夜光

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 セイはひたすらに──自らの尻穴を弄っていた。
 気持ちいい。
 気持良くて、頭が狂ってしまいそうだ。

 この世界にこんな快感や刺激があるなんて、知らなかった。大人たちは知っていて教えてくれなかったのだろうか、そう思うとすこしばかり憤りも覚えるセイだ。
 子どもには隠して、自分たちだけで味わっていたのだとしたら、ずるい……
 セイは快楽のなかで、拗ねる。

 もっと早くに知りたかった。ゲームよりも、漫画よりも、校庭で遊ぶことよりも楽しくて、心地良くて、気持ちイイこの世界に、ずっとハマっていたい、ずっと堕ちていたい。
 味わう快楽にはそれほどまでに中毒性を感じる。
 セイの身体と意識は底なしに引きずられてゆくばかり。

 戻れなくなっても構わない、とさえ、感じつつある、セイだ──

「あ、はッ…………」

 セイは微笑う。
 
 瞼をきつく閉じた瞬間、また滴る透明な雫。
 得も知れぬ悦楽はずくずくと足首から絡みついて背骨を逆流するように走り、脳までもとろけさせてくれる。その度ごとにセイの意識から剥がれてゆく、帰りたい、という想い。

(おかあさん、心配してるかなぁ……)

 快感の淵で気まぐれにぶり返す、理性。
 けれどもセイは首を横に振る。喘ぎながら、頼りなげに。

(……もぉ、おれ、かえれないよぅ…………?)

 悲しさと気持ちよさで表情が歪んだ。

 もう、日常には戻れない?

 いや、戻りたくない──とさえ思ってしまう、享楽的なセイもいる。
 こんな快感を知ってしまって、今までどおりに生きられるはずない。

 母親とふたりきり過ごしていたささやかな日常が、かすんでゆく。手をつないで歩いた道端の花の綺麗さも、休日にでかけた想い出も、笑顔で向かいあっていた食卓も。
 ほがらかなすべてが、圧倒的な悦びの前に、揺らがされ、崩れ落ちる。

(ごめんね、おかあさん。おれ、だめ、だめなの……!)

 溢れる欲求と性衝動。
 まるでこの身は以前から待っていたかのようだ、こんな刺激を感じることを。
 柔襞は永く待ち望んでいたかのようにセイの指に食いつき、締まって離さない。
 蜜塗れになったペニスも、いやらしく握ったり擦られることを待っていた、きっと。
 セイの身体はセイも驚くほど順応に性感を受け入れ、さらに欲しがってやまない。

(こんなにもおれ、知っちゃったから……)

 帰れないと、思う。
 それはとてつもなく悲しいはずなのに──すこしだけ嬉しくて期待感に震えずにはいられない。
 貪欲に、我儘に、貪りつづけたい。
 快楽を。
 これからいったいどんな目に遭わされるのか、次は何処に運ばれるのか、楽しみなセイが確実に存在した。

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 過ぎ去る窓の外など、気にもならない。
 夢中で自慰を続けるセイだったけれど、尿意には抗えなかった。
 朝、健次の前で排泄したきりだ。

「ケンジ、さぁん……」

 いくらか萎えた性器を押さえ、身を起こす。
 やっと見た景色は、ずいぶんと郊外に辿りついていた。

「ほぉう……何処で覚えた?」

 セイに名前で呼ばれ、意外そうに振り返る健次だった。

「女のひとが、いってた……」
「ムダな知識だな。忘れろ」

 くだらなさそうに前を向く。せっかく知ったのに、そんな言われかたはすこし悲しい。
 しかし本題は名前のやりとりではない。差し迫った事情があった。

「あの、おれ、ね……おしっこ……したい……」
「我慢しろ」
「うぅ…………」

 冷たく言い捨てられるのも、予想の範疇だ。
 セイは唇を噛み、座席にしがみつく。
 しばらくの間、田舎のあぜ道を走行する車。

「して来い」

 そんな言葉をかけてもらえたのは、川沿いに停車したときだった。自慰は尿意から気持ちをそらすためのものになっていて、柔らかく睾丸を揉みしだいていたセイは顔をあげる。

 健次によって開けられる扉。首輪をしたままのセイは裸足で降りる。
 全裸に夜風は寒くて、すぐさま縮こまってしまう性器。
 都心を離れ、ひと気もなく、街灯も遠い。薄闇のなか、セイは土手の草むらを歩いた。

(あっ…………)
 
 感じる。こんなシチュエーションにも。
 セイは寒さからではなく、興奮で身震いをした。

 健次にリードを握られているわけではない。健次は車のそばで、煙草を吸っている。ただセイの後姿を眺めているのみだ。

 もう、セイは逃げないという確証があるのだろう。

 その通りだ。健次に見透かされている。
 セイから逃亡の気など削げていることを。泣きわめいて反抗する気などない。

(お、おれ……はだかで、お外、あるいてる……!)

