流転

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 怜と連絡し、少年を受け渡すのは今夜20時と決めた。
 取りに来る彼に渡せば健次の役目は終わりだ。

 通話を切ると健次はため息を零す。
 202号室のベッドに腰掛けた姿で。

(……暇だな……)

 まだ半日以上ある。
 少年の世話を甲斐甲斐しく焼く趣味は無い。

 あの子供は淫乱なので、勝手に色々と覚えていくだろう。渡したディルドと部屋にある雑誌や映像でまた身につけるに違いない。

 煙草を一本吸ってから、健次は部屋を出た。レザージャケットを羽織り、ポケットに手を突っこんで階段を降りる。誰もいない広大な廃屋を独りで散策するのは、健次にとってそれなりに楽しめる行為だった。

 此処は健次の持ち物だ。相続して所有する土地の一つ。辺鄙(へんぴ)な場所にあるため買い手も付かない。とうの昔に撤退した工場の残骸だけが残る。

 隣接する山林のいくつかも健次のものだ。

 ひと気がまったく無く、誘拐した商品の確保にちょうどいいので、それ専用の場所になってしまっていた。

 静寂の廃墟を健次は歩く。時折、転がる空き瓶や倒れて錆びた自転車を蹴飛ばしたり、割れたガラス窓の破片を踏みながら。

 中途半端に開いたシャッターから中に入れば、置き去りにされたままの機器類、廃材が積まれ、薄暗かった。

 脱ぎ捨てられたままの作業着が生々しい。
 高い天井から吊り下げられたチェーンも錆びている。
 砂埃の混ざった隙間風に揺られ、時折、ギィ……と、小さな悲鳴のような音を漏らす。

 奇妙な世界だ。自分以外の足音や物音がない。
 まるで、ヒトが滅亡した後の世界のように。

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 歩き回ったのは無駄でもなかった。
 健次は異変に気づく。
 再び建物の外に出て歩いていた時だ。

 足跡がある。

 健次以外の。

 駐車場の近く、アスファルトの途切れた地面に靴の痕があった。健次は表情を変えないまま辺りを見回してみる……人の気配はない。

 幼い頃から地獄に晒されてきた健次は、のうのうと生きてきた並みの人間より感覚が研ぎ澄まされていた。この足跡も普通ならば見落とすかも知れない。健次だから気づいた。

 健次は歩調を速め、少年を監禁している社員寮へ急ぐ。

「ぁ……、んあ……?」

 扉を開ければ、お楽しみの最中だ。

 教えもしていないのに、ローションをディルドにまぶし、後孔にハメている。汚れた壁にもたれて座り、開いた股の奥、屹立した性器の下に手をやって擬似の男根を握りしめていた。

「クソガキが……」

 その姿を見て、健次は侮蔑する。
 何処まで素質があるのだろう。この子供は。
 組織の連中は知っていて誘拐を企てたとしか思えない。

「あ、ぁ……あの……」

 健次の態度を見て、怒られると思ったようだ。少年は怯えつつも戸惑い、チュポン、とディルドを抜いた。尻穴は卑猥に開いている。健次の挿入を受けたこともあり、赤く充血して腫れ上がった卑猥な花弁。

 細い腕を健次は掴む。乱雑に引き上げて立たせれば少年の手からディルドが落ち、ブルーシートを転がった。裸身で連れ出すのも寒いかとかすかな優しさが働き、健次は粗末な毛布を拾って肩から被せてやる。

「来い」

 何がなんだか分かっていない少年を連れ出した。外廊下に出たところで、担いで歩いたほうが早いと気づき、健次は少年を抱く。

「わぁあぁッ」

 予想以上に軽い。ボロ切れのような毛布から覗く足首も細い。この二日間で負った擦り傷やアザが陽光に晒される。

 健次は階段を降り、少年を抱えて駐車場に急いだ。風呂に入っていない少年からは汗と精液とローションの匂いがした。

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 闇仕事のハイエースではなく、インプレッサに少年を乗せた。少年は後部座席に転がす。

