえちゃんじゃない。本当にこんなのを見られているんだ──

「……はぁ……すき、すきだよ…………」
(おねえちゃん……)
 大貴は興奮している。息を切らせて薄目を開けると、腕を組んで立つ壁際の姿がある。
(…………こんなんで、いいのかな……俺、うまく仕事できてるのかな……?)
 薫子の気持ちを探りたくて様子を伺う。けれど体位を変えられ、男の抜き差しは再開される。達したばかりということも配慮してもらえない。性欲処理用の存在に気遣いなんてあまりされないから、当然の使われかただ。
「あッ、あっ、うー……、やぁああっ、すごいぃい……、ヘンになっちゃうよおぉお……」
 薫子に背を向ける体勢になってしまうのはイヤだと思った。客が喜びそうな喘ぎの演技をしながら。
 なにも言わない、ただ佇んでいるだけの薫子だから、せめてその表情からなにかを知りたいのに。

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 薫子とふたりきりになれた時間もあった。全裸を見られることにもすこしばかり慣れて、赤面することなく横たわる大貴の傍ら、ベッドに薫子が腰かけてくる。
 Na+hの黒いワンピースに、ブーツを穿いた姿で。
「この傷はどうしたの?」
 ケインで太腿の付け根をなぞられる。そうされながら、叩かれないかな、と少しばかり怯える大貴の意識もあった。本当は薫子の長い爪でなぞられてみたい。
「ねえ、尋ねているでしょう?」
「……これ……ゆってなかったっけ……」
 薫子が漂わせる薔薇の香りに安らぎながら、大貴は意外に思う。そうか、普段の下着や、プレイの衣装として好んで穿くショートパンツにも隠れてしまっているからか、と気づいた。性器に近い位置にある傷だから、薫子に見える機会はそれほど多くなかった。
「教えて……どんなときに、どんなふうに傷つけられたの……?」
「地下にしのびこんだからだよ。パパにないしょで……だから叱られて、お仕置きされちゃった」
 大貴ははにかむ。自分でも傷をなぞってみた。
「すっげー怒られて、拘束台に身動きとれなくされて、火であぶった棒を押しつけられた。肉が焦げるのが自分でもわかったんだぜ。痛かったー」
 打ち明けると、一瞬、薫子は表情を痛ましげに歪めた。……ようにも見えたが、本当にかすかな間だったので、大貴の勘違いだったかも知れない。
「けどー、これは俺も気にいってる傷だもん。えへへ。この夜にパパと約束したんだよっ。パパも、俺の『聖域』には手出ししないって……」
 ひさしぶりに薫子とちゃんと話せている気がして大貴は嬉しい。甘えるように薫子のそばで身体を丸めてみた。換えられたばかりのシーツも気持ちいいし、ずっとこんな時間が続けばいいのにと思う……
「……じゃあ、この傷は?」
 薫子はケインで、次に大貴の足首をつついてくる。
 輪を描くようにして幾重もの古傷があった。それは大貴の気にいっていない傷だから、唇が自然と尖る。
「あー、これはー、小さいとき、ときどき足枷つけられてたからだよ。裸足にー、鉄のみがいてないザラザラしたヤツつけられると、こすれてケガするんだ。はらたつ!」
「そう……痛かった?」
「痛てーよっ。ケガなおってもまた嵌められると、こすれるし……そんなのつけられてるのに、ウロウロする俺も悪いけど、じっとなんてしてられねーもん」
 思いだすと笑えてきた。地下を徘徊してはイタズラをしてよく怒られた。ノエルやちせがいっしょのときもあって、そんなときはもっと楽しかった。
「あはははっ! ……そーいえば、バク転の練習もしたことあるんだよ、足枷つけられてるのに! 切れて血がバーって出てやめたー、すげーあせった」
 大貴は身体を起こす。喉が渇いたからなにか飲みたい。
「おねえちゃん、なんか飲むものちょうだ……」
「はじめてパパに抱かれたのはいつ?」
 薫子は大貴に投げつける、そんな残酷な質問も。

