兆し

1 / 4

 めちゃくちゃに凌辱され、蹂躙された行為の後、セイは失神するように眠りに堕ちた。
 瞳を閉じた瞼の裏側の闇は優しい。全てを覆い隠してくれる。
 残虐な絶望も、恐怖も、悲しみも。
 闇は塗り潰してくれる。

 時には、夢という甘美な幻も見せてくれる。
 夢に酔いしれることが唯一の娯楽となる。救いのない場所では。

 目覚めたのは、寒さのせいだ。

 月明かりに照らされながら、セイは身を起こす。手首を床に付いただけで、軋むような痛みがはしる。表情を歪め、冷えた息を零した。

 粗末な毛布をたぐり寄せて、身を包んで再び倒れる。
 
 疲弊している身体はすぐに、また夢に導かれていった。溶けるように。
 ……優しい母親に抱かれる夢を見た。

 けれども、朝は残酷に訪れる。

 陽光に睫毛をくすぐられ、セイはゆっくりと目を開いた。

 変わらない天井。染みついている飛沫は薄紅く、血痕なのかと思うと恐ろしい。
 身体の痛みは増している。強引に手足を捩じ上げられてできたアザ、擦り傷、そして腹部に響く鈍痛。

「うぅ…………」

 呻いて、セイは腹を押さえた。まだ男のモノを挟んでいるような違和感もある。
 大人たちは行為の度にこのような不調を味わっているのだろうか。それとも、そのうち慣れるのだろうか。

 辛い。だけど昨夜は……

(イヤなこと、だけじゃなかったよ)

 セイは驚きとともに、その事実を受け入れる。

 気持ちよかった。

 男に言われたように、昼間に見た卑猥な本や映像のように。ペニスを扱いて導かれた悦楽。
 生まれてはじめての白濁。不思議な感覚。宙に飲みこまれ、高みにのぼり、身体中の血流が集まっていき、飲みこまれた──悦楽。

 アノ瞬間を思い出すと、セイはうっとりしてしまう。

 くちびるをゆるめ、微笑う。

 大人は皆、あんな快感を味わっているのだろうか?
 そう思うと、写真集や映像で、男女が気持ちよさそうな顔をしていたことも頷ける。

 痛みのなかで垣間見た楽園。
 手をかけた楽園への扉のなかで、甘く、とろけそうな、圧倒的な悦楽が手招きしていた。
 またあの場所に行きたいと思う心を否定出来ない。
 願わくば、次はもっと奥深くまで踏みいれたい。
 天国に近づけますようにと。微笑いながら想う。

2 / 4

 セイが目覚めてすぐに男が来た。もはや条件反射で身震いしてしまうセイに、男はコンビニ弁当を投げ捨ててくる。眼光も相変わらず鋭かった。

「食え」
 
 当然のように箸は無い。這うようにして弁当の前に行くと、相変わらず土足のままの男はビニール袋からミネラルウォーターを出す。

 昨日のように水をぶちまけられるのかとセイは思う。しかし今日の男はしゃがんだかと思うと、弁当の蓋を開け、その上にどばどばと注いだ。

「あぁ……あ……」

 セイはそのさまを見ていることしか出来ない。
 せっかくのご馳走が台無しにされていく。
 昨日はパンを一つ食べたきり。シートの水たまりも、渇きを覚える度に舐め取っていたからもう残ってはいなかった。

 飢えているセイはどんなモノでも食べるしかない。……食べたい。

「い……ただきまぁす……っ」

 セイは覚悟を決め、弁当に顔を突っこむ。まさしく犬食いだ。
 水で浸ったサラダや、コロッケを食す。
 美味しい。こんな体勢で箸もなく食べなけれないけないのは辛いし、食べにくいが、夢中で貪ってしまう。
 
「あっ、はう……、んぐ」
「急くな。誰も取って食いやしねぇ」

 男はセイを見下ろしている。眺められながら、セイは安心した。途中で取りあげられてしまったり、蹴られてさらに無残な食事にされるかも知れないと警戒していたからだ。
 もう、何をされてもはじめの頃のようには驚かない。