 それから、少しばかり車内と車外を調べる。なにか仕掛けられている可能性もあると思ったからだ……だが何も見当たらない。辺りにも人の気配は無い。

(警戒するに越したことは、ねぇ……)

 少年は好事家たちの間で早くも噂になり、持て囃されていると怜に聞いた。横から攫おうとする者もいるかも知れない。そうでなくとも、なにか、他のたくらみを企てる者もいないとは限らない。
 何しろ、顧客は気の狂ったキチガイ揃いだ。

 荒々しく扉を閉めると、健次は早速、発進させた。
 昼間の眩しさに目を細め、アクセルを踏む。速度を出して敷地を抜け、山林を下る。

「どこにいくの? ……あのう……!」
「黙ってろ」

 短く言い捨てると、それきり少年は黙る。バックミラーでその姿を見ると、毛布に包まって大人しく座っている。ずいぶんと従順になったものだ。

(頭の悪いガキじゃねえんだな)

 反抗すれば暴力を浴び、水や食事なども健次のさじ加減ひとつで与えられなくなると分かったのだろう。自らの立場を理解しはじめた。

 車はやがて山を下りる。郊外の国道を走っていくが、尾行されている様子もなく、これといった異変もない。

 しかし、廃屋に足跡があった。
 それも複数人の痕を見つけた。

 あの場所を知る人間は組織の中でも、たった数人のみ。そのうちの誰かが情報を流したことも考えられる。例えば、高額を積まれて。
 疑わしい者の顔を思い浮かべ……健次は風景を睨んだ。

(あの狐か……)

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 健次にとって闇の仕事は遊びだ。暇潰しだ。
 だから、少年がどうなろうと、死のうと、横から誰かに掠め取られても一向に構わない。

 が、ゲームはクリアを目指すのが愉しい。
 組織から依頼される仕事の数々には仄暗いスリルがあった。健次のような、頭のネジが数本飛んでいるような者にしか笑えないような禍々しいスリル。

 ──とりあえず、あの廃屋に居るのは危険だ。
 所有する物件のどれかに少年を置こうと考え、繁華街にあるマンションの一室に運ぶことにした。少年を狙う者がいるのだとしたら、無人の郊外より、逆に狙いにくい。セキュリティもしっかりしている。

 健次は春江に連絡をする。鍵を持って来いと手短に話し、すぐに通話を切った。
 よく出来ている春江は「はい、わかりました」とだけ言う。それから不動産売買をしているヤクザに電話をし、春江を迎えに行けと告げた。一等地の商業ビルを健次に都合してもらった恩恵から、よく従ってくれる。金を積めば人殺しもこなしてくれる頼りがいのある連中だ。

 ほどなくして高級マンションの地下駐車場に着き、少年をスーツケースに押しこむ。
 今までに何人もの商品を詰めて歩く機会があった……死体や、身体をバラした後の残骸を詰めたこともある。

 ロビーはさながらホテルのよう。高い天井にきらめき揺れる照明、絨毯にはソファとテーブルのセットがしつらえられていた。
 健次に挨拶してくるのは常駐する警備員や、コンシェルジュたち。大ぶりなスーツケースの中に少年が入っていようとは誰も思わないだろう。

 ソファにすでに座っていた春江は、落ち着いた藤色の訪問着を纏っている。髪をアップにまとめているために襟から覗くうなじがまた色香を匂わせた。
 春江は女ざかりの魅力に溢れている。
 家政婦仕事をしているときも和服だが、ふだんは地味にしている。外での春江はつつましくも華やかで人の目線を集めた。
 健次の父親も自慢の愛人だと言い、生前よく若い春江を連れ歩いていたものだ。

「健次さま……」

 主の姿を見つけると、春江は嬉しそうに微笑み、すっと立つ。護衛していた大柄な男ふたりが、頭をさげて建物を出ていく。
 
 健次は、すこし後ろを歩く春江を従えてエレベーターに乗りこんだ。

 鏡に映る健次と春江の姿も、父親と春江との関係性に劣らず、釣りあっていて美男美女だ。