 セイは逃げる気どころか、その事実に興奮するばかり。頬は紅く染まって熱く、頭がぼおっとする。素肌の尻に当たる草が、こそぐったい。そんな刺激すら快感に変わる。

「あぁっ……、すごぉい……おれ……」

 いままで生きてきた日常生活ならありえない事態。
 興奮の前に、寒さなど消えた。
 こんな目に遭っている自分に酔いしれながら、セイはおもむろに地面にしゃがんだ。アノ監禁部屋でしていたように、仔犬のように両手を握り、顔の高さまで上げる。
 おのずと羞恥的なポーズをとり、乱す吐息。
 そして可憐な性器から、ためらいもなく放出する。

「あ──……ッ、あぁっ、おれ、おれぇ……!」

 興奮の密度が、上がった。
 シャァアアア、と迸らせながら……凄いことをしている、と感じる。
 目の前には川があり、向こう岸には民家の明かりもちらほらと見える。こんな場所で全裸のまま恥知らずに排尿する悦び。広がる小便はセイの足元に広がり、染みて素足が汚れる。それもまたセイの快楽を誘った。

 惨めで汚くて常軌を逸した行為に、ドキドキが止まらない。学校の友だちとするボール遊びやかくれんぼでは絶対に味わえない愉悦に酔いしれる。

 誘拐されてからまだ三日と経っていない。
 それなのに、セイはずいぶんと“遠くまで”来てしまった。

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「……ンっ、はぁ……ん……!」

 乳首を尖らせた裸身をくねらせ、悶絶しながら漏らしきった。すべての雫が滴り落ちると、セイは呼吸を熱くさせたまま立ちあがる。

 半勃起の性器を摘んで残滓を散らしてから、健次のもとに戻れば──
 健次は不満げにセイを見てから、吸殻を草むらに弾く。

「汚ねえな。ソレで車乗んな」
「あッ……」

 健次は後部座席から、セイがずっと持ってきた毛布を取って投げ、寄越した。セイはそれで尿の付着した太腿や、足をごしごしと拭く。

「……ケンジさん、背、たかいね」

 ある程度清めたセイは、ふと呟いた。健次の顔を見上げて思う。
 はじめは怖くて注視出来なかったこの男。
 改めて見ると、格好よく感じる。
 薄いくちびるは、なぜだかセイに母親を思いださせた。誘拐犯の健次と自分の親なんて、似ても似つかない存在のはずなのに。雰囲気だって、まるで違うのに……
 不思議だ。
 
「あのね、おれのおとうさん、そんなに背たかくないんだよ。おれのおかあさんも……」
「ごたくはいい、さっさと乗れ」
「うわぁ!」

 毛布ごと掴まれ、放りこまれるよう、セイは後部座席に転がる。

「それでね、おれのおかあさんのおにいちゃんもケンジっていうの」
「そうか──」

 健次はシートベルトを締めた。何事も無く発車して、掛けぬけてゆく郊外の景色。
 しばらくのあいだは。
 
 異変はすぐに起こった。

「? ケンジさん……?」

 不穏さを感じ、セイは座席の上、身を起こす。
 いきなり、健次の運転が荒くなったのだ。
 セイを誘拐して現場から去る夜よりも、激しく。
 悲鳴のような音をさせて踏まれるブレーキと、急角度で曲がるカーブ。 

(!! なにが、おこったの?)
 
 健次に誘拐されてからというもの、いままで経験したことのない出来事ばかりに襲われてしまう。その度に狼狽えるしかないセイだ。

「ケンジさぁん、どうしたの?!」

 返事はない。だから自分で答えを見つけだすしかなくて、揺れる車内、窓の外の様子を伺う。──気づいたセイは思わず「ひやぁあっ」と、悲鳴をあげた。
 
 何台もの車が、後ろから追いかけてきている。
 連なるようにして。これはいったい、どういうことなのだろう。
 なぜ追われているのか。

「やっと仕掛けてきたか、遅せぇな」

 健次の呟きを、セイは聞いた。

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 耳障りな音を立てて急激に踏まれるブレーキ。
 ハンドルをぐるぐる回し、あり得ないような曲がりかたをする。暴れるばかりの運転に、セイの気分は悪くなってきた。

 健次の走りに着いてくるのだから、彼らの暴走も相当なものだ。
 セイにとって味方なのか。敵なのか──

 こんな事態のなかで、健次は平静なまま。焦ったり、動揺することもない。
 どうしてそんなふうにいられるのか、セイにはわからない。
 慣れているのかも知れない。緊迫した状況に。
 セイは改めて健次に対し、唖然とするのだった。

「……おれはっ! ケンジさんとはちがうよぅ、平気じゃないよぉ。こわいよぅ、ケンジさぁん、ケンジさ……」
「黙れ」
「……う……!」
 
 そう言われると、セイはもう、なにも言えない。

「オナニーでもしてりゃいい。てめぇはな」

 健次は赤信号も容赦なく突っ切り、ヒトを轢き殺しそうになったりする。
 セイは何度も悲鳴をあげかけ、その度に口を押さえて耐える。
 後部座席から転げ落ちてしまうと、もはやちゃんと道路を走っているのかでさえセイには分からなくなった。
 縦揺れと、横揺れとを繰りかえす車内。
 汚れた毛布をぎゅっと抱きしめることしかできない。
 当然だが、怖さで自慰どころではなかった。すっかり萎えてしまっている。

「ハハハハ……喧嘩売ってんのか、克己……」

 怯えるばかりのセイと違い、愉しそうな健次。
 それどころか、だれが犯人なのかもわかっているようだ。
 
 ……いったい、この追いかけっこはいつまで続くのだろう。ただそれだけが不安なセイだった。