1 / 4「な……に……?」セイは驚愕と混乱にぽかん、としてしまう。 窓の外、過ぎ去ってゆくのはネオンの景色。 母親の働いている繁華街を、店を、通り過ぎてゆく。 「なに、これ……。だ、だれ……? おろしてよ……!」 セイはまったく事情を飲みこめない。運転する男とセイのふたりきりだ。黒髪の男は黒いジャケットに黒いアンダーシャツ。レザーの手袋も黒かった。 「ねえっっ! どこに連れてゆくの? いやだよう! おれ、おかあさんをー……迎えにいくんだよ……? おかあさん……!!」 男は無言のままハンドルを握っている。表情もない。 こうしている間にも車は、セイの暮らす街からどんどんと遠ざかってゆく。 焦ったセイはドアを開こうと手をかけた。それなのに、力をこめても、押しても引いても動いてくれない。 パニックになるばかりのセイは、窓ガラスをドンドンと叩いてもみた。 そんなセイを無視し、車は高速道路に乗ってしまう。 「出してよ! おろして! おろせよっっ!!! ひとさらい!!! 開いてよーッ! いやだよおおっ……!!!」 「うるせえ」 初めて男が、喋った。 セイはぎょっとして息を飲み、バックミラー越しに男を見る。 「黙れ」 低い声色。 漂ってくるのは威圧感だ。 「黙らせる方法は幾つかある。選ばせてやろうか」 有無を言わせぬ言葉に、セイはなにも喋れなくなる。 「大人しくしてろ」 黙りこむセイをちらと見ると、男は煙草を咥え、火をつけた。 ライターを隣の席に放る。くゆらせて、味わいながら、慣れたようにハンドルを回す。 こんなことには慣れているといった様子だ。 夜道でセイを強引に攫った、こんな行為に。 2 / 4お世辞にも、安全運転とはいえない。速度はかなりのもので、カーブのたびにセイの体は左右に傾く。ときには「うわあっ」と悲鳴をあげてしまう。危険な運転はずいぶんと続き、やっと高速道路を降りた。 セイにとって未知の市街地を抜けてゆく。セイは得体の知れぬ恐怖に硬直しながらも、窓の向こうの景色に暗い夜の海を垣間見た気もした。 (いやだ……嫌だっ、おかあさん……!) ガタガタガタガタ、身震いする。 セイは己の身を抱きしめた。 いったい、どうなってしまうのだろう。何処に連れていかれるのだろう。なにひとつ分からないまま、恐怖で言葉も発せない。セイを運ぶ男もまた、なにも語らない。 車は山林を抜けて、ある場所で停まる。 周りをコンクリートの壁に囲まれている広大な廃屋の片隅。敷地内にはすでに閉鎖した工場の建物が幾つも残され、ただ朽ちている。 男は後部座席の扉を開けてセイに首輪をつけた。小型犬用の革製だ。乱雑にリードを引き、セイを車外へと出す。灯りのない廃墟を歩くために、男は懐中電灯も手にしていた。 「うわぁッ! やだ、いやだぁ、なに……?!」 「泣き叫ぶな。無駄だ……」 強引に引かれ、セイはつんのめる。歩きだす男は大股で歩くのも速い。子供のセイにはついていけず、おまけにこの暗闇。すぐに思いきり転んでしまった。 「ぎゃあっ……、やだぁ、痛いよおー……!」 膝をすりむいても、男はリードを引く手を緩めてくれない。コンクリートの瓦礫に手をついたセイは引きずられるようめちゃくちゃに連れられてゆく。血が滲む。 足がもつれ、再び転ぶと、今度は背中を踏みつけられた。はじめて味わう痛みと恐怖。セイの眼からはぼろぼろと涙が溢れてしまう。 「うわぁああん、いやだぁー、助けて、うわぁああ……」 「──だからガキを攫うのは面倒臭えっつったんだ」 舌打ちとともに、男はセイをリードで引き寄せ強引に立たせる。月明かりの下、セイは嗚咽を漏らしながら連れられてゆく。セイは滅多に泣かない。泣いてしまったのは本当に久しぶりだった。 3 / 4廃墟の工場に沿うように建つ廃墟のマンションは、社員寮の跡地だ。懐中電灯を頼りに階段をのぼり、二階の一室に入った。男は鍵束を取り出して扉を開く。セイを連れ、ブーツを履いた土足のままで上がる。内部は2DK。そのうちの一室にセイは放りこまれる。 6畳ほどの和室に敷かれた青いビニルシートの上、ドサリと崩れたセイの目の前は眩しくなった。この部屋には電気が通っていて、男が壁面のスイッチを押したのだ。 闇の廃墟から、セイはいきなりに煌々とした蛍光灯の元に晒された。 「わぁあ、まぶ、しぃ……!」 「ふん。なるほどな。高く売れそうなツラだぜ」 眼を押さえて転げるセイに男の声がした。錯乱しながら薄目を開くと、ブルーシートには犬用の餌入れや、食べ物をこぼしたカス、破れた衣服の切れ端などが散乱している。壁には血痕も染みているし、いったい、何のための何が行われている部屋なのかセイにはわからない。 這いつくばるような体勢のまま、セイは目の前の男を見上げてみた。改めて見る男の姿。長身で目つきも鋭い。男の瞳は冷酷すぎる。温かさはまるでない。 「あとは引き渡すだけだ。じきに調教役が来る」 男の発する言葉の意味もセイにはわからない。 「……おうちにかえりたい、おかあさぁん、おとうさん……」 わからないままで泣きべそをかく。此処に連れられるまでに擦りむいた膝の痛みと、不安に怯え、震えてしまう。 4 / 4ダイニングには、かつての住人の暮らしの痕跡がそのまま残されていて、トースターや、旧式型の冷蔵庫などがある。男は木製のチェアに腰掛け、開け放った扉からセイを眺めていた。不均衡で不穏な時間が過ぎてゆく。 一秒、一秒が、セイにとっては永遠のように長い。 大声をあげ、絶叫して泣きたい。そんなことをしたら男に叱られそうだから、怖くて出来ず、ただカチカチと歯を鳴らして正座し、半ズボンからあらわな擦りむいた膝頭をあわせて震えているしかないけれど── いつまで待つのだろう。調教役とやらを。 「遅せぇ」 永遠を切り裂いたのは男の呟きだった。 幾らか、忌々しげな言いかたで。 セイはその声にビクリとして顔をあげ、男を見た。 長い足を大股に開いて座り、何本目かの煙草に手をのばす。火を点ける動作にも苛立ちが滲んでいる。どうやら、あまり気が長いほうではないらしい。 「おい。暇潰しに芸でもしろ」 突然言われても、セイはなにも思いつかない。身じろぎひとつできず、うろたえていると舌打ちを零された。 「使えねえな」 「……ご……めんなさい……」 謝ったとき、ふと、男が口の端を歪めたことに気がついた。無意識のうちにセイは男を見つめる。 思いついた、という表情だ。男の薄笑みは。 「じゃあ脱げ」 「え……?」 微かに唇を歪めても、男の冷酷な雰囲気は変わらない。 命令の意図するところがわからないまま、セイはおずおずとパーカーに手をかけた。 |