1 / 3「はい、相沢でございます……」廊下の電話が鳴り、春江は受話器をとる。 健次が連れ去られてからというものろくに眠れず、心はずっと晴れない。何でもないときでもふと健次のことを想い、畳にぽつぽつと染みを作ってしまう時もある。 今もまた、掃除をしようと思い立ってもはかどらず、うつむき目に涙を溜めていた昼下がりだった。 「……もしもし?」 相手は無言。春江は尋ねかえしてみる。 すると。 『俺だ』 「え……っ?」 低い声。大切な人の声だとすぐに分かった。 『どうした』 「そ、そんな。健次さま……?」 驚きのあまり、受話器を握る手は震える。 ずっとその声を聞きたかった。安否を気遣うあまりに狂いそうで、擦りきれそうだった精神。もしも健次に何かあったのなら壮一と差し違えて死にたいとまで思ったりもした春江だ。すぐさま頬に雫が伝ってしまう。 『……ひさしぶりだな。お前は無事か?』 優しげな口調に、春江は何度も頷く。動作など電話越しでは伝わらないと分かっているのに。 「大丈夫です、私は……健次さまは? ご無事なのですか?」 『平気だ。ただ……』 「ただ?」 『此処の飯には飽きた。春江の飯が食いたい』 「お作りします。何でも、健次さまの食べたいもの」 話しながら、春江は目元を擦る。 「だから……はやく帰ってきてください。会いたいです、健次さま。いつも、健次さまのことを想っています、愛しています……!」 『……俺もだ』 「健次さま……」 『もう少し、待っていろ。また電話する』 通話は切れた。短い、用件のみの会話。それでも春江は嬉しく、微笑んでしまいながら立ち上がった。先程までの憂鬱な気持ちは嘘のように澄み、晴れ渡る。 健次が無事で良かった── 2 / 3健次はさらに媚薬に慣れてきている。やっと今日、秀乃の部屋にある電話を使い、相沢の家に電話することができた。平静を取り戻しつつある。久しぶりに春江の声を聞けて、ほっとした。受話器を置いた健次はそんな気持ちに、何とも言えないむずがゆさを感じる。 自分の想いを改めて認識させられる。 春江が好きだ。 もう春江を泣かせたくない。 辛い目に遭わせたくない。 その為には、壮一を排除しなければいけない。 それは分かっている…… 健次は足首の縄を引きずり、隣室の寝床に戻ると倒れ込む。 どうしても、殺さなければいけないのだろうか。ずっと、果てしなく考え続けている事柄。あの家から春江を連れ出せればそれで済むのだが、春江は首を縦に振らない。私は此処から離れることができないのです、と哀しげに言う。壮一に脅されているらしい──逃げると、春江の秘密が公にされてしまうと言うのだ。 その『秘密』の内容を健次は知らない。知らないままでいいと思っている、春江が誰にも知られたくないことなのだから。 解っているのは……壮一が居る限り、春江に安息は訪れないという現実。好きでもない男の愛人となって世話をする日々から、開放されない。秘密を盾に支配されている。 健次はため息を零す。 殺めるべきなのに。壮一を手にかけようとするたびに、思い出さずにはいられない、彼の親らしい部分。 (惑わされるな、馬鹿か、俺は……) 空手の大会で賞を取れば「偉いぞ」と褒めてくれた。 家族旅行に行けば、肩車をしてくれた。 そんなふうに、ごくたまにだけれど、普通の父親らしく接されれば──嬉しかった、子供時代の健次がいる。 蹂躙され、身体中に暴力を浴びて強姦されてきたのに。嫌というほど与えられた激痛、羞恥と屈辱、絶望。にも関わらず、彼の気まぐれな優しさのせいで、殺害に二の足を踏んでしまう。 「ただいま、健次」 部屋の主が帰って来ても、健次は寝転がったまま。傍らに腰を下ろされればやっと起き上がり、顔を見てやった。秀乃は遊廓の仕事があるといい、母屋に行っていたのだ。 「……済んだのか?」 「ああ。当主の仕事は疲れるよ。残酷な仕事が多いから」 私服姿の秀乃は微笑み、眼鏡を外して机に置く。 「俺は今まで、この立場から逃げていたけど。汚い仕事は姐さんに押しつけてたんだ。でももう逃げない」 「どうした、根暗のくせに」 随分と前向きなことを言うと、健次は思う。秀乃の辛気臭さは嫌というほど間近で見てきた。 「俺をネクラ呼ばわりするのは、健次だけだよ。ひどいや」 「陰湿だろ、人をこんなところに閉じこめやがって」 「だって大好きだ。健次を誰にも渡したくなかった」 秀乃は、健次を背中から抱きしめてくる。 強くぎゅっと。 