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「え……」
 身じろぐ大貴を薫子は急かす。
「言いなさい。私に……はやく……!」
「ちょ……待てよっ。俺、わかんねーもん……そんなことゆわれても……」
「わからない? どういうこと?」
「あんまり、おぼえてないってゆうか……」
 大貴は表情を歪ませる。額に手を当てて。
「思いだそうとしても、霧がかかったみたいってゆーか、おかしいんだよ。ぜんぜん、出てこない……」
 常々、自分でも気になっているのだ、記憶に欠落した部分があることには。初めて犯された記憶は、そんな欠損のひとつだった。身に覚えがないほど、大貴から抜け落ちている。小さな頃だから覚えていないというのとは違った。
「思いだしなさいよ…………」
 問われるから、大貴は瞼を閉じてみた。
 探ろうと試みる。
 闇しか見えない。
 大貴の潜在意識は大貴を守るために、あまりにも残虐な記憶については隠蔽してしまう。
 いつものように諦めて、ゆっくりと目を開いてみれば軽い目眩を覚えた。
「なんでそんなこと知りたいの……?」
 今度は、大貴が尋ねた。薫子は大貴を見ようとしない。きつくアイラインを引いた、綺麗な横顔だけが大貴のそばにある。
「知りたい訳ではないわ」
「じゃあなんで、聞くの?」
「……貴方を苦しめたいからよ……」
「俺を……くるしめる? なにそれ……」
「私のほうが不快になる話しよ。さっきから、ふつうに話して……笑ってもみせて。貴方、どういう神経してるのよッ!」
 薫子は立ちあがった。どうして怒りだしたのかわからずに大貴はただ困惑するばかりだ。
「ご、ごめん。薫子おねえちゃん……」
「貴方をこんなにも苦しめて、傷つける私なんて、はやく、嫌いになっておしまいなさい!!」
 ヒステリーに叫ばれる。大貴はまっすぐに薫子を見つめて心のままに告げる。
「ムリだよ。薫子おねえちゃんのこと、だいすきだもん。ずっと、ずーっと、なにがあっても」
 伝えると、この部屋から去ってゆこうとする薫子の後ろ姿がビクリと止まる。
「おねえちゃん、俺……帰りたい。もう、やめよーぜ、こんな部屋で……」
 薫子は振り向かないままで返事をする。
「帰りたい? どこへ……?」
「うちに決まってるじゃん……」
「……貴方のご実家?」
 大貴は首を横に振った。薫子には見えていないけれど。
「俺とおねえちゃんがすんでる家だよ。あのマンションにいっしょに帰ろ」
 薫子はなにも言わない。そのまま去っていってしまったが、すぐにドアが開き、投げ入れられた物音がした。大貴は立ちあがり、裸のままで玄関に行くとペットボトルのミネラルウォーターが転がっている。
 薫子はちゃんと、大貴の訴えを聞いてくれていた。
 大貴は冷えた水を喉に流しこみながらも、相変わらずに不可解だった。薫子はいったい、なにに怯えているのだろう。そう、大貴には彼女が怯えているように感じられたのだった。

