Spell

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 地元駅に帰ってきてから、紫帆の家までは距離があった。紫帆は学区でも外れのほうに住んでいるのだ。紫帆の自転車を二人乗りしながら、大貴は何度も「遠っ!」と声をあげる。
「おまえさー、ふだんがっこー来るときもツラクね?」
 尋ねてみると、後ろに立つ紫帆はもちろん、頷く。
「うん、だから自転車で行くときも多いよ」
「えー、ずりぃ。いいのかよ、それー」
「ダメにきまってるじゃん、だからとちゅうまで自転車でいって、隠れて停めたり?」
「……ふーん、じゃあ俺もそうしよっかな」
「真堂の家、あたしの家より学校近いのに、そっちのほうがずるいじゃんッ」
 交番の近くを通るときは降り、並んで歩く。そのとき、大貴は自転車を引いてあげた。
 路地裏に入りやっと紫帆の家が見えてきた。木造家屋にトタンが打ちつけてある、何軒も連なった長屋のうちの一軒で、いまにも崩れてしまいそう。
 転校してきてから庶民の生活にはずいぶんと親しんできた大貴だったが、ここまでの家は知らなくて絶句した。
「ボロ家って思ったでしょ、中もほんとボロいから覚悟してね!」
 紫帆はさばさばと言い、家の前に自転車を停めた。それから引き戸を開ける。建てつけが悪いらしく悲鳴のような音を上げながら動く。
「……おじゃましまーす……!」
 紫帆に続いて大貴も入る。薄暗い玄関、散乱したいろいろな靴を踏まないように気をつけながらスニーカーを脱ぎ、じめじめした廊下に上がる。ものめずらしくて視線をさまよわせてしまう大貴だ。
 壁など、いたるところに落書きはひどいし、関連性のない色々なモノが積みあげられていてゴミとたいして変わらないように思えてしまうものもあるし、子どもたちの笑い声と駆け回る物音もすごい。テレビの音も大きい。
「こらぁ! ウチんなかで走るなっていってるだろ!」
 居間らしき部屋に入ると紫帆が怒った。それでもまだ少年たちはケラケラとはしゃぎ、少女たちはぬり絵をして遊んでいる。まるで此処は保育園のようだ。
「あぁオトコだぁあー! カレシだー! ねえちゃんのオトコだぁああ!」
「えぇえぇ〜っ、ねえちゃんのカレシはヤスエにいちゃんだよ! ヤスエにいちゃんだよ!」
 大貴の姿に、紫帆の弟たちが大声をだす。大貴にしてはめずらしくたじろいでしまって、とっさに言い返せない。
「彼氏じゃないッ! ……あ、真堂、座って!」
「お、おう……!」
 紫帆から、キャラクターものの座布団を放り投げられる。戸惑ったままでそれをキャッチすると、自分でカーペットの上にしいて、腰を下ろす大貴だった。

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 最初こそどうしていいかわからない大貴だったけれど、家の雰囲気にも、紫帆の弟妹たちにもすぐに打ち解けることが出来た。ゲームをしたり、いっしょにテレビを見たりして過ごす。夜になれば彼らの友達は帰っていって、紫帆の弟二人と妹一人だけになる。
 弟は小学三年生と二年生で、妹はまだ一年生になったばかり。年子だ。紫帆が長女というわけではなく、姉と兄もいるらしい。ただ彼らはとっくに独立してしまい、此処で暮らしている子たちでの年長が紫帆。
 仕事から帰ってきた母親は、紫帆といっしょに食事を作ってくれた。並んで支度をするふたりの姿もまるで仲のいい姉妹のよう。大貴が想像していたより紫帆の母はずっと若かった。
「俺、沢上んちにうまれたかったなー……!」
 居間のちゃぶ台に並んだ、からあげに春巻きにオムレツ、サラダに煮物。大皿にドンと盛られたそれを取り分けて食べるルール。こんなふうに大勢で食べる夕食ははじめてで、大貴は嬉々として箸を運ぶ。すこし濃いめの味もおいしい。ご飯も、おかわりをしてしまった。
「たくさん食べてくれて、おばさんもうれしいよ。ヤスエくんは全然食べないからね」
「ヤスエの話はいいの!」
 登校拒否の少年は、紫帆の家にも来るような仲らしい。
 無理矢理に話を打ち消す紫帆に、やっぱりな〜、と思いつつも大貴は弟たちの観ているバラエティ番組に視線を流す。
「おれもだぃきにいちゃんに、ホントのにいちゃんになってほしい〜」
「あとでいっしょにおフロはいろうよ〜、だいきくん〜」
「へっ、フロ? さすがにそこまで……」
 お世話にはなれない気がした。まだ食事を続けている大貴に、子どもたちはべたべたとくっついてきて、弟のひとりは膝のうえに頭を載せてくる。
「にいちゃぁああんっ、またゲームしよおぉお!」
「ちょ、おれまだメシくってるから、待てよっ!」
「珍しいんだよ。こいつらがこんなにヒトになつくの。真堂お風呂入ってく?」
 気軽にそう言う紫帆に、母親はというと少し申しわけなさそうな顔をした。
「でも、お風呂っていうより子守りになっちゃうんじゃない? ゆっくり入れないよ」
「そっかー、そうだよねー、どうする真堂?」
「俺はべつに……じゃあフロ入って帰る。なんか、いろいろ世話になってもうしわけねーなー」
 弟妹たちと過ごすことを面倒には感じないから、大貴は決めた。膝の上から起きあがった少年はこんどは飛び跳ねるようにはしゃぎだして、家が揺れて、また紫帆に「こらっ、とぶな!」と叱られている。沢上家はずっとにぎやかだ。

