Encounter

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 梅雨曇りの空の下、マンションを出たジャージ姿の大貴は地下鉄駅を目指す。家を離れるのなら自転車でも良かったのだが、自転車で良かったことにはしばらく歩いてから気がつく。先程の出来事で頭が沸騰している。ただでさえ寝起きは悪くてボーッとしてしまう大貴だから、混線した思考がまとまらない。
 長い階段を降りてゆき、地下鉄に乗る。好きな商店街までは3駅の距離。公共交通機関の使い方にはまだ慣れないが、スムーズに乗り降りできるようにはなってきた。
(はぁ…………) 
 ポケットに手をつっこみ、扉にもたれて車内を観察しても楽しくない。男娼の仕事のときじゃない自由時間に外出するのは、普通に暮らしている一般人を観察したり、自分も一般人の気分を味わえるから楽しいはずなのに。
(おじさんたちとエッチするの、やめれるわけないじゃん……いまさら……)
 うつむいて憂鬱になった。
 東京から転校してきたとき、性奉仕から逃れられるチャンスはあったのだ。けれど大貴は自分からまた淫らな世界に戻ってきてしまった。物心つく前から性玩具として育てられたせいか、普通の子どもの生活を用意してもらってもうまく出来ずに。
 かといって、一般人の世界に未練なく背を向けられない。知りたくて味わいたい、憧れている、普通の生活というものに。普通の子どもごっこをしたい。
(中途ハンパ、どっちにもいけない。俺がそんなふうだから、薫子おねえちゃんは怒ってるのかな……? どうしよう……)
 やっぱり、崇史に連絡したほうが良さそうだ。洗いざらい白状して相談してしまえばきっと、ラクになれる。
(でもそんなことしたら)
 薫子とはもう住めなくなりそうで怖い。いまの学校を転校させられることよりも、ずっと怖い。
「あれ、真堂?」
 目的駅に着き、悄然としたままホームを出て改札をくぐると、ふいに声をかけられた。
 顔をあげれば紫帆がいる。私服ははじめて見たが、年齢よりも大人びた雰囲気だ。
 デニムのショートパンツに、七分丈の白いカットソー。ネックレスやブレスレットもしているし、髪色も派手、サンダルの踵は高い。化粧もしていて実年齢よりもずいぶん年上に見える。

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「沢上、家帰るんじゃなかったのかよ……」
 大須商店街のアーケードの下、ついてきた紫帆に大貴は苦笑する。
「帰ってもヒマだし。再放送のドラマみるくらいしか、することないんだもん」
「がっこー行けよっ」
「真堂がそれ言う?」
 紫帆は笑った。だから大貴もつられて口をゆるめてしまう。偶然にもクラスメイトと会えたことで、落ちこんで困惑していた心はまぎれる。
 ぶらぶらと並んで歩きながら紫帆は、さっきまでこの商店街で、他中の友人と会っていたのだと話してくれた。平日のこんな時間に遊べる友達なんて、当然ながら素行はよくなさそうだ。
「……なぁ俺ハラ減ってるから、なんか食おーぜ?」
 商店街内にあるお寺を通りすぎたところで、大貴はやっと空腹に気がついた。そういえば昨夜の観賞会でつまんだアペタイザー以来、なにも胃に入れていない。
「いいけどぉ、オゴリ?」
 紫帆は冗談のように言うけれど、大貴はかまわない。
 ただ、急いで家を出てきたのでサイフの中身をあまり把握していない。ジャージの後ろポケットから長財布を出して確かめてみる。
「あー、ヴィヴィアンだ。センスいいじゃん」
 紫帆の目線を感じながら控えめに開くと、何枚も万札は入っていた。大貴はまたサイフをしまう。
「いーぜ〜よゆーあるし」
「ホントに! いいの、真堂」
「あったしまえじゃん」
「へー、パチンコで勝ったの?」
 ヤンキーらしい言葉だ。大貴は首を横に振る。
「ちげーよ。フツーにこづかい!」
「いくらもらってんの。金持ちなんだ、真堂の家」
「べっつに金持ちじゃねーって」
 紫帆をあしらいつつ、大貴はじゃあなにを食べようか、と考えて目線をさまよわせる。今日はジャージにスニーカーだし、クラスメイトといっしょなら、あんまり高い店に入らないほうがよさそうだ。

