娼年

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 この男もまた、健次とおなじくセイのペースでは歩いてくれない人だ。
 セイはおぼつかない足どりでなんとか着いてゆく。視線を落とせば、高価そうな革靴と、セイ自身の汚れた素足の対比が惨めさを掻きたてる。
 乗船するとき、彼の長髪が潮風に弄ばれたのは、綺麗な光景としてセイの心に刻まれた。

 無骨なつくりの狭い通路を抜けた先、たどり着いた部屋は倉庫のような空間。

「さぁて、ココに入ってねー」

 積まれているいくつもの檻ではなく、セイは、床にひとつだけポツリと置かれている檻に導かれた。
 他のケージよりもひときわ大きい。きっと大型犬用だ。
 鉄格子の蓋を、長髪の男が開ける。

「早く入ってよ。俺さぁー、キミひとりに構っていられるほどヒマじゃないんだよね」
「んやッ……!」

 一瞬のたじろぎも許されない。
 男はセイの背中を躊躇いなく足蹴にする。
 セイは這って檻に入った。ステンレスの冷たい感触。背後でギィイ、と音を立てて閉まる扉。
 振り返ればカギをかけられるところだ、男の手によって。

「じゃあね〜。今回、ホント楽しちゃったな。健次のおかげで」

 小さく手を振って、男は離れてゆく。 

 立ちあがることは出来ない、鉄格子のなかで、セイはすこしだけ不安になる。だが不安といえど、健次に誘拐され泣きべそをかきながら過ごした初夜ほどではない。
 
(おれ、これからどうなるんだろう……)
 
 膝を抱えながら思う。
 そう、当初のように不安だけではなく、欲情と期待も含まれていた。

(ヘンなのかなぁ。おれぇ……こわいのに、不安なのに、もう……ドキドキする……)

 また酷い目に遭わされるのかと思うと、背筋がズクリと疼く。恥ずかしさを感じるのも好きだ。痛いのも、平気……セイは頬を赤らめながら、口許をゆるめる。

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 倉庫には、セイ以外の生き物もいるようだ。
 檻のなかでガサガサと動く物音もするし、ときおり、呻き声もする。
 不気味極まりない。が、檻に閉じこめられているからこその安心もあった。セイの檻もきっと強固だし、彼らの檻も強固だろう。そしてお互いにカギをかけられている。

(いろんなひとが、おりに入ってるんだぁ……)

 鉄格子越しに目を凝らしてみる。
 セイと同い年くらいの子どももいれば、成人女性もいた。だれもが全裸に剥かれ、無残なありさま。
 おとなしくしているのは放心状態の者で、呻いたり、物音を立てているのは拘束具と口枷をつけられている者らしい。

(いやなの……? こんなにきもちいいセカイなのに?)

 抗おうとしているなんて、と驚きに感じられるセイは完全に毒されている。
 独りになればまた自慰がしたくなってきた。
 してもいいかな、と思ったとき、外部から入ってきた足音がする。二人組らしい。

「へー、 これが今日の商品かー!」

 明るく響く少年の声。セイからはまだ姿が見えない。

「いいのか、勝手に入って……」
「よくねーにきまってんだろ。だからこっそり見るんだよ!」
「ぜんぜん……こっそりしてない」

 ぼそぼそと抑揚なく喋る声もは心なしか、もう一人を引き止めているようだ。

(だれ?)

 室内を歩きまわっている彼らの姿が、やっとセイにも見える──二人は、セイよりも何才か年上の風貌だった。

 大きな声の少年は短髪で、コルセットにショートパンツ、太腿を露出し、ブーツを履いている。
 首輪はセイのものよりも重厚だ。エナメルの手袋で、手持ちぶさたに首輪から伸びる鎖を弄っていた。

 隣に、襟足を長く伸ばした少年。コルセットに下着、ガーターベルトにストッキング。毛皮のガウンを羽織ることで、官能的なありさまはわずかに抑えられている。

 呻く男の檻を覗きこむ、彼らの後ろ姿。

「カワイイ〜、コイツ、目がイッてるぜ」
「可愛いか……?」

 少年たちはこっちにも来るのだろうかと、セイは緊張する。

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「コイツも壊れてる。いいな、俺も虐めてあげたい。もっと壊してあげたい!」

 首輪をしている少年がうっとりと言うと、毛皮の少年が冷静につっこむ。

「買えばいい」
「簡単にゆうなよ。だって俺んち、動物飼ったらだめだもん」
「そうか……」

 毛皮の少年が振りむいた。端正な顔をしていて、女の子みたい、とセイは思ったが、胸の平らさと直線的な骨格は紛れもなく少年だ。

「大貴、こっちにもいる……」
「まじで? どれ?」
「これ」

 しゃがみこむ少年に呼ばれ、大貴という名らしい首輪の少年も近づいてきた。
 セイはごくりと唾を飲みこむ。身を屈ませた彼らの瞳がセイに注がれる。大貴も整った顔をしていた。少女めいたものではなく、男の子らしく凛々しい。
 二人にそんなまじまじと、じっと見られると困ってしまう。気恥ずかしくもなる。

