ウサギ

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『越前谷秀乃くん、越前谷秀乃くん、至急職員室まで来て下さい。繰り返します、越前谷──…』

 何度も名を呼ばれ、秀乃はため息を吐く。ウンザリしながら歩調を速める。

 どうせ文化祭の話をされるのだろうと予想はついていた。生徒会長を務めているために、何かと呼び出されるのだ。

「!」

 階段を早足で駆け下りて行くと、上ってきた生徒とすれ違いざまにぶつかる。秀乃はよろめき、掴むのは手摺り。

 その瞬間に見た、相手の横顔は。

 端正な顔立ちは冷酷なまでに無表情で
 瞳は刃物のように、鋭く尖っていた

(な……!)

 秀乃は目を瞠る。ノンフレームの眼鏡を指で押さえ、彼の姿に釘付けになってしまう。

「おい! 相沢! 待て、先輩にぶつかっておいて……大丈夫か、越前谷」

 居合わせた教師が、心配そうに声をかけてくれた。

「彼、相沢、というんですか?」
「相沢健次だ。問題児だぞ、越前谷を少しは見習って欲しい所だな」
「アイザワケンジ……」

 教えられた名を呟いた。
 何処かで、聞いたことのある名前だ。
 教師と別れ、廊下を一人歩きながらも、しばし考えを巡らす。

(この俺をゾクリとさせた瞳。纏う雰囲気もこの学校にいる他の連中とは全く違う。彼の名前を俺は何処で……?)

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 学校では爽やかな好青年、成績も常にトップ。

 それは、秀乃の『表の顔』だ。

『裏の顔』はというと、アンダーグラウンドな世界で咲き誇る遊廓・四季彩の次期当主──



* * *



 帰宅すると、遊廓内の自室に向かう途中、従兄弟の那智に出会った。

 縁側に座っている姿は、着物姿の女性にも見えてしまう──が、那智はれっきとした男性。越前谷家の教育方針で、女形として育てられた青年である。

 傍らには四季彩の売れっ子男娼・克己もいた。克己も那智と同様、雌として扱われている少年だ。
 克己は、礼儀正しくぺこりと頭を下げる。

「おかえりなさい、秀乃さま」
「ただいま、克己。姐さんたち、何してるんだい?」
「女同士の内緒話さ。ね、克己」
「……俺は男ですっ! なちさまとは、お仕事のお話をしていたんです」

 今日も桃色の和服を纏い、軽く化粧までさせられているのにも関わらず、自らを『俺』と称する克己。外見は可憐な少女にしか見えないのだが、克己の心は男の子のままで、そのギャップがまた可愛らしい。秀乃は微笑んだ。

「そうだ、二人に聞きたいことがあるんだ」

 相沢健次、その名前はひょっとしたら、遊廓で聞いたのかも知れない。秀乃は期待を込めて尋ねてみた。昼間ぶつかった男子生徒の話をしてみる。

 すると、那智は思い当たった風に答えてくれた。

「……相沢という名字の方なら、お一人、常連客にいらっしゃるけれどね」

 克己も頷き、詳細に語ってくれる。

「息子さんのお名前じゃないでしょうか。ケンジといったはず。相沢さまは実の子を調教なさっているって、有名ですよ」

 やはり、アイザワケンジ、その名前と秀乃は既にすれ違っていたらしい。
 だが……

(調…教……? それって…)

 秀乃は克己の言葉に目を丸くする。

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 秀乃は健次について、調べてみた。

 自分よりも一学年下の二年生。成績は悪くなく、単位も落としていない。所属は空手部。

 ……それだけなら至極普通の生徒だが、なぜ問題児扱いされているかというと、遅刻や早退、欠席が目立つためだ。喧嘩をして停学処分になったこともあれば、喫煙で注意を受けたこともある。校内に友人はおらず、常に単独行動。部活動にもほとんど参加しない。
 
 が、健次は全国レベルの選手らしい。大きな大会で上位に進み、優勝経験もある。団体戦で出場しても、健次が一人で勝っているようなもの。

 部の顧問は健次に、せっかく才能があるのだから、本気で取り組んでほしいと嘆いているそうだ。もっとも、本気で空手に取り組んでいるならば、この学校に入学するはずもないのだったが。
 
 これが、校内で得た、健次の情報だ。

 遊廓で得た情報はというと──…

 一人きりの生徒会室、秀乃の手元には那智から借りた文庫本があった。主人公の男が、清志郎という名の少年を男色に調教するという物語である。
 四季彩の常連客であり、小説家でもある健次の父・相沢壮一の著作だ。