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 シャワーを浴びて、食事をして、爪をみがいて、怠惰な眠りを貪る。目覚めると知らない男とセックスをする。鳥カゴのなかで飼われているような時間は淡々と続き、大貴はもう連れて来られた当初のように、ひどく錯乱したりもしない。いまも客たちの相手をしていた。
 同時に複数の男を満たすのは、それなりに重労働だ。休憩がない。代わる代わるに尻穴を抉られ、フェラチオもずっとしていなければいけないときがある。まさにそんな奉仕の最中、大貴は後ろから腰をつかまれて抜き差しされながらも、別の男のモノを口に含む。
(あごがつかれたなー、もう、ホントかえりてーな)
 瞼を伏せて激しく吸いつく。口を窄めて抜き差しすれば、大きな手に頭を押さえられる。あまり好きな押さえられかたではない。コイツ、きらい。と判断する。それでも仕事は確実にこなす。
 またちがう男の手が、大貴の乳首をつまんだ。感じさせようとしているらしく、やわらかく転がされる。寒気にも近い刺激ははしるけれど、ざんねんでした、と大貴は思うのだった。僕はそこはあまり性感帯じゃない。
「はぁ…………」
 息継ぎをする。ペニスを握りしめつつも、だらだら涎を垂らした顔を上げる。前髪を掻きあげるとまたすぐに体勢を戻した。ふたたび口の奉仕に戻る。緩急をつけるため飲みこむことはせず、舌先でちろちろと刺激する、鼻で息をしながら。胸を触っていた手は、大貴の顎を撫でてきた。まるでペットの犬や猫にするかのように。
 さっきみたいに髪を押さえつけられるよりは、まだそうされるほうがいい。
 単調なピストンも停止し、身体のなかに熱いほとばしりを感じた。射精している男はなにごとかを叫んでいる。気持ちがいいとか、そんな類の言葉だ。興味をもてずに大貴はあまり意識をそちらに向けていない。ただ、達する瞬間はアナルを強く締めつけてやり、快楽を助長してやる。
(どうせ、今日だけの相手だし………)
 事細かにプロフィールや、プレイの嗜好を覚える必要はない。ふだんの男娼業の客なら、それらをメモしておく。性的なことには関係のない事柄も──職業はもちろんだし、趣味や、好きな食べ物、家族構成、雑談した内容にいたるまで。
 得た情報はルーズリーフのノートにまとめていた。小学生のときからの情報を引き継いでいるのでもう五冊目だ。FAMILYで経理も務める克己のようにすべてをPC管理したほうが現代の男娼らしくてカッコいいなと憧れるけれど、幼いころは絵日記に客のことも描いていたから、その流れで自然と大貴の顧客管理はアナログだ。スケジュールをスマートフォンに入れている他は。
 絵日記をはじめたきっかけは、母親と交換日記をしていたから。思いだして大貴は薄笑む。会いたい……いつだってそう思っている。ママに会いたい。もう、彼女はこの世にいないけれど。
(ママとお話ししたいな……ひさしぶりに、実家にかえろうかな。それもいいのかな。長田だって、そうしろって言ってた……)
 フェラチオの激しさを再開し、喉奥まで飲みこんだ。白濁を滴らせる後孔はというと、ちがう男に受け渡される。なにやってんだろ、と大貴は思う。こんなセックスは……仕事でもなんでもない。なんのためのセックスなのか、よくわからなかった。薫子は強いることによってなにを求めているのだろう。わからないままだから、相談してしまいたいのがとっくに以前からの本音だ。
(またママにたよるの? あのピアノのしたにもぐりこんで……中学生なのに、かっこわるい……)
 両親に頼りたい気持ちと、意地を張っていたい気持ちが同居して、自分の気持ちもよくわからなかった。わからないとまた頭痛がする。胃の違和感もぶりかえす。

