1 / 3休日の目抜き通りを、壮一と少女は楽しげに話しつつも歩いている。その後ろを、うつむいて付いてゆく春江だった。本当は彼らと共に行動をするのは嫌で、今すぐに帰りたい気持ちでいる。 けれど、逆らうことは許されない。 もしもそんなことをしてしまったら、春江だけではなく、健次も罰を食らうだろう…… 「あっ、パパ……」 有名ブランドの路面店を前にして、少女は足を止めた。華やかに飾られたショウウインドウを見つめ、瞳を輝かせている。憧れのまなざしだ。 「どうした、ミサ?」 愛娘の様子に、壮一も店に目をやる。 「あのカバン……いぃなぁ、かわいーなぁ……」 「ほぉお、欲しいのか。じゃあ買ってやるぞぉ」 「えー、でも、すっごく高いんだよ?」 「構わんよ。ミサの欲しいものはなんでも与えてやる、たまにしか会えんしなぁ」 二人は回転式の自動ドアのなかへ入っていった。春江に込み上げるのはウンザリとした感情。買い物に付き合わされることに、憂鬱を抱く。 自分も足を踏み入れつつも、遠目から少女を眺める。 顔立ちも、背格好も、春江に似ていた。 当たり前だ──娘なのだから。 (……健次さまに、アノ娘の存在を知られたら。恥ずかしくて、申し訳なくて、私は生きてゆけない) 壮一に娘の存在をバラされるのが怖く、脅されたまま逆らえない。それが春江の人生だ。 愛しい人、健次のお世話をずっとしてあげたい。その想いと共にいつもあるのは『私にはそんな権利は無いかも知れない……』壮一との間に隠し子を孕んだ私に。 店員と話す少女に近づくと、その足をこっそりと踏みつけた。憎さのあまり、会えば痛めつけてしまうのが常だった。 2 / 3春江は幼少の頃、貧しい生活を送っていた。父親は蒸発し、スナックを営む母親と二人で暮らす日々。決して豊かではない環境が一変したのは、客として訪れた壮一と春江の母が男女の関係を持ってから。壮一は母子に惜しみなく援助をくれた。 はじめの頃、何でも与えてくれる『壮一おじちゃん』に春江は感謝さえ覚えたほどだ。 けれど、好感が憎悪に変わるのは早かった。助平な壮一は春江にも手を出した。初潮を迎えたばかりの身体は散々に犯され、十歳にして妊娠させられる結末となる。 春江の母は壮一に捨てられたくない為に、彼のいうなりだ。春江を護ってはくれない。帝王切開で生まされた赤子には、美砂子という名が与えられた。戸籍上は春江の妹と成る。 春江の絶望は、苦痛は、計り知れない。 それからは──相沢家で家政婦として住み込みで奉仕しながら、学校に通う生活。友人や周りの人々に美砂子のことをバラされたくなくて、壮一に絶対服従する人生の幕開けだ。 春江を癒すのは、健次という存在だけ。今や、凛々しく成長を遂げた健次に抱きしめられていると、この世界で唯一安らぎを感じる。 3 / 3空の澄み渡る昼下がり、春江はザルに空豆を盛って、縁側に腰掛けた。板張りの床は午前中に雑巾掛けをしたので気持ちが良い。望まざると家政婦にさせられた春江だったが、家事をするのは嫌いではなかった。 なかでも、料理は愉しい。下ごしらえから丁寧に色々と凝る。美味しく作れたときはもちろん、ふきが翡翠色に煮えた時だとか、だし汁がうまく取れたときなどに幸せを覚えた。 剥き始める空豆は、今日の夕食に使う予定だ。 作業を開始して間も無く、早いリズムの足音が聞こえてくる。それは健次のものだとすぐに分かる……春江は彼の足音も好きゆえに。 「……お帰りなさい、健次さま」 近頃の健次は以前にも増して、学校を早退けすることが多い。少し、春江は心配していた。 「まだ一時ですけれど。大丈夫なのですか?」 「何がだ?」 「その、欠席が多いと、単位だとか……」 制服姿の健次は「大丈夫だ」とだけ返し、通り過ぎて行ってしまう。後ろ姿をしばらく見ていたが、春江は向き直る。再びさやを剥いていると、しばらくしてまた足音が近づいてきた。 鞄を部屋に置いてきた健次は、春江の傍らに座る。何も言わずに空豆を剥きはじめ、手伝ってくれる。 春江は微笑んだ。 嫌なことも全て忘れられる、健次と過ごしている時間だけは。特に会話をしなくても良い。黙々と二人で居ても、居心地が良い。 穏やかな日だまりの中、随分とさやを積み上げた頃、春江は口を開いた。そういえば、思いだしたことがあってのことだ。 「再来週の、お祭りの夜……」 健次のほうを向けば、案の定、その表情は冷めたままだった。 「あの、偶然、旦那さまが留守なんです。出版社の方と飲みに行かれるそうで……」 「はっきり言え」 作業の手を止めず、健次はぶっきらぼうに言う。少し気恥ずかしかったけれど、春江は正直な想いを打ち明けてみた。 「私……お祭りに行きたいんです。健次さまとは、たまにしか、デートできないし……」 「俺は人混みは嫌いだ」 もじもじとしていながらも告げると、健次は春江を見てくれた。剥いたさやを指ではじきながら。 「けど、お前が行きてえんなら……我慢してやる」 それは了承を意味する。春江は嬉しさに、両頬を押さえて染めるのだった。 |