落胤

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 休日の目抜き通りを、壮一と少女は楽しげに話しつつも歩いている。

 その後ろを、うつむいて付いてゆく春江だった。本当は彼らと共に行動をするのは嫌で、今すぐに帰りたい気持ちでいる。

 けれど、逆らうことは許されない。

 もしもそんなことをしてしまったら、春江だけではなく、健次も罰を食らうだろう……

「あっ、パパ……」

 有名ブランドの路面店を前にして、少女は足を止めた。華やかに飾られたショウウインドウを見つめ、瞳を輝かせている。憧れのまなざしだ。

「どうした、ミサ?」

 愛娘の様子に、壮一も店に目をやる。

「あのカバン……いぃなぁ、かわいーなぁ……」
「ほぉお、欲しいのか。じゃあ買ってやるぞぉ」
「えー、でも、すっごく高いんだよ?」
「構わんよ。ミサの欲しいものはなんでも与えてやる、たまにしか会えんしなぁ」

 二人は回転式の自動ドアのなかへ入っていった。春江に込み上げるのはウンザリとした感情。買い物に付き合わされることに、憂鬱を抱く。

 自分も足を踏み入れつつも、遠目から少女を眺める。

 顔立ちも、背格好も、春江に似ていた。

 当たり前だ──娘なのだから。

(……健次さまに、アノ娘の存在を知られたら。恥ずかしくて、申し訳なくて、私は生きてゆけない)

 壮一に娘の存在をバラされるのが怖く、脅されたまま逆らえない。それが春江の人生だ。

 愛しい人、健次のお世話をずっとしてあげたい。その想いと共にいつもあるのは『私にはそんな権利は無いかも知れない……』壮一との間に隠し子を孕んだ私に。

 店員と話す少女に近づくと、その足をこっそりと踏みつけた。憎さのあまり、会えば痛めつけてしまうのが常だった。

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 春江は幼少の頃、貧しい生活を送っていた。父親は蒸発し、スナックを営む母親と二人で暮らす日々。

 決して豊かではない環境が一変したのは、客として訪れた壮一と春江の母が男女の関係を持ってから。壮一は母子に惜しみなく援助をくれた。

 はじめの頃、何でも与えてくれる『壮一おじちゃん』に春江は感謝さえ覚えたほどだ。

 けれど、好感が憎悪に変わるのは早かった。助平な壮一は春江にも手を出した。初潮を迎えたばかりの身体は散々に犯され、十歳にして妊娠させられる結末となる。

 春江の母は壮一に捨てられたくない為に、彼のいうなりだ。春江を護ってはくれない。帝王切開で生まされた赤子には、美砂子という名が与えられた。戸籍上は春江の妹と成る。

 春江の絶望は、苦痛は、計り知れない。

 それからは──相沢家で家政婦として住み込みで奉仕しながら、学校に通う生活。友人や周りの人々に美砂子のことをバラされたくなくて、壮一に絶対服従する人生の幕開けだ。

 春江を癒すのは、健次という存在だけ。今や、凛々しく成長を遂げた健次に抱きしめられていると、この世界で唯一安らぎを感じる。

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 空の澄み渡る昼下がり、春江はザルに空豆を盛って、縁側に腰掛けた。

 板張りの床は午前中に雑巾掛けをしたので気持ちが良い。望まざると家政婦にさせられた春江だったが、家事をするのは嫌いではなかった。

 なかでも、料理は愉しい。下ごしらえから丁寧に色々と凝る。美味しく作れたときはもちろん、ふきが翡翠色に煮えた時だとか、だし汁がうまく取れたときなどに幸せを覚えた。

 剥き始める空豆は、今日の夕食に使う予定だ。

 作業を開始して間も無く、早いリズムの足音が聞こえてくる。それは健次のものだとすぐに分かる……春江は彼の足音も好きゆえに。

「……お帰りなさい、健次さま」

 近頃の健次は以前にも増して、学校を早退けすることが多い。少し、春江は心配していた。

「まだ一時ですけれど。大丈夫なのですか?」
「何がだ?」
「その、欠席が多いと、単位だとか……」

 制服姿の健次は「大丈夫だ」とだけ返し、通り過ぎて行ってしまう。後ろ姿をしばらく見ていたが、春江は向き直る。再びさやを剥いていると、しばらくしてまた足音が近づいてきた。

 鞄を部屋に置いてきた健次は、春江の傍らに座る。何も言わずに空豆を剥きはじめ、手伝ってくれる。

 春江は微笑んだ。

 嫌なことも全て忘れられる、健次と過ごしている時間だけは。特に会話をしなくても良い。黙々と二人で居ても、居心地が良い。

 穏やかな日だまりの中、随分とさやを積み上げた頃、春江は口を開いた。そういえば、思いだしたことがあってのことだ。

「再来週の、お祭りの夜……」

 健次のほうを向けば、案の定、その表情は冷めたままだった。

「あの、偶然、旦那さまが留守なんです。出版社の方と飲みに行かれるそうで……」
「はっきり言え」

 作業の手を止めず、健次はぶっきらぼうに言う。少し気恥ずかしかったけれど、春江は正直な想いを打ち明けてみた。

「私……お祭りに行きたいんです。健次さまとは、たまにしか、デートできないし……」
「俺は人混みは嫌いだ」

 もじもじとしていながらも告げると、健次は春江を見てくれた。剥いたさやを指ではじきながら。

「けど、お前が行きてえんなら……我慢してやる」

 それは了承を意味する。春江は嬉しさに、両頬を押さえて染めるのだった。