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 ある朝、夢から醒めると薫子がいた。ベッドの片隅にステンレスのトレイが置いてあり、なにかがたくさん盛られている。寝ぼけつつも起きあがった大貴は、それが医療用の注射針であることに気づいてギョッとする。
 薫子の黒いブラウスはハイネックのパフスリーブ。長い髪はひとつに纏められていた。どんな装いをしていてもゴシックな気品が漂う、それが薫子だ。
「おはよう……、おねえちゃん……」
 麗しい薫子に、おそるおそる言ってみるけれど、表情は固いままで動かなかった。棺桶の形をしたピアスだけ両耳で揺れる。
「……今日は、なにするの?」
 意図的にトレイは見ないようにして尋ねた。薫子は冷ややかに告げる。
「完璧に作られた性玩具の少年に、NGプレイなんて似合わないわ。なんでもするくせに……なんでも、大人の欲望を叶えてみせるくせに……」
 個包装されている針を一本、開封される。目の前で。
「信じらんねえ! 俺、起きたばっかりなのに……ヤだ!」
「関係ないでしょ。おじさまたちには、寝起きでも抱かれていたじゃない」
 尖った針が大貴を向く。大貴は顔を歪め、逃れようとした。けれど手首を掴まれる。
「さ、克服しなさい。快楽が欲しいのなら、自慰をゆるしてあげるわ。アナルバイブだって使っていいのよ」
「やだ、イヤだ、やめろよ!」
 大貴は力をこめて、薫子を剥がした。薫子に対してそんなにも強い力を使ったのははじめてで、引き剥がせたことに大貴自身も驚く。薫子も、すこしだけ目を見開いた。
「……針はきらい。刺すほうならまだいいけど、されるのはホントに……やめてほしい……」
 大貴は肩を落とす。すると薫子は無表情のまま目の前でトレイごと床に放った。ガシャアァ、とひどい音が響く。普段の薫子とはすっかりかけ離れたそんな動作に大貴は悲しくなってしまう。
 なんだか、どんどん、おかしくなっている気がする。
 この部屋に連れられてきたときよりも。空気の不均衡さ。薫子の雰囲気。自分と、薫子の関係。どんどん妙になってひずんでいる。
(どうしよう……こんなに、おねえちゃんのことすきなのに、どうしたらいいの?)
 辛くなる大貴に薫子は尋ねてくる。先日のように。
「なぜ? そんなにも嫌なの?」
「……それは……」
 また答えなければいけない。大貴は憂鬱を感じながら、口を開く。記憶の詳細はいつもの靄(もや)にかかっているけれど、初めて犯された出来事よりはまだ闇は薄かった。だから、わかる範囲で話す。
「小さいころ、よく、注射とか点滴されてたから……それをされると、俺の身体は……おかしくなるんだよ……副作用で、気持ちわるくなる注射もあって……。俺に吐きグセがついたのは、たぶん、そのせい……」
 だから注射や点滴をされることはいまでもキライだし、連想させる針もキライだ。大貴は目を伏せた。
「気持ちわるくなってたのは、たぶん、ホルモンの薬だと思う。ヤだったなー……」

 大貴は仄闇に目を凝らす。



 あぁ、暗室だ
 地下の
 幽霊城のような
 肌寒い空気
 揺れる時計の振り子
 泣き叫ぶ少年
 ばたつかせる半ズボンの足
 それを押さえつける執事たちの腕
 悲鳴
 あまりにもうるさくするから、頬を叩かれた
 痛い針
 注入される薬剤
 時計の振り子はずっと揺れている
 身体を縮こませた
 膝を抱えてすすり泣く
 舞い降りる吐き気
 嘔吐を繰り返す
 お気にいりのブラウスを汚してしまった
 …………



「……それで……俺をおさえつけて、無理やり……」
 思いだしながら、大貴はゆっくりと瞼を開く。すると薫子の様子がいっそうおかしい。
「薫子おねえちゃん?」
「……もう……やめて……」
 掻き消えそうなくらい、小さな声が言った。
 薫子は震えている。黒いマニキュアの塗られた美しい指で顔を覆ってしまっていた。
 突然の薫子の変化に、大貴は首を傾げる。
「やめて……そんな話しないで頂戴。もう……お願いよ。そんな悲しい話……しないで……」
「ごめん、もうしないから……、ごめんっ」
 薫子が話せと命じたのに、どうしてしまったのだろう。大貴は不安なまま肩に触れようとする。
 けれど触れられなかった。薫子は歩きだす。
 こないだの尋問のときも薫子は去っていってしまったけれど、そのときとはさらになにか格段に違った。
 空気が、痛いほどに張り詰めていて、いよいよ刃のように研ぎ澄まされている。
「大貴くん。本当にごめんなさい……! 許されないくらい、私は貴方を傷つけて……みたけれど……それでも、貴方は、私から離れようとはしないのね……」
「…………おねえちゃんッ……?」
 薫子は大貴を見ないまま歩きだしてしまう。
「薫子おねえちゃん……どこ、いくの……、なぁ……!」
 大貴は手を伸ばす。追いかけることが出来なかった。
 正気を失ったようにフラフラと去っていく姿があまりにも衝撃的で、大貴も動揺してしまう。去っていく薫子の後ろ姿をただ瞳に焼きつけていた。