Blind

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 また別の夜には、大貴は長い足をまるで誇示するかのようなショートパンツに、軽く肌を透かす黒地のニーソックスを履いている。ガーターベルトから繋がるのは革製のコルセットで、大貴のウエストを適度に締めあげていた。
 幼いときから調教されている大貴は腹部が奇妙に抉れるほどのフルクローズにも耐えられなくはないけれど、今宵の指名客にそんな趣味はない。
 他に身につけているのは、コルセットによって胸の下からは隠れてしまっているが、フリルで装飾された白いノースリーブのブラウス。シンプルでゴシックなデザイン。それから、コルセットと同素材の硬質な首輪。二の腕だけを見せて、黒のロンググローブも着けている。
 すべて大貴の私物。今宵、求められるニーズに合わせて装って来た。
 幾つもの部屋に分かれたホテルのスイートルームを貸しきって、変態紳士たちが密やかな映写会を愉しんでいる。明度を落としたフロアのスクリーンに投影されているのは、幼女と幼児の戯れ。出席者たちがプライベートで撮影してきたホームビデオの発表会。もっともホームビデオという言葉からは連想もつかないような、おぞましく、淫らで、有害としか言いようのない映像しか映しだされはしないのだったが。
 スクリーンに対し、放射線上に配された一人掛けの豪奢なソファにそれぞれの紳士が座っている。植物の蔓を模したようなソファの脚や、上質なスーツの脚に、連れてきた少年を絡ませている紳士もいた。大貴は彼らの間を行き交い、ワインを注いだり、オードブルを運んできてやったりと世話をする。
 上流階級に生きている紳士たちは大貴の素性も知っている。真堂グループの子息に蠱惑的な装いをさせ、給仕を行わせるということに一種の恍惚を覚えているらしい。
 こんなことでよろこんでもらえるならいくらでもしてあげる、と思いながら、大貴はクラッカーにチーズを塗った。それから表面を舐めあげて唾液と混ぜあわせ、そのクラッカーを客の唇に運ぶ。紳士らは大貴の涎ごと咀嚼して「非常に旨い」などと言うのだから、内心では腹を抱えて笑いだしたい気分だ。現実ではただすました表情を維持して、移動すると他の紳士にも同じことをする。
 さほど良いと言えない画質の、素人撮影のホームポルノは続く。給仕の手が空いた大貴は銀色のお盆を抱いたまま、今宵の指名客である岩佐の足元に腰を下ろした。毛足の長いカーペットがさわさわと心地良い。
 岩佐は大貴の頭を撫でてくれて、そうされることも嫌いじゃないし、スクリーンに映しだされている拷問での外人少女の絶叫も耳障りじゃない。横目で眺める窓の外の夜景のきらびやかさもいい感じだ。
 それなのに仕事に熱中できなくて、楽しめない。
「……ねえ、岩佐さんっ」
 大貴は身体をひねって今夜の主人の名前を呼んだ。上目遣いは意図的にする。
「なんだい。大貴くん」
 いまよりも幼いときから大貴を買ってくれている男は、柔和に笑む。その笑みに甘えるよう、大貴は傍らのテーブルに腕を伸ばした。ワイングラスをつかみ、手にとると飲み下す。アルコールは大貴の喉を熱く流れてゆく。
「こらこら、大貴くんはまだ未成年じゃないか」
 苦笑している岩佐の足元、大貴は酒気を帯びた吐息を零した。酔ってしまいたい。このまま。胸のあたりにつかえるような憂鬱を忘れて淫乱な仕事に集中していたい。