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「だいきくんのはだ、すべすべだったあ〜!」
 お風呂上がり、脱衣所を出て行ていった妹はさっそく紫帆たちに話しにいく。直接見られたわけではないが、お母さんに報告されることをはずかしく感じる大貴だ。
 それより一年生といえど女の子といっしょに入っていいのかな?とも大貴は思ったのだったが、少女は弟たちといっしょに普通に入ってくるからまあいいのかと納得した。
 そして大貴は順番に、髪と身体を拭いてやっている。
「真堂ー、アニキのでよければ新しいパンツあったよー」
 カーテンの向こうから声をかけられる。
「いーよ、もう家かえるし。よーしおわった。次!」
 拭き終わるときゃはははと笑いながら全裸のまま少年が走り出てゆく。風呂場からは最後の弟が「はい!」と返事をして大貴のバスタオルに包まれた。
「ねーだぃきくんずっといて、ずっとあそぼ?」
「んー、俺もそうしてーけど、俺にも家があるからなー」
「今日からさわかみだぃきでいいじゃん!」
 めちゃくちゃなことを言う。大貴は笑って、少年を拭き終わった。やっと自分を拭ける。
 元通りにジャージを着て髪をタオルで拭きつつ、大貴も脱衣所を出た。本当はドライヤーも使いたいけど沢上家には見当たらない。
「……お先におフロいただきましたっ」
「どういたしまして。ダイキくんはしつけのいいお家で育ったんだねえ」
 台所にきた大貴に、母親は目を細める。紫帆はというとペットボトルのお茶を、コップを持つ妹たちに注いでやっていた。コップの種類はバラバラで、はみがきのうがいをするような容器を持っている子もいる。
「そういえば真堂の家の話ってきいたことないね。あ、真堂もお茶のむよね?」
「おうっ。あー、俺んち? 父子家庭だよ」
「まじ? ウチも母子家庭だから、親近感わいたかも」
「あははっ、そうだなー」
 大貴はお客さんだからか、ちゃんとしたグラスだった。
 ありがとうとお礼を言って受けとり、口をつければ冷たくて美味しい。紫帆はさらに尋ねてくる。
「きょうだいもいないの?」
「いねーよ。ひとりっこだもん」
「言われてみれば、ひとりっこっぽいねー」
「けっこーワガママだしなー、俺っ!」
「自分で言う? 真堂ほんとウケるんだけど」
 談笑していると、弟たちに呼ばれる。かまって欲しくてしかたがないようだ。大貴はグラスを手に、彼らのいる居間へと行った。

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「ゴメン、真堂っ、こんな時間なんだけど……!」
 ハッとしたのは紫帆に肩をゆすられ、起こされたから。
 大貴は目覚める。大貴と紫帆は居間のちゃぶ台に突っ伏して、眠ってしまっていた。隣室で他の家族が寝たあとも、音を小さくしたテレビを眺めつつ、ダラダラ喋っていたはずだったのに──いつのまにか。
「え? 何時っ……?」
「4時……! ホントゴメン、あたしも寝ちゃってて……」
 まだ寝ぼけたまま大貴は壁の時計を見た。もちろん、紫帆の言う通りの時刻だ。
「真堂のお父さん怒らない? ホント、どうしよう……」
 ずいぶんうろたえている紫帆に、大貴は苦笑する。
「だいじょうぶだって。俺、親父と住んでねーし……」
「そうなの? じゃあ……」
「親戚のおねえちゃんと住んでるんだ」
 転校してきてからは、そういう設定で通している。大貴はスマートフォンを取りだして見た。客や友だちからの連絡の他に、怜の着信があった。
 怜は裏組織で性奴隷を調教する職についている男だ。薫子の同僚でもあり、アンダーグラウンドな世界の住人。
 薫子からの連絡はない。最近の薫子を思えば、ないことはわかっているけれど……大貴はさみしくなる。
「親父は、東京で仕事してるんだ。すごくいそがしいからー、俺をおねえちゃんにあずけてる……」
 説明しつつも、大貴は怜に文面を打った。友だちの家で寝てしまっていたことを正直に伝える。怜からはすぐに返信が来た『じゃあ迎えにいってあげるよ』と。
「車で迎えにきてくれるって」
「お姉さんが?」 
「ねーちゃんの職場のひと」
 嘘はついていない。詳しく詮索されることもなく、大貴は紫帆の家の場所を、怜に伝えた。
 家族を起こさないように小声で会話していると、車は家の前に停まる。カーテンのスキ間から覗く白いBMW。ずいぶんと明るくなってきた外の世界に大貴が出るとき。玄関に着いてきた、スウェット姿の紫帆は未だに申し訳なさそうな表情をしている。
「いいって。そんな顔すんなよ。今日スゲー楽しかった」
 大貴の言葉に。紫帆は……ホッとしたように微笑う。
「あたしも……真堂と話して、ちょっとラクになったよ」
 結局、紫帆は打ち明けてきた。商店街ではあまり話したくなさそうだったけれど、一日大貴と過ごして、気を許してくれたのだろうか。
 ヤスエはいま、行方不明らしい。
 最後に登校した次の日にいなくなってしまったそうだ。
 家族が寝静まったあと、ずっと、その話をしていた。
「俺でよければいつでも話聞くし。またあそぼーな」
「うん……」
「はやく、見つかるといいよな……」
 頷く紫帆。最後にまた、おやすみ、ありがとう、と言いあって、大貴は車に乗りこむ。