「スゲェ。ちょうかわいぃじゃん。ほら、お手っ」

 大貴は鉄格子の間から腕を差し入れてくる。艶光りするエナメルのロンググローブ。セイは戸惑いがちに、おずおずとその手に手を重ねた。瞬間、ギュッと握られて握手される。驚いて「ひゃっ」と悲鳴をあげてしまうセイだった。

「わぁ、びっくりしたぁ……」
「アハハハ、おまえ、壊れてないのか? なぁヤスエ、こいつちゃんと“生きてる”!」
「……あぁ……」

 手を握られたままはしゃがれても、セイは戸惑うばかりだ。大貴はおかまいなしに、嬉しそうに自己紹介をしてくる。

「俺はー、大貴ってゆうんだ。FAMILYの男娼だよ。コイツは祥衛っていってー、祥衛も男娼でー、ちょっと無表情だけどいいやつなんだ!」

 セイから手を離した大貴は、祥衛の両肩を掴んだ。
「おまえはなんてゆうの?」と尋ねても来る。

「おれはぁ……吉川清志郎っていうの。あだなは、セイだよ」

 ヨシカワセイシロウ。
 発してみて懐かしさを覚えた。
 誘拐されてから名前なんて呼ばれていないし、人間扱いもされていなかったから、すこしばかり忘れかけていた、自分の名前。

「そうなんだ。あ! 俺はー、真堂大貴!」

 胸に手を当てて、満面の笑顔でフルネームも教えてくれる大貴。なんだか誘拐されてから、はじめてまともなコミュニケーションを取れる人と出逢った気もするセイだった。

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「なぁ、おまえさー……わかってんのか?」

 ふいに大貴の笑顔が翳った。

「これから売られるんだぜ。おまえが、どーやって商品にされたか知らねーけど……」
「うられるっ?」

 キョトンとするセイに、大貴は言いづらそうに言葉を続ける。祥衛は無表情のままだけれど、セイの前で彼はずっとその顔なので、きっとどんなときでも表情がないのだろう。

「だれかに買われて、その先はどーなるかわかんねぇ。どんな扱いされるかも……」
「そうなんだぁ……そういえば、ケンジさんがすこし言ってたきがするー」
「呑気に考えてる場合じゃねー」

 大貴は鉄格子を掴んだ。真剣な瞳になる。
 それでもセイにはピンと来ない。
 人間をやめろと宣告されたのは昨日の朝で、すでに受けいれてしまった。
 いつも裸で過ごし、犬食いをし、トイレ以外で排泄をする。風呂も入れてもらえない。お尻に挿れられて、痛めつけられ──そんな生活に興奮を覚える過激なセイが生まれてしまっているのだ。
 
「……おれ、もう……かえれないもん……お家に……。こんなふうになっちゃったから、おかあさんにも会えないしぃ……べつに、いいかなっておもう……」

 くちびるから紡がれるのは、諦めと決意とあさましい期待の混じった感情。

「気持ちいいし、おれ、もういぃや……」
「ちょ……まじかよ、本気で言ってんのかよ……!」

 大貴は驚いているけれど、セイは頷く。
 大貴はまだなにか言いたげだったが、祥衛が止めた。大貴の腕を掴む。

「同類かもしれない……──俺と」
「ヤスエ……」
「ほうっとくしかない。逃がせないことはない……だろうけれど……大貴だってドレイ、だから……もし、逃がしたら……罰を受ける……」

 納得しきれていない様子で、大貴は檻から手を離した。
 祥衛は相変わらずに整った顔で静かにセイを眺めている。まるで人形のようだとセイは思った。

「中一のときの、俺に、すこしだけ、似てる」

 祥衛の呟きも、セイはきょとんとして聞く。似ている? おれが? こんなきれいなひとと? 首を傾げると、大貴は踵を返してしまった。

「……そーかよ。俺は行くぜ」

 ブーツの音を鳴らして離れてゆく。けれど最後にまた振りむいてくれた。

「まー、なるべくいいヤツに買われるといいよな」
「えー……うんっ、わかったぁ」
「はっ……ホント、分かってんのかよ、立場」

 苦笑する大貴に、祥衛も歩きだして追いついた。祥衛も最後にセイを見てくれる。

「……じゃあ。」

 それだけ、言ってくれた。ふたりの少年は部屋を出てゆく。束の間の邂逅が終わる。

(だんしょう、って、なんだろう?……ふぁみりい?)

 膝を抱えながらセイは、わからない単語を頭のなかで転がし、どんな意味かをあれこれ想像してから。おもむろに性器に手を伸ばし、かるく弄って時間を潰すのだった。