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「ッひ──……、あぁあ…………」
 暖色の光がこぼれるベッドルームで、大貴は顔を歪める。演技ではなく素で。もう何年ものあいだ幾度となく穿たれている岩佐には警戒心も緊張感もなく身体が開いた。羞恥すら心地いい。大貴は溺れるようにシーツをひっかいて、覆い被さられる肉の感触に満たされてゆく。
「ン……、もっと……」
「大貴くん。なんだか、またきみは大人になったね」
「ぅえ…………?」
 ずるりと変わる体位。そのなかで顎を持たれ、唇を奪われる。中途半端に脱がされたコスチュームは岩佐の性癖を表していた。ガーターベルトと片方だけ穿いたままのニーソックス、それからコルセット。首輪の金具も揺れる。それ以外は裸で岩佐と繋がっていた。
 気持ちいい。何杯も飲んでしまったワインのせいもあって、大貴の頬は性行為のせいだけでなく朱に染まっている。舌と舌を混ぜあわせていると快楽は大貴をさらに包んで、どろどろと引きずりこもうとする。
「身体つきだけじゃないよ。お酒に逃げるなんて、いつからそんなことを覚えたんだい」
 いくらか見抜いたような目で、岩佐は大貴を貫く。咎めるように言わないで欲しい。向かいあわせになっていまも抜き差しされながら、唾液の糸をくちびるから垂らした大貴は泣き顔になる。酔っているせいで、演じている少年男娼らしさも中途半端にほつれてしまう。
「……めん、なさい、ごめんなさい……」
 謝りながらも尻穴の奥が気持ちよくて、身体を倒した岩佐の腹にペニスが擦られることでも気持ちがよくて、視界がかすみそうになる。先走りがコルセットを汚す。
「パパには……ゆわないで……」
「──なにがあったんだ?」
 岩佐とはつきあいも古い。だから素でちょっとした相談をしたり、甘えてしまうことも過去にあった……けれど今回ばかりは彼を頼れない。
「やだッ……おしえたくない……」
 薫子とうまくいっていないなんてばれたら困る。岩佐は崇史とも親しく、系列会社の重役。何処で崇史の耳に入るか、わからない。
「どうして」
 岩佐は心痛な面持ちを作りながら、大貴の太腿を撫でてきた。なめらかな感触を楽しむように指を動かし、愛撫し、首筋にも触れる。
「俺のプライベートなんて、きにしないで……」
 性感帯への刺激に震えながら、大貴は目を伏せた。そうしつつもため息がこぼれる。ため息をこぼしていたのは岩佐もだった。
「いつからそんな、スレたことを言うようになったのかな?」
「……すれてない……」
「じゃあ、どうしておじさんの顔を見ないんだ」
「説教なんてヤだ、きらいー……」
 ぶんぶんと頭を横に振る。こんな自分のことを、なにしてんだろ、ばかじゃね、と冷めた目で見ている大貴の意識もあった。拗ねた態度で客に犯されるなんて、それこそ崇史にバレたら説教ものだ。お仕置きを食らうかも知れない。
「おじさんをこまらせる子だ、大貴くんは」
「…………」
 抜き差しを繰り返されつつ固く瞼を閉じる。自慰でも、セックスでも、薫子を妄想しながら射精するクセがついている大貴だから、今宵も薫子は現れてくれた。
 けれどその薫子を脱がす気にもなれないし、触れる気にすらなれない。いまは、冷たい横顔しかイメージ出来なくて。

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 案の定、マンションに帰ると盛大に吐く。酔っているのと、最近ずっと気分がすぐれないためだ。
 だれもいない家のなか、朝方のトイレで便器にすがりついて吐き散らかしていると、生理的に涙が滲んでいるのか、悲しくて泣いているのかも判別できなくなる。
 何度も水を流して、口許を拭って、グラグラする意識のまま自室のベッドに倒れこんだ。
 いつもならスマートフォンの目覚ましをセットしてから眠るのに、今日はそうする余裕もない。熟睡してしまって、ハッと気づいたときにはカーテンも閉めていない室内はすっかり明るい。
 大貴は枕元の充電器に挿してある、スマホを見た。十二時ちょうど。
「やっべ……!」
 ボクサーパンツ一枚で呆然とする。どうしよう。今日は火曜日で平日だ。
 壁にかけてある制服へと視線を動かす。いまから着て行っても、午後の授業しか受けられない。
(だったらもう、さぼろうかな……)
 そう思った瞬間、玄関のドアが開く音がした。
 まじかよ、と凍りついていると、開いたままの子ども部屋の扉の前、これ以上ないほどに不機嫌そうな表情を浮かべた薫子が現れる。険悪な光を放つ瞳で睨まれると、背筋に震えが走るほどに怖い。
「あ……、これは……」
 大貴の言い訳も聞こうとせず、薫子は足を踏み入れてくる。昨夜大貴が穿いていたものよりも厚手のニーソックスに、パニエで膨らませたATELIER PIERROTのワンピース姿。もちろん、頭の先から爪先までが漆黒だ。
 そんな薫子に、いきなり頬を平手打たれる。
 大貴は一瞬、なにが起こったのかわからない。
「え……?」
「どうしてお昼に貴方が、此処にいるのかしら?」
 叩かれた頬を押さえて薫子を見ていると、忌々しげに舌打ちをされた。
「痛ッてえなぁっ! なにするんだよ!」
「出ていきなさい、学校を休んで眠っているような子、知らないわ」
「話きけって! 俺はきのう──気分が……」
「お勉強と男娼の両立が出来ないのだったら、どちらかをやめてしまいなさい!」
 どうしていまさら怒るのだろう?
 大貴は不可解さのなかで唇を噛む。キッと薫子を睨みつけながら立ちあがった。
「なんでそんなこと、ゆうんだよ。ムリにきまってんだろ。薫子おねえちゃんは、俺のこと、わかってないんだ!」
 悲しかった。大貴は素肌の胸を押さえて訴える。薫子は冷ややかに笑った。その表情すらキレイだなあと思ってしまう大貴もいる。
「そうよ。私は貴方のことなんて何も分からないの」
「はー……? ふざけんなよ……」
「ふざけてなんていないわ……あぁ、本当に分からない」
 両手を広げてみせる薫子。大貴にぶり返す、眠る前のグラグラする頭痛……大貴は言葉を発するのをやめた。
 無言でクローゼットを開きてきとうに服を選び、スマホと、学習机に置いていた長財布を掴む。
「……僕もわからないよ。おねえちゃんが変わってしまったの……」
 素足で部屋を出る瞬間、零れた言葉は意識せずとも、令息として育てられている大貴に戻った。混乱して人格の統制がとれない。