 ……清志郎は、明らかに健次をモデルとしたものだった。

「墨色の髪。切長の双眸は、凛としている。腕っ節も強い、気性も荒い。正に跳っ返りだ」

 付箋を貼った一文を、秀乃は読み上げる。

「読者諸君に告白しよう。私は彼に対し、性的興奮を禁じえなかった。貪りつきたいと思ったのである……」

 ページには、清志郎をねちっこくいたぶる描写が続いていく。秀乃は本を閉じた。

(これは、実際の出来事なんじゃないのか。本当にあったことを書いたんだ。健次くんの調教記録だ)

 相沢壮一は四季彩の娼妓達によく、健次の話をするという。息子には幼少から性的調教を加え、肛門性交、緊縛、剃毛、浣腸、乱交、露出、女装……etc……様々に嬲り愉しんでいる話を。

(信じられない。あんなに凛々しくて、鋭さを持った健次くんが。夜は慰みものにされているだなんて……!)

 そう思うと、秀乃はどきどきした。
 思わず自分の胸を押さえる。

 知れば知るほど、健次が気になって仕方がない。

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 しかし、気になってはいても、健次に話しかけるきっかけを掴むことができなかった。学年も違い、接点は何もない。

 ──そんなある日に渡り廊下から偶然見かける。体育館裏にいる健次を。

 秀乃は足を止め、見下ろした。健次の周りには何人かの生徒が群がっている。会話を盗み聞けば、彼らは空手部員のようだった。

「相沢、なんで来なかったんだ! お前が居てくれたら勝ち進めたのに……」
「相沢君だって優勝したいだろ??」
「だいなしだよ、大会ブッチしやがって!」

 部員達は一様に健次を責めていた。しかし健次は気にも留めず、鼻で笑う。

「うるせえ奴等だな。一人ずつしゃべれ」
「相沢!」

 行ってしまう健次。まだ三時限目なのに、カバンを肩に掛けている。帰るつもりなのだろう。

「待てよ、相沢。お前は凄いんだ、ちゃんと空手をやったら、もっと強くなれるのに」
「余計なお世話だ」
「部活来て、真面目にやれよ!」

 背中は振り返りもしない。部員達はもう何も言わなくなり、ため息を吐いている。

 ……気付けば秀乃の足は、駆けだしていた。
 衝動に背中を押されたように。
 彼と言葉を交わしてみたい、俺も!

 非常階段を駆け降り、外に出た。健次の向かった方角に追いかける。間に合わないかもしれないと焦り、息を切らして。

 追いついたのは、校舎裏の狭い道。高校の敷地内にも関わらず、健次は煙草を咥えて火をつける所だ。その所作をしつつも立ち止まり、フェンスを眺めている。視線の先には隣接する小学校の風景があった。

(?)

 秀乃は健次に近づき、彼の見ているモノを探った。

(飼育小屋……?)

 小屋では兎が飼われている……

「兎を見ているのか?」

 呼吸を整えてから近づき、話しかけてみた。振り返る瞳。秀乃と健次、初めて二人の目と目が合わさる。

「物思いに耽っているような顔だ」
「あぁ? 誰だお前……」
「この前階段でぶつかってくれただろ?」
「は?」

 健次は秀乃とぶつかったことも、生徒会長であることも知らないらしい。

「生徒会長の俺を知らないのかー……ま、健次君らしいな」
「俺の名前……?!」

 驚きに変わる、健次の表情。素っぽさを見れて、秀乃は微笑う。尖っていた一幕を目にした後だったので、可愛らしく感じた。

「気味の悪い奴だな……」
「兎小屋を見ていただろ」
「だから何だ」
「気が合うなと思って。俺も、兎には思い出があるんだ……昔殺したから。小学校の兎をね、片っ端から手にかけた」

 そう話すと、健次は怪訝に眉根を寄せた。

 秀乃はさらに口許を緩めてしまう。

 調べていて知った、健次は小学生の頃に学校の兎を惨殺しているらしい。らしい、というのは犯人は健次だと目星がついているものの、学校側は何も問題にしなかったのだ。相沢家は古くから一帯を牛耳る名家で、古いしがらみが残る街では腫れ物のように扱われている。何をしても騒がれることはない。

 それは、健次が実父・壮一から虐待に遭っていても同じだ。しょっちゅう怪我をさせられ、包帯などの処置をして学校に通い、時には入院までしていても──相沢の家に注意する者は誰もいなかったのだ。

 閉鎖された世界で、健次は耐え続けて来たのだろう。想像すると秀乃は萌えた、ずいぶんと酷い目にあって来たはずなのに、こんなにも毅然としている健次のことを……もっと知りたい。親しくなってみたい。

 だから、兎のことを知ったとき、嬉しかった。自分との共通点を見つけた気がして。