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 大通り沿いのマクドナルドに中学生の姿はなかったけれど、大学生らしきグループや、さぼっているのかも知れないサラリーマンなどで適度に賑わっていた。
 一角にふたりで座り食べはじめる。紫帆はベーコンレタスバーガーのセットで、大貴はダブルチーズバーガーのセットに単品でチキンフィレオを追加した。
「よく食うねー、真堂……」
 感心したように紫帆は言う。これでも大貴にしては少ないし、ふだん遊んでいる学校の少年たちだってみんないくつもハンバーガーを食べる。
「そーかぁ? 調子いいときはもっとくうぜ。4コとか」
「ありえなくない? てゆーか調子わるいんだ?」
「んー……」
「まぁさいきんの真堂、ずっと具合悪そうだよねー」
 紫帆の言葉は的を得ていて、大貴は咀嚼していたハンバーガーを飲みこみつつ、ちょっと驚いて紫帆を見た。
「なんでしってんだよ」
「なんでって、見てればわかるし。こないだも学校さぼってたじゃん。病院いきなよ」
「そーゆーのじゃねーもん。精神的にキツいってゆうか」
「真堂が? 意外〜。あんまり悩まなさそうなのに」
「おまえなー、んなわけねーじゃん!」
 素でムッとしながらも、またハンバーガーをほおばる。
 紫帆はポテトをつまんでいた。
「真堂のなやみってなんだろ。恋愛?」
 いきなりに正解を言われて、大貴はまたもや驚かされることになる。それは顔に出てしまったらしく、紫帆は「当たりだ」と微笑した。
「こわっ。なんでわかんの?」
「ウチらの歳でなやみっていったら、家庭か進路か恋愛じゃん。その中からテキトーに言っただけ」
 さばさばと語る紫帆は、やっぱり大人っぽい。大貴はなるほどと納得する。
「てかヤバイくらい意外、真堂にスキな人いるなんて!」
「……いちゃ悪りぃかよっ」 
「ううん。あたしでよければ相談のるよ? おごってくれたし」
「いーよ。そんなん……」
 正直に話せるわけがない。
 打ち明けようと思えば、関連するさまざまな淫靡な事柄も語らなければならない。それは昼間のファーストフード店で気軽に言える話でもなければ、普通の世界で暮らしている同級生に知られていい話でもなかった。
(俺のかかわってる世界のこと、学校のヤツらにはぜったいに言いたくない……)
 大貴はチーズバーガーの最後のひとくちを味わう。クシャクシャと包み紙を丸めた。

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 話したくなさそうにするとそれ以上紫帆は尋ねてこなかった。食後はまた商店街を歩く。
 べつに目的があって来たわけでなく、なんとなく電車に乗って訪れてしまった大貴なので、てきとうに服を見たりした。
「真堂ってこーゆうのがスキなんだね。へー……」
 セレクトショップの軒先で、紫帆は物珍しそうに、猫の頭をしたマネキンの着る髑髏のオールインワンや、ホラーにアレンジされたマザーグースのTシャツを眺めている。
「てゆーか真堂とこんなに長く話したのはじめてだし、今日知ったこと多いかも」
「そーだなー、おまえあんま学校こねーし」
 店を出て歩きはじめた。夕方になってきて、アーケードの下を行き交う人通りは増えている。
「沢上はぁ、学校きらいなんだー?」
「そんなことないよ、ホントはね、もっとちゃんと行きたいって思ってる……」
「じゃあ、なんでこねーの……?」
「いっしょに学校行きたいひとが、学校来ないから」
「それって──」
 大貴たちのクラスには、登校拒否の少年がいる。
「真堂さぁ、今日ウチで夕飯食べてく? お昼ごはんのお礼やっぱしたいし!」
 言葉を被せられた。変えられる話題。沢上はやっぱりアイツのことがスキなのかな、と大貴は思う。そして、そのことには触れて欲しくなさそうだ。
「わりーじゃん。そんなん」
 だから、大貴も触れないことにする。
「ウチ大家族なんだよね。だからひとり増えたところでぜんぜんいっしょ」
「まじでぇ? いーなー、きょうだい多いのかよ」
「うん、そーだよ」
「……俺、今日の夜は、ヒマだし……じゃあっ、ごちそーになろっかな……」
 軽く握った右手を顔に近づけ、大貴は答える。かかさずに磨いたりやすりをかけたりして、短くそろえている爪を眺めてしまうのは無意識にするクセのひとつだった。
「爪きれいだね、ファイリングしてるみたい」
 すると、紫帆に言われた。
 大貴はわずかな間、真顔で紫帆を見てしまう。
 同級生に気づかれて単語を投げられたのははじめてだったからだ。学校の少年たちがネイルケアの方法や用語を知るはずもない。
 紫帆には油断できない──大貴は意識して微笑を作ると、そのまま手を紫帆の額に運び、軽くはじく。
「いッ……!」
「バーかっ。なにそれ、しらねーし!」
「なにすんの、もー、真堂ってワケわかんない」
 怒ったような言葉を紡ぐ紫帆だけれど、本気では怒っていない。紫帆の口許もゆるめられている。