「本当に犬みてぇだな。首輪がよく似合う」

 セイ自身もそう思う。全裸で、こんな食べ方で必死に貪りつくなんて。
 家畜に成り果てる日が訪れるなんて考えたことがなかった。

3 / 4

 食後は監禁室を出された。首輪のリードを握られながら、尿の溜まった洗面器を持って歩く。
 歩いたのも、部屋を出るのもずいぶんと久しぶりの気がした。
 誘拐されてまだ三日と経っていないのに、もう一ヶ月以上過ぎたような感覚もする。

 便器に中身を流しながら、どうしてトイレがあるのに使わせてもらえないのだろう?とも思った──すぐに答えは浮かぶ、もう自分は人間用のモノは使わせてもらえないのだ。
 空にすると洗面で洗う。しっかり洗えと言われて、いままで排泄物の入っていた桶を手のひらで水で擦る。抵抗感が湧いても、反抗は出来ない。

 清めたところで、セイはもぞついた。部屋に戻ろうとする男にリードを引っ張られながら。

「あの……、ぅ……」

 意を決し言ってみる。男は一瞥をくれた。

「何だ」
「……え、と……、おれ……」



 ウンチ、したい…………



 恥じ入りながら、セイは言う。

 生理的な欲求で当然のことなのに、発した瞬間から頬が熱い。
 顔がカァッと赤くなった。

「すればいいだろ。勝手に」
「どこに……」
「お前が持ってる桶があるだろうが」

 当然のことのように男は言った。鬱陶しそうに。
 セイは愕然とすると同時に、やっぱり、とも思う。

 男はリードを手から離す。

「その場でやってまた捨てて洗え。二度手間だな、バカか……」

 彼は居間の椅子に座り、デニムにブーツの脚を組んだ。テーブルにあった煙草を取って咥え、火をつける。眉間には皺が寄り、ため息混じりに煙が吐かれた。

「とっととクソして部屋に戻れ。俺を待たせるな」
「あ……、ぁ…………」
「早くしろ」
「……ぅ……!」

 こんな状況で用を足さないといけない。セイは泣きそうになる。
 けれど涙は出なかった。洗面の床に桶を置いてしゃがみ、羞恥で顔を真っ赤にしながら踏ん張る。力めばすぐに排泄されて、匂いはセイの鼻をくすぐった。

4 / 4

 大便をトイレに捨て、桶を手で洗う。半ば呆然としながら。何をしているのか、もう、麻痺してきたような気もする。汚いという思いや、哀しさを捻じ伏せることが出来た。

 フラフラと部屋に戻って洗面器をシートに置く。すると男は、そこにペットボトルの残りを入れてきた。ソレが今日与えられた水だということを理解するのにすこし時間がかかった。
 さっきまで、排泄物が入っていたのに……
 良く洗えと言われた意味を理解する。

 茫然自失で座りこんでいるセイの前に、何か、塊が放り投げられた。セイはその物体の名前を知らない。初めて目にするモノだ。

「しゃぶる練習でもしとけ。覚えておけば役に立つだろ」
「……? しゃぶ、る……?」

 言われている意味が分からない。戸惑っていると、男はその塊を拾った。
 そしてセイの口に押し当ててくる。

 押されて痛くて、唇を開けた。入ってくる物体。喉を突かれそうで怖いし、口を大きく開けるのも辛くてセイは表情を歪ませてしまう。

「舐めろ。舌を這わせろ……そうだ……」

 言われるがまま従う。男はソレをセイに突っこみながら、頭も掴む。逃げられない。

「練習しろ。キサマはどうせ、悦んで咥える犬に成り下がるんだろうな」
「か……はぁ……、あ……」

 涎が溢れてきたところで、抜き取られた。
 唾に塗れた物体は再びシートに置かれる。
 セイはやっと、塊が男根の形をしていることに気がついた。
 彼や、昨日散々視聴した大人の男たちの性器によく似ている。

 男は部屋を出てゆく。もちろん、鍵をかけられる音がした。

 独りきりになった空間、セイは戸惑いながらも擬似の男根を手に持ち、観察したり、舌先でつついたり、してみる。

 ……悪くない。コレをペニスだと思うとドキドキする。
 男相手に発情するセイが、ゆっくりと、けれど確実に。目覚めはじめた。