「でも……健次は、家政婦さんのことが好きなんだもんな。奪えない、俺には。悔しいよ健次……」 そうだとしても── 健次は秀乃の腕の中、視線を落とす。 自分を犯す最後の男は秀乃で良いと思える。 壮一達には抱かれたくない。 女みたいに喘ぐのは、秀乃との行為で終りにしたい。 (もう、終わらせる。アイツを……) 殺す…… 健次は瞼を閉じる。 瞑目して浮かぶのは、縛されて吊り下げられ、痛みと屈辱に顔を歪ませているいつかの自分自身。床を見下ろし、爪先を揺らしながら、恨み、呪い、ひたすらに憎悪を焦がしている。 この憎悪の向くままにヤツを手にかければいい。己の手によって、断罪を下せ。 静かに灯る殺意。秀乃に押し倒され、口づけを受けながらも殺害へと思いを馳せた。 3 / 3今宵も幾度も絶頂を味わい、目を閉じてぐったりとした健次を、秀乃は眺めている。間接灯に照らされ、シーツに伸ばされた肢体の全てが秀乃を酔わす。汗ばんだ、はだけた襦袢の肌。呼吸の度に波打つ胸元。白濁の飛沫を散らした太股……健次の姿はいつも通りに官能的だ。 「健次……」 指を伸ばし、萎えかけの肉茎を摘んでやれば、健次の眉間には皴が寄った。施される愛撫を引き止めるよう、秀乃の手に手を添えてきたが、無視して秀乃は扱く。 すると健次は鬱陶しげにしながら、気だるく薄目を開いた。 「もう、いい……、やめろ……」 そんな表情も、秀乃をときめかせてたまらない。 ……やめたくない。もっと健次を狂わせてやりたい。 秀乃は微笑み、指を性器から後孔へと添わせた。 ローションと媚薬にまみれたそこは、はじめの頃に比べればずいぶんと緩むようになった。両手を掛けて開いてやればよくとろけ、いやらしく色づいている。秀乃の目にこの蕾は、嬲られるのを心待ちにしているようにも見える。 「ん……ぅうッ……!」 だから、秀乃はそのまま自らのペニスを突き立てた。健次は首を反らしさらに表情を歪めたが、無理なく飲みこめてしまう。 「気持ち良いんだろう、健次。ひくひく締めつけてきて、凄いや……」 「ッ、うぅ……、あ……」 「俺にしゃぶりついてきてる。ほら、こっちもまた発情して」 挿入に連動するように、健次の肉棒は完全に屹立する。握りしめてやると、ますます後孔の締めつけは増した。 秀乃は揺らしつけをはじめる。同時に扱いてやればすぐに先走りの蜜が垂れてきた。散々、今宵漏らしたというのにまたもやの分泌だ。 「あッ、あっ、ン、は……」 その、鼻にかかった吐息すらも秀乃を酔わせる。喘ぎを堪える様は減って、自然に零してくれるようになりつつあった。腰も意識せずに振ってしまうようで、そんな姿は秀乃には愛しくてたまらない。 「……くそ、あぁ……いい……」 「ははは。またいっちゃうね、健次」 「気持ちいい……」 腕で顔を隠しながらも、はっきりと快楽を肯定した。 行為に対し積極的ではないが、以前のように激しく嫌がることもない。秀乃の背に腕を廻してくれる時さえある。 あの健次が、ここまで自分を受けいれてくれるようになった。その事実だけでもう良い。 十分すぎる幸せだ。 今の秀乃はそう感じるようになった。 独占するなんて無理。 飼い慣らすなんてできやしない。 それに…… 「健次は絶対に、誰のものにもならないんだよな……」 最奥まで捩じ込みながら言えば、健次は秀乃に視線をくれる。 「もちろん、俺のものにもならない」 「あ……たりまえ、だ……俺は、俺のものだ……」 喘ぎを混じらせながら、健次はそう答えてくれた。聞いて、秀乃は微笑む。 「そんな健次だからこそ、好きなんだということに気づいたよ。絶対に誰にも支配されない、凛々しくて強い健次が……好きだ、あこがれてる……」 「う、ッ、あぁッ、ア……!」 ひどく揺らし付ければ、健次は秀乃の浴衣をぎゅっと掴んでくる。激しさの中で一塊によじれる、互いの身体。乱れる体位、繋がったままで秀乃は健次の爪先をも舐めてみた。均整のとれた裸身は隅々まで整っていて、秀乃を魅了してやまない。 「だからずっと、そんな健次のままでいて」 熱っぽく囁き、秀乃はさらに強く責め立てる。蹂躙されて鳴く健次はシーツに溺れてゆく。ああ愛しい、口づけをして唾液を飲ませ、夜が明けるまで極上の快楽を与えてあげたい。 そして健次を繋ぐ縄を解こう。もう監禁は終わりだ、健次の全てを手に入れられなくても、構わない──そう思えるようになったから。 子供じみた独占欲から開放された秀乃は、穏やかな心持ちで、健次を犯し続けた。 |